「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

放射線小咄 ~初の放射線治療

2018-01-28 | 雑記
本日1月28日は記録に残っている初の放射線治療が行われた日として知られています。

ときは1896年1月28日午前10時、ドイツ人物理学者ヴィルヘルム・レントゲン博士 Wilhelm RöntgenがX線の発見を報告してから僅か1ヶ月後、ばしょは米国シカゴ Chicago、21歳の若きエミル・グラッブ Émil Grubbé (1875-1960)がローズ・リー Rose Leeという55歳女性の肺がん再発患者に放射線治療を施行しました。このグラッブという人は1898年にホメオパシーの医学校を卒業しているので(一般にホメオパシーは現在では医学とはみなされていません)、つまり、いわゆる医療従事者ですらなかった段階で「X線を治療に応用する」ことを思いついて、実際に放射線治療を行ったのでした。現在の医療倫理観からすると、一見すると信じがたい暴挙に見えますが、一応、患者の同意を得てX線を肺がん治療に応用したと言われています。

ドイツで報告されたX線がわずか1ヶ月後に大西洋を越えて米国で実際に治療に応用されたのですから、当時の状況を鑑みると、恐るべき速度ですね。19世紀の米国は、欧州中心の科学界において、いわゆる「外縁の国」でした。つまり遅れた地域と見做されていました。しかし、全身麻酔の施行など保守的な欧州では行われなかったような挑戦的な試みが行われた地域でもあり、19世紀の米国を舞台にして行われた医学・医療の発展は医学史上興味深いものがあります。X線を用いた放射線治療もその一つといえるのかもしれません。若きグラッブの挑戦を寛容する精神的土壌があったのです。

グラッブはその後、医師として高い評価を得て、数々の栄誉を受けました。黎明期の放射線医学を発展させた人物として知られ、1960年に85歳で亡くなりました。彼の薫陶を受けた放射線治療医たちによって、その後、米国は世界最先端の放射線治療をリードする国家となります。そして、スタンフォード大学で放射線治療を推進したヘンリー・カプラン医師 Henry S. Kaplanなど、数多くの優れた放射線治療医が輩出されることになるのです。

Obituary: E. H. GRUBBE, M.D., F.A.C.P. Br Med J 1960:2;609.