「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

卒業報告と謹賀新年 ~令和2年~

2020-01-01 | 英国大学院博士課程に関して
明けましておめでとうございます。
私にとって、本年も勝負の年になります。
ブログは続けるつもりですが、英国留学は終了したので、今後はどうしようかと考えています。今までは、はっきり言ってあまり意味が無かったかもしれませんが、一応は匿名であることを心がけつつ、こちらのブログ記事を書いていました。しかし、次はもっとオープンな形でブログ記事を書きたいとも考えており、新たな方法を模索中です。

ブログ記事の更新が遅くなりまして、昨秋からストップしており、申し訳ありませんでした。
無事に学位審査会(Viva)を突破して、12月に開催された学位授与式に出席して博士号(PhD)を取得することができました。そして、もう日本に戻ってきております。私事ではありますが、10月下旬に結婚式を挙げてからというもの、プライベートと仕事でなかなか忙しくしており、ブログを書く暇が無かったと言えば嘘になりますが、あまり集中してブログ記事を書くことが出来なかったというのが正直なところです。
この間、英国では総選挙が行われ、ついにEU離脱が実施されることになりました。英国の情勢もこれからさらに大きく変わる可能性があります。私の第二の祖国ともいうべき、思い出深き英国がどこへ向かって進むのか、今後は日本から見届けたいと思います。

学位審査会は、私の場合、3時間ほどで済みましたので比較的短かったと思われますが、それでも非英語圏出身者(non-native speaker)である私にとってはやはり厳しい試験でありました。試験官達は、学内と学外の教官・研究者らで構成され、博士論文の内容に沿って細かいことまで試問されました。IELTSの時にも使ったテクニックでしたが、「すみません、もう一度(質問を)お願い出来ますか?」「判りやすく質問を言い換えてもらえませんか?」などと言って小細工をしながら時間を稼ぎつつ、容易な英語で回答するという感じです。ところどころでしどろもどろになりながら、試験官達の質問に丁寧に答えたのが功を奏したのか、思いがけず試験結果はかなり高評価でした。8月末に提出した博士論文の修正もほとんどなく、11月には正式な受理に至りました。

私が参加した学位授与式は、170年の伝統を感じさせられる、厳かな雰囲気の中で行われました。
本学は英国で9番目に古い研究大学であり、その歴史は東京大学よりも長いものがあります。私も大学公式のPhDガウンを着て、すこしハリー・ポッターになったような気分を味わいながら、式に参加しました。式の中では、出生記した卒業生ひとりひとりが学長と握手をする機会があり、指導教官に見守られながら、私も万感の想いで最後の握手をしたのでした。
式後の懇親会では、指導教官や友人、家族とも色々な話をしました。

……振り返れば、3年間はあっという間でした。

日本に戻ってきてから、とりあえず民間病院で働いております。しかし、来年度からどうするか、まだすこし迷いがあります。自分としては、これからも福島原発事故被災地へ成果を還元できるような研究を続けたいと願っており、もしかすると大学に戻る可能性もまだ残されています。
4月から私はどこの空の下にいるかは判りませんが、その空はきっと皆さんが見上げる空と繋がっています。
また、このブログで進捗をご報告したいと思っています。

学位審査会 Viva に向けて

2019-10-12 | 英国大学院博士課程に関して
すっかりご無沙汰になってしまいました。前回の投稿から、日本への帰国、次の職場での準備などが色々とありまして、多忙でした。
この間、ノーベル化学賞を日本の吉野彰博士が受賞されました。家が近かったこともあり、私は吉野先生の御息女を存じ上げています。リチウムイオン電池の開発に貢献した技術者が、このような身近にいらっしゃったことに対して、改めて驚きを覚えました。リチウムイオン電池の開発は、数年前からノーベル化学賞が噂されていたような素晴らしい業績であり、私も昨年日本国際賞を受賞していたことは存じ上げていました。実際にノーベル化学賞を受賞されて、国際的に高く評価されたのは、とても良かったと思います。
個人的に、ノーベル化学賞がノーベル賞科学分野の中で最も好きです。受賞者の顔ぶれを見ると、その受賞対象範囲の広さに驚かされます。放射線分野では、やはりアーネスト・ラザフォードとマリー・キュリーの名前が印象的です。科学者だけではなく技術者にも門戸が開かれており、実に興味深い方々が受賞者になっています。実に面白い賞だと思います。

さて、日本は最強の台風が襲来して大変な事態を迎えていますが、私は再び英国北アイルランドに戻ってきました。写真のように、ベルファストは今日も曇りです。
来週14日に予定されている学位審査会(Viva)のために準備に追われています。博士論文について数時間の質疑応答に応じなければなりません。日本語で質問されても答えに窮するような内容を問われることになるでしょう。
正直、今から、気が重いです。

ようやく博士論文が書き終わりました

2019-08-19 | 英国大学院博士課程に関して
ようやく博士論文の第一稿が書き終わりました。だいたい240頁くらいですね。もっとデータを入れても良かったかもしれません。これからは、まず指導教官に全部読んでもらって、幾つか修正することになると思います。次に、大学院事務局に提出して、4~6週間後に審査会(Viva)があります。審査会では、博士論文提出者によるプレゼン、外部審査委員を交えた口頭試問を経て、さらに論文の修正を指示されます。最後に完成版の博士論文を提出するまで、まだまだ道のりが残っているわけです。
とはいえ、まずは原稿を書き上げることができて、満足しています。

NatureやScienceに論文を出すことはできませんでしたが、大学院博士課程中に論文を12報(うち2報は日本に居た頃に診た症例報告であり、1報はまだ査読中)を書くことができました。幾つかの賞も受賞することができました。
英国に来て3年になりますが、まあ、自分にできることは一通りできたのではないかなと思いました。
あとは日本に戻ってから、また、頑張ることにしましょう。

というわけで18日日曜日はハイキングへ出かけました。
Belfastの街を一望できるCave Hillという小高い丘があるのですが、そこを2時間くらいかけて横断しました。足下が舗装されておらず、一部は完全に山道になっていて、途中で雨にも降られてしまい、そこそこ疲れました。しかし、素晴らしい景色を見ることができました。
山も、海も、街も淡い色彩で、実に北アイルランドらしい光景でした。
非常に美しい場所だなと改めて思いました。



17日土曜日は、BelfastのショッピングモールCastleCourtにあるギャラリーで、日本人アーティストのパフォーマンスを観ました。鈴木貴博さんは、22年以上にわたって、ひたすら「生きろ(be alive)」と書き続けている方です。ただひたすら「書く」ということが、刹那的なパフォーマンスであり、永続的なアートにもなるのですね。毎日コツコツと書き続けるというのは単純ではありますが、22年間は伊達ではありません。そのようなやり方はどこか社会彫刻的なアプローチを感じさせられますが、一方、継続は力なりというのでしょうか、実に日本人的な発想だなとも思いました。




大学院修了に向けてラストスパート

2019-05-08 | 英国大学院博士課程に関して
日本では長い長い10連休が終わりましたね。英国も、6日にEarly May Bank Holidayと呼ばれる休日がありましたので、3連休でした。イースター休暇と合わせると、日本のゴールデンウィークに匹敵するくらい、休んでいたような気もします。

さて、2月、3月を日本で過ごしたため、今月は大学院修了に向けてイベントが目白押しです。これは2月、3月にこなすはずだった予定が5月に全て詰め込まれたためです。したがって、すこし気忙しい日々を過ごしています。
さらに、投稿していた論文の査読結果が返却されて査読者からの膨大な要求に応えなければならないし、今秋に提出する予定の博士論文も執筆途中です。その上、幾つかの研究助成金に申請する予定があります。

う~む、詰んだかな、これは…

なんて思わなくもありませんが、いつだって一つ一つ片付けていけば、いつか終わりが見えてくるものです。止まない雨はないし、明けない夜はないのですから。ラストスパートだと思って、頑張りたいと思います。

というわけで、とりあえず本学大学院修了のための幾つかのステップをこなしています。
具体的には、Annual Progress Review (APR)と呼ばれるプロセスを通じて、年度進捗状況を評価委員の先生方に評価されて、大学院博士課程3年目(最終年)を修了しなければなりません。このAPRを終えて、ようやく博士論文(いわゆるthesis)の提出資格を得ることができます。そして、博士論文を今秋の期限までに提出して、その審査会(いわゆるviva)を11月頃に受けて、全て問題なければようやく博士号PhDを授与されるという寸法です。

いや~、長い道のりですねえ…

さて、このAPRのために、学内シンポジウムでの発表(20分)と、評価委員会でのインタビュー(30分以上60分未満)を受ける必要があるのですが、そのどちらも今月に予定されています。学内シンポジウムも面倒ですが、とにかく厄介なのがインタビューです。なにしろ長い間、評価委員の先生方からの質問やコメントに答えなければならないのですから。英語が非母国語である私には気が重いのですね。仕方ないとはいえ。

あと留学予定期間も半年を切りました。
いつの間にか、こんなに時間が経っていたなんて…
Time flies like an arrow

英国の大学における階級制度

2018-11-25 | 英国大学院博士課程に関して
今日は英国の大学についてすこし。
日本や米国や欧州(大陸側)の大学と、英国の大学で異なる点の一つに、大学内における教員の階級があります。私が学部生時代にサマースチューデントとして英国スコットランドに留学していた時に驚いたことの一つに「Reader」という職位がありました。当時、Readerがどのくらいの地位の方なのかよく判らず、困惑した思い出があります。

日本では、現在、おおむね米国の大学の階級に合わせていて、

日本 USA
教授 Professor
准教授 Associate Professor
(講師)
助教 Assistant Professor
(助手)

の三階級(あるいは五階級)に分かれています。講師や助手というポジションもありますが、あまり一般的ではないようです。博士号(学位)を持たないスタッフを助手として雇う例があります。
日本においては、とくに医学部では、教授にならなければ独立した研究者あるいは教育者としては見做されないという慣習もあります。白い巨塔の教授選挙が、21世紀の今でも、時に過熱気味になるのはそのせいですね。とはいえ、医学部とそれ以外の学部とでは、かなり事情が異なります。
米国では、ProfessorとAssociate Professorが「テニュア tenure」と呼ばれる終身雇用職員となっていて、定年までその職に就くことが出来ます。それらのポジションを得て、ようやく研究者あるいは教育者として身を立てることができるわけですね。

一方、英国では、

UK
Professor(教授)
Reader(もうすぐ教授になれそうな人)
Senior Lecturer(上級の講師)
Lecturer(講師)

という四階級に分かれています。Lecturerの一部の人、Senior Lecturer、Reader、Professorがテニュアであり、Professorになれる人は一握りです。Professorの中でも色々とランクが分かれており、給与がランクに応じて異なるようです。もちろん、能力のある方でなければProfessorにはなれないので、「Prof.◯◯」というスタッフには、やはり敬意が向けられますが。

さらに欧米では冠教授 Endowed Professorhshipと呼ばれる伝統的な制度があり、篤志家の寄付によって設けられる特別な教授職があります。例えば、科学史に燦然とした名を遺すアイザック・ニュートン、ポール・ディラック、スティーブン・ホーキングらが務めた「ルーカス冠教授 Lucasian Professorship of Mathematics」は英国ケンブリッジ大学が世界に誇る冠教授ですね。350年以上の歴史を誇ります。当然、冠教授になるのは超一流の方です。

欧米では大学にも階級があり、例えば英国の場合では「教育大学」か「研究大学」で階級が異なります。日本でも旧帝国大学を由来とする大学はすこし格式がありますが、英国の場合はとくに「ラッセル・グループ」に所属する研究公立大学連合の力が強いです。

したがって、一言で「英国に留学しました~」といっても、「何処の大学で、誰の指導の下で、何を学んだか、何を研究したか」によって、当然、全く違うのですね。もちろんアカデミアにおいては、英国の場合、研究大学で、名のある教授のもとで、しっかりと修行した方が評価が高くなるわけです。そのあたりは緩いようでいて、実際はかなりシビアです。

英国の大学院修士課程への留学について

2018-04-13 | 英国大学院博士課程に関して
昨日は大学院博士課程のことを書きましたが、今日はMasterコース(修士課程)についてもすこし触れておきたいと思います。

イギリスの修士課程は、以前にも書いた通り、期間としては1年あるいは2年であり、主に講義受講コース(taught)と研究コース(research)の2つがあります。他には、資格取得コースもあります。
日本から英国への大学院留学というと、おそらくほとんどの場合が1年間の修士課程で講義受講コースになると思います。1年でMasterが取得出来るとはいえ、昨日申し上げた通り、優秀な学生は学部から博士課程に直接入りますので、Masterという学位は、日本の修士号と比べて、すこし程度が低く見られています。実際のところ、Masterは一応「学歴」にはなりますが、残念ながら、学術的にはあまり価値がありません。
英国の一般的な国立大学ではEU外からの留学生には「とても高額な学費」を求めており、円と£のレートにもよりますが、1年間で文系で約200万くらい、理系で250万くらいになります。これは国立大学でほぼ一律ですが、日本の学費と比べると、アホみたいに高いです。この学費に見合う価値が本当にMasterにあるのかどうか、その判断は人それぞれでしょうけれども。

「イギリス大学院留学」というと格好良く聞こえるかもしれませんが、内容はピンからキリまで分かれており、とくに修士課程留学については注意する必要があります。
修士課程のような短期留学の場合、留学というよりも「英国内に滞在しているだけの遊学」になっているパターンも多く、実際、目的意識をはっきり持って具体的な到達目標を定めて留学している学生は少ないです。残念ながら、「英国留学というハク付け」のために大金をかけて留学する自費留学(あるいは自費遊学)が多いのですね。最近では中国からこの種の大学院留学が殺到しており、英国内の有名大学でも修士課程は中国をはじめとするアジアからの留学生で一杯です。
イギリスの大学側でも、多額の学費を納めてくれて、たとえそれに見合った教育を施さなくても、ただ「英国に来ている」というだけで満足してくれるお気楽なアジア人留学生を積極的に受け入れています。「留学生を採れば採るほど大学が儲かる」という、いわゆる留学ビジネスってやつですね。さらに、アジアからの留学生が増えると「国際大学ランキング上は有利になる」ので(そのために英国某会社が作っている国際大学ランキングでは必ず留学生の割合が高く評価されるようになっています)、大学の名声を高めるためにもアジアからの学生をどんどん採るのがトレンドです。

もちろん、中には色々と戦略的に考えて、「英国でしか学べないこと」を勉強に来ているアジア人留学生もいらっしゃいます。私の知る幾人かの優秀な修士学生は、英国文化を学ぶためであったり、英国で認定される資格取得のためだったり、色々な具体的目標を掲げて頑張っていました。
そして、留学は、古今東西、蒙を啓く自己研鑽のためにはとても有用な機会であることは間違いありません。外国での生活はそれだけで色々な刺激があります。様々な可能性が広がります。この機会をしっかり活用できれば、素晴らしいキャリアパスになるでしょう。

上記を踏まえて、もしも私がこれからイギリスへ留学することを考えていらっしゃる方々に助言をさせて頂くならば、
「具体的な目標をしっかり設定すること」(Youは何しにイギリスへ?)
「その目標は英国でしか達成できないのかよく検討すること」(日本で出来ることならば日本でやればいいでしょう)
「留学費用の算段をちゃんとつけること」(お金は大事です)
を挙げます。

昔『スラムダンク』という漫画がありました。
その中で、バスケットボール留学でアメリカに渡った日本人プレーヤーの矢沢が「バスケットの国アメリカの、その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなあ…」と手紙に書くシーンが出てきます。矢沢はしっかりした目的意識を持たないままアメリカに渡ったため、ただアメリカに滞在したというだけで、結局、技術的な向上がないまま終わるのです。そして、矢沢を指導していた安西先生も矢沢の米国でのプレー動画を観て「(日本に居た頃に比べて)まるで成長していない…」と落胆します。
実は、イギリスの大学院への留学も、それと全く一緒です。大学院にただ在籍するだけで、イギリスに居るだけで満足していては、成長がありません。要は自分次第ということですね。

次回は、英国の大学院への留学奨学金について、すこしだけ触れたいと思います。

英国の大学院博士課程について

2018-04-12 | 英国大学院博士課程に関して
私は現在、大学院博士課程に所属しております。うちの大学院はすこし特殊なのかもしれませんが、入学は秋で、卒業は冬または夏になっており、私のプログラムは2016年秋から始まって2019年冬に卒業するスケジュールの3年間の課程となっています。ただし、博士研究の進行が遅れると、2020年夏の卒業になる可能性もあります。うちの研究室では、困ったことに、卒業が遅れるパターンが結構多いです。

英国の大学院博士課程は、プログラムによって多少異なりますが、3年あるいは4年間が一般的です。そして、学部を優秀な成績で卒業すると直接博士課程に進むことができるという特徴があるので、英国の大学院博士課程の学生はかなり若い人が多いです。早いと25歳くらいでPh.Dの博士号が取得出来ます。日本では早くて27歳くらいですから、英国は日本などの諸外国と比較して、かなり若くして博士を名乗れるわけですね。
私の同級生たちも私よりかなり年下が多いです。私と同年代あるいは目上なのは、私と同じように英国で臨床をやっているあるいはやっていた医師たちですね。日本の臨床系大学院と同じように、こちらでも臨床をしながら大学院を修了することが出来ます。その制度を利用している医師たちは思っていたよりも多かったです。

大学院博士課程1年目は、学生本人にとっても、大学にとっても、いわば「お試し期間」です。この段階で学生本人に博士課程の適性がない、あるいは他のキャリアに進む場合、大学側の指導体制の責任が問われることはありません。つまり、学生本人の問題ということで、大学側にはおとがめなしです。
オックスブリッジを初めとする多くの英国大学院博士課程では、入学後最初の3ヶ月程度でLiterature Review(博士研究テーマに関する先行研究の総括)の執筆が課されます。だいたい3000 wordsから100000 words程度で、自分の博士研究テーマについて「どこまでが判っていて、どこからが明らかではないのか」をまとめなくてはなりません。この出来が良ければ展望論文として科学誌に投稿され、そこで採択されれば出版されることもあります。
その他、大学院1年目には研究の取り組み方に関する講義(論文の書き方、文献の収集方法、学会での発表法など)、専門領域に関する系統講義(例えば博士研究テーマが「発がん」であれば、腫瘍学に関する講義など)、実習(動物実験に関する法的講習など)などを受講して、必須単位を取得することが求められます。
うちの大学の場合、5~6月の春学期終了間際に、上記の課題をちゃんとこなしたか、博士研究がちゃんと進んでいるかなどが全体的にチェックされて進級要件を満たしていれば博士課程2年次に進むことが出来ます。

2年目はとくに大きな課題はありません。大学院が開催するシンポジウムでの発表など幾つかの要求はありますが、基本的には博士研究に取り組んで、データを取得することが求められます。そして、博士論文の構成を練り、論文を完成させるために必要な実験、データをまとめていきます。5~6月の春学期終了間際に、博士研究の進行について審査があります。

3年目は博士研究の集大成です。博士研究をまとめて学位論文(100000 words目安、200 ページ以上)を執筆して、博士号にふさわしいかどうかの審査会を経て、全てクリアすれば晴れてPh.D 授与となります。しかし、規定の期間で博士論文を執筆できず、審査会が出来なかった人は、4年目以降も頑張る必要があります。

で、私の場合、ぼちぼち2年目が終わります。
今年度は昨年度に比べて、単位取得に追われることもなく、ひたすら博士研究を進めるだけという感じでした。2年目は、おそらく日本の大学院博士課程と比べても、それほど遜色ない過ごし方だったような気がしますね。ただ、研究の進め方についてはだいぶ理解が深まったというか、将来、自分が研究グループを率いる立場になった時にどうすればいいか、世界と戦うにはどうすればいいかということは最近判ってきたように思います。
来月に2年目の審査会があります。日本語でも審査されるのは面倒なのに、さらに英語でネチネチやられるわけです。
今から憂鬱ですor2

ということで、たまには大学院の愚痴を書いてみました。

大学院リサーチフォーラム2017

2017-12-01 | 英国大学院博士課程に関して
本日は大学院リサーチフォーラム(Graduate Research Forum 2017)が開催されました。本学の医学博士課程、公衆衛生大学院生はこのフォーラムで博士研究の状況を報告しなければなりませんので、私もポスター発表を行いました。

自分たちのラボだけでなく、研究室や研究センターの垣根を超えて様々な学術的な背景を有する人たちが集まるので、正直、専門外の領域の発表を理解するのはなかなか難しいのですが(そもそも興味がないので)、広く浅く知識を蓄えるのには役に立つような気がしましたね。
一般的に、Ph.D.(博士号)を有する人は、自分の専門領域に関する知識は深いのですが(当たり前ですが)、それ以外の領域の知識に欠くことが多いと言えます。逆に言うと、私のような医師免許を持つPhysician-Scientist(研究医)は、やはり医学部で学んだ広範な疾患の知識を有していますので、その知識量の差でPh.D. Researcherに差をつけることができるわけです。それでようやく勝負は五分みたいな感じもあります。そのような状況に置いて、今回のような試みで出来るだけ幅広い研究範囲に大学院生を触れさせることによって、豊富な教養を有する医学研究者を育成しようとするのは戦略的に正しいでしょう。
朝から一日中参加すると、正直疲れますが、勉強になりました

クローン羊ドリーの遺したもの

2017-11-01 | 英国大学院博士課程に関して
本日、クローン羊ドリー Dorry the Sheep を1997年に発表して(ドリー自体は1996年に誕生)世界に衝撃を与えた科学者イアン・ウィルムット卿 Professor Sir Ian Wilmut が本学で受賞講演を行いました。本学では、かつて医学教育・研究に尽力された生理学者バークロフト博士 Dr Henry Barcroft の名を冠した Barcroft Medal を著明な医学研究者に毎年贈っているのですが、1997年「ドリーショック」から20年目の節目を記念してエジンバラ大学名誉教授のウィルムット卿が今年受賞されました。1997年2月27日号に英国総合科学誌Natureに掲載された論文は、言うまでもなく、哺乳類初のクローン成功の報告として世界を震撼させました。

『ドリーからヒト疾患の治療へ From Dorry to treatment of human disease』と題された講演では、クローン技術の発展の歴史を紐解きながら、未来の治療戦略への提言がまとめられました。その中で、2006年にiPS細胞を開発した山中伸弥・京都大学教授の業績なども紹介されました(余談ですが、ドリーに遅れること2年、世界初のクローンマウス作製の報告をNatureで発表したのはハワイ大学で長く活躍された発生生物学の世界的権威・柳町隆造教授のグループでした。この分野は日本人による貢献が大きいといえます)。

羊で出来たならば、いずれはヒトのクローンも出来るだろう……

当時(あるいは現在でも)、「クローン技術は許されるのか」という生命倫理学的な問いかけは大きく採り上げられました。この20年間、隆盛を誇るゲノム編集技術もそうですが、「生命を操作する」ことは技術的にますます容易になり、私たちにとってより身近なことになりました。
医療に応用することで、たしかに救われる人は増えるかもしれません。それは人類に貢献といえるでしょう。しかし、もちろん、一方では他の目的に応用されることもあるかもしれません。その場合、私たちはどう考えるべきなのか。

2002年にドリーは、肺の病気にかかり、ついに安楽死させられました。彼女の誕生も死亡も、その全ては人によって操作されたものでした。そして、その後も彼女のクローンは作られ続けており、今でもその命脈は続いています。
しかし、ドリーが遺したものは、彼女のクローンだけではありません。生命操作技術に対する多くの示唆と教訓を私たちに与えてくれたのです。

北アイルランド大学事情

2017-09-16 | 英国大学院博士課程に関して
「君、クイーンズは良い大学だと思うかね?」

今日、唐突にそのように問われて、思わず答えに詰まりました。
英国が誇るトップ大学連合「ラッセルグループ」の一角であり、ヴィクトリア女王陛下が創立した由緒正しい研究大学(それ以前にすでに学術機関としての母体は存在していた)であるからには、まあ、「悪くない大学ですね」というのが正直な感想です。世界大学ランキングは近年は200位前後であり、日本で言えば東大、京大には劣るものの、阪大、東北大には勝っているというような立ち位置です。世界の超一流ではないのかもしれませんが、一流ではあるでしょう。しかし、クイーンズの学部の卒業生であるその方に向かって、何と言っていいものか、すこし困ったのでした。答え方によっては、その英国紳士のプライドを刺激する恐れもあったからです。

実は、英国北アイルランドには総合大学が2つしかありません。Queen's University Belfastクイーンズ大学ベルファスト(通称、クイーンズ)とUniversity of Ulsterアルスター大学です。そもそも北アイルランドがほぼ面積、人口共に日本で言えば福島県と同じくらいであることを鑑みれば、大学が2つしかなくてもあまり違和感はないだろうと思われます。
前者には長い伝統と実績があり、これまで数多のアイルランド共和国大統領、北アイルランド首相などを輩出し、人文科学分野でもノーベル賞受賞者を輩出し、自然科学分野でもとくに医学の分野で名高い王立大学です。
後者は比較的最近出来た公立の教育大学で、アイルランド島全体でNational University of Irelandアイルランド国立大学に次いで2番目に大きい規模を有しています(つまりクイーンズよりも大きい)。北アイルランド全体に幾つものキャンパスを有しています(Belfastだけでなく、Derry、Jordanstown、Coleraineにも)。
日本で言えばクイーンズは旧帝国大学、アルスター大学は規模の大きな公立大学みたいな感じでしょうか。大学としての方向性は異なりますが、いずれも悪くない大学だと思います。

私は、正直言うと、現在の指導教官を知るまで、北アイルランドの大学なんて全く知りませんでした。指導教官は世界的に高名な放射線生物学者ですが、彼の所属がクイーンズであることを初めて知った数年前に、「へえ、クイーンズ大学ベルファストってどこにあるのですか?」と間抜けなことを聞いてしまったほどです。

個人的には自分の所属する大学が「良い大学かどうか」ということに関心はほとんどありません。結局のところ、自分がどれだけ成長できるかが重要だと思うからであり、大学の良し悪しはどうでもいいのです。東大卒業してもダメな奴はダメだし、中卒でも優秀な人は優秀です。今太閤と呼ばれた田中角栄のような人物だっています。
ただ、こと自然科学に関していえば、設備と資金が豊かで、周囲と切磋琢磨できる環境はやはり良いです。だから、理系に関しては「所謂良い大学で学ぶ」のはそれなりに意味があるのかもしれません。しかし、私が見るところ、クイーンズにせよ、アルスター大学にせよ、環境面では欧米の他の大学とあまり大きな差はないように思います。個人的には、やはり欧米の大学院の留学先を選ぶ際には、むしろ「誰を指導教官に仰ぐか」「自分の成長にどう活かせるか」などの観点がよほど大事になるのではないかと思います。

私の場合、幸いにも指導教官に恵まれたので、この北アイルランド大学院留学には満足です。

サイエンス・コミュニケーション

2017-02-21 | 英国大学院博士課程に関して
本日は、大学院のセミナーがありました。
テーマは「サイエンス・コミュニケーション(Science Communication)」。研究に従事する際の基本的な心構えから、研究不正、論文投稿、アカデミックサバイバルについてなど、多岐に亘る内容でした。

小保方女史によるSTAP細胞の事件は、日本人研究者の端くれとしてはとても耳が痛いのですが、近年の研究不正(あるいは百歩譲って疑惑と言ってもいいですが)における最大級の出来事でした。
その話だけで20分くらいだったでしょうか、Natureが載せた例の論文とその後の顛末(再現実験の失敗など)についての解説を聞きながら、なんというか穴があったら入りたい気持ちになったのでした。本学大学院に在籍する日本人は私だけですから。
遺憾ながら、本件は、韓国の黄禹錫の件、ドイツのヤン・シェーンの件と並んで「世界三大捏造」と言われています。

その他にも、JBC(Journal of Biological Chemistry、悪くないが良くもない中堅ジャーナルで、主に生化学・分子生物学を採り上げる総合生命科学誌)にすぐに投稿するか、3か月さらに実験を重ねてNature Medicine(いわゆるNature姉妹紙で、世界トップレベル医学誌の一つ)に出すべきかなど、なかなか興味深い議論が展開されました。Publish or Perish(論文を出版せよ、さもなければ去れ)という研究業界の中で、安全策をとるか、夢をとるかが検討されましたが、当然ですが、結論はJBCに投稿しましょうということです。講師の先生曰く、「リアリストであるべきです」とのこと。
世界最高峰の医学誌NEJM(New England Journal of Medicine)に時折掲載される面白い論文の話なども印象的でした。「ユーモアも時には要るよ」ということなのかもしれません。
英国の大学院ではこの種のコミュニケーション、リテラシーの教育にはかなり重点を置いているそうです。本学も、当然ですが、厳しい基準が求められています。やはりサイエンスという営みに対する理想が、日本よりも、ずっと高いような印象を受けました。

写真は、博士号取得後のキャリアパスに関するレクチャーの写真です。
「アカデミックポストはごく一握り。正直言って、皆さんは、他の道も常に探しながら、博士課程を送るべきでしょう」など、講師の先生のきわめて率直なご意見も伺いました。最近のEUのポスドクはアカデミックポストに就けるのはわずかに年間6%に過ぎないということです。つまり、競争はとても激しいです。誰もが教授に成れるわけではありません。
私は、一応、医師免許を持っていて良かったと改めて思いました。
研究の世界は厳しいものです。

旅立ちの季節に振り返ること

2016-12-07 | 英国大学院博士課程に関して
本学は、今週、卒業式を迎えています。
これが英国標準なのかどうかはよく判りませんが、英国研究大学連合「ラッセルグループ」の一角にして英国内で9番目に古い歴史を誇る研究大学として数多の人材を輩出してきた本学においては、冬と夏、すなわち12月と7月に卒業式があります。とくに冬はMaster course(修士課程)の卒業式であり、夏よりも規模が比較的大きいとのことです。
Belfastから旅立つ人もいれば、そのままPhD course(博士課程)に進む人もいます。いずれにせよ人生における一つの区切りであり、もう二度と会うことがない人たちもいるでしょう。一期一会の世の中ですが、別離はいつだって寂しいものですね。
Good Luck!

振り返ると、私自身、今年は転機でした。まず、引っ越しを2回もしましたから。同都市内での近距離の転居ならばともかく、いずれも生活環境の変化が大きかったものですから、慣れて適応するまではやはり時間がかかりました。また、幾つもの重要な決断をせざるを得なかったという意味でも、一つの節目になると思います。私の人生の方向性がある程度は決まりましたから。今、ここ英国まで来て、国際学会の副会長を務めるような大科学者である指導教官からどこまで本気か判りませんが「君のアイデアは興味深く、放射線研究者として君は大成するかもしれない」と言われて、ようやく自分の選んだ道を信じて進めるような気がしています。

福島県の片隅の小さな公立病院で勤務していた時、私はある患者さんを看取りました。
彼は福島県飯舘村に住んでいましたが、あの原発事故で故郷を追われ、その後は相馬市の仮設住宅にて独りで暮らしていました。最期に「家に帰りたかった」と言って、失意のまま亡くなられました。私はなんとかしてあげたかったけれど、結局、何も出来ませんでした。
何の罪もないのに彼にはあのような人生の終わり方しかなかったのかと思うと、悲しくて、悔しかった。「誰かが放射線被ばく影響を一生懸命に研究しなければならない」と心に刻みました。
今回の悲劇的な原子力災害から得た教訓を以て私たちは絶対に前に進まなければならないと。
故郷を失って無念のうちに亡くなられた人たちの想いを決して無駄にしてはならないと。
そう思って、そう信じて、今、私はここにいます。

上の写真は、松島の円通院で撮影されたものです。
とても綺麗な紅葉ですね。この種の儚い美しさは英国にはなく、改めて日本の風土の特徴を感じさせられます。帰国して松島へ行く機会があったら、この幻想的な光景を直に見てみたいです。福島で大変お世話になった方がわざわざ写真を送って下さったのでした。ありがとうございました。ご厚意にいつも感謝しています。
色々な方々に支えられて、今、私はここにいます。

未来のことなんて今の私には何も判りませんが、ただ、いずれにせよ努力を続けていくことしか出来ません。それにしても、子供の頃には、まさかこんな人生を歩むなんて、思いもよらなかったなあ……

大学院リサーチフォーラム2016

2016-10-21 | 英国大学院博士課程に関して
今日は我々の大学院博士課程のリサーチフォーラムが開催されました。本学には赤煉瓦作りの壮麗かつ伝統的な建物が数多くあるのですが、その中の一つが会場でした(写真参照)。

大学院には大きく分けて、講義課程(Postgraduate taught course)と研究課程(Postgraduate research course)がありますが、我々のように博士号(PhD)取得を目指す者は3年間(あるいは4年間)の研究課程になります。今日は本学の医科学系大学院を構成する3センター(がん細胞生物学研究センター、実験医学センター、公衆衛生学センター)に所属する3年目の学生が口頭発表を行い、2年目の学生がポスター発表を行ったのでした。我々のように1年目の学生は彼らの勇姿を見学して、勉強させて頂きました。基本的にはいわゆる「学会」と同じようなスケジュールに沿って、学生同士で研究を発表し合うのですね。発表のレベルはともかく、将来の研究者を志す人たちにとっては、この種のイベントはやはり教育的だろうと感じます。
今週は米国でRadiation Research Society(国際放射線学会)の総会が開催されており、我々のグループの主だったメンバーは全員留守なのですが、この為だけに博士課程学生だけは英国に残っていたのでした。私も同じ研究室の学生たちの発表を中心に聴きました。

 
参加者は大学院の教官たちもいますが、基本的には博士課程学生が主であり、彼らのキャリアパスの参考になるレクチャーもたくさんありました。某Nature姉妹紙の編集長は「サイエンスライター」になるにはどうしたらいいかを話して下さいましたし、某製薬会社の研究開発部長は産業界における博士研究員のキャリアの重ね方について話して下さいました。このように、世界屈指の一流ジャーナル編集長や一流企業研究者の話がすぐに聴けるのが英国研究大学の強みなのかもしれません。「Natureにはどうやったら論文が採択されるか」という話はやはり興味深かったですね。
かつてアイザック・ニュートンやチャールズ・ダーウィンを輩出した英国の誇る「サイエンス」の伝統に触れた気がしました。「科学する」という営みがすごく身近に溶け込んでいて、大学の外でも博士号所持者はより自由に活躍しているのです。そこには妙なプライドもありません。余剰博士問題が表出して、大学院全体の活動性が委縮してしまっている日本と比べると、私個人としては英国がやはり羨ましく感じました。

 
あまり大学院生の数は多くありませんが、皆さん、それなりに研究水準が高かったです。
英語を母国語とする人たちが時間に追われて焦って発表すると私にはほとんど何を言っているか聞き取れない(というか聞く気が失せる)のですが、それでもこれまでの知識をもとにスライドを見て「おそらくアレのことを言っているんだろうな」とは推測できました。もちろん学生の出来はバラバラなのですが、私の知る日本の幾つかの大学院医学研究科と比べても、研究発表内容の平均値ははっきり高いと感じます。しかし、東京大学などの旧帝国大学などで時々見かけるような「良くも悪くも飛び抜けている人」たちはいませんでした(そういう方々はオックスフォード大学やケンブリッジ大学に行くのかもしれませんが)。そして、私もまた「語学力以外は充分に通用する」ということを改めて確信したのでした。

私の場合、やはり唯一にして最強最悪の障壁こそが「英語」なのでしょう。

初めての試験

2016-10-19 | 英国大学院博士課程に関して
英国に来て初めての試験は国家試験になりました。

日本や米国と異なり、英国では動物実験を行う際にはライセンス(免許)が必要です。法的講習・研修を受けて、試験で規定以上の成績を出さないと、所管大臣からライセンスが発給されません。いつも研究センターでお世話になっているKarl氏に「とにかく受けて来てね」と言われて、先週は何が何だかよく判らないうちにBelfast中心部から10kmも離れた動物センターで法的講習・研修を受けて、今週も何が何だかよく判らないうちに試験を受けたのでした。

この試験が実に曲者で、英国に留学された私の知人は「最初、落ちた」と言っていましたが、たしかに落ちる要素があるのです。

動物実験に関する生理学的、解剖学的、麻酔科学的な知識はなんとなく知っているというか、動物実験に少しでも携わったことがある人ならばある意味常識でなんとかなります。例えば、マウスの妊娠期間や発情期などは、勉強しなくても判ります(ただしウサギやブタはさすがに勉強しなくては判らんと思います)。しかし、問題は「法律分野」です。Animals (Scientific Procedures) Act 1986という動物実験に関する規定を定めた英国の法律があるのですが、この法律に関する設問を70%以上正答しなければなりません。
たぶん、留学で日本から英国に来て動物実験する方が落ちるとしたら、このせいだと思われます。
私も「え~、これを覚えるのか~」と、宿舎で発狂しそうになりました。ただでさえ興味ない分野の暗記なんて大変なのに、やたらと難解な英語で書いてあるので、かなり覚えにくい部分もありました。生物学的専門用語も相当難しいものがありますが(chromodacryorrhoeaとかね)、英語を母国語としない者にとっては法律用語もやはり難しい。意味が判りませんから。それでも、法律によって動物ごとの安楽死の推奨方法なども詳細に決まっていて、やはり試験の出来は「法律をいかに覚えているか」次第という印象でした。


幸いと言うべきか、試験は辞書持ち込み可だったので、試験官の了承を得て辞書を使わせて頂きました。前日に3£(400円弱)で購入したOxoford English Dictionaryです。

しかし、専門用語までカバーしていないために、購入した効果はほぼなかった(´;ω;`)

当然ですが、試験には何問か「捨て問(つまり鉛筆を転がしておく問題)」が存在したために、受験後に絶対合格したという確信はありませんでした。下手すると70%を切るかもしれないと不安でした。独り哀しくヤケ酒でも飲もうかと思っていた試験当日の夜、「おめでとう、合格していたから、近日中に合格証書を送ります」というメールが届いて(国家試験なのに採点・合格発表が早すぎでびっくりしました)、とりあえず、ほっと安心したのでした。

動物実験ライセンスの取得 ~Animal (Scientific Procedures) Act 1986~

2016-10-15 | 英国大学院博士課程に関して
英国には動物実験に関する法的規制として「Animal (Scientific Procedures) Act 1986」があります。この法律によって、動物実験に携わる研究者はパーソナルライセンス、プロジェクトライセンスを取得しなければなりません。そして、そのためには法的講習および研修を受けて、試験を突破する必要があります。

今週、私はBelfastの片隅で、この講習・研修を受けてきました。日本では主に大腸菌、マウス培養細胞、ヒト培養細胞を用いた実験ばかりをしてきました。マウスを個体レベルで扱ったこともありましたが、英国と同様の法的講習・研修を受けた記憶はありません。施設レベルでの講習は受けたような気もしますが、アレがそうだったのでしょうか。よく判りません。したがって、「英国ではこういう要請もされるのだな」と、かなり新鮮な気持ちで臨んだのでした。
他の受講者もほとんどクイーンズ大やアルスター大などのBelfast周辺の研究機関の人たちでした。私の所属する研究センターからは2人でしたが、お隣の実験医学研究センターからはかなりの人数が受けていました。したがって、クイーンズの関係者がかなり目についたのでした。

当たり前ですが、動物実験には動物福祉(Animal welfare)の高度な倫理観、技術、知識が要求されます。不要・不当な苦痛を実験動物に与えてはなりませんから。そして、常に生命犠牲を最小限に留めながら、最大の実験成果を目指さなければなりません。私も、放射線研究の関係で、どうしてもマウスを用いる必要がありました。もちろん、福島では「ヒト」への健康影響が懸念されているわけですが、だからといって、ヒトを用いて放射線照射実験が出来るわけがありません。すなわち、実験動物を用いなければならないのでした。

しかし、まあ、私は解剖学、生理学、麻酔学などの知識をそれなりに有していたので助かりましたが、講習ではかなり高度な英語が早口でバンバン流れていきました。ただでさえあまり聞き取れないのに、生物学的専門用語が単語レベルとしては難解過ぎて(TOEFL IBTだと110点以上、IELTSだと8.0以上相当ではないでしょうか?)、英語が母国語ではない者にとってはかなり苦痛でした。スライドや配布資料を読みながら、「この講師、何を言っているのだろう?」と常に全力で追いかけていました。リスニングだけでは( ゚д゚)ポカーンという感じになってしまうのですね、それはまだ仕方ないのかもしれませんが。とくに法律関連は、何を言っているのか、さっぱりでした。はっきり言って、猛勉強が必要です。
さらにマウス、ラット、ラビットなどの実験動物をどうコントロールするのかという研修もありました。やはり、それぞれの動物ごとにコツがあります。ラビットを扱ったのは個人的には初めてでした。もちろん、かわいかったのですが、当然ですが、実験動物なので最期は……。

私は医者ですから、創薬、疾患病態の解明などの医科学研究に実験動物を使うのは仕方ないと思っています。化粧品などのコスメ関係の研究はどうでしょうか、個人的には微妙に感じますが。
分子生命科学の現場では、実験動物として、大腸菌、酵母、線虫、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、マウス、ラットなどを用いるのが一般的ですね。種の差はもちろんありますが、マウスのような哺乳類レベルになると遺伝子などもヒトとかなり似ていますし、「ヒトの代わり」としてある程度までは考えることが出来ます。それでもヒトと他の哺乳類の差はかなり大きいので、最終的には臨床研究も欠かせません。日本が誇るiPS細胞もありますが、これも個体レベルでの検証・実験には使えません。

動物福祉・倫理について述べるのは、ここでは止めておきますが、重要な問題と思っています。
我々は、他のあらゆる生命の犠牲の上に、今日の繁栄を作り上げてきたのです。
それは医学とて例外ではなく、私たちはふとした瞬間に立ち止まって、振り返るべきなのでしょう。