私はイエス様を信じ救われる前、カラオケが大好きでした。
当時はお酒も飲んでいたので、歌えるスナックやカラオケボックスにも通いました。
さすがに一人では行きませんでしたが、職場の同僚や学生時代の友達と、足しげく通っていました。
ある時は歌うことでストレス解消するため、ある時は周りとの人間関係を築くために。
それはすべて自分のためでした。自分のために歌っていたのです。
だけど、イエス様を知り教会で礼拝する中で、歌うことは神様をほめたたえるためにあるということがわかりました。
もちろん世の中で流れている曲は、神様とは関係ありませんから、そのまま歌うことですが、それでは私たちが深いところで求めているものを埋めることはできないのです。知らずに求めていたものこそ、神様との関係の回復であったことを、私は賛美を知ってわかりました。
初めて教会に行って賛美を聞いた時の、なんともいえない平安と喜びを今でも忘れられません。そこにいるだけで、涙が出てきました。
誰のために歌うのか?それは、主のために歌うのです。賛美し、ほめたたえるのです。
主に向かって心を開いて真っすぐに賛美するとき、そこには私とイエス様しかいなくなります。
誰も入り込むすきはありません。
周りがどんな状況でも、また、周りが自分をどう見ようと関係ありません。
ただ主だけをみて、賛美するときにこそ、主が本当に喜んでくださり、臨在が解き放たれるのです。
今自分の心を点検しています。
初めのあの頃のように純粋に主に向かって賛美しているだろうか?混ざりものが入ってきていないだろうか?
賛美の働きはさらに本格的になっていくでしょう。そういう時だからこそ、真にへりくだりいつも霊とまことをもって賛美し、礼拝するものとなりたいです。
(以前のブログを見直していて、今の気持ちにも通じる記事を見つけたので再度載せます。2009-07-06 のです)