悪くない奴らが成功するには、イエス・キリストの誕生・聖誕・降誕を理解すること
日本でも海外でも宗教を信仰する人々がそれらの宗教に関して理解している人々は少ないと思われます。そして日本では成功している中小企業の片隅に神棚を祭って、お祈りを下げている経営者は多く見られます。
この信仰の基礎は先祖や神に感謝を示すものであり、ユダヤ教は仏壇などのしきたりはありませんが、常に先祖であるアブラハム・イサク・ヤコブを通し神をあがめます。キリスト教はイエスキリストを通して神をあがめます。
全ての宗教は、各々の神が存在し、各地でそれらの神々から祝福をもたらしてもらうためや、感謝をささげる儀式・行事・祭りが行われます。
キリスト教においては、年に2回キリストのエピソドを基にした大儀式・大行事・大祭りが世界的に行われます。そのひとつがイエスの生誕・聖誕・降誕祭なのです。そしてもう1つはイースター(復活祭)です。
前回はマリアに天使が現れ、身ごもることを知らされたことに関しての記述でした。今回はイエスの誕生に関してフォーカスしましょう。
当時のユダヤ教におけるメシア(救世主)は、ダビデ王の子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす者と預言者ミカは予言しているのです。
「ベツレヘム・エフラテよ。貴方はユダの氏族の中で最も小さいものだが、貴方の内から、私のために、イスラエルの支配者になる者がでる。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ書第5章2節)
またメシアは、香油を塗られた(神に祝福された)祭祀者・ユダヤ民族の王を指しています。そしてメシアのギリシア語が「クリストス=キリスト」で、ナザレのイエスが、その後イエス・キリストとなったのです。
イエスの降誕・誕生・聖誕は位置的に見て白色人・黄色人・黒色人の3大人種が交わる接点においてエピソードが起こったのです。いわゆる世界の中心に当たるわけですが、神が世界平和を求める舞台を選んだわけです。西洋人のためでも、東洋人のためでもない、全世界の人々のためにイエスを処女マリアから生誕・降誕・聖誕されたのです。このことをしっかり頭の中に入れて置いてください。
またほとんどの世界の暦は、「西暦」と呼ばれるものが使用され、イエスの誕生・降誕・聖誕の年を「紀元」と定められました。紀元前の英語はB.C.(Before Christ)と呼ばれ、紀元以降はA.D.(Anno Domini)主の時代(ラテン語)と呼ばれています。このようにイエスは世界の歴史を変えたわけです。
当時のローマ帝国(西洋)は、地中海周辺の国々を制覇しており、英国・フランス・スペイン・ユダヤの国々はローマの植民地でした。そのために「全ての道はローマに通る」と言われていました。更に共通語はギリシア語が共通語として使われて、文化的にも統一を図っていたのです。その結果、領土が広がり経済が繁栄していき、最大の帝国を創り上げて行ったのです。「ローマは一日にして成らず」とは700年かけて創り上げた結果の諺でしょう。
さて今回のサブジェクト生誕・降誕に戻りますが、当時、人口調査の際には、人々は自分の生まれ故郷に帰ることが定められていました。そのため、ヨセフとマリアはロバでガリラヤ地方の「ナザレ」の町から離れ、ベツレヘムに向かいます。
ベツレヘム産まれという戸籍がそれほどの価値のあることは、ユダヤ人の英雄であるダビデ王の出身地だからです。そのためにベツレヘムは戸籍を登録する人達のために大変混雑をしていたわけです。
ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。 (サムエル記上第17章12節)
そしてベツレヘムに着きますが、そのころ戸籍登録だけではなくユダヤのお祭り(仮庵祭=かりいおりさい)も重なって大変にぎわっており、泊まる宿が無かったたのですが、仮庵に泊めてもらい、そこで出産したのです。そして飼い葉桶を借り、そこにイエスを布にくるめて横たえたのです。予言通りイエスは処女マリヤの胎から生まれたのです。
仮庵祭とは、ユダヤ人の収穫感謝祭で、三大祭の一つで、過越祭、五旬祭と並ぶもので、因みに仮庵という名前は、祖先が「出エジプト」の時、荒野でテントに住んだことを記念し、祭りの際には柳の枝やなつめやしの葉そしてカーテンで造った仮設の家(仮庵)を建てて、流浪の中でも守ってくれた神の恵みに思いをはせるのです。
以下は聖書から、イエスの誕生・降誕に関しての記述です。
マタイの福音書第1章24~25節:
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
ルカの福音書第2章1~7節:
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
悪くない奴らが、人生の意味そして目的が理解する時、生き生きとした喜びのある人生を送ることができるのです。それが人生における成功なのです。
ヨハネの福音書1章12節には、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」とあります。
神はイエス生誕・降誕を通じて私達に目的を与え、その意味を与えて下さったのです。それが奇跡である処女マリアからの生誕であり、神がイエスを通して私達人間との交話を可能にし、神の恵み、豊かな愛、希望、真理を与えてくれたのです。そのお陰で私達は豊かな人生を自由に生きる事ができるのです。だからこそ神に喜ばれる生活をすることです。
神に感謝、感謝、感謝です。
次回はこの続きで、生誕・聖誕・降誕後の話です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます