前回のイモトのマッターホルン登頂に関する記事に、
思いもよらずたくさんの反響をいただいた。
一点、何人かの方が指摘して下さったように、
私はヘリでの下山理由の部分を見逃していた。
その点が分かっていたら、確かに番組全体の印象は大きく変わっていたと思う。
番組を作った方々には申し訳ないし、
指摘して下さった方々、ありがとうございました。
ただ、それでも意見が割れる要素は色々あった番組だと思う。
後で気づいたのだが、いつの間にか私自身の番組に対する期待が、
一般のバラエティ番組を見る時とは質が変わっていたため
今まで通りの伝え方だと違和感を感じてしまった点は
きっと変わらなかったのではないか、とも思う。
前回も書いているように、私はイモトと番組のファンだし、
おまけに山ファンでもある。
その全てをよい形で見せてくれることをすごく期待している。
特に、伝統的な山の世界は「初心者」「若者」「女性」にはかなり厳しい。
ある意味バリバリの男社会でもある。
イモトが、バラエティを盾にそんな世界を軽々突破してくれたら、それは痛快だ。
一方で、山の持つ神々しさや、未知なるものへの憧れと恐れ、
リスクを乗り越えていく勇気と繊細さ、
そういう伝統的に描かれてきた部分をちゃんと見せてほしい、という期待もやはりある。
それは男だろうが女だろうが、若かろうが年よりだろうが、
わけ隔てなく要求されてくることで、
いくら時代が変わっても、変わらないと思うし、
いつまでも存在してほしいと感じる部分でもあるからだ。
彼女が挑んでいるのが、もはや正真正銘の「登山」であることを否定する人は
いないと思うし、だからこそ色んな見方をする人がいて当然だと思う。
否定的な意見を述べているように見える人たちも、実際には彼女の登頂には喜び、
感銘を受けた上で、期待と心配から意見を述べている人が多いのではないか。
「バラエティ」だから「彼女は芸人だから」、という理由で
その枠内に収まるだけでは、もはや満足しない人もたくさんいるのだ。
私もその一人であり、個人的には、その期待を背負い、
芸人としての表現と、純粋に登山に挑む気持ちとの狭間で悩んで
答えを見つけるイモトが見たいし、
彼女が変わっていくなら、それに番組もしっかりついていってほしいと感じている。
思いもよらずたくさんの反響をいただいた。
一点、何人かの方が指摘して下さったように、
私はヘリでの下山理由の部分を見逃していた。
その点が分かっていたら、確かに番組全体の印象は大きく変わっていたと思う。
番組を作った方々には申し訳ないし、
指摘して下さった方々、ありがとうございました。
ただ、それでも意見が割れる要素は色々あった番組だと思う。
後で気づいたのだが、いつの間にか私自身の番組に対する期待が、
一般のバラエティ番組を見る時とは質が変わっていたため
今まで通りの伝え方だと違和感を感じてしまった点は
きっと変わらなかったのではないか、とも思う。
前回も書いているように、私はイモトと番組のファンだし、
おまけに山ファンでもある。
その全てをよい形で見せてくれることをすごく期待している。
特に、伝統的な山の世界は「初心者」「若者」「女性」にはかなり厳しい。
ある意味バリバリの男社会でもある。
イモトが、バラエティを盾にそんな世界を軽々突破してくれたら、それは痛快だ。
一方で、山の持つ神々しさや、未知なるものへの憧れと恐れ、
リスクを乗り越えていく勇気と繊細さ、
そういう伝統的に描かれてきた部分をちゃんと見せてほしい、という期待もやはりある。
それは男だろうが女だろうが、若かろうが年よりだろうが、
わけ隔てなく要求されてくることで、
いくら時代が変わっても、変わらないと思うし、
いつまでも存在してほしいと感じる部分でもあるからだ。
彼女が挑んでいるのが、もはや正真正銘の「登山」であることを否定する人は
いないと思うし、だからこそ色んな見方をする人がいて当然だと思う。
否定的な意見を述べているように見える人たちも、実際には彼女の登頂には喜び、
感銘を受けた上で、期待と心配から意見を述べている人が多いのではないか。
「バラエティ」だから「彼女は芸人だから」、という理由で
その枠内に収まるだけでは、もはや満足しない人もたくさんいるのだ。
私もその一人であり、個人的には、その期待を背負い、
芸人としての表現と、純粋に登山に挑む気持ちとの狭間で悩んで
答えを見つけるイモトが見たいし、
彼女が変わっていくなら、それに番組もしっかりついていってほしいと感じている。
頑張っている姿は痛快で清々しい
登る行為は芸人だろうが誰であろうが辛い時は
辛くて誤魔化せる世界じゃない
イモトに惜しみない拍手を送りたい