メシア降臨はカルマの法則と心の法則からも有り得ない
世界の終末論から、宗教界ではメシア降臨と叫ばれて、救世主がやがて現れるという安易に頼り依存する考えで他力本願的とか、脳天気な思想は根強く残っているようです。
ところが、民衆の苦悩やカルマなどを高徳なメシア(救世主)が身替わり代行して、因縁を果たし救済するなどは「カルマの法則」として、自然の秩序や摂理からも不可能です。
諺にある「寄らば大樹の影」と言うことも、他者に頼り依存する甘い考えでしょう。
2016/8/2(2021-04-28)「五次元世界へ移行するには自ら努力して准聖人並みに達すること」の紹介で、クリスタル・ライト・チェンバーを利用して身体の波動転換を行い、次元上昇を誰でも難無く楽に果たす事が出来て、五次元世界へ移行すると言う発想も同様でしょう。
煩悩が強い今の侭で現実逃避の如く依頼心から他者に縋ろうと、助け舟や助っ人を皆が気安く求め望んでも、「心の法則」からは無理があります。
大衆というのは何とかして大勢に寄り添い楽な方法で、気軽に目的・目標を達成したいと思います。
霊的に目覚めた奉仕者の中には、自分こそが天界の召命を受けた救世主的な存在であるという、独り善がりな誤認に解釈し立って実践したり、無駄で不要な宗教組織を作ったりしている人もおりますが、天(神)意に叶わず本末転倒です。
巷では、新興宗教家が自ら釈迦とかキリストの再臨だとか名乗っている人もいます。
今の世の中の動きを眺めていますと、世界中から「我こそは真の救世主だ」と名乗り出る導師が多くて、民衆を惑わせていますが、どれも暫らくすると化けの皮が剥げて偽り者で失望させられているのが現状です。
大衆の中には霊性レベルが低い者同士の波長が合って、愚かにも怪しいカルト教団へ突っ走る場合もあります。
そして、教団に入り心の拠り所にしても心の弱点と誤った観念を持っており、先入観と偏狭な思考から間違った虚構の教義を信じて上手く洗脳されて、救って貰い充実や幸福感が得られると勘違いさせられ間違った人生の道を進んでしまい、知らない内に不幸へと零落れて人生を棒に振るのです。
新たな救世主が出現する事への思想と願望は裏を返せば、今の宗教は真理から逸脱したことで廃れて、形式的で形骸化した崇拝とか教義で、お布施や奉納の利権や金銭の亡者に成り果て、教団と言う組織を拡大することが理想世界だと偽って説いたり、他の宗教を受け入れない独善と排他的な宗教が数多く見られるからです。
過去に出現された「世界の諸聖人」が残された、共通する教義や哲学の真理が既に膨大な書物・資料としてありますから、今更に特定の救世主が再度も現れる必要はありません。
人類が待ち望むメシア降臨とは裏腹に意に反して、今の時期は地上に特定の救世主が現れて人類を救済してくれると言うことは、あり得なく彼らは再臨しません。
地球人類がある程度の霊性と文明に進化するまで、宗教という形を通して人類を導いて来たと言われますが、プランは変更されて今ではその目的も役割も終わったと言えます。
アセンションを控えて、人類に霊性の気付きと目覚めや真実への目覚めを促し荒廃・堕落した人心を、良心・真理に立て替えて精神・意識を向上させることにあって、その機運を高めて熟す様に前以て予告が何回も繰り返して為されるものです。
それが、聖書・仏典を始めとして、光の担い手である様々な預言・神託、チャネラー・リーディング・いたこ・メッセンジャーなどであるのです。
これは、現象界と言うのは人類の集合意識である、潜在的な心(意識・想念)に存在しない事には現れないからであり、唯心所現とか「創化の法則」を活用しているのです。
つまり、マトリックス(Matrix)の世界で紹介した様に、現象(物質)界は意識・五感に因る念(想い)の作用が集積して行くに従って生じる、投影された映像だからです。
コンシャス・コンバージェンス現象が発生し人類の意識改革が起り始める
アセンションが本格的に始まった今となっては、かつての釈迦とかキリストの様な聖人のグル(霊的導師)による光(オーラ)の感化力を必要としません。
アセンションの時期に於いては、皆さんが「魂・霊的に目覚める」と内在する良心に気付いて導かれ、さらには「神性に覚醒」すれば自らの光・輝きが増しますから、内在する「ハイアーセルフ」に波長が同調して気付き、必要なメッセージを感受して得られる様になり現象のグル(導師)は不要になります。
それは、マヤ暦の預言にあった1987年8月16日に始まった、大衆のハーモニック・コンバージェンス(調和的な収束)の悲願・祈り・儀式(世界平和瞑想)は成就し、その5年後のハーモニック・リサージェンス(調波復活)の目的も成就しています。
さらに、2010年夏にはコンシャス・コンバージェンス(意識の集合・集中)と呼ばれる現象が発生して、人類の意識改革が起り始めて意識の変容が始まり、個としての意識から集合意識へと繋がり、さらに統一した意識に向かい始めています。
そして、2019年8月下旬には遂に霊的と次元的なCRITICAL POINT(臨界点)を超えて、次元の大きなステップアップが始まり上位の階層領域への移行が実現しているからです。
それは、全人類が高次元から降り注ぐ光明波動(天波)を受けて浄化し次元上昇を果たすべきであり、全ての人々が高次の光明を受け入れて夫々に霊性の気付きと目覚めを得て上位の高次元世界へ移行する時であるからです。
だからこそ、高次の光明(天波)を受け入れ易くするには、各自の意識・想念の在り方とスピリチュアリティ(霊性)が、重要な項目になり心の調和を整えて、高尚となれる様に努力する必要があります。
本来、光の使者(担い手)は精神世界の指導者達であります、教育界や宗教界が先頭を切るべき筈でしたが、昨今の教職者たちは霊的に目覚めず人格的な質の低下と犯罪の増加、また宗教世界に於いては真理の教義から逸脱して、独善で排他の思想を招いた宗教戦争がある以上、遺憾にも既に限界状態にあると言えます。
それで、既に形骸化と虚構と偽りに満ち溢れて限界状態に達して役割は失敗しており、偏狭と歪みと虚偽と欺瞞に満ちた宗教的な手法に頼る事を必要としない、新たなプランのアセンションに切り替えられています。
それは人生は魂の学習でありその過程の体験を通して修行・修養であって、神意である慈悲と真理を学び実践(体験)を通して体得し人心の救済と開発がなされ、その成果として意識の高揚が伴い人格や品性が高まり、真の人間が完成するからです。
現在、苦難の境遇にあって悩んでいる様な運命の悪い人も、自らの反省と真理に基づいた実践の努力によって、やがてその運命を改善して、確実に安心と幸福を得ることが出来るのです。
高次元より来る天波の作用で、クォンタム・リープという現象が多発的に起きて失われた遺伝子のDNAが活性化して、組み変わり変容して修復されつつあります。
心身は変化過程の遷移状態に伴い人々の潜在的な集合意識が向上して、徐々に変容して行かざるを得なく霊的な気付きと、目覚めと神性の覚醒が高まって次元の上昇を実現させ、波動エネルギーの再調整を体験して身体と意識を変容・変性させているからです。
これは、量子的飛躍と云われる物理用語で、物質の元である量子が、ある一定のエネルギーを備蓄すると次元を飛び越えて、別の物質に変わって行くという現象です。
光の担い手で本命(超人類)の人々は、大半が利己的で暗黒面に陥って失敗
第1プランの第一候補であった光の担い手(光の使者)で本命(超人類)の人々は、大半が闇・魔手の勢力が仕掛けた陰謀の餌食で、現世の利己的な欲望の享楽主義に誘惑された価値観の生活に溺れて、宗教家を始め権力者・事業経営者・資本投資家・科学者・芸術家・音楽家は、私利私欲の暗黒面に陥って堕落して大半は本命の役割を忘れて失敗しました。
今まで教祖(偶像)崇拝を良しとし、真理・真実から逸脱して歪曲とか怪しい方便が多用された教義を行い、偽善的と虚偽で形骸化した独善で排他的な宗教の呪縛にある内は、誰も暗黒面の邪悪さや魔性から脱してネガティブな業因縁(カルマ)を越えられません。
一般に多くの宗教家などの教えは、導師などが自分の考えるところや信じるところを以って、人間の実生活を示す標準としているとか、聖人の教えの一部から自分や教団の利己心に合う項目のみを選んで、それを自分も守りながら、かつその事項・事柄によって人をも導こうとするのです。
しかし、そのような教えるところは、やはり偏見と独断を免れない虚偽の教説に過ぎないということです。
従って一般的に宗教という教えの多くは真理・真実から逸脱して歪曲し方便を多用し、人間の精神(思考)を標準とするようになっていますから、教える内容は実生活の標準が単に偏見・偏狭であるばかりでなく、教えの中に多くの誤りを含んでいるのです。
ですから、そのような不完全の教えによって民衆や社会、国家は知らず知らずに害され毒されて、全ての実践者には真の安心も幸福も来ないのです。つまり、一般的な宗教団体の活動には矛盾と虚偽も多く含まれています。
そのために私たちは、日頃から本ブログで紹介する諸聖人の共通した教えに基づく、真理(倫理・天道)を参考にされて脳力開発や、人間性を磨く事に励み自己を高めて心眼を開き、何が本当に真理の教えであり、何が偽りの教えであるかを見極める能力を備えるようにしなければ、自らも間違った道を知らずに歩むことになるでしょう。
このようなことでは真の成功も真の富も真の幸せも、真の安心・平和も掌中には掴めないものです。
宗教団体の実態と現状は形骸化し集金システムで悪徳宗教ビジネスへ零落れる
宗教家の殆どは現世の物質的な魅力の誘惑や罠に嵌り天命を忘れて、派閥争いを始め権威の誇示とか真理から逸脱した怪しげな方便を信者に説いて惑わし、お布施や奉納の集金体制を敷いて利権やお金の亡者に成り果て、邪悪で堕落した生活を送っておりますが、当初より能力は弱まり人格と品性は低下して本当の幸せは縁遠いでしょう。
担い手の各自は多くが神性を曇らせて、現世の利己的な享楽主義に誘惑された価値観の生活に溺れて堕落したり、偏狭と独善な概念とか誤った認識に固執したり、物質的な執着が強いと天命に気付けず覚醒が遅れたり、気付いても様々なカルマや柵と制約により躊躇して、愛行(利他・奉仕)の行動を起こせない担い手が殆どだと言えます。
今、本当に救いが必要な人は宗教家ではないかと思われ、人心の開発と救済を通して初心に戻り本来の役割を思い出して欲しいものですが、既に手遅れでしょう。
既存の宗教では、独善で偽善と排他的な宗教が多く形骸化して、形式と集金システムばかりに成り下がって、天界からの声・メッセージを聞く事は出来なくなって難問の解決や創造には役に立たないでしょう。
殆どの崇拝宗教は巧妙な話術で、真理・倫理に疎い大衆の目を晦まして欺き信者を獲得したり、教団と言う組織の囲いを拡大し勢力を伸ばすことを善とし信者を惑わして欺き、国内外に普及拡大することが理想世界であると、虚偽の方便を説き他の宗教を受け入れない、独善と排他的な宗教が数多く見られます。
目的と真髄を忘れて信者を虚偽の説法で欺き、使役して会費・奉納の集金システムで搾取・収奪へと零落れた、形式的に成り果てて形骸化した利潤を追求する悪徳宗教ビジネスの如く、聖職を忘れた幹部たち特権階級は蓄財と贅沢三昧に明け暮れて、教団の実態は殆ど利己的な運営であります。
虚構で偽りの信仰と偽善的な宗教組織は、近い将来に浄化排毒の作用に遭い瓦解・崩壊して、真の信仰だけが宗教の壁を越えて残ることになり、超宗教の新しい道を開く様になります。
絢爛豪華で巨大な建造物を建立して威厳の誇示を始め、宗教・派閥争いも激しく信者を食い物にする集金システムに成り下がり、形骸化して人類を惑わし民衆の精神(霊性)を向上させる様に導くことに失敗しました。
宗教のみが精神修養の場所ではありませんし、多くの宗教団体としての組織的な活動そのものには、運営と維持の為に真理から観ると矛盾も多く含まれているものです。
一般の人々は利己心から無意識の内に危険な臭いのする人や団体へ惹かれるものです。
人間社会における最大の弊害の起こりは、政界とか特権階級(権力者・官僚)とか財界や上流階級にある貴族や富豪が、諸聖人の教えを無視して実質(人格、品性)を充実しませんでした。
そして、身分不相応な事物の形式である見栄や金品とか権力などの立身出世・光明富貴とかを尊び、メンツを護持して金儲けに邁進することが生き甲斐だと考えて、これらに力を注いだ結果であり利己的で退廃的な精神であるのです。
このような見栄や金品とか権力などを尊ぶ弊害は、国や国民を統治するはずの政治家や官僚や、人の生き方である真理を説く宗教家にまで及ぶのです。
世界の諸宗教は偶像崇拝から心機一転して新たな認識に目覚める
地球外知的生命体の存在が公に明らかになる時代を迎えつつます。
人々は今まで彼らを神々や天使として誤って認識し理解を深めて来た世界の諸宗教が、今は神々や天使とは地球外知的生命体であったと「心機一転」して、新たな認識に目覚めて真実を理解し直すことが重要です。
現在、世界中で行なわれている様々な神事の祭り・儀式・行事・風習の殆どは、アヌンナキ(ヤハウェ)にまつわる出来事から由来しており、中には形式化したり変容したり勘違いしたりしていますから、真実が明らかになれば宗教的な拠り所を失い取り止めになり、偶像崇拝と言う偽りの信仰と虚構の宗教の団体は崩壊することになるでしょう。
今こそ、宇宙の秩序と摂理に基づく真理・真実を学び実践して、魂・霊性に気付き目覚めて神性にも覚醒しカルマを浄化し清算・解消しましょう。
人は真理を学び実践を行って体得しなければ何も自己の変革も自力救済もありません。
真理に基づく生き方からのみ意識を高尚に保ち、高揚する感覚から人格・品性の向上が始まります。
人々は次第に真理である自然の摂理と秩序に目覚めて、宗教の目的と役割は終了します。
真理・倫理などを教義する宗教については、真理・倫理など人類を導く正しく有益な人生観・生き方の指針として教えの教義・資料は既に出尽くした感があり、新たに経典などを著す必要はなく共通する真理の教えを纏めて人々に広めれば良いのです。
人類の原罪とも言われる堕落と腐敗に対する罪悪感・罪意識の封印・洗脳が解かれて、真実が明らかになり様々な宗教理念・教義の根幹を揺るがすこととなります。
真の解脱とは、歴史・時代・文化・人種・民族・場所を越えた、普遍的な真理(神理、正法、倫理)を基準とした、教義を学びつつ実践して体得することです。行動を伴わない空念仏では空論と同じです。
真理の理解と心境と実践・実行の度合いは人により相違がある
人格や品性を高める聖人の共通する教えに基づく真理の実践・実行は、同志と共同に行なうことはできません。
真理の話は皆と共同的に聴くことは出来ても、その実践・実行・愛行・感謝行・報恩となると、一人一人は個人的に魂・霊的なレベルを始め、財産や収入とか思考や習慣などが違いますから、愛行・法施・奉仕・献金などは他者と相談して行なうことなどは不可能です。
人は夫々に霊的なレベルと魂の学習や体験した期間の違いや試練と教訓の度合いより、真理とか自己啓発の内容を学び理解したり実践するに当たり、生活上や仕事上への応用を始め霊的な気付きとか目覚についても、皆は一様では有りません。
例え、真理とか自己啓発の内容を知識として得たとしても、人格(霊格)や品性(霊性)のレベル的な相違から、親子・兄弟姉妹・夫婦・恋人・師弟・親友・仲間などであっても、他者とは同じ意識や心境に成れず言動(実践)を一様には行えないのが実情です。