2016年の年の瀬になって振り返ると、Brexit(英国EU離脱)やUSA大統領選挙(トランブ新大統領誕生)などがやはり印象深く、日本を取り巻く話題としては熊本地震、オバマ大統領の広島訪問、安倍首相の真珠湾訪問などが脳裏を過ります。知人の中には、結婚、転居、転職など人生の変化を迎えた方々が少なくありませんでした。
個人的にも、何もかもが変わり続けた1年となってしまいました。
親しくさせて頂いている方々からは「ずっと走り続けている」「生き急いでいる」と言われたこともありました。とりわけ留学の強行は、私にとっては予定事項だったとはいえ、多くの知人らに衝撃を与えたようでした。普通の医師のキャリアパスからついに決定的に外れたことになりますから。たしかに異常と言えるのかもしれません。
しかし、私の覚悟はもう出来ているのです。
たとえ映画みたいなハッピーエンドが、自分の未来になかったとしても。
スター・ウォーズ・ストーリーの最新作『ローグ・ワン(Rogue One: A Star Wars Story)』を劇場で観ました。
一連のストーリー群の時間軸上では、エピソード4の直前にあたります。実写版としては、初めての外伝作です。私はエピソード1、2、3、7は映画館で観ていますし、旧三部作の4、5、6についてもビデオや小説でフォローしていました。熱烈なファンではありませんが、一応、あらすじと設定は知っていますし、フォースという名のご都合主義にはすこし食傷気味とはいえ、映像美、アクションシーンなどに魅せられてきました。
はっきり言って、私としては今作はストーリー群の中で「一番の出来」と感じました。
もちろん、ベイダー卿(アナキン・スカイウォーカー)、C-3PO、R2-D2などのお馴染みのキャラクターや、若き日のレイア姫などの登場シーンも興味深かったですが、私個人としてはなによりも今回の主人公である反乱軍兵士たちの奮闘を描いた様が良かったように思われました。
よく知られている通り、スター・ウォーズは、「フォース(the Force)」という運命の力を操るジェダイ騎士やシスの暗黒卿の超人的な活躍を主軸に、ハン・ソロやR2-D2などの脇役が果たす仕事によって、遠い昔遥か彼方の銀河系の命運が揺れ動く様を描いたスペース・オペラです。しかし、「May the Force be with you(フォースと共にあらんことを)」でお馴染みの「フォース」は、良くも悪くもご都合主義かつ強引にストーリーを導いてしまうために、私のような凡人にはあまり面白くないことに「結局のところ、超人的な英雄たちによって世界は動かされ、凡人たちは翻弄され蹂躙されるだけ」という印象を与えられることもありました。今回の『ローグ・ワン』では、もちろんベイダー卿による無双シーンもありましたが、なによりも名もなき凡人(あるいは凡機械)たちのまさに命を賭した戦いに魅せられたのでした。そこには、これまでのスター・ウォーズの物語とは異なる輝きがありました。
超人的な英雄とは異なり、凡人たちは実にあっけなく次々と死んでいきます。それでも大義のために、命を賭して、為すべきことを果たします。弱者であったとしても、希望を未来に託すために、果敢に強者に挑んでいくのです。
ハッピーエンドとは言い難い結末ですが、しかし、主人公たち「ローグ・ワン」の戦いが決して無駄ではなかったことを観客(エピソード4、5、6を知る人たち)だけは知っています。私も、思わず、映画館で泣きそうになりました。
為すべきことが見えにくい世の中です。
映画やアニメのように絶対に倒すべき悪役も見つかりませんし、命を賭すべき戦いも身近ではありません。ならば、浅学非才の身の上で、凡人でしかない自分は、何の為に生きるべきか。誰が為に生きるべきか。
大義だなんて格好良すぎる言葉ではないとしても、せめて生きる意味を見出せたならばいいなと。私は、いつも頭のどこかでそれを考えながら、これまで生きてきたように思います。
ただ、為すべきことを為そうと。
そう思って、そう信じて、2016年を生きてきたのでした。まあ、細工は流々仕上げを御覧じろといったところでしょうか。きっと来年も、私はまた、そういう生き方しか選べないでしょう。でも、それでもいいと思っています。それが私なりの覚悟ってやつです。
個人的にも、何もかもが変わり続けた1年となってしまいました。
親しくさせて頂いている方々からは「ずっと走り続けている」「生き急いでいる」と言われたこともありました。とりわけ留学の強行は、私にとっては予定事項だったとはいえ、多くの知人らに衝撃を与えたようでした。普通の医師のキャリアパスからついに決定的に外れたことになりますから。たしかに異常と言えるのかもしれません。
しかし、私の覚悟はもう出来ているのです。
たとえ映画みたいなハッピーエンドが、自分の未来になかったとしても。
スター・ウォーズ・ストーリーの最新作『ローグ・ワン(Rogue One: A Star Wars Story)』を劇場で観ました。
一連のストーリー群の時間軸上では、エピソード4の直前にあたります。実写版としては、初めての外伝作です。私はエピソード1、2、3、7は映画館で観ていますし、旧三部作の4、5、6についてもビデオや小説でフォローしていました。熱烈なファンではありませんが、一応、あらすじと設定は知っていますし、フォースという名のご都合主義にはすこし食傷気味とはいえ、映像美、アクションシーンなどに魅せられてきました。
はっきり言って、私としては今作はストーリー群の中で「一番の出来」と感じました。
もちろん、ベイダー卿(アナキン・スカイウォーカー)、C-3PO、R2-D2などのお馴染みのキャラクターや、若き日のレイア姫などの登場シーンも興味深かったですが、私個人としてはなによりも今回の主人公である反乱軍兵士たちの奮闘を描いた様が良かったように思われました。
よく知られている通り、スター・ウォーズは、「フォース(the Force)」という運命の力を操るジェダイ騎士やシスの暗黒卿の超人的な活躍を主軸に、ハン・ソロやR2-D2などの脇役が果たす仕事によって、遠い昔遥か彼方の銀河系の命運が揺れ動く様を描いたスペース・オペラです。しかし、「May the Force be with you(フォースと共にあらんことを)」でお馴染みの「フォース」は、良くも悪くもご都合主義かつ強引にストーリーを導いてしまうために、私のような凡人にはあまり面白くないことに「結局のところ、超人的な英雄たちによって世界は動かされ、凡人たちは翻弄され蹂躙されるだけ」という印象を与えられることもありました。今回の『ローグ・ワン』では、もちろんベイダー卿による無双シーンもありましたが、なによりも名もなき凡人(あるいは凡機械)たちのまさに命を賭した戦いに魅せられたのでした。そこには、これまでのスター・ウォーズの物語とは異なる輝きがありました。
超人的な英雄とは異なり、凡人たちは実にあっけなく次々と死んでいきます。それでも大義のために、命を賭して、為すべきことを果たします。弱者であったとしても、希望を未来に託すために、果敢に強者に挑んでいくのです。
ハッピーエンドとは言い難い結末ですが、しかし、主人公たち「ローグ・ワン」の戦いが決して無駄ではなかったことを観客(エピソード4、5、6を知る人たち)だけは知っています。私も、思わず、映画館で泣きそうになりました。
為すべきことが見えにくい世の中です。
映画やアニメのように絶対に倒すべき悪役も見つかりませんし、命を賭すべき戦いも身近ではありません。ならば、浅学非才の身の上で、凡人でしかない自分は、何の為に生きるべきか。誰が為に生きるべきか。
大義だなんて格好良すぎる言葉ではないとしても、せめて生きる意味を見出せたならばいいなと。私は、いつも頭のどこかでそれを考えながら、これまで生きてきたように思います。
ただ、為すべきことを為そうと。
そう思って、そう信じて、2016年を生きてきたのでした。まあ、細工は流々仕上げを御覧じろといったところでしょうか。きっと来年も、私はまた、そういう生き方しか選べないでしょう。でも、それでもいいと思っています。それが私なりの覚悟ってやつです。