5月4日(火)
家事を済ませ、今日はチャリ🚲でお出かけ❗
参加者は私と主人、長女の3人
出発前にチャリンコチェックしてくれるお父さん。
12:30自宅出発
まずは国宝我らの姫路城
いつ見ても荘厳
観光客は少なくまばら
早々、トイレ休憩
R372に別れを告げ東へ🚲
14:30🍝
お昼ご飯を食べずにやって来たので、お腹ペコペコ。
セブンイレブンの駐車場の隅でチャージ
15:00出発。東へ東へ🚲
朝の会話
私「こないだ、テレビでやっとってん。 三木市になんか出来たんやて」
夫「ほな、三木市に行こかぁ」
と、ミルクボーイ的な会話で、やって来た三木市。
現地で
夫「…で、どこに行きたいん」
私「なんかなぁ、三木に戦争遺跡の飛行場跡があるって。」
夫「それは三木ちゃうやろ〰️鵜野飛行場跡のことちゃうかぁもうちょっとなんか言うてなかったあ」
私「三木って言うてたんやけどなぁ…。昔の飛行機が展示してあるんやて」
夫「そら、鵜野飛行場跡のことやでぇ。間違いない❗それは、加西市やぁ」
(×_×)あちゃ〰️、来過ぎてもたんかぁ…。
てな訳で、気を取り直し、いざ北北西に。
JR小野町駅でトイレ休憩
もう15:40、C=C=\(;・_・)/〰️
播磨中央自転車道に出る
藤で縁取られたキュートな看板。
加西市に入る
北条鉄道、網引(あびき)駅の大イチョウ
小野町駅から約1時間。
自転車道をひた進み、ようやく到着。
資料館はもちろん閉館中。
紫電改(実物大模型)が納められている倉庫
(あっ、テレビで見たの、これだったかも…三木ってなんやったん)
紫電改(模型)
滑走路
昭和20年3月、ここからたくさんの若者が特攻隊として大分県の宇佐飛行場に向けて飛びたったそうです。
鵜野平和記念の碑苑
4月鹿児島県の串良基地から沖縄に向け出撃。5月までに63人の儚き若者の命が散ったそうです。
特攻と言えば、鹿児島の知覧しか思い浮かばない浅学な私で…
この地元からも特攻として多くの若者が飛び立たれたことを知り、いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。
テレビを見てやって来た軽はずみな自分を反省
資料館が開館した際には、貴重な戦争遺跡が残るこちらに再度勉強しに来ようと思います。
手を合わせてお祈りしここを後にしました。
帰り道
夫「平坦な道か、ちょっと険しいけど近道どっちがえぇ」
私「そりゃ〰️断然近道…険しいって、もしかして法華山の道のこと」
夫「そう」
私「そこ抜けたら、すぐ姫路に出るわなぁ…」
長女「近いんやったら、行ってみよう❗楽しそう🎵」
という事で法華山登り口方面へ
とりあえず押して歩く
ビンディング傷むやぁ〰️ん
最後の上り坂がえげつない
長女「お母さん、後ろ向きに上がったら行けるかも❗」
私「…確かに」
こんな会話をしながら
坂のてっぺんに。
上を登山者用の吊り橋がかかる
再びトイレ休憩
さぁ、後は下って帰るだけ
1時間で姫路城に到着。
後はチャリチャリこいで自宅へ。
19:45自宅到着
私「惜し〰️い、あと6kmで100」
夫「あと6km回ってきたら」
私「無理です〰️」
100kmには届きませんでしたが、事故なく帰ってこれたし、体力のない私は十分満足です
長い日記を読んでくださってありがとうございます。
全国には様々な戦争遺跡が数多く残されているそうですが、負の遺産というイメージが強く、保存が進んでいないのも現状のようです。
興味本位で訪れた訳ではありますが、
戦争について、平和について考える機会となりました。
戦争の悲惨さを後世に伝え継ぐために、様々な立場の人が戦争遺跡に触れ、対話を重ねていけたらと思います。