元山ガールの放浪記

感動した映画とかテレビとか本とか・・・いろんな作品について、ちょっとだけマニアックな視点から、気まぐれに書いてます。

涙があふれて止まらない「てっぺん ~我が妻・田部井淳子の生き方~」

2017年11月21日 | 日記
女性初のエベレスト登頂者・田部井淳子さんの生き方を、夫の政伸さんがつづったというこの本。

正直、期待はしていなかった。
田部井さんのエピソードは、ご本人による自著や
同じくエベレスト女子登山隊に参加した読売新聞記者の北村節子さんの著書、
さらにはいくつもの番組で見聞きしていて、
今さら新しいこともないだろうと、知った気になっていた。

ところが...立ち読みのつもりでパラパラとページを繰りはじめると、
その手が止められなくなっていた。
観念して購入し、子供が寝付いた後の自宅で読みふける。
読み進むにつれ、涙がこみあげてきて止まらなくなった。
淳子さんを失った今の話から始まり、最後は淳子さんの闘病記で締めくくられているこの本。
でも、流れたのは全然悲しい涙ではなかった。
むしろ、自分でも驚くほど、暖かくて優しい涙だった。
そんな気持ちが後から後からあふれてきて胸がいっぱいになる、そんな本だった。

描かれているエピソード自体は確かに知っているものだった。
谷川岳の稜線で、政伸さんが登ってきた淳子さんに、
小豆をかけた雪渓の雪をあげたという出会いのエピソード、
尾瀬の帰りに偶然乗り合わせたバスで、淳子さんの渡した飴玉から、
政伸さんが結核で臥せっていたという意外な過去が明らかになる展開、
さらにはエベレスト登山の前に政伸さんがただ一つ出した条件が
「子供を産んでいってくれ」だったという話、
どれもたびたび目にしてきた、田部井夫妻の有名な逸話だ。

しかし、予想外だったのは、それをつづる政伸さんの目線だ。
エベレストのキャンプで妻が雪崩にやられながらも無事とわかると、
「最後まで頑張るだろうな、それが妻の性格。
 妻ならばもし残してきた家族に何かあっても、動じながらも心を整えて登って帰ってくる」と
迷いのない心情をつづる場面。
東南アジア最高峰から下山したものの、行方不明になった妻を案じつつも、
「大丈夫だろう」と息子とアメリカ横断に出かけてしまう場面。
どんな時も、政伸さんの目線は、淳子さんに対する深い理解と、
ゆるぎない信頼に裏付けられていた。
それはまるで、「愛とは何か」という答えそのもののように感じられた。

政伸さんのような「理解ある夫」がいたから淳子さんの偉業は成し遂げられた、
今まではそういう見方をしてきたように思うし、それも実際のところだと思う。
半年間の留守に嫌な顔一つせず、新居を立て、子育てを引き受けて待つ夫は、
今の時代ですらものすごく希少だ。
でも、夫婦というのは合わせ鏡のようなもので、政伸さんを自然とこうさせた
淳子さんは、やはりただ者ではなかったのだろうと改めて思った。

一度だけお会いしたことのある田部井さんは、「あっけらかん」といえるほど
さっぱりとした、明るい人という印象だった。
でもその明るさは、いわゆる「天然キャラ」とは違っていて
自分の役割を深く理解したプロ意識のようなものも感じさせた。

そういう二人だったから、成し遂げられた愛の形だったんだろうと思う。

二人の往復書簡には、数多く心に響く言葉があった。
中でも、心の底から励まされたのがこの言葉。
エベレスト登山中の8回目の結婚記念日に政伸さんが淳子さんに送った言葉だ。


「早いもので色々な思い出がありましたが、山の思い出としては世界一高いエベレストに
今お母さんがアタックしていることですね。すばらしいことですヨ。
これからも私たち家族はほかとは少し違っても、いろいろなことを計画し、
実行していきたいですね。あらためてこれからもよろしくね。」


まるで、一生懸命今を生きている
全ての女性たちへの応援の言葉のようだった。
淳子さん、政伸さん、素敵な人生を見せてくれてありがとうございます。



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