金銭を愛することは、すべての悪の根源です。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおしています。(第一テモテへの手紙第6章10節)
人間の属性・欲は、「お金・銭が沢山あるから、もう要らない」ではなく、現状の豊かさに満足出きなく、もっと欲しくなることなのです。これが、七つの大罪の1つである、強欲でしょう。
金銭を愛することは、お金・銭に執着することであり、神の存在よりもお金・銭の存在を大事にすることなのです。そしてお金・銭を愛した人達は、ソドムとゴモラの町のように消滅していくのです。
お金・銭によって人生の幸せを得ることが出来ると言うのは、ただの妄想にしか過ぎなく、幸福以外のあらゆるもの(物質的)を供給することのできる、万能の供給者なのです。また、お金・銭は、天国以外のどこにでも持って行くことのできるパスポートなのです。
金銭自体は良くも悪くもありません。金銭への欲望が悪いのです。そして使う人の心によって使い方が大きく変わっていくのです。欲望のために、大金持ちになって、かえって不幸を招いたり、人生の悲惨な結末を迎えたという人々も多いのです。
例えば、前記で紹介した史上最高の金融詐欺バーナード・メイドフは、金持ちから多額の金額を集め、彼自身2億4000万ドルを稼ぎました。しかし懲役150年の罪、更に彼の息子は首吊り自殺をして、家族まで崩壊させています。この例は、「お金を追い求めたために、非常な苦痛をもって自分を刺し通した」ことと思います。私達も気を付けなければなりませんね。
サイコパス(反社会性人格障害者)という精神病の言葉があります。これは、良心や善意を持っていない人のことです。普通、どんな悪人でも少しの良心を持っているはずなのですが、サイコパスは、自分に無関係の世界に存在する私達に、一切同情も共感もなく、退屈しのぎのために人を騙したり、傷つけたりするのです。まったく良心がない人達なのです。また、このような人達は、お金・銭に対して一切罪悪感を持たないのです。
悪人とは、一般的に反社会的な行動、即ち人に害となる行動を繰り返す人達で、お金・銭で人を殺す殺し屋、賄賂を受け取ることを目的に権力を拡大する政治家や宗教家などです。そしてサイコパスは、何かの動機があれば、ためらうことなく他人の弱みに付け込むのです。
また、私達の潜在意識には、悪人でも心のどこかに良心を持っていると信じているのですが、サイコパスは、人をだましても、罪悪とは一切感じず、潜在意識にも罪悪感の記憶は一切無いのです。そしてサイコパスは自尊心が高く、貶されることが大嫌いで、嫉妬心は異常なのです。
「お金、お金、お金」を常に追いかけていると、サイコパスのように罪悪感がまったく無くなり、自然に正当化してしまうのです。
科学は人間にとって素晴らしい力をもたらしてくれますが、その利用の仕方によっては、逆に害をもたらすでしょう。その良い例が、原子爆弾でしょう。そして私達の頭の中に存在する潜在意識は、このような力を持っているのです。
地上に属する全てのものは、必ず消えて無くなるものです。ですので、私達は、それらの物質に頼るのではなく、永遠に続くものを頼るのです。それは、神の愛に従い、天国に宝を蓄え、真の平安と幸福を得る事を求めることです。それが出来なければ、本当のお金・富を得ることは出来ないのです。
お金・銭が儲かるのであれば、何をしても良いという方もいらっしゃいますが、その考えは、サイコパスになる第一歩なのです。だから、お金・銭を愛すると、目がくらみ、全てを失うことになるのです。ただしサイコパスはDNAの一部が生まれつき損失しているため、助けようが無い場合がほとんどです。
またソシオパス(社会病質者)という精神病があります。ソシオパスは、親の育て方、環境などによる後天的な精神病です。そしてサイコパスと同様な行動をします。
サイコパスやソシオパスから攻撃を受けやすい人達(特にお金・銭の話にだまされる人達)の性格をリストしますので、これらに当てはまる人達は、サタンが待ち受けていますので、要注意してください。
1)自分に自信がない人
2)自分の意見を人の前ではっきり言えない人
3)罪悪感を感じやすい人
4)自分を犠牲にしても、相手の願望を優先してしまう人
5)常に恐怖感を持ている人
ここでキリスト教の「七つの大罪」について紹介します。なぜならば、罪の内容を知ることで、黄金律の「自分を愛する」ということがもっと理解できると思います。
人間は生まれたときから「神」から「罪」を知らされたのです。それはアダムとエバが神の言葉に従わなかったことから始まっています。そして人間を罪に導いたサタンが常に私達に攻撃をかけて来るのです。
「神を無視」して自分勝手に生きている人間は、さまざまな「罪」を犯すようになるのです。
七つの罪源のリストは、人間の生活の中で、毎日繰り返されているものです。すでにお気つかれしている読者の皆様は沢山いると思いますし、これらの罪を隠しても、神の前では、罪人となるのもご承知だと思います。それを知ることが道徳上の知識なのです。
人間は、罪を犯せば、後で必ずその結果を刈り取ることになります。その結果は、バイブルには、死なのです。ですのでサタンの誘惑に誘われないように要注意してください。
話は変わって、イエス・キリストを裏切ったユダの話をしましょう。(マタイの福音書22、マルコの福音書14章、ヨハネの福音書12章、使徒言行録1章)
イエス・キリストはダビデ王の血を引くユダヤ人でした。そして33年の人生の内に父のヨセフから受け継いだ大工仕事と伝道をしていました。その間に12人の弟子即ち使途が出来たのです。その12番目の弟子であるイスカリオテのユダは、イエス・キリストが蓄えた資金と、弟子を養うための献金などを管理する会計係を務めていました。
しかし、イスカリオテのユダはイエス・キリストを裏切ったのです。
イスカリオテのユダは、献金などの貯蓄からいつも盗んでいたのです。そして、その恐怖心、疑心、嫉妬などによって、お金・銭を目当てのため、当時の奴隷1人分の価値であった銀貨30枚で、ユダヤの大祭司長達に、イエス・キリストを引き渡すことを約束してしまったのです。
そのころ、ユダヤ選民思想を持つユダヤ人達は、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ派、エッセネ派の3宗の宗教を信じていました。しかし、その中のパリサイ派の戒律の不徹底と、偽善ぶりが目に余るものだったために、イエス・キリストは、ユダヤ教が提唱する神、即ち人を裁く神である事に対し、神は全ての者に無差別で平等の愛を与える神だと批判したのです。
これに対し大祭司長、律法学者、長老達は、神を冒涜、宗教的権威に逆らうとして、イエス・キリストを十字架に架けようと、ユダヤ市民に訴えたのです。
そして、イエス・キリストは、イスカリオテのユダの裏切りのために捕まり、総督ピラトのまえで裁判され、鞭をうたれ、十字架を背負わされて、苦痛の道行き(ヴィア・ドロローサ)をして、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたのです。
このときの苦痛の道行きをキリスト教信者に知らすために、裁判(出発点)から始まって死刑(終着点)に至るまでに、14箇所に留が儲けられています。カトリックの教会には、この14箇所のシーンが壁に掲げられています。
イエス・キリストが最高法院に連れられ判決が決まったことを知り、イスカリオテのユダは後悔します。そして、ユダは銀貨30枚を祭司長達や長老達に返しに、最高法院に行って、「私は罪を犯 した。罪のない人の血を売ったりして」と祭司長達に言ったのですが、彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」とつき返されてしまうのです。
そこで、イスカリオテのユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、非常な苦痛をもって首吊り自殺をするのです。
このイスカリオテのユダは、バイブルでは非常に重要な部分を努めている人物なのです。それは、イエス・キリストを十字架に架けることで、キリスト教の信仰が始まったのです。神が使わした者なのです。
このように神の計画は、すごいものがありますでしょう。そして私達は、神が創造された最高の作品なのです。たびたび書いておりますが、このことを決して忘れないで下さい。
本当のお金・富を築き上げたい読者の皆様、現在、幸福で心が満足りているのであれば、すでに富を得ているのことなのです。私達は、1円たりとも身につけてこの世に生まれたわけではありません。また、この世を去る時にも、1円たりとも持って行くことは出来ません。
しかしお金・富を築きたい人達、特に金持ちになりたがる人達は、儲け話には見境がなく、すぐ罪悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには、地獄へ送り込まれることにな ります。イスカリオテのユダのようにならないように気をつけてください。
サタンの誘惑に誘われ、お金・銭を追いかけてしまい、心の眼までつぶされ、本当のお金・富を得ることが出来なくなってしまわないように、神の贈物である盾、鎧、兜で防御してください。決してお金・銭を愛してはいけません。そして神に感謝、感謝、感謝することです。
人間の属性・欲は、「お金・銭が沢山あるから、もう要らない」ではなく、現状の豊かさに満足出きなく、もっと欲しくなることなのです。これが、七つの大罪の1つである、強欲でしょう。
金銭を愛することは、お金・銭に執着することであり、神の存在よりもお金・銭の存在を大事にすることなのです。そしてお金・銭を愛した人達は、ソドムとゴモラの町のように消滅していくのです。
お金・銭によって人生の幸せを得ることが出来ると言うのは、ただの妄想にしか過ぎなく、幸福以外のあらゆるもの(物質的)を供給することのできる、万能の供給者なのです。また、お金・銭は、天国以外のどこにでも持って行くことのできるパスポートなのです。
金銭自体は良くも悪くもありません。金銭への欲望が悪いのです。そして使う人の心によって使い方が大きく変わっていくのです。欲望のために、大金持ちになって、かえって不幸を招いたり、人生の悲惨な結末を迎えたという人々も多いのです。
例えば、前記で紹介した史上最高の金融詐欺バーナード・メイドフは、金持ちから多額の金額を集め、彼自身2億4000万ドルを稼ぎました。しかし懲役150年の罪、更に彼の息子は首吊り自殺をして、家族まで崩壊させています。この例は、「お金を追い求めたために、非常な苦痛をもって自分を刺し通した」ことと思います。私達も気を付けなければなりませんね。
サイコパス(反社会性人格障害者)という精神病の言葉があります。これは、良心や善意を持っていない人のことです。普通、どんな悪人でも少しの良心を持っているはずなのですが、サイコパスは、自分に無関係の世界に存在する私達に、一切同情も共感もなく、退屈しのぎのために人を騙したり、傷つけたりするのです。まったく良心がない人達なのです。また、このような人達は、お金・銭に対して一切罪悪感を持たないのです。
悪人とは、一般的に反社会的な行動、即ち人に害となる行動を繰り返す人達で、お金・銭で人を殺す殺し屋、賄賂を受け取ることを目的に権力を拡大する政治家や宗教家などです。そしてサイコパスは、何かの動機があれば、ためらうことなく他人の弱みに付け込むのです。
また、私達の潜在意識には、悪人でも心のどこかに良心を持っていると信じているのですが、サイコパスは、人をだましても、罪悪とは一切感じず、潜在意識にも罪悪感の記憶は一切無いのです。そしてサイコパスは自尊心が高く、貶されることが大嫌いで、嫉妬心は異常なのです。
「お金、お金、お金」を常に追いかけていると、サイコパスのように罪悪感がまったく無くなり、自然に正当化してしまうのです。
科学は人間にとって素晴らしい力をもたらしてくれますが、その利用の仕方によっては、逆に害をもたらすでしょう。その良い例が、原子爆弾でしょう。そして私達の頭の中に存在する潜在意識は、このような力を持っているのです。
地上に属する全てのものは、必ず消えて無くなるものです。ですので、私達は、それらの物質に頼るのではなく、永遠に続くものを頼るのです。それは、神の愛に従い、天国に宝を蓄え、真の平安と幸福を得る事を求めることです。それが出来なければ、本当のお金・富を得ることは出来ないのです。
お金・銭が儲かるのであれば、何をしても良いという方もいらっしゃいますが、その考えは、サイコパスになる第一歩なのです。だから、お金・銭を愛すると、目がくらみ、全てを失うことになるのです。ただしサイコパスはDNAの一部が生まれつき損失しているため、助けようが無い場合がほとんどです。
またソシオパス(社会病質者)という精神病があります。ソシオパスは、親の育て方、環境などによる後天的な精神病です。そしてサイコパスと同様な行動をします。
サイコパスやソシオパスから攻撃を受けやすい人達(特にお金・銭の話にだまされる人達)の性格をリストしますので、これらに当てはまる人達は、サタンが待ち受けていますので、要注意してください。
1)自分に自信がない人
2)自分の意見を人の前ではっきり言えない人
3)罪悪感を感じやすい人
4)自分を犠牲にしても、相手の願望を優先してしまう人
5)常に恐怖感を持ている人
ここでキリスト教の「七つの大罪」について紹介します。なぜならば、罪の内容を知ることで、黄金律の「自分を愛する」ということがもっと理解できると思います。
人間は生まれたときから「神」から「罪」を知らされたのです。それはアダムとエバが神の言葉に従わなかったことから始まっています。そして人間を罪に導いたサタンが常に私達に攻撃をかけて来るのです。
「神を無視」して自分勝手に生きている人間は、さまざまな「罪」を犯すようになるのです。
七つの罪源のリストは、人間の生活の中で、毎日繰り返されているものです。すでにお気つかれしている読者の皆様は沢山いると思いますし、これらの罪を隠しても、神の前では、罪人となるのもご承知だと思います。それを知ることが道徳上の知識なのです。
人間は、罪を犯せば、後で必ずその結果を刈り取ることになります。その結果は、バイブルには、死なのです。ですのでサタンの誘惑に誘われないように要注意してください。
話は変わって、イエス・キリストを裏切ったユダの話をしましょう。(マタイの福音書22、マルコの福音書14章、ヨハネの福音書12章、使徒言行録1章)
イエス・キリストはダビデ王の血を引くユダヤ人でした。そして33年の人生の内に父のヨセフから受け継いだ大工仕事と伝道をしていました。その間に12人の弟子即ち使途が出来たのです。その12番目の弟子であるイスカリオテのユダは、イエス・キリストが蓄えた資金と、弟子を養うための献金などを管理する会計係を務めていました。
しかし、イスカリオテのユダはイエス・キリストを裏切ったのです。
イスカリオテのユダは、献金などの貯蓄からいつも盗んでいたのです。そして、その恐怖心、疑心、嫉妬などによって、お金・銭を目当てのため、当時の奴隷1人分の価値であった銀貨30枚で、ユダヤの大祭司長達に、イエス・キリストを引き渡すことを約束してしまったのです。
そのころ、ユダヤ選民思想を持つユダヤ人達は、パリサイ派、サドカイ派、ヘロデ派、エッセネ派の3宗の宗教を信じていました。しかし、その中のパリサイ派の戒律の不徹底と、偽善ぶりが目に余るものだったために、イエス・キリストは、ユダヤ教が提唱する神、即ち人を裁く神である事に対し、神は全ての者に無差別で平等の愛を与える神だと批判したのです。
これに対し大祭司長、律法学者、長老達は、神を冒涜、宗教的権威に逆らうとして、イエス・キリストを十字架に架けようと、ユダヤ市民に訴えたのです。
そして、イエス・キリストは、イスカリオテのユダの裏切りのために捕まり、総督ピラトのまえで裁判され、鞭をうたれ、十字架を背負わされて、苦痛の道行き(ヴィア・ドロローサ)をして、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたのです。
このときの苦痛の道行きをキリスト教信者に知らすために、裁判(出発点)から始まって死刑(終着点)に至るまでに、14箇所に留が儲けられています。カトリックの教会には、この14箇所のシーンが壁に掲げられています。
イエス・キリストが最高法院に連れられ判決が決まったことを知り、イスカリオテのユダは後悔します。そして、ユダは銀貨30枚を祭司長達や長老達に返しに、最高法院に行って、「私は罪を犯 した。罪のない人の血を売ったりして」と祭司長達に言ったのですが、彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」とつき返されてしまうのです。
そこで、イスカリオテのユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、非常な苦痛をもって首吊り自殺をするのです。
このイスカリオテのユダは、バイブルでは非常に重要な部分を努めている人物なのです。それは、イエス・キリストを十字架に架けることで、キリスト教の信仰が始まったのです。神が使わした者なのです。
このように神の計画は、すごいものがありますでしょう。そして私達は、神が創造された最高の作品なのです。たびたび書いておりますが、このことを決して忘れないで下さい。
本当のお金・富を築き上げたい読者の皆様、現在、幸福で心が満足りているのであれば、すでに富を得ているのことなのです。私達は、1円たりとも身につけてこの世に生まれたわけではありません。また、この世を去る時にも、1円たりとも持って行くことは出来ません。
しかしお金・富を築きたい人達、特に金持ちになりたがる人達は、儲け話には見境がなく、すぐ罪悪に走ってしまいます。その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには、地獄へ送り込まれることにな ります。イスカリオテのユダのようにならないように気をつけてください。
サタンの誘惑に誘われ、お金・銭を追いかけてしまい、心の眼までつぶされ、本当のお金・富を得ることが出来なくなってしまわないように、神の贈物である盾、鎧、兜で防御してください。決してお金・銭を愛してはいけません。そして神に感謝、感謝、感謝することです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます