人格と品性(霊性)を高めて徳を積む方法について、人は夫々に魂の学習や体験した期間の違いと霊的なレベルにより、真理の教義を皆と一緒に聴くことは出来て一様に真理とかの内容を知識として得たとしても、人格(霊格)や品性(霊性)や境地・心境の格差の違いがあります。
ですから、心を伴って実践するに当たり一般にいう相互とか互助ではなく、霊的な気付きとか目覚も違いますから親子・兄弟姉妹を始め、夫婦・恋人・親友・仲間・師弟などであっても共同・集団には出来なく、他者とは同じ意識や言動を一様には執れないのであり、各自の魂・霊的なレベルに応じた真心と愛念による努力があってこそ可能となるのです。
これは、各自の運命的な高次元の世界から観た、天の倉に積まれた徳の分量がそれなりにある人のみが、それぞれの相応しい徳の分量に応じて、自分一人で実践すべきことなのです。
人としての意識・思考・言葉・行為すべてに善悪の因果応報は、因果律によりそれを実行した当事者へ確実に還ってくる訳ですから、善を為せば当然に積徳となることは言うまでもないでしょう。
先ず勇気のない人には、真理(倫理)の実践・愛行はできません。
特に真理の実践・実行・愛行・法施をするに当り、その人に先天的な徳の分量がそれなりにある程度なくてはならないばかりでなく、他人に率先して実践するだけの勇気がなくてはとても出来ないものです。
孔子は「仁者必ず勇あり、勇者必ずしも仁あらず」と云っています。
真理である聖人の共通した教えを学び体得して実践し、かつそれを普及させようとするような天真爛漫な心で、正しい勇気を持った人のみが真理の実践・愛行・法施ができるといえます。
ですから、全ての人は自らの才能・力量を駆使して努力し励まなければ、ユートピアが訪れるようなことはあり得ないのです。
宗教の教義は学問・教育となる
これからは既存の宗教的な手法に頼る事を必要としないとか、宗教の目的と役割を実現した世界に達して宗教体制(教団)を必要としない社会へと脱皮して、「人類の魂・霊性・神性の覚醒はどの様にして成されて行くか」を考察してみました。
すると、過去の偏狭で虚偽と欺瞞とか偽善的や独善的な宗教体制に於ける失敗の教訓から言える事は、光の使者(担い手)は宗教組織では無い、天(使)命を受けた担い手によるNPO法人とか学問・教育として真理・倫理・哲学を基準とし、教団からその形態を変えて発足することになるのが主流になるでしょう。
本来、宗教の目的は諸聖人の示された神仏に基づく、教えの真理・真実を学び実践・経験して体得することで、自己と神(聖人)の一体感から感謝や報恩の心と慈悲(利他)の精神を、他者に移し植える愛行の伝道であり「法施」とも言います。
人々へ伝道なる愛行・法施で真理・真実に導いて、その人も真理・真実を学び実践・経験して体得すると、人心は開発されて自発的に愛行・伝道・法施を実践・経験するように気付かせて、意識の高尚と高揚から神性に目覚める時が来ます。
神性に目覚めた心境になれば、人心は救済されるに至り罪と穢れや迷いの、ネガティブな業因縁・カルマは浄化し清算・是正されて、解消・解脱へと向かい人格・品性は高まり徳が備わり幸せの人生へ向かいます。
浄化・解脱とは過去のカルマや因縁と言われる、遺伝子の歪を矯正する現象でもあります。
すると意識は高尚となり高揚感も伴い、心身のバイブレーションは上昇して行きます。
与えよされば与えられんとは先ず聖なる目的のため
宗教では「与えよされば与えられん」と云われていますが、金品を無闇に投げ与えたり、誰かまわずに与えても良いということはないのです。
例えば道楽人や盗人に金品を与えることは無慈悲な行いであり、与えた金品は道楽や盗みの程度を益々と増大するように循環して、やがてその人は堕落してしまうからです。
宇宙には増加の法則というものがあり、例えば人口の増加、資本の増加、知的所有権の増加、時間空間の活用増加、情報量の増加など、あらゆる分野に様々な増加・繁栄の法則が現実化しつつありますが、増加の法則に乗るにはルールを守りベストを尽くすことです。
つまり、現代人は様々な増加の法則により発明や発見と研究開発を通して便利な道具を享受し、利便性と快適性が高く密度の濃い日々や時間を過ごしているとも言えます。
ここで、本当の慈悲とは、金品・布施の支援をするに伴い真理を学び実践・実行することで、人格を高め徳を積むことが幸運の近道であることを教える伝道・法施であり、そのために人心を開発し救済することが必要なのです。
それには、実相世界の荘厳な素晴らしさを私たちの住まう現実世界に現すための、「聖なる目的」のために使わなければならないのです。
つまり、私たち人類の文化生活に役立つ進歩や発展のための、発明とか発見とか道具とか良きヒント・アイデアを得てヒット商品を生むことや、企業が慈善事業の財団を創って世の中へ振興や奉仕・貢献をする活動も真理であり、幸福や豊かさや安全と平和のためになる建設的で聖なる目的にのみ使うのがベストです。
これからの組織や企業は営利の事業的な仕事を通しての貢献のみでなく、社会運動のように地域や世の中へ奉仕と貢献を前提として、地域へボランティア活動などを実践する社是を取り入れる姿勢でないと、生き残れなくなるでしょう。
聖なる目的といっても、宗教団体や宗教家(教祖)の偉大さや権威を示そうと、必要以上に巨大で絢爛とか華麗な崇拝像や建造物を築いたり、事業・仕事を始め人との付き合いの接待とか、奉仕とか愛行に必要だと言って贅沢や大イベントをする事ではありません。
それには既に虚飾・虚栄心・誇示・利己心があるからです。
反対に無駄を排除した生き方をするのだとして、単に清貧礼拝を奨励するものでもなく、極度の断捨離により進化して便利な文明社会の生活から離れて、自ら快適さや豊かな文化を享受しないと言うのも如何かと思います。
皆さんは真理を学び実践する事は、今までの生き方の価値観や習慣・柵とか目先の損得から、偏狭や独善的な目線に立って判断して「頭の痛い話し」と考えて先送りにしていませんか。
歪と不公平が蔓延る世知辛いこの世の中で真面目に生きていても、自分だけが何だか損をしている様に感じて出世も豊かさも叶わず、邪悪で狡賢く要領よく生きている者が地位や富を早く掴む事が多いものです。
しかし、邪で狡猾で利己的に生きていれば知らない内に罪穢れが魂を覆い、カルマの作用で何時か人生を清算する時が来て魂の禊・浄化や懺悔が伴い、様々な災禍で辛さ・苦痛・苦悩が襲い人生から転落します。
それも地上に於ける魂・霊の学習・修業する大切な経験であるとも言えます。その様な苦く辛い経験は魂に刻まれて霊性進化の道へと至ります。
ある知人は「五次元世界へ誘い幸せを呼ぶ心得」を読んで、この内容の感想は「自分の生き方を言っている様だ」とか、「自分のことを見透かされている様だ」と言いました。
この様に、当ブログを「何だか忠言の様で耳障り」とか、「頭の痛い話し」とかと思えて敬遠する人もいます。
組織・団体を形成した宗教は活動する拠点の建造物などを始め、新たな信者を募ったり組織を維持するには多くの資金が必要になり、会費・寄付金・献金・奉納金などの名目で信者から定期的に集金するシステムへと零落れました。
某宗教の教会長はお金とか名誉が大好きで、大枚を叩いて多くの勲章を得たり、租税回避地の隠し口座に膨大の資金があったことが明らかになっています。
教団の発展とか組織の維持に必要だと勘違いして、真理から逸脱して都合よく歪曲した教義を繰り返したり、肝心な神事の行事・例祭はその真髄を忘れた形式的に成り果てて、道を誤り矛盾もあり形骸化しています。
旧約聖書を始めイエスなどの教えは、闇・暗黒・魔手・協会幹部の者により人類の支配に都合の良い内容へと、書き換えられたと言われます。
巷では誤った教義により、ご利益(お陰)を目的とした信心で献金・奉納・奉仕を行う人もありますが、本当はその時の心遣い・気持ちが重要なのです。
遺憾な事に、偽善的な宗教は信者や民衆を幸福や安らぎへ導くためだと称して、凄いと圧倒させる様に宗教家(教祖)の偉大さや権威を示そうとして、信者も民衆も惑わしています。
今後は、特に人の生き方である真理・倫理を説く宗教家には、容赦なく天界から戒めの波動が下り体制を神意に従うよう諭されるでしょう。
今後の近い将来に崇拝宗教は、教典の嘘や偽りの誤りと不完全さは補正・訂正されて真実が暴かれて明るみになるため、宗教組織の機能も体制も不全となりやがて崩壊し活動を停止し、存在も消滅する運命にあるでしょう。
人が救われる時期や度合いは人の霊性レベルにより違う
巷で開催されている宗教とか自己啓発セミナーなどの集会では、皆さんが期待することとは裏腹に本当に霊性や魂の向上とか浄化は無理があり、指導者がそれなりの人格・品性として霊的な一定以上の霊性レベルに達していない事には、そこに集まる人々は魂が向上し救われる事は無いと言う事です。
宗教にしても教祖とか教団のトップから幹部の人たちの人格・品性が、一定以上の霊性レベルに達していないと信者になったとしても、教義や活動は不完全であり真理から逸脱している場合が多く、本当の意味に於いて人心の開発と救済は到底に無理が有り、心の拠り所にしても安らぎや豊かさや幸せは縁遠いものです。
現実的には一般の大衆は、霊性レベルが低い人々が多くて他力本願の依頼心から縋ろうとする淡い期待と甘い考えから、インチキ霊能者とか怪しく悪徳な宗教に波長が合い騙されてしまいます。
人は何かの宗教団体に入って教義を受けて実践しているから、今回の次元上昇の進展が優位になると言うものではありません。
それは、既存の宗教が示す教義は殆どが真理から逸脱して不完全であるからであり、心・魂は浄化されて救済されません。
それに各教団には霊的にピンからキリまで上下の格差があり、私たちが教えを求めても自己の霊性レベルに相応しい宗教にしか触れられて学べなく、より高い真理を含む教義の宗教に行っても理解は出来ず居心地が悪くなり居れなくなります。
暗黒面に陥った邪悪な教団の中には聖職者も信者も堕落させる、独善的と偏狭でネガティブな教義もありカルト教団となります。
邪悪な政権と宗教の対立抗争による戦争とテロ活動は、人間生活と資源の活用される中で最も無駄な行為であります。
宗教の闘争で根深い憎悪を生み出して永続させて来ましたが、ここらで観の転換を行い赦しの寛容さを持つ時期に差し掛かりました。
自分は光のネットワークに繋がっているから大丈夫と思われていませんか。
私はブロガーとして厳しいことや辛口を表記しますから敬遠され勝ちですが、人は真理を学び実践を行って心・魂的に体得しなければ、何も自己の変革はありません。
つまり、自らの心・精神を真理で立て替え立て直さない限り境遇も運命も改善しません。
それは皆さんが真理を学び日頃から意識を高尚に保ちつつ真理の実践を通して、人格・品性を高める様に生活するには世知辛い世の中は何かと厳し過ぎる感があり、煩悩の様々な誘惑から油断が許されないからで甘い言葉や縋る思いは自らに負けます。
真理に基づく生き方からのみ意識を高尚に保ち、高揚する感覚から人格・品性の向上が始まります。他力本願の様に他者に依頼して縋ったり他者が代行する事は不可能です。
かと言って、身構えたり意気込んでも上手く生きません。
先ずは肩の力を抜いて自然の流れに身も心も任せて、心の片隅に真理・倫理を忘れず明るく気楽に堂々と勇気を持って生きましょう。
今こそ、普遍的な宇宙の秩序と摂理に基づく真理・真実を学び実践して、霊性・神性に気付き目覚め自己のカルマを浄化し清算・解消しましょう。
今まで闇・魔手の勢力とその傘下の者たちにより、歴史の歪曲とか旧約聖書など教典の書き換えなど、自分たちに都合が良いように正当化して救世主の様に見せ掛けて振る舞い、世界支配と人類の奴隷化の目論見を進めて出来ました。
彼らの巧妙な工作と煽動により人々は互いに不調和の関係に陥り、反抗し分離・分裂して対立・紛争へと発展して来たのです。
今、光の勢力の地球外知的生命体たちは真実の公開を、あらゆる手段で行われており真実が世の中に広まるに連れて、闇・魔手の勢力は真実に対立する巧妙な偽情報を広めて撹乱させ、人類の目を晦ましています。
皆さんは何を信じるかを自身で決めなければならず、自分で真理・モラル・哲学を学び確立して、真実を見抜く直感力を養う心のレーダー(霊眼)を磨く必要があります。
煩悩の誘惑で堂々巡りの生活から真の人生の目的と意味を理解して霊性進化する
大半の人々は人格(品性)は低くて徳が乏しく魂が未熟・幼稚であり、折角と宇宙の高次元から魂・霊で飛来して、地上で身体を纏い人類を導かれた世界の諸聖人が示されて共通する、素晴らしい宇宙の秩序と摂理の真理に触れても無知・偏狭な思考なるが故に、真髄に気付けず信じられずに見逃したり理解も困難です。
学びも生き方も無頓着で未熟・幼稚で偏狭な思考なるが故に、目先の損得を優先させて実践も侭ならず幸せは程遠いものです。
神意を信じ光明波動と真理を受け取り正しい人生観の抱負から、正しい生き方の思考と言動を実践する者が心・魂は救われて因縁の解脱へと向かえるのです。
挫折などで目標や夢を見失い堂々巡りの生活を繰り返している人も、真の人生の目的と意味を理解して次元上昇を志して抱負を持ち、様々な経験・体験を積んで現象・事象の本質に気付き自らを高める様に努力すると、幸せへの道は開かれ意識と感覚が拡張されてスピリチュアルな進化は促進されます。
人間は神の分霊であり魂・霊性として地球上で進化向上する方策を体験する場であり、学習と修業に励む為に自由意志を与えられ尊重されています。
そのことが災いしてか、殆どの人々は未熟・幼稚で無知・偏狭な思考なるが故に社会生活に於いて、低級な生存本能の競争心と保身から利己的な金品や地位や名誉・名声などの、魅力・魔力に取り憑かれて尊び目先の損得とか人脈とか、利害関係を巧妙に活用して得ようと邪悪な企てを試みます。
人は一時の感情や邪な気持ちから享楽など、様々な誘惑の罠に負けて嵌ったり間違いを犯します。
豊富な物質の恩恵や文明の利器にとっぷりと浸かってしまった現代人は、物質偏重の生活に毒されて依存・執着して気を狂わせ堕落・腐敗する方向へ進み、霊性進化の足枷や弊害になっています。
つまり、文明の利器に浸かり過ぎて自らを見失ったり、金品や地位・名声・名誉に眼が眩んでいる人も多くて、自らの本質である魂・霊性に気付かせて徳の意味と存在と、高次元の価値観や「天の倉」の存在に目覚めさせなければならない時期に来ています。
わたし達が認識しているキリスト教や仏教を始め、世界に存在する他の殆どの教祖(偶像)崇拝宗教は、人類が相互いに差別・分離・対立させ嫌がらせや憎み合って紛争・戦争を維持するように、闇の者により設計・意図された邪悪な思想を生み出すのです。
「宗教」の根本や真髄である真理・真実から逸脱した教義は、闇の者たちにより人類の支配・統治に都合が良い様に、原本から教典が改ざんされ歪曲されて普及させて来ました。
この入念に計画・調整された多くの摩擦を起こさせる心理戦略は、闇の傘下組織や手下どもが権力の特権階級に居座り続けられる魔法のように働いてきました。
さらに諸聖人の説かれた共通する真理のエッセンス的な項目であっても、各宗教が説く教義内容の真理項目は高次元から眺めれば、断片化した一部に過ぎなく不足して不完全であり、一般的に教団の運営に都合が良いように歪曲して嘘や偽りや、方便が多用されて真実からは大きく逸脱しています。
今後の近い将来に、崇拝宗教やカルト教団は教典の嘘や偽りの誤りと不完全さは補正・訂正されて真実が暴かれるため、宗教組織の機能は不全となりやがて崩壊し存在と活動を停止する運命にあるでしょう。
大半の人々は現象的な事物に対して執着・依存心から、内面的な意識の拡大と向上は困難で、意識を高尚にするにも人格・品性を高めるにも無理があり、今の侭ではアセンションへスムーズに乗れないと感じます。
皆さんが自らの目や五感で認識している三次元領域の物質界と言う世界は、生きている感覚や実感がリアリティーに有りますが、実在ではありません幻影・幻想です。
皆さんは現世は幻影・幻想として気付き霊的に目覚めなければ、闇・魔手の者たちに支配された侭で利用され搾取され続けます。
だから精神世界に目覚めた人々や光明思想の団体で愛念と祈りによる、喚起・啓蒙活動によって光明波動のスーパー・バリアンス効果による人類の意識革命が必須なのです。
しかし、人格と品性を高めて徳を積むような真理(心の法則)や倫理(モラル)は教えても、因果律の作用と働きが呑み込めず理解も侭ならずに目先の利己心から、行わない不心得な者が多くて普及には極めて困難なものです。とモラロジーでは言われます。
神意を信じ光明波動と真理を受け取り正しい人生観の抱負から、正しい生き方の思考と言動を実践する者のみが心・魂は救われて因縁の解脱へと向かえるのです。
皆さんの多くは今回の転生により、自己のカルマは完全に禊と浄化・精算するプロセスにあり、その意図と目的のすべてを終了しようとしています。
そして皆さんが待ち望んでいた瞬間が遂に到来した事を知る日が来るでしょう。
人は阿弥陀如来として地上に生まれ、菩薩になる霊性・神性を養う魂の学び・修練・体験を通して因縁=カルマを浄化・是正・解脱して、イエスとかフッダとか空海とかの様に人格・霊性を完成へと向かい聖人並みに成るのです。
皆さんはそれだけの資質も資格も備えているのですが、各自には夫々に学ぶべき過程や段階で魂のレベルにより、時期的に早いか遅いかの格差による相違が生じてきます。
霊的に目覚めた人々は本当の信仰者が、もう「宗教」団体の欺瞞に満ちた虚構な権威ある教祖をすっかり見限って、真実の信仰を自分の内側に見出そうとし始めているのが現在です。