ひとやすみ(風のいろ:別館)

あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました(ヨナ)
闇の中に座っていても主がわたしの光である(ミカ)

何故生まれてきたのか? 何故生きるのか?

2006年01月23日 | Hope
goo blogがどんどん進化し、初めはなかった「ジャンル」をも選ぶようになっている。 しかし正直言って いつも困る…。 私が選びたいと思うぴったりの「ジャンル」が gooさんに無いのだ。 何か、gooの管理局(?)と 私とでは 波長が違うんだろうなあ。 か、世の中と私とでは、かもしれないけど。(つまりgooの管理局と世の中の人の波長はぴったしかんかんで 私だけがずれているというA^^;) 「カテゴリー」は自分で勝手に作成・設定できるから個性が出せるけれど、共通事項の「ジャンル」、ほんと、困っちゃう…。

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底に沈んでいた時、神様に泣いて訴えたことの一つが、「どうして私に命を与えたの?」ということだった…。 だって 生きるの、辛いんだもん。
冷静に考えれば、私の苦しみなんて試練とも言えないようなもの…。 クリスチャンの方でもノンクリスチャンの方でも、とっても大きな試練、苦難を背負わされてなお懸命に生きてらっしゃる方が 世界にはたくさんいらっしゃる。 だから生きるのが辛いなんてほざくのは恥ずかしいとも思う。けれど、事実だから仕方ない。

さて、そんな訴えをして 今、少し浮かんできて、思うことは、私達が生きるのは、もちろん神さまが命を与えてくださり生かされているのだけれど、ただ、私たちの側から単純に見た場合を考えると、一種の「本能」なのかな?と思った。
子供を身ごもった時、どこからそんな思いがやってきたのか不思議だけれど、確かに幼い私(←22歳になったばかり)にも 「母性本能」というか、母親らしき愛情が胎児に対して芽生えていた。 それを思い出していた。
動物や植物は理屈なんて考えない。 命を与えられ、あるがままに自然(?)に、懸命に生きるだけ。人も同じではないだろうか。命を与えられたものの宿命のようなもので、理屈ではなく 私たちの中に「本能」として 生きる力が与えられているのではないだろうか?

な~んて よくわかりませんけど。。。。。

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