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pripocoの休日

ジョギング散策:新井用水

前回の(あっ、もう随分前のことですが…淡山疏水·東播用水からの水路つながりで、この日は別の水路散策です。

やっと書き上がりました
3月12日(土)☀
参加者:私と夫の2人

加古川大堰の駐車場に車を停めて出発デス

今日はこの加古川大堰のところから取水し、印南野台地の端っこに当たる「播磨町」に引いた「新井(しんゆ)用水」の水路を巡るジョギング散策です

矢印の地点がスタートで、⭕辺りがゴールだと思ってます

新井(しんゆ)用水は加古川の大堰から播磨町古宮の大池まで農地へ水を送る全長14kmという長〜い水路です。
(あっ、これでもたいがいの長さ。でも東播用水の110km水路ネットワークには負けますね

足で往復すると約30kmになってしまうので、これは2回に分けないと私は最終地点にまで辿り着けそうにありません

とりあえず、行けるところまでにして
新井(しんゆ)水路のスタート地点へ
新井(しんゆ)とは「新しい川」という意味だそうです

五ケ井樋門
あっ、先にここで、右に書いてある「五ヶ井(ごかい)水路」について

五ヶ井用水の方が歴史が古いです。
なんとこの水路は「聖徳太子」が作った水路なのです

どこにでも聖徳太子が出てくる感じがちょっと嘘っぽい気がしますが、そうではありません

聖徳太子は「推古天皇からこの加古川下流の土地、100町を賜り、その土地を灌漑するために堰を作った」と江戸時代の書物に記されているそうです

この堰は1400年前から下流地域を潤し続けていると言います。スゴイ

でも、今日散策するのは左側の「新井(しんゆ)用水」です

向かって左を流れるのが「新井用水」で、右を流れる五ケ井用水から水を分けてもらい、五ケ井用水地区より東側の新井地区を潤します。

新井用水も始まりは1656年と古く、江戸時代、度重なる干ばつで人々が命を落とし、23ヶ村の農民たちを救うため、播磨町の大庄屋であった「今里傅兵衛」が中心となり、綿密な計画を立て姫路藩に願い出て、

「水が流れないときは家族諸共極刑にされてもいい」という命がけの願い出が通り、藩内述べ16万人の人足が集められ、1年余りで完成したそうです。

これ以降、干ばつで命を落とす人はなくなったそうです。

等高線に沿って、このようにろうそくを持った人を等間隔で立たせて測量し、ほとんど勾配のない中で水位が下がらぬよう、水路の幅を徐々に狭めて水位を保つ工夫もされたそうです。

今日は、この歴史のある新井用水を

↑この看板に記された大雑把な「新井水めぐりマップ」を頼りに散策
迷わず行けるかは自信がない

いにしえを想いながらさぁスタートです

県道383号をしばらく走り、新井水路を発見

途中、水路は工場の中を流れて私達を置き去りにしばし、水路と別れて
「JR加古川線神野駅」
ここはJR加古川線のジョギング散策で来たことがあります

JR加古川線の鉄橋の下を水路が通ってましたコレ、新井用水
なかなか水路沿いには走れないのでもう何の水に継いて行ってるのか

この水路沿いにも行けなかったので村の中に入り、

先程、鉄橋の下を流れていた水路に再会(どうやら、これは新井用水ではなかった

↑コレが新井水路だと思ってるので、今度は見失わないよう、ここからはあぜが付いてるので水路に沿ったあぜ道を行くことに(実はこれは新井用水じゃありませんでした

水はたっぷりと流れてて両サイドは田んぼが広がってます

圃場整備記念碑(最近の記念碑です)

近代の、確かに真っ直ぐな水路と真っ直ぐなあぜ道があるのでその記念碑でしょうか
水路に沿って走ってくると県道384号と「曇川」にぶつかる。
このあたりで新井用水の案内看板が出てきてもいいのに、見当たらず
しばし、あちこち探す

曇川を新井水路は横断してるように書いてあったのですが…

発見発見新井用水発見
↑コレが逆サイフォンの入り口
逆サイフォンの仕組みで新井水路は「曇川」の下を通って行きます。

川の下を水路が通るなんて
(逆サイフォンとは水面の高低差を利用して水を移動させる原理。川の下を通れるように埋樋(うずみひ)で川を横断してます)

↑昔はこのように川の上を横断する木製の筧樋(かけひ)という方法で新井水路が通っていたようです

↑コレが出口(だと思う…

道がないので曇川沿いの堤防を

曇川排水機場

JR加古川線の線路をわたり、寄り道

堰が気になり、加古川河川敷に下りる

下に下りると堰はデカい
いったい、この広いスペースは何なんでしょう🤔🤔…立ってるところは一段上がってるんです。加古川に向かって歩いてみると、

無駄スペースと思われる、この広大な場所で遊ぶなと…❔なんで🤔🤔…
そうかこのだだっ広い河川敷内の区切られた空間はあの堰を開けたときに水が流れてくるんか

いやいや、感動感動
加古川が流れている方向を向くと河川敷の中に橋が掛かっててそういうことなのですねぇ

堰を開けると、川の水がこの枯れた河川敷の水路を通り、橋を潜って加古川に流れるのですいやぁ面白い

堤防に上がり、堰の上から先程のスペースを見下ろしてみました👀こっから、ズッバーンと水が出て加古川に流れ込む場所だったのですね

さぁ、また水路に戻り散策再開右側が新井水路、左側が曇川。

新井用水と並行して走っていくと

日岡神社に出ました。

この日岡神社にある日岡御陵に葬られた稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)のお産みになった双子のうちの一人が「倭健命」であると云われてます(ほんまかなぁ

その日岡神社を通り過ぎ、新井用水は村の中へ

発見発見新井用水案内看板発見

ここから「新井緑道」という名で新井水路沿いに散策路が整備されています

なんだか、少し格上げされた感じです

新井緑道の終わりに「聯隊橋(れんたいばし)」という物々しい名前の橋があります。

アスファルト舗装されたその傍らに昔のままの親柱戦前この近くに陸軍の高射砲連隊があったのでこの名前とのこと
直ぐ側には兵隊さんのお墓もあります。
まだまだ新井水路は続いてるので、緑道に分かれを告げて、水路沿いに

おっこんなところまで来てしまっていたと驚いてしまったのが、小野バイパスに来てしまってました

車通りも多くなり、きっとコレが新井水路かなぁ…街の中なので水路がトンネルになっててどこを通ってるのか…難しい

ハリマ化成株式会社加古川製造所の傍を

「くんれん橋」ここにも古い親柱
高射砲連隊の訓練所に通う兵士たちがこの橋を往復したことから名付けられてるそうです

JR神戸線の高架を渡ります
もう、新井水路を見失っております

国道2号を横断して、しばらく行くと

加古川市立中部中学校沿いに新井水路を発見

もう、夕暮れてきました

コンクリート壁に大きな字で「新井水路」と書いてあったようです

水路が急に90度に曲がります。これは高低差の少ない、この水路を流すための工夫のところでしょうか

90度に曲がり、住宅の間を縫うように流れます

とりあえず、今日はここまでで終了



続きは後ほど。
長々、最後までお付き合いありがとうございました






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