「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

Titanic Belfast ~タイタニック号の悲劇を伝えるBelfastの博物館

2019-05-13 | ベルファストのスポット
氷山にぶつかり、大西洋に儚く沈んだ豪華客船「タイタニック号 Titanic」は英国北アイルランド首府Belfastで作られました。彼女が沈んで100年以上経った今も、当時世界最大級の船が沈んだ物語は広く語り継がれ、今もなお多くの人々の悲しみを誘っています。そして、彼女の故郷であるBelfastには、彼女が作られた経緯を伝える博物館があります。
それがタイタニックベルファスト Titanic Belfastです。

先日、私にとっては幾度目になるのかよく判りませんが、同居人を連れて久しぶりにTitanic Belfastを訪れました。
私の記憶にあった博物館の内容とあまり変化はありませんでしたが、タイタニック号を建設した造船業の街に建設されている博物館らしく、タイタニック号を建設した時の苦労や処女航海に乗り込んだ乗客に関する様々な事実が展示されており、あらためて色々と勉強になりました。
私自身は沈んだ船のことはあまり好きにはなれませんが、かつて私のラボメイトだったBelfast出身のクリス君が「Belfastが誇るものと言えばTitanic」と語っていたように、今も多くの方々の心をとらえてやまない何かがあるのでしょうね。

ちなみに、Titanic experienceという常設展への入場料はとても高く、休日はなんと大人1枚で19£(約3000円)もします。いくら内容がそれなりに豊富であり、全部を見て回るのに1時間から1時間30分くらいかかるとしても、ちょっと高すぎるような気がします。場所もCity Centreという街の中心地から1.5から2kmくらいでしょうか。それなりに遠いので、歩くと少し疲れるかもしれません。
ただ、まあ、たしかに折角Belfastを訪れたらならば、一度は中を見ていっても良いのかもしれません。もちろん、タイタニック号の物語が好きな方々は必見でしょう。

しかし、こういうダークツーリズム Dark tourismは、私にはよく判りません。
私は、横浜に近い場所で生まれ育ち、船舶には昔からかなり関心がありました。だからでしょうか、海難事故を聞くと、悲しくなるのです。今回のTitanic Belfastについても、沈んでしまった船と亡くなられた方々がまるで見世物にされているかのような心地がして、博物館の中を歩いた時、ちょっと複雑な気持ちになりました。とくに船を設計したトーマス・アンドリューズ・ジュニア Thomas Andrews, Jrのエピソードには涙を誘われました。彼が卒業したベルファスト王立アカデミーは私もよく知っていますから。
世の中には福島第一原発事故やチェルノブイリ原発事故の被災地をめぐるDark tourismもあるそうですが、私はそれらについて悲しみと同時に、ちょっとした苛立ちというか、ある種の悔しさを感じますね。

「救急医学の父」とRoyal Victoria Hospital

2018-11-22 | ベルファストのスポット
実験室で色々と行き詰まってしまい、盗んだバイクで走り出し、夜の校舎の窓ガラスを全部割りたくなったので、なんとなく散歩に出掛けることにしました。一言で言えば、現実逃避です。

そして向かった先は英国北アイルランド屈指の大病院 Royal Victoria Hospitalです。
日本がまだ江戸時代をやっている頃に総合病院として設立され、1875年に大英帝国ヴィクトリア女王から勅許を得て「Royal Hospital」となったこの病院からは、その長い歴史の中で有名な医療従事者が輩出されましたが、その中の1人がパントリッジ教授 Prof. James "Frank" Pantridgeです。彼はAED(携帯型除細動器)の開発に携わり、それを救急車へ搭載させて、現代救急医療の基盤を作ったことから、現在では「救急医学の父」と呼ばれています。
「そんなん知らんがな~」と思った方、大丈夫です。私も医療従事者になって何年も経ちますが、恥ずかしながら、パントリッジ教授のことはちっとも知りませんでした。たぶん、うちの母校の医学部でもパントリッジ教授について講義していなかったような気がしますし、決して日本でも有名な方ではありません。とはいえ、AEDを救急医学に初めて導入したといえば、「なるほど、大したものだな」と一般の方にもすごさがちょっと伝わるのではないでしょうか。
それにしても、救急医学の歴史の一頁がこの地で書かれたというのは、すこし感慨深いものがありました。医学の歴史は、おそらく人類開闢以来の長さがありますが、その中の一部に名を遺すのはとても大変なことですから。

クリスマスシーズンが近づくBelfast City Hall

2018-11-05 | ベルファストのスポット
3日土曜日に知人がDublinからいらっしゃったので、一緒に夕食を楽しみました。

Belfastの中心部は、これからクリスマスに向けてさらに華やいでいく時期でもあり、大勢の人たちが週末の夜を楽しんでいました。上の写真の奥に見えるのは市庁舎 City Hallであり、11月の中旬からクリスマスマーケットが開催されます。

私は夜の街で遊んだためか、いつものように風邪気味になり、今も頭の頭痛が痛いです。
つ、辛い… orz

ベルファスト散歩 ~University RoadとCrescent Church

2018-10-21 | ベルファストのスポット
日曜日のBelfastは、昼過ぎから天気も良くなり、太陽が顔をのぞかせました。
ということで、大学周辺をすこし散歩してみることにしました。北欧風のカフェでコーヒーを飲んでまったりしつつ、のんびりとあてもなく歩いてみました。

大学周辺は治安も問題ないので、独りでゆっくり歩くのには最適です。「一人で何やってるの?」と言われるかもしれませんが、まあ、一人きりの方が気楽でいいや(そんな臆病な言い逃れは終わりにしなくちゃ)という時もあるのです。




University Roadは、本学メインビルディングからCity Centre(街の中心部に)伸びる道です。休日とはいえ、学生たちを中心にすこし賑わっていました。

その道を途中で左に曲がると、一番上の写真にあるクレセント教会 Crescent Churchが見えてきます。大学の関係者にとってはある意味でお馴染みの教会ですね。
Bible-based christianという宗派の教会なのですが、キリスト教の各宗派にあまり明るくないので、日本語でなんて言うのかがよく判りません。言葉通りだと、聖書派なんでしょうかね。
大学メインキャンパスの横でもの凄い存在感を放っているので、よく待ち合わせ場所に使われたりします。




ふと雨上がりの空を見たら、天使の階段 angel's stairwayが見えました。いにしえの人達は、雲の間からさす光を見て、とても神々しいものだと考えたみたいですが、私も同感ですね。とても綺麗でした。

追記
このブログ記事を書いている最中に、GFPの精製、同定でノーベル化学賞を受賞された下村脩博士が亡くなられたことを知りました。多くの研究者が日常的に蛍光タンパク質のお世話になっており、私も研究でもちろん利用しています。今後もずっと利用し続けると思います。
偉大な生化学者が、また一人、この世から去ってしまいました。御冥福をお祈り申し上げます。

Derry / Londonderry 再訪 ~O-bon(お盆) Festival 2018

2018-06-10 | ベルファストのスポット
論文執筆や実験スケジュールが混み合っていて、最近、かなり気忙しくなっています。今月は本学での学会開催もあり、うちのラボのスタッフも色々と忙しそうで、どこもかしこもあまり余裕がない感じです。夏休み前のスパートといったところでしょうか。来月から私も休みを頂戴するつもりですが、その前までに片付けなければならないことが多々あります。

という感じですこし忙しく過ごしていますが、「週末は休ませてもらいますからね、キリッ」ということで、論文の投稿をボスにメールで丸投げしてから、昨日、自分は北アイルランド第二の都市 Derry/Londonderryへ行きました。こちらでお世話になっている日本人の方々が参加される日本文化紹介イベントであるO-bon(お盆) Festivalを観に行くためでした。

この街の名前については以前のブログでも触れたことがありますが、英国植民地時代にLondonからの移民統治者たちによってLondonderryという名称にされた経緯があり、連合王国派ユニオニストはそのままLondonderryと呼び、地元のアイリッシュは昔からのDerryと呼ぶことが多いです。北アイルランド紛争での両派の対立は深刻なものがありました。現在では、両者の意見を尊重してDerry/Londonderryと併記するのが一般的です。したがって、日本人もDerry/Londonderryと呼ぶのが無難でしょうね。

イギリス文化都市に指定されたこの街は、1688年から89年にかけて行われた「包囲戦」の主役を担った街を囲む城壁がたいへん有名です。アイルランド島で唯一城壁が完全に残っている都市と言われます。街の中心部は整備され、ギルドホール前の広場周辺の眺めは綺麗です。かつての城壁も街の中に溶け込んでいて、観光客が多く訪れていました。

 


街にはアルスター大学 Ulster Universityのキャンパスや、富士通 Fujitsuのビルなどがありました。

 


Derry/Londonderry近郊にお住まいのご夫婦(ご主人が日本出身)が中心となって、イギリス文化都市で日本文化紹介イベントO-bon Festivalを初夏に開催するようになって今年で3年目とのことです。場所はDerry/Londonderry近郊の公園を丸ごと借りて会場にしています。

私は昨年も本学に滞在していた日本人留学生たちと一緒にすこし観に行きましたが、昨年よりも今年の方がお客さんが多い気がしました。日本風の屋台なども出ていて、活気がありました。太鼓の演奏や、合気道?、剣道などの演武や、盆踊りや日本舞踊などが開かれて、観ていて飽きがありませんでした。一方で、北アイルランドから見た日本観のようなものもすこし反映されていて、興味深く思われました。
夜のバスで慌ただしく自宅のあるBelfastへ戻ったために(L-/DerryとBelfast間はバスで1時間50分かかります)、最後までお祭りを観ることは出来ませんでしたが、良い思い出になりました。色々な方々とお目にかかることが出来て良かったです。ありがとうございました。


桜舞い散る道の上で ~Queen's University~

2018-04-29 | ベルファストのスポット
本学 Queen's Universityでは桜が幾つか植えられています。とくに本校舎の中庭にある桜は、春の訪れとともに、見事な花を咲かせます。桜舞い散る道にはベンチが置かれており、読書を楽しんだり、昼寝をしたりと、様々な過ごし方があるようです。

本校舎であるランヨン・ビルディング Lanyon Buildingは、チャールズ・ランヨン卿 Sir Charles Lanyonの設計で1849年に建設されたものですが、いつだれが桜を中庭に植えたのか。ソメイヨシノとは種類が異なるようで、どうやら八重桜に似ているように思いますが、詳しいことはよく判りません。

日本から遠く離れた場所に居ますが、桜を見ると、すこしホッとするような心地になります。

Titanic Belfast~タイタニック号の生まれた街~

2018-04-10 | ベルファストのスポット
4月8日、9日はフットボール日本代表のハリル監督の電撃解任、Angels大谷選手の大活躍など色々なことがあり、興味深く思いました。ハリル監督の後任は西野監督とのことで、アトランタオリンピックでブラジル代表を破った「マイアミの奇跡」の再現が期待されています。1996年のことですから、もう22年前になるそうですね。日本はまだワールドカップに参加したことさえない時代でした。当時野球少年だった私は、1996年というと、長嶋監督率いる巨人のメークドラマの方が印象深いです。
もう2018年です。思えば、私も遠くへ来ちまったもんです。

さて、4月10日はベルファスト Belfastにとってある意味感慨深い日です。
この日、大英帝国が誇る豪華客船タイタニック号 RMS Titanicはその処女航海に旅立ち、14日未明に大西洋上で氷山に衝突して沈没、その短い生涯を閉じたのでした。1912年に起きたこの沈没事件は世界に広く報道され、遠く極東の日本にまで伝わりました。当時に宮沢賢治が著書『銀河鉄道の夜』の中で明らかにタイタニック号沈没をモデルとして書いたと思われる場面がありますが、この事件の反響の大きさが垣間見えます。
このブログでも幾度か触れていますが、このタイタニック号が建設されたのが、当時世界屈指の造船業の街であった Belfastでした。

「ベルファストと言えばタイタニックしかない」

Belfastで生まれ育ったクリス君に「ベルファストで有名なものは何か」とかつて聞いた時の答えです。タイタニック号はBelfastのハーランド・アンド・ウルフ造船所 Harland and Wolff Heavy Industriesで建設されました。港湾部にあるH&Wの名が書かれた大クレーンは、現在でもある種のランドマークとして、Belfastの街中から見ることが出来ます。
タイタニック号は間違いなくこの街の誇りなのです。


タイタック号の完成から1世紀が経った2012年にBelfastで世界最大のタイタック博物館 Titanic Belfastがオープンしました。館内ではタイタニック号建設から沈没までの様々な出来事が紹介され、幾つかの歴史的資料が展示されています。タイタニック号建設を追体験するアトラクションもあり、世界中から集まるタイタニックマニアに盛況です。
昨年は1997年に公開された映画『タイタニック』からちょうど20周年であり、このTitanic Belfastも色々と採り上げられることが多かったような気がします。私も数回館内に足を運びましたが、なかなか面白いですね。

Belfastにいらっしゃる機会がありましたら、ぜひ足を運んでみて下さい。

River Lagan in Belfast ~ラガン川沿いの散策

2018-04-08 | ベルファストのスポット
復活祭から1週間が経ち、イースター休暇も終わる日曜日、ようやく天候もすこし回復してきた頃を見計らって、街を散歩してみました。今日はラガン川沿いをウォーターフロントからアルバート記念時計塔までをご紹介します。
このブログでも幾度か触れていますが、英国北アイルランド首都ベルファスト Belfastは造船業を中心に発展しました。街中を貫くラガン川 River Laganに沿うようにして、街が広がったという経緯があります。しかし、現在では造船業は徐々に衰退しており、この川沿いのエリアも観光向けに再開発されました。


ウォーター・フロント Water Frontは、Belfastが誇る最新のイベント会場であり、昨年12月にここで開催された国際学会に私も参加しました。Belfastで学会が開催される場合、ここか、あるいは私の所属するクイーンズ大学 Queen's Universityになります。
当然ですが、敷地内や外見は綺麗に整備されていて、隣接されたヒルトンホテルからのアクセスも良いです。


ベルファスト・バージ Belfast Bargeです。バージ Bargeとは「小型の船や貨物船」を意味しますが、このベルファスト・バージは観光客向けのアトラクションになっているそうで、船内に様々な展示物があるそうです。ウォーター・フロントから歩いてすぐの川岸が入り口となっています。実は今日までこんなものがこの場所にあるということを知りませんでしたので、見つけた時はちょっとビックリしました。私は今日は入らなかったのですが、次があったら、一度は入ってみたいなと思いますね。


ラガン川に架かる2つの有名な橋、クイーンズ橋 Queen's Bridge(右)とクイーン・エリザベス橋 Queen Elizabeth Bridge(左)です。
どんだけ女王陛下が好きなの!?
と思われるかもしれませんが、Belfastは大英帝国ヴィクトリア朝に発展した経緯があり、いわゆる「ヴィクトリア女王恩顧」の街なのです(ヴィクトリア女王はその長い君臨期間において、ほとんど統治(親政)をしていないので、ヴィクトリア女王に感謝するのはちょっと違うような気がしないでもありませんが)。Belfastはこのクイーンズ橋もヴィクトリア女王を称えています。余談ですが、私が所属するクイーンズ大学もヴィクトリア女王が(一応)創設者であるため、クイーンズの名を冠しています。
クイーン・エリザベス橋は、同様に、エリザベス2世女王を称えています。


ビッグ・フィッシュ Big Fishです。別名、知識のサーモン Salmon of Knowledgeです。1999年に作られた作品であり、観光客寄せパンダならぬ客寄せサーモンとして、ラガン川沿いに置かれています。ビッグ・フィッシュというから、さぞかし大きくて立派なのだろうと思うと、色々な意味でがっかりします。札幌の時計塔みたいなものです。
しかし、なぜかBelfastの観光名所として異常にプッシュされているアート作品であり、Belfastに来た際には一度は拝んでおくといいのではないでしょうか。


アルバート記念時計塔 Albert Clockです。ビッグ・フィッシュから街中に入ると、目の前にそびえ立つのがこの記念塔です。1869年に建てられた時計塔であり、ヴィクトリア女王夫君である「プリンス・コンソート」(The Prince Consort)アルバート公を称えるためのものです。アルバート公は、よくヴィクトリア女王と対比されるように、賢君だったという評価が多い気がします。
この街はどんだけヴィクトリア朝が好きなの!?
と思われるかもしれませんが、Belfastではこれが通常営業です。とにかくヴィクトリア朝を称えるための建築物で溢れています。北アイルランドを懐柔するためもあったのでしょうが、実際にBelfastはヴィクトリア朝時代に厚遇された街であり、地域住民も英国王室への敬意を持つ方々が少なくありません。
北アイルランド紛争時にBelfastがやたらとテロに襲われたのは、北アイルランドの首都であることもありますが、それ以上にこのような英国王室愛のある地域への攻撃だったのかもしれません。

せっかくの日曜日なのに生憎の曇り空でしたが、ラガン川沿いをゆっくり散歩すると、改めて色々な発見がありました。Belfastにいらっしゃる機会がありましたら、ぜひ観光してみて頂ければと思います。

Belfastの道~Lisburn Roadを歩く

2018-03-20 | ベルファストのスポット
北アイルランドの首都 Belfastからは様々な街へと通じる道が放射状に広がります。そのうちの一つがリズバーン Lisburnへ続くLisburn Roadですが、この道沿いに市立病院 City Hospitalや本学の医学部キャンパスがあり、色々な店舗もあって便利なので、学生が多く住んでいるエリアとなっています。私自身もこの近くに住んでいるので買い物にはよく利用しています。

先日、この通りをぶらぶら散歩してみました。

 


バス通りなのですが、いかんせん駐車スペースが少ないために、路駐が多いのが北アイルランドクオリティーです。朝夕はよく渋滞しています。バスはかなり頻繁に通るので雨が降ったりする時は便利ですね。



教会です。Lisburn Road沿いは教会が多いです。そもそもBelfastには教会が多いのです。
各宗派の教会や大聖堂が乱立している様を見ると、北アイルランド紛争の一因に宗教対立があるのもうなずけますね。本学でも学生たちの信仰の自由というのは大事にされており、気を遣っているのが明らかです。キャンパスには例えばアラブのイスラーム信徒のためのお祈りスペースもあるようです。
日本はまだその点のほほんとしていているというか、宗教の多様性に無頓着なところがありますが、やはりBelfastに居ると何気ないところに宗教と信仰に対する真剣さというものを感じさせられることがありますね。

よく外国の方から「日本の宗教はどんな感じ?」と聞かれて、答えに窮することがあります。
そういう時は、ちゃんとした答えになっていないのですが、「Many Japanese people don't think it seriously.(多くの日本人は宗教に無頓着ですね)」と答えることにしています。

普段から六曜で縁起を担いだり、初詣、お盆、七五三、クリスマスなどのイベントを挙げればキリがないですが、もう日本人は何を信仰しているのか、もはや日本人の私自身もよく判りませんからね。



北アイルランド紛争時のBelfastらしさを感じさせられるのが、この刑務所でしょうか。もちろん、北アイルランド紛争だけではありませんが、政治犯等を収容するための施設が結構街のあちこちにあって、なぜかLisburn Road沿いにもあります。とても厳重な様子であり、流石という印象です。



刑務所の近所にあるのが消防署ですね。とてもカラフルな建物でおしゃれです。

 


消防署からさらに郊外へ進むと公園があります。Drumglass Parkという小さな公園です。小さいとはいえ、日本の公園と比べると結構大きいです。すくなくとも小さな子供の遊び場としては十分なスペースがあります。

私は都市計画などの専門家ではないので、詳しいことは判りませんが、東京や横浜を見ていると欧米諸国と比較して明らかに公園が少ない気がします。そして緑が少ないのですね。LondonもHyde Parkのような広大な土地が公園として開放されていますが、Belfastもあちこちに公園が整備されています。

個人的には、日本も英国並に都市部に公園があった方が、労働者の精神衛生上はいいんじゃないかなと思ったりしますがね。



そして、図書館です。中に入ったことはありませんが、なかなか大きな図書館だなと思います。本学の図書館が北アイルランド一の規模なので、市街地にある公的な図書館を利用する機会は今後もないだろうと予想しています。

今回、採り上げたのは一例ですが、私は街をぶらぶら歩くのがそれほど苦ではないので、ときどきあちこちへとお散歩に出掛けています。Belfastもまだ入ったことがない場所ばかりで、真面目に散策すると楽しいのだろうなあと思っています。

日曜日のお散歩 ~サウス・ベルファストを中心に

2018-02-25 | ベルファストのスポット
今日は、すこし風が強かったものの、良いお天気でした。
最近、論文執筆中で頭が禿げそうになっているので、煮詰まる前にお散歩に出掛けました。
サウス・ベルファストからイースト・ベルファストにかけて少しだけ。

上の写真は、植物園 Botanic gardenのものです。大学に隣接する広大な敷地は、市民の憩いの場として、今日も賑わっていましたね。しかし、すこし人混みを離れれば、まるで異空間にいるかのような静寂な光景が広がっています。


ケルヴィン卿 Lord Kelvin こと William Thomsonの像は植物園の入り口にあります。
19世紀最高の科学者の一人として知られる彼を、私は専門分野こそ違いますが、ちょっと尊敬しています。


植物園の中にはアルスター博物館 Ulster Museumもあります。
色々な展示物があり、真面目に全部見ようとすると、数日かかると思われます。
私も未だに全てを制覇していません。



そして、ラガン川です。植物園のすぐ側を流れています。時々、大学の学生さんがカヌーなどの練習をしているようです。
ラガン川を渡るとイースト・ベルファストという印象ですね。

ベルファストの観光名所といえばタイタニック博物館やシティーホールでしょうけれども、クイーンズ大学 Queen'sの周りもゆっくり見て回るには良い場所だと思います。

オーモ―・パーク Ormeau Park

2018-02-21 | ベルファストのスポット
最近どうやら睡眠障害になってしまったようです。
昨日は半年くらいジャーナル編集部や査読者と戦っていた論文が放射線科学のトップジャーナルにようやく採択され、嬉しくて気持ちが昂ぶっていたのか、夜中を全然寝付けずに過ごしてしまいました。眠れたのはようやく明け方になってのことでした。生活リズムがぶっ壊れています。こういう時、日本に居たらマイスリーを処方してもらうように同僚にお願いできたのかもしれませんが(自分で自分に処方するのは基本的にはできませんので)。

ということで、今日はストレスフルなラボから逃亡したのでした。
気分は盗んだバイクで走り出す感じでしょうか。お散歩に出掛けたのでした。



北アイルランドの首都ベルファスト Belfastの街中を貫くラガン川 The River Laganは、私のクイーンズ大学ベルファスト Queen's University Belfastのすぐ側を流れています。あまりイースト・ベルファストに行く用事がないので、普段はほとんど行かないのですが、ラガン川沿いをゆっくり散歩することにしました。

ラガン川に沿ってオーモー・パークが広がっています。
ベルファスト市街にある公園としてはおそらく最大規模の広さを誇るこの公園は、もともとはドニゴール侯爵家 Marquess of Donegallの邸宅の敷地だったそうです。その後、ベルファスト市議会に売却され、1871年に公園として解放され、現在に至っています。



大学から歩いて15分くらいの距離にあるこの公園でのんびりしていたら、遠くに虹が見えたのでした。
当たり前ですが、虹は日本で見たものと全く同じでしたね。

ある詩によると、虹の橋のたもとには草原があるそうです。
そこで待っていてくれるかどうかは判りませんが、私もいずれはそこに行きたいと思っています。



聖ペテロ大聖堂 St Peter's Cathedral

2018-01-22 | ベルファストのスポット
今日は関東では2014年以来の記録的な大雪と伺いました。
子供の頃は、学校が休みになるので、雪が降ると嬉しかった思い出があります。空を舞う白雪を見て、心がとても躍ったものでした。しかし、大人になったら、降雪と聞けば「うわ、めんどくさ」と思うようになってしまいました。心が汚れた大人になってしまったものです。我ながら残念です。
とにかく、皆さん、雪道に足を滑らせたりしないように気を付けて頂きたいです。

さて、本日は午後から研究室を抜けて、大聖堂を訪ねました。
聖ペテロ St Peterの名を冠するローマカトリックの大聖堂です。街の中心部から北アイルランド紛争の傷痕が残る西ベルファストにつづくフォールズロード Falls Roadのすぐ脇道にあります。



上の写真はFalls Roadの周辺です。ピースウォール Peace Wallで有名な通りでもあります。Peace Wallについて正しく説明するのはすこし難しいのですが、簡単に言うと「アイルランド独立派とイギリス帰属派が住む地域を分断する壁」といったところでしょうか。対立する住民同士の争いを減らすために、お互いがお互いから守るために、彼らは街に壁を築いたのです。このように1998年のベルファスト合意から20年が経った今でも北アイルランド紛争が遺した傷は残っているのですね。
写真のように、様々なメッセージが込められた壁が延々と続いています。

ローマカトリックの大聖堂に何故足を運んだかというと、第一に、最近あまりにも運動不足であると感じたからでした。
明るくて暖かい昼間のうちに大聖堂を観に行こうと思いました。医学部キャンパスはMedical Biology Centre(MBC)がある地区とRoyal Victoria Hospitalがある地区に分かれていて、講義やセミナーなどでその2地区を歩いて往復する時に陸橋を通る必要があるのですが、そこから一望できるBelfastの光景がいつも面白くて私はすこし気に入っています。そして、その光景の中にある特徴的な二柱の大聖堂をいつか訪ねてみようとは思っていたのです。
第二に、実は、私は中学高校時代ローマカトリック系の学校に通っていたからです。当時は(今も?)その学校が県内で一番の進学校であったからで、宗教的な理由で進学先を選んだ訳ではありませんでした。私は、残念ながら、神という存在を信じていませんし、宗教家という人種に頼りたいとは思いませんが、「何かを信じたい」という気持ちだけは理解できます。何かにすがりたくなるような時は誰にでもあると思っていて、しかし、私はそういう行き詰まって時こそ「自分で突破したい」と願う性格でした。そういう人間ですから、思春期であったこともあって、私は常に母校やキリスト教を懐疑的に見てきたように思います。とはいえ、キリスト教を身近に感じてきたのも事実であり、この大聖堂のような施設に対してはいつも興味深さを覚えます。

いわゆるカトリック系の教育を受けたことについて、私はべつにある種の洗脳教育を受けたとまでは思っていないのですが、自覚している面とおそらくは無自覚な面の両方で、色々な影響を受けたのだろうと今は考えています。好奇心からローマカトリックの歴史や教義も自分で色々と調べたりした時期もありました。その在り方については色々と思うところもありますが、しかし、良くも悪くも母校で受けた教育が今の私を形成する要素の一つであることは確かです。原発事故被災地の福島にボランティアで行ったのも、その後そこでしばらく臨床に従事したのも、もしかしたら「母校で学んだ何か」の精神的発露だったのかもしれません。

とにかく素晴らしい大聖堂をじっと見上げていると、すこし心が晴れるような気がしました。最近、進退を含めて色々と思い悩んでいるのですが、ちょっぴり気分転換になりましたね。荘厳な大聖堂には、見る者の心に作用する、不思議な魔力があるのかもしれません。


北アイルランドがんセンター

2017-12-04 | ベルファストのスポット
今日は北アイルランドがんセンターにお邪魔してきました。
英国でもトップクラスの放射線治療施設を揃えており、色々と見学までさせてもらいました。日本の最高峰の施設と比べるとすこし見劣りするというのが正直な印象ですが、やはり福島と比較するとかなり設備は充実しているという感じでした(北アイルランドは福島県とほぼ人口、面積が同じ)。おそらく東北大学よりも放射線治療施設の充実については上を行くのではないかと思います。重粒子線や陽子線治療設備はありませんが、放射線治療機器とスタッフはとても豊富でした。写真は比較的最新の放射線照射装置ですが、今回はご厚意で直接見せて頂いてきました。
2011年に福島を襲った多重災害(地震、津波、原発事故、そして風評被害を加えると4重災害)について、そして私の現在の研究内容についてすこしお話ししてきたのですが、私の拙い英語を一生懸命に聞いて下さって、有難く思いました。

明日からしばらく日本に滞在しますが、今年は親類に不幸があったこともあり、あちこち遊びまわるつもりはありません。生前はとても良くしてもらったのに、死に目に会えなかったことをやはり申し訳なく感じています。留学中だったとはいえ、はっきり言って、私は不孝者でしょう。

相田みつをさんの言葉に次のようなものがあります。

花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根は見えねんだなあ


私たちはいつも見えない根に支えられて生きています。まるでそこにあるのが当たり前であるようにさえ感じる目に見えない厚意を、しかし、決して忘れてはならないでしょう。何でもないようなことであっても、失われてから初めてその大切さに気付くものです。だからきっと、感謝の心をいつも抱くことが大切だと思います。