goo blog サービス終了のお知らせ 

今すぐ君に会いに行こう

要らない記事を断捨離中。

オフィシャルサイト

2015-04-03 19:03:07 | 光GENJI
苦情はご自身の日記などでどうぞ。




昨日、赤坂氏の有料のオフィシャルサイトがオープンしたとのことで、
試しに登録してみた。

月額1000円コースと、月額5000円コースが選べる。

有料コンテンツなので、詳しいことは書けないけれど、
サイトの中身がわかって、J-webがどんなにかお安く楽しめることを思い知る。

まだ始動したばかりで未完成な部分も多いからか、
正直、月額1000円の価値はないと思う。

しかも、コメントをするのも、画像を観るのも、そのたびにお金がかかるシステム。

月額5000円コースは動画も観れるし、50ポイントがつくので、
1000円コースで50ポイントを買って楽しむのと、金額的にそう大差はない。

たぶん、動画の視聴もそのたびにポイントを使うんだろう。

まぁ、お高いFC会費だと思えばいいのかな。

それにしたって、月額1000円コースでも年間12000円。

月額5000円コースだと年間60000円となる。

お高すぎるFC会費だ。

ジャニのFC会費4000円が、めっちゃお安く感じてしまうマジック(笑)。


5月の彼の誕生パーティーの詳細も、オフィシャルサイトで把握したけど、
いや~、まぁ、お高い(笑)。

お高い席のチケットはすでに売り切れ。

彼のファンである常連さん達の財力凄い。

バーにも通っただろうし。

これからもそういうイベントのようなものがあるんだろうな。


うーーーん。

私はやっぱり、ジャニのシステムの方が好きだな~。


「赤坂晃 オフィシャルサイト58」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和63年のパフォーマンスだけど、私達の「好き」がぎっしり詰まっているような気がした。

2015-01-26 08:51:59 | 光GENJI
ようつべで見つけた光GENJIファンの方が作ってくれた映像にはまっている。

Mステと「夜のヒットスタジオ」の映像をピックアップして、
素晴らしい編集技術でアップして下さっていた。

昭和63年に発売されたシングル「剣の舞」のパフォーマンスだ。


当時の光GENJIは毎日毎日テレビに出演するので、
2時間のビデオテープを3倍にして、6時間で録画しても、
出番のみを撮っているのに、1週間で全部埋まってしまうほどだった記憶が…。

とにかくビデオテープの消費が早かった。

ビデオが家庭に普及した頃だった。


当時、光GENJIはMステのレギュラー。

毎週毎週、色んなバージョンのパフォーマンスを披露してくれてた。

シングル曲のパフォーマンスの様々なバージョンだったり、
アルバム曲から選曲して披露してくれたり。

今現在、Mステにジャニ枠があるのは、光GENJIが築いてきたレールがあるからなのです。


剣の舞(諸ver.) OPV


剣の舞(敦ver.) OPV



この映像を観ていて思ったことは、
昭和時代のパフォーマンスだけど、私達の「好き」がぎっしり詰まっているような気がしたこと。

当時の光GENJIは、今に比べたら、ペラペラの安っぽい衣装やセットだった。

でも、パフォーマンス含めて、これらがあったから「今」がある。

今からしたらたいしたことないじゃんと思うことばかりかもしれないけど、
当時は、とにかく斬新さでピカ一でした。


私達の「好き」とか言ってるけど、勿論、当社比なので、
そんなん好きじゃなねぇわって人はスルーでね(笑)。



・衣装がギラギラ

・衣装がヒラヒラ

・衣装がトンデモ

・着物風衣装

・和っぽい

・忍者風

・肌蹴ている

・裸足

・ローラースケート

・スピート感

・殺陣

・Jr.がわらわら

・パフォーマンスの中にストーリー性がある

・ローラー履いてバク転

・フォーメーション

・シンメトリー

・サークル(スケーティング)

・歌詞がちょっと切ない

・歌詞がトンデモ

・儚さ

・刀を持って、ローラー履いて、マイク持って、裸足で踊っての、その斬新さ。



「剣の舞」は、昭和63年10月に発売された光GENJIのシングル。

伊野尾くん達がJr.時代、この曲でパフォーマンスしてたことあったよね。

Mステでも披露したことがあったような記憶がある。


これらの映像は、昭和63年なので、JUMPは誰も生まれていないね。

あと少しで平成を迎える時代。

昭和は64年まであったけど、昭和64年になって1週間で平成元年になった。

平成になってすぐ発売された光GENJIのアルバムのタイトルは「Hey!Say!」でした。


「剣の舞」のJr.わらわらは「平家派」と呼ばれたJr.達。

TOKIOメンバーやV6メンバーがいることもあったし、
現在俳優の反町くんも、この中にいたらしい。

当時はJr.に興味なかったし、反町くんがいたことを知ったのはずっとあとだから、
どれが反町くんなのか判別できない(汗)。

当時は反町くんじゃなくて、本名の野口くんだったようだけど。


そして、この映像の7人は、15才~20才なので、JUMPの誰よりも年下だ。

何より、デビューして1年ちょっとのパフォーマンス。

当時は、今ほど、ダンスの技術が発展していなかったとは言え、
本当に素晴らしい。

この頃、全員がバク転・宙転ができてたはず。

赤坂氏だけバク転が危くて、頭から落ちちゃったこともあって、
以後、やらなくなったかも。


良かったら、映像観てみてね。

そして、作成して下さった方のご迷惑にならないよう、よろしくお願いします。


光GENJI 剣の舞 アナログシングル版
クリエーター情報なし
PONYCANYON

Hey!Say!
クリエーター情報なし
PONY CANYON

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォーメーション

2015-01-21 08:32:47 | 光GENJI
今はフォーメーションダンス的な言葉があって、
そのパフォーマンスの素晴らしさを理解できる人達が沢山いるけど、
そういう言葉がまだ浸透されていなかった頃から、そういう世界観はあった。

ローラースケートだからできるフォーメーション。

美しいフォーメーションダンスだと思うっ。

光GENJI PLEASE~荒野のメガロポリス hikarugenji please-kouyanomegalopolis


これは、25年前の「夜のヒットスタジオ」。

この映像を観てた記憶がなかったんだけど、日付けを見て納得。

私、入院中でした。

出産で入院だから、病気ではなくて元気だったけど、テレビ観れてなかったんだと思う。


当時の7人は、17才~22才まで。

デビューして3年が経ち、完成度の高いパフォーマンスで、
今見ても、古さなど感じず、本当に素晴らしい。

5分以上の枠を設けてくれてた。


この日付け当時、JUMPでは薮くんしか生まれていないね。


飛鳥さんの曲。


そんなことを思いながら見入ってしまいます。



今日は天気が今ひとつ。

家で私事の資料作りに励みます(笑)。


ではでは。

今日も笑顔の多い1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージカル「ブラッドブラザーズ」

2014-12-22 08:05:51 | 光GENJI
11月下旬頃だったかな。

Jr.情報局メール伝言板から、他言無用情報が届きました。

正式発表までの他言無用なのか、情報局でチケット先行販売があることを他言無用なのか、
そのへんちゃんとメールを読んでないんだけど(汗)、
先日、制作発表があったようなので、話題にしても大丈夫だよね。


ジャニーズWESTの桐山くんと神山くんが「ブラッドブラザーズ」に出演するとのことで、
10年以上前のことを、思い出したよ。

と言うのは、2003年、同じ演目のミュージカル「ブラッドブラザーズ」に、
V6の坂本くんと赤坂氏が出演したから。

当時は、青山劇場で上演だったかな。

調べたら、大阪公演もあった。

ミュージカル「ブラッドブラザーズ」

ミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」
日程:2003/10/04~10/19 青山劇場(東京)
   2003/10/23~10/26 シアター・ドラマシティ(大阪)
演出:グレン・ウォルフォード
訳詞:岩谷時子
翻訳:吉田美枝
出演:坂本昌行/赤坂晃/前田美波里/篠原ともえ/島田歌穂/真琴つばさ



美波里さんや篠原ともえちゃんや、真琴つばささんも出演してたんだったね。

実は、当時、赤坂氏の妻子発覚後で、赤坂熱も冷めてたので、
この演目は1回しか観劇してなくて、共演者の記憶も曖昧。

でも、坂本氏と赤坂氏が行き別れた双子の兄弟役で、7歳の役もやったことは覚えてる。

7歳のシーンは、半ズボンなので、すね毛を剃った云々(笑)のエピソードも覚えてる。


制作発表の記事に、桐山くんは坂本くんと同じ役だと記されていた。

ジャニーズWEST桐山、先輩と同じ役に「プレッシャーとうれしさ」→サンスポ

と言うことは、神山くんが赤坂氏の役をするってことだね。

神山くんは赤坂氏のことを知っているかどうかはわからないけど、
堂々と先輩の役をすると言えないのが…(汗)。

坂本氏の役は貧乏でやんちゃ、
赤坂氏の役は裕福な家にもらわれたから、お坊ちゃんぽかったよ。


このミュージカルは、1991年に、柴田恭兵と三田村邦彦から始まり、
柴田恭兵と国広富之・柴田恭兵と太川陽介と来て、
ジャニーズの坂本昌行と赤坂晃になり、
さらに、武田真治・藤岡正明と岡田浩暉・田代万里生で上演して、またジャニーズに。

伝統あるミュージカルだね。


新橋演舞場「ブラッドブラザーズ」

大阪松竹座「ブラッドブラザーズ」


Blood Brothers
クリエーター情報なし
Sanctuary UK

Blood Brothers
クリエーター情報なし
First Night

Blood Brothers
クリエーター情報なし
First Night




今年もあと10日ほど。

そして新しい1週間の始まりです。

今週もハッピーな日々を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今すぐ君に会いに行こう→無駄情報(笑)。

2014-09-11 09:32:40 | 光GENJI
無駄情報です。

あしからず(笑)。



先日、10代のフォロワーさんが、
「今すぐ君に会いに行こう」と言うブログタイトルが、
どこから何から来ているものなのか謎だったとのお話しをして下さいました。

確かに、旧々ブログタイトル「素晴らしく愛してる」ともども、
何なんだろうって、思う人もいるよね。

そんなに意味がないようにも思えるし、気持ち的なものにも思えるだろうし。


どちらも私の殿堂様の赤坂氏のソロ曲のタイトルです。

光GENJIは、アルバムにソロ曲があったり、光GENJIコンにソロコーナーがあったり、
メンバーごとにソロコンがあったりしたんだけど、
解散してから赤坂氏は、シングル2曲、アルバム1枚を発売しました。

どの曲も思い入れが強い。


彼を14才から見てきて27年。

そのうち濃く応援していたのは15年間だけれど、
ファンとかヲタとか好きとかの枠を超えてるんだよね、今も。

解散の時に内海氏が言ってた「光GENJIは永遠です」と言う言葉。

そう。

想い出は永遠。


昨年の赤坂氏の40才のお誕生日に、
ファンの方が作って下さったスライドショーが、ようつべにありました。

スライドは、14才~27才くらいまでのもの(?)が散りばめられてます。

「今すぐ会いに行こう」(赤坂氏が23才の時のシングル)は、こんな曲です。



「今すぐ君に会いに行こう」



今すぐ君に会いに行こう
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン





以下は、以前も紹介したおすすめ映像。

画質は古いですが。


光GENJI「荒野のメガロポリス」OPV 1990年(メンバーは、16才~22才)





1995年の解散コンサート@名古屋レインボーホール(現・日本ガイホール)の赤坂氏のソロコーナー。

1曲目はマイナー曲なので、3分30秒位からの「ガラスの十代(AKIRAバージョン)」がおすすめ。

当時の赤坂氏は22才。

セットもなく、ダンサーはプロの人達4人のみ。



1995年9月3日





ではでは。

今日もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/30

2014-08-30 16:19:04 | 光GENJI
今日8/30は、アツヒロくんの41才のお誕生日。

おめでと~。

今でこそ「アツヒロ」となっているけど、光GENJI時代は「敦啓」だったよね。

光GENJIを卒業して、ソロシングルを出す時だったかな。

「アツヒロ」に改名したの。

アツヒロくんのソロ、かっこ良かったよね。

Mステでファン入れて、ライヴ形式で披露したりした記憶がある。


アツヒロくんのお誕生日当日の今日、
恵比寿の「ザ・ガーデンルーム」と言う所で、今年もイベント(ハッピーイベント2014)を開催だね。

今日1日で3回あるみたい。

今年はどんな内容になっているのかな。

今、ちょっとツイでチェックしてみたら、サービス精神旺盛なあっくんらしく、
盛り沢山な内容だったみたいだね。

今日は、娘が高校時代の同級生の結婚式に出席で、恵比寿に行ってるわ。

うちの娘、結婚式に出席したのが、すでに10回以上(汗)。

慣れたものです(笑)。


話しは戻って。


あっくんファンは、滝翼ファンと同じくファンとしての幸福度高いだろうな~と思う。

事務所の中ではファン数が少ない(失礼)こともあるけど、その人達の不平不満も凄く少ないよね。

ひとつひとつの「逢える」機会が少ないけど濃くて、満足度が高いイメージ。


今日8/30がお誕生日のジャニーズは、わかっているだけで5人もいるね。

佐藤アツヒロくん(1973年)
松本潤くん(1983年)
林真鳥くん(1990年)
金内柊真くん(1996年)
阿部顕嵐くん(1997年)


そんな誕生日前夜、赤坂氏がラジオに出演したらしい。

収録したのは何日か前らしいけど、アツヒロくんの誕生日前夜にラジオ出演だなんて、
何となく、縁を感じるね。

肝心のラジオは聴いてないんだけど(汗)、約15分の番組の中でどんなトークをしたのかな。

昔、赤坂氏がラジオをしていた時、FAXでお便りを送って、
読まれたり、私自身が声の出演をしたことがあります。

昔は、葉書やFAXでお便りだったけど、今はメールでお便りだよねぇ。


しかし。

赤坂氏は、今は芸能活動はしていない一般人なわけだけど、
やっぱり、本当の意味での一般人ではないんだよね。

Facebookやブログで見る赤坂氏は、何だかいつも同じ表情をしている。

穏やかで優しげな表情。


唐突だけど、あつあき曲、聴きたくなったな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏も峠を越えた感じですね。

2014-08-13 08:43:03 | 光GENJI
無駄更新、あしからず(笑)。

相変わらず、だらだら書いてしまった(汗)。



夏も峠を越えた感じのお盆真っ最中。

お坊さんを呼んだりとかは、夫の実家がやってくれるので、
お墓参りを済ませて、あとはごく普通の日常です。

昨日は、千葉県内の某所へ行き用事を済ませ、さらに移動して津田沼駅で娘と待ち合わせ。

娘とパスタ屋さんでランチしてから、娘の用事の付き添いをしました。

たいしたことではないんだけど、知らない土地の散策って楽しいね。


津田沼駅には初めて来たけど、想像より開けてたな。

イオンやパルコ、ヨーカドーやホテル、大学や予備校、ホールやもろもろ。

駅前には1階建てのローカルスーパーしかないうちの最寄り駅とはくらべものにならない。←当然か。

私、ずっと津田沼市と言うのがあるのだと思ってたけど、習志野市なんだよね。

大ちゃんの地元だから、金八時代とか、光くんが来ていた場所なんだな~と思いながら、
散策していました。

まぁ、用事はそこから車で連れて行ってもらった別場所なんだけどね。


昨日は出先で「ヒルナンデス!」の様子をツイでチェック。

写メをあげて下さるフォロワーさん達のおかげで、
光くんが金髪ではないことを知る。

十祭では、誰かと見間違えた人がいたのかな~。

毎週、生放送で観れるって、常に「今」がわかるから、
こういう時に、じりじりしなくていいね。

今の髪型とかは、次の「ヒルナンデス!」でわかる方式(笑)。


そうそう。

昨日、有岡担の男子高校生の方がフォロワーさんになってくれました。

勿論、私もフォローさせてもらった。

落ち着いた呟きをする高校生なので、安心してTLに流れて来るのが楽しめる。

私的には、下品な言葉使いをしない安心した呟きをする人なら、
小学生でも中学生でもどんと来いなんだけど、
若い人からしたら、私なんかは普通に避けられるよね(とほ)。

たぶん、年齢3倍くらいだし、懐古(昔話し)多いし。

ついこの間も、陰でおばさんファンを馬鹿にしてる20代を見掛けたし。

おばさん馬鹿にする人は、おばさんにならないつもりなのかね(笑)。

おじさんにでもなるつもりなんだろうか(笑)。


ジャニヲタじゃなかったら絶対接点がなかったであろう男子高校生。

有り難い出逢いです。


そして、昨日は、諸星和己氏の44才のお誕生日で、
毎年恒例の、バースデーライヴがあったようですね。

諸星氏は光GENJIの絶対的センターでした。

かーくんと呼ばれていたけど、私は、かずみさんって呼んでたな。

なくとなく(笑)。

今みたいに、他のメンバーのファンからの文句とかはなかったくらい絶対的だったよ。

人気もキャラも。

コンサートで、他メンバーのソロは1曲とかなのに、諸星氏は4曲あったりしても、
何か納得だったし。

私は、グループのセンターになるエース的な人より、
脇にいて、脇ならではの活躍をする人が好きなんだと思う。

だから、客観的にセンターやエースを受け入れる。

みんながみんな、センター好きとは限らないと思うんだよね、うん。

勿論、タレント側はセンターを目指しているし、そういう向上心は必要だけど、
自分のキャラや売りを受け入れての体制でこそ、ファンがつく場合もあるよね。


そしてそして、今朝、元チェッカーズの鶴久さんのツイが、私のTLに流れて来た。

昨日のライヴ会場の写メのツイ。

客席に、昔々のファン友発見。←たぶん。

ファン歴27年だよ。

この会場にいる人達、ファン歴27年がごろごろいるはず。

凄いな~。

私は、赤坂氏の妻子発覚で、赤坂ファン15年でリタイヤしちゃったからな(汗)。

それでも、赤坂氏は、特別と言うか、ファン用語で言うところの殿堂入りなんだけど。


にしても、諸星氏のCDが、4曲しか入ってないのに4000円とは。

ぼったくりだな~。

でも、この客席にいる人達が買ってくれ、そしてファンクラブ会費収入などで、
十分な利益があるんだろうなと思う。

早く結婚したかった諸星氏が、今も独身なのは、
結婚したら、ファンが減ってしまうからだろうな~とは思う。

そんなこと、諸星氏が一番わかっていることだよね。


で。

昨日、諸星氏のライヴに、寛くんと山本淳くんがゲスト出演したそうで、
淳くんが一般女性と結婚したと報告があったそうです。

びっくり。

おめでとう。

芸能活動を始めては休止、始めては休止を繰り返して、
四国のどこかでバーテンやってたんだよね。

今度、芸能人専用のブログを開始するそうだから、
また、芸能活動始めるのかな。

以前、ブログやツイもやってたけど、それは削除されてしまったのかな~。

全然、チェックしてなかったわ(汗)。



以上、だらだら無駄更新でした。



ではでは。

今日もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今月より「昭和BAR」リニューアルオープン

2014-08-04 08:51:32 | 光GENJI
先月の頭くらいに、「昭和BAR」のブログがなくなっていて、
何かあったのかな~と思っていたところ、
公式サイトの方に、8/1~リニューアルオープンした告知が掲載されていました。



8月1日からリニューアルオープン

2014年8月1日~2014年10月31日までの3ヶ月限定バー

元光GENJIの赤坂晃くん筆頭に、リーティラ六本木千鶴ママ、
イケメンバーテンダー3人、敏腕経営者2人と皆様をおもてなし致します!!

是非、遊びに来てください!!



とのこと。

赤坂氏が代表として4月末にリニューアルオープンした時は、
桐生氏のプロデュースで店内の内装を変えたけれど、
今回は、内装を変えたとかではなく、経営をリニューアルした感じかな。

桐生氏の名前はなく、千鶴ママが加わってる感じかな。

営業時間も変更されているような気が。→営業時間:月曜日~土曜日19:00~5:00


Facebookもリニューアルされていますね。→昭和BAR

赤坂氏とファンが同じカウンターにいて飲んでるところの写真もあり。


うーーん。

このリニューアルオープンは3ヶ月限定と言うことだけど、
その前も3ヶ月間だったから、3ヶ月周期なのかな~。

4年前、歌舞伎町のバー「ルクソール」で赤坂氏に会えて、本当に幸せだったけど、
その後、再犯して服役してからの、また同じ場所で、同じバーで働く彼。

Facebookのファンに囲まれてる写真を見ても、
会いたいとか行きたいとか思わないんだな~。


またステージに立ってくれるようなことがあれば、
是非、観に(会いに)行きたいけどね。



新しい1週間の始まりです。

今週もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍たまからPZから、光GENJIいろいろ。

2014-07-09 07:11:51 | 光GENJI
今週からなのか、昨日からなのか、はたまた期間限定とかなのか定かではないけれど、
NHK-Eテレ「忍たま乱太郎」(月~金18時10分~)の
オープニングテーマ曲と、エンディングテーマ曲が、Hey!Say!JUMPになった(戻った)もよう。

忍たま公式サイト内での今現在のテーマ曲は、まだセクゾになっていたけどね。

因みに、元祖忍たまのテーマ曲は、光GENJIですよ。

「勇気100%」も光GENJI曲ですよ。

このあたりをわかっていないジャニヲタが多くなってきたな~と。

ジャニの後輩達に歌い継がれ、国民的名曲になって、知名度も高くなっているけど、
Ya-Ya-YAHの曲だと思っていたり、NYCの曲だと思っている人も多いよね。

忍たまテーマ曲は、年代と、ジャニヲタになった時期によって、
認識が違ってくるイメージ。


「忍たま乱太郎」オープニングテーマ曲一覧

「勇気100%」 作詞:松井五郎 作曲:馬飼野康二

<第1シリーズ>歌:光GENJI
<第2~9シリーズ>歌:光GENJI SUPER 5
<第10~16シリーズ>歌:Ya-Ya-yah
<第17シリーズ>歌:Hey! Say! JUMP
<第18~19シリーズ>歌:NYC
<第20シリーズ~ >歌:Sexy Zone

忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング&エンディング集
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン




話しは変わって。

この夏の「PLAYZONE」は、青山劇場最後。

と思ったら、初日にいきなり、1月にも上演すると。

最後最後詐欺だ~(笑)。

でも、青劇がなくなるのはさみしいし、こういう詐欺ならいいかな。

本当に最後の最後の集大成になることは間違いないだろうし。

私は結局、PZには、昔々に数回観劇しただけだったな。

観劇したのは、
いのっちが出演していた時や、あつあきが出演していた時、←ここまでは少年隊のPZ
キスマイ2が出演していた時と、翼くんが座長の時だったかな。


で、ここのところのPZは、ジャニ曲満載のステージで、
ジャニーズの歴史をたどる的なセットリスト。

昨年まであった光GENJI曲が、今年はないな~と思ったんだけど、
そっか、ASKA曲だったか…。

こういうところで削られてしまうから、残念だよね。


今年のPZで、赤坂氏関連曲が1曲あるみたい。

ジャニー氏作詞の「We'll Be Together」。

タイトル聞いてもピンとこなかったけど、
2000年の「ミレニアムSHOCK」@帝劇のラスト曲。

当時、ジャニーズ四天王と呼ばれた、東山氏・赤坂氏・光一氏・翼くんが歌った曲。

当時、頑張ってチケット取って、数回観劇できた「ミレニアムSHOCK」。

夢の世界でした。

ミレニアムSHOCKが映像化されなかったことは、本当に悔やむところ。



最近、光GENJIメンバーの「今」のお仕事情報は自分からはチェックしていないんだけど、
フォローしている光GENJIファンの方の呟きで、だいたいを把握をしている感じ。

でもきちんと脳内には入って来なくて(汗)。

光GENJIと言えば夏、夏と言えば光GENJIなんだよね、何故か。

光GENJIとの8年間が「夏」だったのかもしれない。

短い「夏」だったけれど、濃かった。

だから、夏になるとメンバーの「今」をチェックしておきたくなる。

まとめておこう(笑)。



まず、内海氏。

何年かぶりでの舞台出演は、小野寺丈作品。

JOE Company サマーツアー2014「4フィール -four feel-」

現在、上演中で、約2ヶ月間、全国を回るようです。
→札幌・名古屋・福岡・広島・京都・大阪・東京・沖縄

小野寺さんは、「仮面ライダー」作者で有名な石ノ森章太郎さんの息子ですが、
本人は、父親の名前は今後、公表しないとのことです。

ドラマ「HOTEL」で、赤坂氏と共演していましたよね、小野寺さん。

「HOTEL」の原作が、石ノ森さんだったかな。

JOE Company
丈のつぶやき
『 4フィール-four feel- 』出演者総出(か?)ブログ!




このPVの内海氏。

赤のユニホーム風の衣装に見覚えが。

背番号「34」。

2年前、東京ドームローラースケートアリーナの、ローラーディスコに参加した時、
内海氏も滑りに来ていたんだけど、その時に着ていた服にそっくりなの。

その時のことを書いたエントリー。→Roller&Disco Party vol.2雑記。

「内海氏の服装は、背番号34番の赤の野球のユニフォームっぽいパーカーに、細身のジーンズ。」と。

パーカーは、ユニホームの下に着ていたのかもしれない。

背番号「34」と言うのに、見覚えがあったんだ(笑)。

PV撮影なのに、私服だったのかも。

PVからして、ジャニ舞台にはないB級感があふれている。

こういう独特の世界観を持つ作品を、ひとつひとつ丁寧に作る小野寺さん。

偉大すぎた父親の名を公表せずに、自分の力で頑張って行く姿勢を感じるね。



もう公開は終了してしまったっぽいけど、大沢氏監督の映画「鷲と鷹」

鷲と鷹 [DVD]
クリエーター情報なし
株式会社オールイン エンタテインメント


諸星氏との共演で、色々と話題になっていましたよね。

映画の情報解禁前に、写真誌に(撮られたと言う設定で)載ったり、
情報解禁してからは、取材や、各地で舞台挨拶などもあったみたいだね。


大沢氏も諸星氏も、全国のパチンコ店などで営業をしたり、
テレビ出演や、各ゲスト出演など、細かいお仕事をいっぱいしているよね。

どこに行っても「光GENJIが来てる」と言うことで、経済効果が上がるんだろうな。



諸星氏は、テレビもちょこちょこ出演しているし、年に何回かのライヴも頑張っているみたいだよね。

恒例の8月のバースデーライヴはあるのかな。

10月は沖縄の宿泊ツアーもあるんだね。→「Special W Encore in Okinawa」10/18(土)~10/20(月)

諸星氏のファンクラブのツアーは、宿泊ホテルに諸星氏が来てくれて、
ツーショット写真を撮ってくれる企画があるみたいだけど、
今もそういうのやってるのかな~。

ベッドの上でのツーショットだったりするから、
結構、みんなエロいツーショットが撮れちゃうんだよ。

ファンクラブツアーに参加してる諸星ファンのファン友に、
ツーショット写真をよく見せてもらってた。



寛之氏は、本当にマメにライヴハウスでライヴをしたり、
ファンと旅行(バスツアー・宿泊ツアーなど)をしたり、今ついてるファンとの濃い時間を過ごしているイメージ。

忍者の正木くんとのコラボライヴも、恒例だね。

今月は、正木くんとのライヴと、パーティーがあるもよう。

DUO first single release Live 2014 " ふたつのライン "

2014.7.21 Mon TOKYO
morph-tokyo
東京都港区六本木4-11-11 六本木GMビル B1F
OPEN 14:00 START 14:30
OPEN 17:30 START 18:00

2014.7.27 Sun OSAKA
OSAKA BRONZE
大阪市中央区西心斎橋2-11-7 南炭屋町ビル 東側1F
OPEN 14:30 START 15:00
OPEN 17:30 START 18:00

Ticket : adv.\5.500/DOOR\6.000 (Tax in)


DUO first single release Party 2014
" ふたつのライン "

2014.7.26 Sat. KYOTO
LIVE Buzz KYOTO
京都府京都市伏見区深草加賀屋敷町8-7
OPEN 18:00~
※Dinner buffet & free Drink
※DUO first singe release game & Talk,Mini Live
※Masaki Shinya Satoh Hiroyuki Special Present

Ticket : adv.\12.500/Door¥13.500 (Tax in)



アツヒロくんの夏は、舞台「マホロバ」と、バースデーイベント。

・「アツヒロAtsuhiro Birthday ハッピーイベント2014」@恵比寿・ザ・ガーデンルームにて。

8/30(土)15時~/18時~


・舞台「マホロバ」

7/17(火)~7/27(日)東京・シアタークリエ
→終演後のアフタートークショー7/18(金)

8/2(土)・8/3(日)名古屋・名鉄ホール

8/9(土)・8/10(日)大阪・サンケイホールブリーゼ




淳くんは、四国のどこかでバーテンしているんだったかな。

旅行がてら会いに行くファンもいるみたいですよね。



赤坂氏は、「昭和BAR」で頑張っているんだろうな~と思ってたけど、
「昭和BAR」のブログがいつの間にかなくなってて、
Facebookの方は、赤坂氏が代表になってからの記事は全部なくなってた。

もしかして…もしかするのかな…。

彼は今、何をしているんだろう…。


何かのweb記事で、高岡早紀の兄が、赤坂氏と田中聖をホストにスカウト云々と書かれていたけど、
本当かな~。

まぁ、断ったんだろうけど。

元ジャニと言うことで、集客もある程度は見込めるものね。

お金儲けをしたい人達に、どうしても目をつけられてしまう。




まとめようと思ったけど、書いてる途中で色々と面倒くさくなって、
内海氏以降、適当になってしまった(汗)。

詳細は、各自、調べて下さい(汗)。




ではでは。

今日もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/25

2014-06-25 08:11:54 | 光GENJI
今朝はいつも通り、5時半に起きて、テレビでW杯観戦。

サッカーのことはよくわからないけど、相手の一瞬の「隙」をタイミング良く突くことが、
点に結びつくんだろうな~と。

その「隙」とタイミングがホントに難しいんだけど。

日本は残念な結果となってしまったけど、頑張ったことには変わりはない。

試合そのものだけじゃなく、日々、頑張ってきたからこそ、
こういう舞台が用意されたんだものね。



さて、本題へ。


6/25は、光GENJIの結成日らしい。

1987年のことだから、今から27年前か。

私は、光GENJIがデビューしてからのファンで、結成日のことは全く知らなかったし、
そういうことを気にもしなかったな。

光GENJIのデビュー時は、イベントに50人しか集まらない程度のデビューで、
その後、テレビに出演してから爆発的人気が出たグループ。

なので、デビューしてからファンになった人がほとんどなんだよね。

当時は、Jr.(時代)が今みたいにメジャーじゃなかったし、
入所○周年おめでとう的な文化もなかった。

だからファン的に、デビュー日こそが「おめでとう」だったと思う。

結成日を知ったのも、ここ何年か前だったもん。


で、正に、その1987年6月25日に、キスマイ2のガヤさん(藤ヶ谷くん)が生まれた。

今日、27才のお誕生日だね。

おめでと~。


ガヤさんの子どもの頃の写真で、ローラースケートを履いて滑っているのを見たことがある。

ガヤさんがものごごろついた頃は、光GENJIは解散しているわけだけど、
雑誌かなんかで、ガヤさんが光GENJIの結成日を知ってたことがわかった。

「俺の誕生日、1987年6月25日って光GENJIが結成された日なんですよ。
今、こうやって同じようなスタイルでパフォーマンスさせていただいている。
運命というか、なんかグッとくるものがありますね。」

結成日を知ってるってことにビックリしたわ。

そして、確かに運命的な何かはあるかもしれないね。


私がガヤさんを知ったのは、10年くらい前だったかな~。

ガヤさんが16才か17才頃だったと思う。

小5からJr.をしているガヤさんは、SHOCKにも出演していたみたいだから、
たぶん、観ているはずだけど、その頃は全く記憶になかった。

Jr.に興味を持ったのが、10年くらい前だったからな~(笑)。

高校生のガヤさんは、顔は老けてるのに(失礼)、声変わりしていないみたいな可愛い声で、
そのギャップが何か良かったよ。

前髪に特徴がある独自の髪型をしていて、一見チャラいのに、
実は真面目すぎるってキャップもあったし。

先輩のバックで、がしがし全力で踊るところも、凄く良かった。

バックで輝いていたから、今のような売れ方をするとは、想像していなかったな。

のし上がり精神、凄いと思う。




ではでは。

今日もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事務所を辞める時の経緯雑記。

2014-05-29 08:16:07 | 光GENJI
ジャニーズ最新情報。さんが、元光GENJIの大沢氏のインタビュー記事をまとめて下さっています。

大沢氏は12才で事務所に入所し、
一度、イーグルスと言うグループでデビューしたけれど、全く売れず解散。

そして、18才の時、光GENJIでデビュー。

その後、光GENJIデビュー7周年の時、25才で事務所を辞めた。


入所してからデビューまでの年月、デビューしてからの年月、
事務所を辞めた時の年齢など、今のBESTと被っているせいか、
それらを読んで、
先日のフライデーの記事で、薮くんが30才で云々(事実がどうであれ)が思い浮かんできたり、
内容の中で、光くんのことが思い浮かんできたり、少し考えさせられました。

勿論、時代が違うので、当時はバラエティやキャスターなどに進出していなかったし、
当時のアイドルとしての限界が、25才くらいまでの風潮だったんだよね。

いくつになってもアイドルが出来る風潮を作った(レールを敷いた)のは、
間違いなくSMAPだな。


大沢氏がジャニーズ事務所を辞めた経緯などについて語ったインタビューを、
少し書き出しておきたいと思います。


大沢樹生 古巣ジャニーズ事務所の“居心地”を語る→週刊朝日

(引用・抜粋・要約)

人気はあっても、正直、居心地はあまりよろしくなかった。
進むべき道とは違うなという気持ちが常にあった。
両親をはじめとして、100人が100人、辞めることに反対だった。
でも、アイドルは会社が作ったもので、会社に敷いてもらったレールを走り続けるのがイヤになってしまった。

このままアイドルを続けて、仮に30歳ぐらいになって解散となったときに、
そのあとの自分の人生がまったく想像つかなかった。
もっと賢く立ち回る方法もあったんじゃないかと思ったけど、当時はその選択肢しか見えていなかった。


大沢樹生「ストーカー規制法のある、いまのアイドルがうらやましい」→週刊朝日

(引用・抜粋・要約)

デビュー当時は実家にいたけど、当時、数百人のファンに自宅を包囲され、
自治会や近所からものすごい苦情があって、一人暮らしせざるを得なくなった。
でも貸してくれる不動産屋さんが全くなくて、母の知り合いが建てたマンションに入居させてもらった。
そこがオートロックもないようなところで、すぐファンにわかってしまう。

光GENJIをやめようと思った理由の一つに、俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた。





25才で事務所を辞めた大沢氏。

本当に突然のことでした。

光GENJIはその当時、7年目の夏を迎える時だったと思う。

当時は、インターネットが普及していない時代。

何の前ぶれも噂もなかったのに、
Mステの生放送のトークで、さらっと「脱退する」的なことを言い、
ファンの間では騒然となったよ。

テレビ朝日への問い合わせ電話が殺到してパンクしたとか。

すでに、夏コンの申し込みも終わっていたし、それが脱退コンになった。


それから1年後の解散の時も、
夏コンの申し込みが終わったあとに、事務所から解散のお知らせの手紙が届いた。

解散を発表してから夏コンの申し込みがあったら、きっと大変なことになっていたと思う。

当時のFC会員数は35~6万人くらいだったと思う。

今だとたいしたことないように見えるけど、20年前当時としては記録的だったんだよ。


当時、インターネットが普及していなくて良かったのかもしれない。

解散は19年前のことだけど、ラストの名古屋では、
最寄り駅前で、普通のファンが普通の席のチケットを50万円で売っていた。

今で言う「強火価格」。

入れなかった人達も大勢集まって来てた。


解散の日の名古屋で。

もう泣きそうになって歩いていたら、
ダ○のおじさんが「俺らも光GENJIがなくなるのはさみしい」と言ってた。

あの頃、横アリ付近でよく見掛けた(ちょっと顔見知りの)ダ○のおじさんは、
7~8年前くらいの滝翼コンあたりまではよく見掛けたけど、
ここのところ、もう見掛けなくなった。

あの当時で60才くらいだったと思うから、今、80才くらいになっているだろうし、
もう、そういう仕事はしていないよね、たぶん。


大沢氏のインタビューで、
「アイドルのまま30歳になった時の自分の人生がまったく想像つかなかった」とか
「俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた」とか。

思うことある言葉だ。


たぶん、24~5才にとって、30才と言うのは、
とんでもなく遠い想像のできない未来なんだろうなと思う。

本来の自分と、仕事上の自分と、会社のレール上の自分に、
色んな疑問ができてくる世代なんだと思う。

今のBESTがそういう世代になってきているんだろうなと。

それを考えると、60才になっても、などと言ってくれる八乙女氏って、
遠い遠い未来を見据えているな~と思ったり。


自分が主役で、キャリアも実力もある人が脇役であることに、
矛盾とコンプレックスを感じると。

これは、あの事務所のタレント全員が思っていることだろうな。

光くんもきっと、そういう思いはあったと思う。

自分の力ではなく、事務所の力だと。


矛盾やコンプレックスを感じること。

誰しも通る道。

それを乗り越えられるかどうか。

勿論、逃げてもいい場合もある。

目に見えるものだけでなく、目に見えない彼らのメンタルの強靭さを讃えたい。

逃げずに戦おう。

それが自身の糧になり力になり、経験になり実力に繋がる。



と。

まとまらなくなったので、このへんで。


今日の光くんは、大阪で生出演。

関東では見れない番組だけど、ツイで把握できたりするかな。

呟いてくれる人に感謝しなきゃだね。



ではでは。

今日もハッピーな1日を。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASKA曲

2014-05-24 16:53:03 | 光GENJI
半年くらい前にASKA氏の薬物疑惑が報道されてから、
テレビ局やラジオ局によっては、ASKA氏の曲は使わなかったそうですね。
逮捕になり、ASKA氏の曲は出荷停止。

光GENJIに提供した曲の扱いはどうなるんだろうと思っていたけど、
今日の日生劇場で上演中の「ABC座2014ジャニーズ伝説」で、判明したもよう。


毎回、某Jr.がロ―ラ―スケートで出て来る時、「パラダイス銀河」が流れるそうなんだけど、
そこが、「WINNING RUN」に変更とのこと。

「パラダイス銀河」のサビの部分は、

「ようこそここへ遊ぼうよパラダイス」が、「笑顔抱きしめカラダにチカラ」になってたとのこと。

SMAP曲「オリジナルスマイル」のサビの部分に替えたってことかな。


ずっと「パラダイス銀河」を流しているABC座の公演中にこういうことがあって、
こういう形で変更すると言うことね。


ここ数年の平家派は、
少クラプレミアムで「ガラスの十代」や「Graduation」を歌ってくれたけど、
しばらくは歌えないね。

「剣の舞」は大丈夫だと思う。


でも、まさか、「パラ銀」のサビを「オリジナルスマイル」のサビの歌詞にしちゃうとは思わなかったよねぇ。

ぴったり当てはまるところが凄いけど。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FRIDAY

2014-05-24 14:02:05 | 光GENJI
今週は「週刊女性」に続いて、「FRIDAY」にも掲載されていましたね、赤坂氏。

FRIDAYデジタル


立ち読みして来たけど、赤坂氏と桐生さん、そして、
桐生さんのブログで紹介されていたイケメンスタッフをずら~と並ばせた写真もあり。

昭和BARと言うレトロ→和風な売りだったバーが、
メディアに出ることで、何故かイケメンバーになってしまってるね。

イケメン苦手なんだよなぁ(笑)。

ジャニヲタな時点で、イケメン苦手と言っても笑われるだろうけど、
そういう仕事をしているイケメンが苦手なのかも。

ジャニって、そういう種類のイケメンじゃないんだよね。

言葉で表すと失礼になっちゃうけど、

例えば、顔は綺麗すぎるのにスタイルが今ひとつとか、
人見知りとか、トーク下手とか、ちょっとお馬鹿とか、
スタイルいいのに顔が…歯並びが…肌がとか、

だけど、歌ったり踊ったり、どんでもない衣装を着てもキラキラキラっ、
なところが好きなんだわ、ジャニって。

イケメンって基本とても優しいけど、私的にイケメンは観賞用だな~(笑)。


あ。

何か話しそれまくり。


FRIDAY (フライデー) 2014年 6/6号 [雑誌]
クリエーター情報なし
講談社


「元光GENJI赤坂晃が覚醒剤逮捕からイケメン・バーで再出発」の見出しあり。


おおよその記事は、こちらで読めますね。

光GENJI・赤坂晃の現在とは? ホストクラブ愛の桐生氏と共同経営でイケメン・バーの店長をしていた!


まぁ、だいたい予想のできる内容ですね。

要約すると、

ホストクラブ愛本店で数年間売り上げNO1だった桐生氏と共同経営でバーを開店。
赤坂晃がバーの店長。

「2年半の間、ボーッと過ごしていたわけではないんです。刑務所生活の中で『ビジネスをやりたい』と考えていました」

「まずファンの方にお詫びしたい。一般の方なら罪を償えば許されるのかもしれません。
でも僕は知名度があるし、ファンの方を2度も裏切った。僕の罪は一生ついてまわるものです。
今は世間の目を常に意識して生きています。だから、メディアには出ないと決めたんですが・・・」

桐生氏いわく
「赤坂さんはマジメだし、ホストより自然体でカッコイイ。
バーのHPに彼の写真を載せていたので、予約が殺到。今は写真は外しました(笑)」

芸能界復帰を願う声もあるが、「店を成功させることしか考えていない」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想い出

2013-12-12 13:18:45 | 光GENJI
久し振りのこのカテゴリー。


4年前の今日。

新宿歌舞伎町の「ルクソール」と言うバーで、赤坂氏に逢って来た日。

一緒にお酒飲んだりしましたね。


その時の浮かれ具合ったら(笑)。


むふ(^0_0^)

7年ぶりとか言ってたけど4年ぶりでした。

昨日の続き。

いいことの余韻


こんなに浮かれてた2週間後くらいに…(略・泣)。

逮捕や裁判…吉本氏のもろもろ…。

色々あったな~。

私はそういうのでさえ、楽しんで過ごしている。


今日は私の原点の想い出に浸ろう(笑)。

殿堂様ね(笑)。

あっちのブログに5/8にエントリーしたことと同じことを覚え書き。


まずは、心の奥にある想い出など、16エントリーしてます。

全部、10年以上前に書いたものです。


「過去の想い出・宝物」


千羽鶴・ディナーショー・握手会・番協・リクエスト大作戦など、だらだら綴ってます。

読み返すのって恥ずかしい(笑)。

でも、全てが新鮮なまま蘇る。



それから、目に見える(手元にある・形として残る)想い出を適当に。

今、手元にある、赤坂氏からの返信(サイン)や、いただいた年賀状。

手元にある分だけだから、他にもあったかも。

思い出せない(汗)。





   



年賀状はほぼ毎年いただいてた。

抜けてる年もあったけど、喪中とかだったのかな。

宛名はお母様、プリントごっこのデザインは妹さん。

妹さんはデザインの勉強をしていて、「ルクソール」のお店の看板もデザインしたとか。







年賀状の上にある写真は、
番協で赤坂氏から貰った赤坂氏が飲みかけた缶紅茶の缶と、赤坂氏にあげたみかんの皮。

みかんをあげたら、すぐ食べちゃって、皮を私の鞄にニヤニヤしながら捨てたのよ~、赤坂氏(笑)。

番協の休憩時間での出来事(笑)。







年賀状の上にある写真は、初めて作った千羽鶴。

「SANADA」@近鉄劇場に送ったら、楽屋入口だと思われるところに飾っていたことが、この年賀状で判明。

のれんがあるので、赤坂氏の楽屋入口だと判断した。







握手会@西武園で、うちの上2人の子(4才と3才)と赤坂氏が手を繋いで写真撮影。

当時19歳の赤坂氏はちゃんと子どもの目線に合わせて、しゃがんでくれました。

これ写真撮影のために1分位、この状態だったんだよ。

娘はこの少し前に、つ○こさんに「結婚の約束しておくのよ」と2度も言われてた(笑)。

子ども達のうしろでピンクのビニール袋を持ってるのが私だよ。とほ。

しかも、このピンクの袋の中は、子供達のレインコート(汗)。








赤坂氏がサックスを始めた頃のソロコン楽屋へ、
「サックマもよろしく」とプレゼントしたスケルトンのリコーダー。

あ、私は佐久間と言う名字です(笑)。

このリコーダーに、リボンかけてたんだけど、たぶんマネージャーにはがされたんだよね(笑)。

このリコーダーで遊んでる赤坂氏は、FC会報にも掲載された。


昔はプレゼントOKだったんだよ。

手渡しでできることもあった。

お高いブランドものをプレゼントする人も多かったみたいだけど、
私は千羽鶴とか、こんなネタ的なものしかプレゼントしなかったな。



他にも、番協で、赤坂氏のすぐうしろに座って、赤坂氏をがん見してる間抜けな姿がヲタ誌に載ったな~。

そのヲタ誌がどこにあるか探せてない(汗)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐古の旅(笑)。

2013-10-08 15:51:35 | 光GENJI
今やネット上では完全に普及・浸透しているyoutube。

私がパソコンでインターネットを始めた15年半位前は、そんなものはなかったな。


15年半前のネット上のジャニヲタの世界は、
ファンサイトと言うものがちらほらある程度で、
匿名掲示板とか、ブログとかは、まだ全く浸透していなかった。

ジャニヲタなんて用語もまだなかったよ。

ブログが浸透したのはたぶん、8~9年前位だと思う。


いつだかにパソコンで動画が見れるサイトができたことに衝撃だったよ。

それがyoutube。

youtube Wikiで調べたら、初めて動画が投稿されたのが、2005年4月とのことなので、
今から8年前だね。


この8年もの間に、ネット上では完全に浸透しているサイトになった。

いつの頃からか、ようつべとか、つべとか呼ばれるようになってるよね。


ようつべのおかげで(ようつべにアップして下さる方のおかげで)、
昔の映像が観れたり、それによって生まれる前のアイドルのファンになったりする人もいるし、
ファンになる前の映像も観ることができたりする。

また、自身で歌やダンス、面白い動画をアップして、お偉い人の目に止まって、
デビューしたり、CMに出演したり、メディアで話題になったりなんてこともあるよね。


現役時代の光GENJIを知らない10代や20代前半の光GENJIファンが結構いることに驚くんだけど、
つべで動画を観てファンになったとよく聞く。

20年以上前のアイドルの歌やダンスを若い世代がイイと思ってくれることに感動する。

でも、モノクロ編集してあるこんなのを見たら、23年も前のパフォーマンスとは思えないと思う。

「荒野のメガロポリス」

23年前の1990年頃のものだと思う。

この時の光GENJIは、17才から22才くらい。

ローラースケートのフォーローションの美しさと、曲調の儚さ。

騙されたと思って、是非、観て欲しい1曲。

この儚さがたまらん。



私は動画をアップするとか、そういうマメなことはしないので、
アップして下さって、色々楽しませてくれる方に感謝。

無料で楽しめるんだもの。

素晴らしい。

最近は、動画の前にCMが入るけど、この広告収入があるからこそ、
私達は無料で視聴できるんだよね。



昨夜、つべでJUMPやヤーの動画を色々観ていたら、
たまたま、光GENJIものが右側に色々出て来て色々見入ってしまったいくつかをピックアップ。

お時間がある時にでも、是非、観てね。





赤坂晃ソロコーナー

1995年の解散コンサート@名古屋レインボーホール(現・日本ガイホール)の赤坂氏のソロコーナー。

1曲目はマイナー曲なので、3分30秒位からの「ガラスの十代(AKIRAバージョン)」がおすすめ。

当時の赤坂氏は22才。

今の光くんと同じ年。

セットもなく、ダンサーはプロの人達4人のみ。





アンコール

1995年の解散コンサートラストステージのアンコール。

所謂、今で言うファンサ曲。

あ、でっかいボードとか垂れ幕がいっぱいあるけど、ボードOKの時代だったよ。

一時、禁止になった年もあったんだけど、ラストコンサートはOKだった。

私はボード持った時期もあったけど、光GENJI後期は公式団扇のみだったな。


話しは戻って、当時は、ファンサなんて言うファン用語はありませんでした。

光GENJIのファンサはいつもこんな感じだったよ。

これが本来のアイドルのファンサービスだと思ってる。

今はファンがアイドルに求めすぎてる。

そして、求めるからこそのおねだりファンサが当然のようになっているよね。

お手振りはファンサとは言わないとか言ってる(傲慢な)人達は、何だかな~と思う。

4分25秒位で諸星氏が客席ダイブの準備に入り、5分手前のサビに合わせて客席ダイブしてるよ。

私はその付近の、もうちょっと埋もれのアリーナにいた(笑)。


解散コンサートのビデオはファミクラで販売だったの。

勿論、持ってる。


アンコール前の歌と挨拶で泣いたからか、メンバーみんなちょっと顔が腫れぼったい。

2曲終わってからの各ブロックへのお辞儀がとにかく深い。

そして、客席をなごり惜しそうに見渡す彼らが感動的でした。







「勇気100%」

1993年頃。

今や国民曲になった「勇気100%」の元祖(原曲)は光GENJI。

光GENJIって1人1人は、そこまで歌がうまいってわけじゃない人もいるんだけど、
7人の歌声が合わさると、虹が見えるような歌声に変わる。

原曲を知らない人は是非、元祖を聴いて欲しいと思っている。





ジュリエットへの手紙

26年前1987年のMステで、トシちゃんの曲をトシちゃんの前で歌った14才の赤坂氏。

光くんが丸山しゅうを演じていた頃の年齢だね。

歌い終わってからのうしろ姿の儚さに堕ちた記憶が(笑)。





「アンダルシアに憧れて」

いつだかのカウントダウンコンサートで、チームアンダルシアに選ばれていた黒づくめの赤坂氏。

3分25秒のアップで笑っているのは、長瀬くんのズボンのおしりに穴が開いてしまって、
長瀬くんがおしりを押さえてたからです(笑)。

2003年~2004年のカウントダウンのようです。

と言うことは10年前。

赤坂氏は30才ですね。





たまにはつべで、懐古の旅も良いものだね。

ヤー曲懐古も大好き(笑)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする