五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

メシア降臨は有り得なく因縁を身替わり果たし救済する妄想は叶わず 3/3

日本は大和の国で和や道義を重んじる価値観を持つ民族

 霊的な世界観は日本が中心であり、遥か昔のムー・レムリア文化やアトランティス文化の精神を引き継ぎ、昔から大和(ヤムート)の国と称して和や道義を重んじる価値観を持つ民族です。
 4千年以上も昔からある神道に於いて、日本が神の国と言われる所以でもあり、本来は特定の宗教ではありませんでしたが、法律で形式化したのに過ぎません。
 古代イスラエルより様々な霊祭・神事と神道が伝承されています。
 大和民族は、本来、競争を嫌い、秘密を嫌い、殺生を嫌うという他国とは異なる人間だと言われています。
 世界の東西南北を纏める人種として、東西南北の異なる人種を調和させる特別の使命を持つ黄色な「大和(ヤムート)」のアジア人種は、日本列島の南端の地で創造(誕生)されて、全ての種族を調和・統合に導く特殊なYAPの遺伝子(DNA)を持っています。

 新しき世界=神代・神の国では国境と言う概念はありませんから、全世界の国々は国家の壁を越えて残り、各国家の分権とか性質や特色を維持しつつも、やがて紆余曲折を繰り返しつつ、一つの地球連合(共同)体として統一されて行くと思われます。
 昔から伝えられている「八紘一宇」の精神と言うか思想の考え方も、そこから由来しているのです。
 『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)になさむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したものです。
 西洋的な思想の文化である征服とか植民地の支配と言う意味とは全く違います。
 これは、宇宙の働きと同じで原子構造の様に中心帰一(八紘一宇・精神の霊的な中枢)による、聖なる社会システムの許で正しい世界政治(政府)が行われる様になり、本当の平和と幸せが訪れるでしょう。
 宇宙的な法則に基づいて法律とか政策の立案は人智の思考を越えた、神界からのインスピレーションによるメッセージにより決定されます。

 日本には合気道・武士道の精神以外にも、スポーツになった柔道・剣道・弓道とか、華道、茶道など精神の修養や鍛錬を重んじる道義が沢山あります。
 今の日本(大和)人の宗教観を見ると初めに日本神道があり、後に入って来た仏教も拒否しないで取り入れ、日本神道を捨てる事も無く、さらにはキリスト教が伝来されても拒否しないで夫々を取り入れて渾然一体として、不思議にも共存しているのです。
 一般の家庭の多くには、伊勢などの神棚があり、仏壇もあったり、新興宗教の祭壇もあったりと混在しているのです。
 これは欧米や中近東の様な民族では排他的な宗教であり見られない光景です。
 だからこそ、日本(大和)民族こそが全ての種族、民族を調和・統合に導き真の平和を構築する使命があると言われる所以です。
 真の平和と幸福を構築し世界の手本に成れる国は日本なのです。様々な宗教が互いに排除したり争い合うのではなく混然と共存し共生出来る民族は日本(大和)民族だけです。

 私たちは高い人格(霊格)とか完成された品性(霊性)である美しい魂や磨かれた魂を、造っていくためには地上生活に於いて課題・試練という、辛苦・難儀・悲痛などを体験する課程がどうしても必要なのです。
 守護霊たちはどのようにして毎日をより善く生きて行くのかを、日々の課題にしてほしいと願っています。
 あなたの未来の人生はあなた自身の過去と今と今後の生き方に関わってくる訳ですが、過去は変えられませんから今という時間にベストを尽くして生きることです。
 それぞれの次元領域にはそれぞれの異なるルール(法則)が在り、それを曲げることは真理を曲げることになるのです。
 この地上世界を豊かにすることや快適な楽園とか平和と安全とか安心や幸せにすることも、また真理に叶ったことなのです。
 そのためには唯単に精神的なものだけでなく、それぞれの時代や風土や郷里とか、人種や民族に於いて新しい政治や新しい国家、新しい文化や宗教観とか、新しい社会などのような政策としての環境の整備がなくては、新たな精神文化も生まれては来ないものです。

真の人間の条件は自由と権利を与えられ持っているが故に諸刃の剣と成り得る

 真の人間の条件は、神と同じような自由と権利を与えられ持っているということです。
 その自由とは想像する自由です。私たちの心で想念したり創造する自由は、善い方向にも悪い方向にも同じように想いの行為が可能であり、どちらの方へも向けられるという「諸刃の剣」であることを再認識しなければならないでしょう。
 つまり人間に許された自由意志と自由判断と、言動の自由という尊重される権利は私たちにとっては「諸刃の剣」と成り得るのでもあるのです。
 思考の想念は、潜在意識にイメージとして蓄積され、「創化の法則」によりやがて具体化されます。
 自分の運命は基本的には本人の責任ではありますが、目先の損得とか偏狭と独断な考えをしないで広く大らかな心を持って、包容力と柔軟性の考えを持ち常に内観を実践して何事にも「我唯足るを知る」ことと、自らを省みて人生の軌道修正をしながら向上して生きる心・意思を持つことです。
 守護霊たちに許されている行為は、心の想念である霊波のメッセージを受け取れることが出来る人を通して、天上界の声を間接的にではあるけれども伝えることが出来るのです。

 これからの人々は人格(霊格)と品性(霊性)の進化向上と魂的な覚醒に伴い、自らの神性が啓発されて次元上昇(アセンション)すると共に、意識・精神の進化も急激に起こります。
 今まで閉ざされた偏狭な意識・精神は転換が始まって宇宙的な拡大が起こり、人類の潜在的な共通(集合)意識とか統一意識へと徐々に繋がって一体感に目覚めて行きます。
 意識の拡大により潜在意識から共通意識へと進み、さらに統一意識を通して宇宙的な一体感に目覚めると、完全意識からは宗教の目的と役割は終了して、宗教・神社・仏閣・礼拝堂・巡礼地(お札所)などの必要性は徐々に無くなります。
 そして、数年〜十年前を振り返って見れば私たちの多くが、既に新しい意識レベルに移行していることに気付くでしょう。
 快川禅師の宗教的な修行で「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」といった境地にさえなれるのでしょう。
 皆さんは意識を高尚に保ち人格・品性を高めて、次元上昇を果たし現世で欺瞞・虚偽・虚構世界の呪縛を脱皮して、様々なネガティブな災禍と報道を気にせずに、上位の階層領域に居て下位の階層領域にあるその横(パラレルワールド)を難なく通り抜けてください。

 現在が不運の人は過去世から今までに余徳・積徳を食い潰して、無形の借財を背負った結果ですから、自ら生き方の反省をして困難は自らを高める試練であり、チャンスだと考えて、大いに世の中へ奉仕・貢献・報恩する様に心掛けて努力をすれば、借財を返済することが出来るでしょう。
 無形の借財とは「天の倉」にある余徳・積徳が不足していることを意味し、世の中へ奉仕・貢献・報恩の精神で、生かされていることに感謝してベストを尽くして働けば、高次元の世界と波長が合いますから、何事にもスムーズに進み、自然と「天の倉」へ徳を積むこととなり、知らず知らずの内に少しずつ幸運と安泰の人生が訪れるようになります。
 広池学園のモラロジーには「天爵を修めて人爵これに従う」と云う、格言がありますが、天爵とは天の倉に貯えた徳を意味して、人爵とは自分の運命や境遇に相当して日々の生活は、徳の分量に従って展開して行くという意味になります。
 つまり、人生に於いて無駄とか、損失は一切ないと言えます。

大恩人に対する認識と尊敬と恩恵なる借財があり報恩に務める

 私たちは日頃に感謝や奉仕・貢献が必要なのは、今日の様に高度な社会の仕組みや体制を造り上げ、素晴らしい文明と快適な文化とを発達させ築いてきて豊かで便利な生活が出来るのは、献身的に努力された多くの先人や先輩があったからであります。
 私たち人間社会の政治・統治・司法・行政・金融・経済・産業・学問と教育など、制度や機構を整え維持や発展のために、世の中に尽くされた義務先行者の内で、特に私たち人類の進化、発達、安心、平和、幸福、繁栄の実現のために貢献された人類一般に共通する大恩人があります。
 その種類は大別すると国家生活の恩人、家庭生活の恩人、精神生活の恩人があり、他に物質生活上の系列による恩人もあります。
 この様に私たちは実に様々な人々の恩恵によって、今日の便利で快適で豊かな生活が営まれているのです。理解できますか。

 大恩人に対する認識と尊敬が心(精神)に入っていない人は誰であろうと、恩恵と言う借財に対して先ずは気付いて社会への報恩の務め(責任を果たす)として、仕事や地域のボランティア活動などを通じて感謝の心で奉仕・貢献をしない様では、一人前の独立自由人の人格者としての資格を欠く狡い卑怯者・未熟者であります。
 そこで、私たちにはそれらに対して恩恵を知り、尊重して感謝しご恩返しをする義務(借財を背負う)というものが誰にでもあり、人生で物事が思い通りに進んで行かないのは、未だ、あなたの人生に様々な恩恵の借財がまつわり付いているからです。
 多くの人々から知らない内に、様々な恩恵を受けている(借財を背負う)ことを知る必要があるという事で、これら恩人に対して私たちは生まれながらにして何某の借財を背負っていますから、尊敬し感謝の気持ちで借財の返済として、自らの個性・才能・特技を活かし社会へ奉仕と報恩の心遣いと、実践が不可欠になります。

 私たちは意識と言動を高尚にする事は勿論の事、今日の豊かさや便利さや快適さや幸運を齎してくれた祖先や父母を始め、多くの先人・先駆者の知恵や技術や教えなどの苦労に対して、感謝や報恩をすると共に世の中へ奉仕・貢献などを通して、自己を磨き人格・品性を高めて徳を積む事も大切なのです。
 ここで献金・奉仕・貢献などで他者に「与える」ことは、何もこちらが他者に必要な金品などを無闇に投げ与えることではなく、建設的な他(第三)者や公のことに献金・奉仕・貢献するということです。
 自ら学び実践して心・意識を支配して負カルマの浄化とか、足枷である有形・無形の借財や恩恵を感謝と愛念の気持ちで返して、一人前の身軽な自由人になる必要もあります。
 ですから、これらの恩人に対して私たちは生まれながらにして借財を背負っていますから、それら借財の返済として社会へ奉仕と報恩の良し悪しの心遣いと言動により、年月を重ねる内に借財の分量によりその人の幸不幸が決まり、興亡盛衰の結果として現れる訳です。
 一朝一夕のことではありません。真の幸福生活を得ようと思い立ったら、それなりの勉強と努力をして弛まない実践が大切でしょう。

人生はプラスに進んだりマイナスに進んだりして行く

 現代に於いては特に分業が進み、自給自足などと言う事は不可能に近いものです。
 つまり、人が生きるということは他の人のお世話になり、何かをしてもらう事であり、借りを作ることなのです。
 要するに、多くの人々から様々な恩恵を受けている(借財を背負う)訳です。
 また反対に、人が生きるという事は人々をお世話して、為になる何かをしてあげる事であり、貸しを作る事でもあるのです。
 これが報恩である訳で、歌手の永六輔氏も言われています。

 この様に私たちが生きる道は、2020/8/13「開運法は報恩と魂の修行で」にある「カード型人生」で述べています様に、常にプラス(プリペイド・報恩・奉仕)に進んだり、マイナス(クレジット・借財・恩恵を受ける)に進んだりして行くものであります。
 そして、それらの総計が年月を経て積み重なって行くと、その人の境遇・運命として形成されて決まるのです。
 人間の運命が現象的に変化していく過程(プロセス)には、その人が自らの心遣いと言動により、天の倉に貯えた徳の分量に応じて、直線的や曲線的に随時スムーズに移行するとは限りません。
 それは、ある時期を経て一種のヒステリシスの軌跡を伴いながら、シフトのアップとか、或いはダウンのステップを、何回も段階的に繰り返されて進んで行く様であると考えられます。

什一献金について

 什一献金というのは、旧約聖書の概念で、「新約聖書」に出てくる10分の1の献金に続きます。

イエスの時代
 一般に新約聖書と呼ばれる部分で、イスラエル人はイエスが地上にいた時に依然として収入の10分の1を、神に仕える人たちに求められて納めていました。
 イエスはこの規定を守る必要性を認めていましたが、厳格に10分の1を納めていた宗教指導者たちを非難しました。
 何故なら、彼らは「律法の中のもっと重大な事柄、すなわち公正と憐れみ(あわれみ)と忠実を無視して」いたからです。(マタイ 23:23)

イエスの死後
 イエスの死後、10分の1を納める規定は破棄されて求められなくなりました。
 イエスが犠牲の死を遂げたことにより、モーセの律法は廃止されて「収入の10分の1を徴収する」という掟もなくなりました。(ヘブライ 7:5-18。エフェソス 2:13-15。コロサイ 2:13-14)

 先日、什一献金について考えていましたら、これはスポット的だと頭を過ぎりました。
 つまり、毎年とか毎月に決まった会費とか献金とか奉納を定期的に継続するのではなく、その年やその時の状況に応じて出来る場合と出来ない場合があり、しかも収入の10分の1を拠出するにしても、自発的な会費・お布施・寄付金・献金・奉納などの総額した最大値であり、殆どはそれ以下が多かった様です。
 財産や収入の事を考えずに無闇に多額を会費や献金に費やして、親子・兄弟姉妹・親戚などとの喧嘩が絶えないとか、日常の生活が破綻したら本末転倒でしょう。
 ここで何の為の会費・お布施・寄付金・献金・奉納なのかを、基本・根本に戻って考える必要があります。

 当時とは社会的な背景も制度も異なり、什一献金についても其の儘の方法が通用するとは言えないでしょうし、入信して直ぐとかでなく気持ちが大切であり、その心境になってからでも遅くはありません。
 収入に対して健康保険や年金保険とかの社会保障の支払いなどもあり、他には、地域の神社仏閣への賽銭や奉納とか奉仕活動などもあります。
 ですから、他へのお布施・寄付金・献金・奉納なども含めて、総計の什一献金と見るべきであり、一つの宗教団体へ献金する額は少なくなる筈であり、様々な項目を考慮すれば1%程度になるかも知れません。
 不動産や有価証券などの資産が在るからと言って、売却してまで無理に献金をするのはいかがかと思います。

 運勢鑑定の手法を使って不安や恐れを煽り付け込み、何か人を脅かすような言葉を巧みに含ませて開運や改善や願望に必要と、ネックレス・印鑑・壷・仏像などを高額で買わせる霊感商法と称する、怪しげな宗教などに騙されている信者もいます。
 それは自分に甘い所や弱い所や甘える所や縋る面と期待があるとか、心の隙・油断・依存心があることを気付かせてくれたり、「負カルマ(業)」において某の借財があり、それなりに大金を放出しなければならない運命である場合もあります。

 世界の国々の中には、かつて什一献金に匹敵する税金を徴収していた時代がありました。
 今の日本では、消費税が10%にもなり低所得者の人には収入が即に支出となり、什一献金に匹敵する額になり賃金格差による生活の質が大きく開き低下して、庶民のなけなしの生活費まで毟り取る有様で、消費税の負担率が不公平だとの意見も聞かれます。
 高収入の人々はその割に支出が多くなりませんから、余剰金は資産運用として主に投資や投機へと廻しますから、虚構経済である株価や商品相場を高める方向へと働き、配当金などで資産を増やします。
 一方の庶民では、商品相場の高騰により物価高の影響を諸に受けて、生活の質が低下して疾苦八苦している状況で、高所得の人々とか特権階級とか上級階級で暮らす富裕層の人々は知らない内に、利己心から共存共栄の原則を蔑ろにして「砂上の楼閣」に成り下がっていても気付けないのです。

真に人を救うには何が必要か
人が救済される要件シリーズ 当旧HP 2002/12/16

金品の援助と人心の救済

 それぞれの次元にはそれぞれのルール(法則)が在りますから、それらを曲げることは真理を曲げることになるのです。
 つまり私たちは人間として肉体を持って地上に生きている間は、物質抜きでは1日として生きて行けなくて物質を軽んじることは出来ないでしょう。
 そういう意味に於いてこの地上世界を豊かにすることや、楽園とすることもまた真理に叶ったことなのです。

 国民は仕事も家庭も順調であったところで、国家が内戦や他国との戦争などで情勢が不安定では安住できる状態ではありませんから、早急に戦争を終結して平和な国造りが必要になります。
 そのための社会事業として難民などの救援を始めとして、金品や平和維持活動による援助もある程度は必要なこともあります。
 しかし、人は余りにも心が物質的なものに捉われて個人主義的な心の持ち方となり、全体生命なる神仏との波長が普通以下になってくる時、健全な生活が出来なくなり、色々なトラブルなどが現われて来るようになるのです。
 ですから私たちは常に心の在り方を調べて、大生命の声なき声の導きを心の中で直感とか霊感として、感じ取ることが出来るように修養しなければならないのです。
 そのためには日頃から真理を学び実践して体得をする必要があり、先ず真理を知らせる愛行の伝道・法施が大切なのです。

 奉仕をするにしても2つの方法があります。
 身体を使うような奉仕活動と金品を寄附や奉納する行為にです。
 人は金品や物事に依存したり執着すると心は迷い生き方を見誤ります。
 金品や物事という現象界に心を捉われて生活していれば、皆ことごとくに結局は絶望する他はないのです。
 物質的なものを追求して、それらを掴んだと思ったところで、真に魂の喜びとか満足は得られなく、最後までそれで幸福だとか楽しいとか充足だとか生き甲斐だ、ということは到底あり得ないからです。
 なぜなら現象界は無常ですから年月と共に移り変わって行く世界なのだからです。
 ですから人は現象界に幸福感を追求したところで、この世にある物質的なものでは無理だという絶望感の果てに、現象というのは掴むに足らんものだとか追求するに足らん世界だと分かり、現象を超えた観点から自分の生き方や人生観を心機一転することで、真理の光を仰ぎ見ることになるでしょう。

 このように、慈善事業で金品などの援助のみの恩恵では何かと不足であり大きな誤りが生じますから、それと共に先ず真理に導いて人心の開発として感謝の心や報恩の心、慈悲(利他)の心などを移し植える法施も併用して人助けとして必要なわけで、それらの人々が真理を実践して体得することで心・魂が救済されるようになります。
 3人寄れば文殊の知恵と云われるように各自の天分である個性や才能を引き出して、獲得した私財や才能を真心の愛念と報恩で皆が力を合わせて、協力と援助と奉仕をする気持ちで活用すれば、皆さんの想いは天に通じて奇跡が起こることでしょう。
 それにより人類を悩ましている、自然破壊や環境汚染と気候変動とか様々な紛争などの危機とか、皆んなに質の高い教育とか難民や貧困や飢餓なども難なく解決し、安全な水の確保とかエネルギー問題とか、国や地域による人の不平等とか、平和と公正を全ての人に行き届く方策により解決すれば 地上にユートピアも出現することでしょう。

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 2013/2/14(2020-05-03)「宗教の目的と役割とは」と、同(2020-04-27)「真に人を救うには何が必要か」と、2021-08-27「宗教家は役割を忘れて堕落し放棄で担い手に第2プラン第3プランを発動」があります。

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