日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

宮塚古墳/広瀬古墳群|埼玉県熊谷市 ~全国に10例ほどしかないのになぜか武蔵に多い上円下方墳~

2021-02-15 11:38:57 | 歴史探訪


 

宮塚古墳は全国的に見ても珍しい上円下方墳で、規模は小さいながらも墳形がしっかり分かるいじらしい雰囲気の古墳です。

発見容易
説明板あり
珍しい上円下方墳
墳頂登頂可能
駐車場なし(近くの運動公園にあり)
トイレなし(同上)

お勧め度:

1.基本情報                           


所在地




埼玉県熊谷市広瀬608

 

2.諸元                             



 

3.探訪レポート                         


2021年2月6日(土) 2021年ファースト古墳めぐり③



この日の探訪箇所
栢山天王山塚古墳 → 塩古墳群 → 宮塚古墳 → 埼玉古墳群

 ⇒前回の記事はこちら

 今回の古墳めぐりは埼玉県内で私的に可及的速やかに見ておきたい古墳の中から、せっかく車を出してもらえるということで公共交通機関で行きづらい古墳をチョイスしました。

 つぎに訪れる上円下方墳の宮塚古墳もそのうちの一つです。

 上円下方墳とはその名の通り、2段築成の下が方形で上が円形の古墳で、全国には10例ほどしかありません。


※『山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)より転載

 この図のうち、私は福島の野地久保古墳と川越にある山王塚古墳、東京都内にある武蔵府中熊野神社古墳、天文台構内古墳、それと蘇我馬子の墓かもしれない飛鳥の石舞台古墳を見ています。

 ただし、石舞台は上円下方墳ではなく、方墳じゃないかなあと思ったりしているのですが、最近見つかった馬子の息子の蝦夷の墓かもしれない小山田古墳の調査がもっと進めば考え方も変わるかもしれません。

 上記した通り、珍しい墳形にも関わらず、武蔵国内に4基もあって、そのなかの東京都府中市の熊野神社古墳は古墳めぐりをはじめた最初のころに訪れており、古墳に興味を持ち始めた当初からこの形の古墳は気になっているのです。

 というわけで、熊谷市内の運動公園にやってきました。

 古墳は運動公園の南側の新幹線の高架をくぐった先にあるようなので行ってみましょう。

 少し歩くと畑の中にポツンと古墳らしきものが見えました。



 説明板も立っているようですし、きっとあれに違いありません。



 ところで、東側に見える神社の小山も古墳じゃないでしょうか?



 あっちもあとで行ってみましょう。

 まずは宮塚古墳からです。



 説明板を読んでみます。



 現在みられる大きさだと思うのですが、下方部は東辺が17mで西辺が24mということで、いびつな形になっています。

 上円部もちょっと楕円形ですね。

 現代の私たちからすると、きっかりとした形でないことが気持ち悪く感じるかもしれませんが、古墳というものは基本的にはちょっとゆがんだ形なのです。

 方墳であれば長方形、円墳であれば楕円、前方後円墳は左右非対称という感じで、お墓というものは完全な形でなくて良いのです。

 むしろ、死者に関するものは完全な形を忌み嫌い、そのためにわざと土器の底が穿孔されていたりするわけです。

 わけです、って言い切っていますが、多分そうです。

 標柱もありますよ。



 この古墳は一見するとかなりぶっ壊れている感じですが、下段は方形が切り出された感じがしっかり残っていて意外といいですよ。





 下段には葺石が散見できます。



 円形の上段部分を見ると、あらまあ葺石で覆われていますね。



 頂部には祠が見えます。



 元々山王様が祀られており、山王塚やお供え塚と言った別称もあります。

 偶然にも川越の山王塚古墳と同じ祭神ですね。

 墳頂に登ってみましょう。



 この祠は比較的新しいです。



 祠の近くには土器片が落ちていました。



 宮塚古墳が築造された終末期はもう埴輪はありませんし、これは埴輪片ではないです。

 元々は赤く塗られていたようで、もしかすると古墳とは関係なくてもっと新しいものかもしれませんが、見た感じで何かわかりそうな方がいらっしゃったら教えてください。

 ところで、宮塚古墳は上円部の直径が小さいこともあり、横穴式石室を造るとしても小規模なものになります。

 そのため、7世紀末というともう火葬がありますから、『埼玉の古墳 大里』(塩野博/著)で述べられている通り、火葬した骨壺を収めるくらいの大きさの石室であればコンパクトに設計できますね。

 宮塚古墳は発掘調査がされていないため、主体部を含めて詳細は不明です。

 同じ埼玉県内では、川越市の山王塚古墳がここ数年積極的に発掘調査が行われており、面白い事実がどんどん分かってきていますから、この宮塚古墳もぜひやってもらいたいですね。

 武蔵の範囲で見ると既述した通り東京都にも2基ありますから、全4基で同盟を組んで「武蔵・上円下方墳連合」とかいって観光の目玉に・・・

 ならないか・・・

 それでは、先ほど見た神社の小山へ行ってみましょう。



 金子さんがスマホで調べて「広瀬4号墳」と教えてくれました。

 このあたりは広瀬古墳群というんですね。

 4号墳の墳頂には社殿があります。



 登ってみましょう。

 おや、扁額が中央にないですね。



 右側に寄せられています。



 「正一位日吉坐王宮」とあるので、こちらの神様も先ほどの宮塚古墳と同じですね。

 扁額が右側に寄せられた代わりに中央には山王様の使いのお猿さんの彫刻があります。



 見た感じではこの社殿は新しいので、以前あった社殿の扁額と彫刻を新しい社殿に取り付けようとしたさい、スペースが足りずに、苦肉の策でこのような配置になったのかと思います。

 扁額が中央にないのはレアケースで面白いですよ。

 墳丘の下を見下ろします。



 墳丘から西側を眺めると、またもや古墳のようなものが見えますよ。



 ※帰宅後に上述書で確認すると、古墳の削り残しと思われるものがあると書かれているので、あれがそうでしょう。



 墳丘を降ります。

 北側から宮塚古墳、古墳の削り残し様のもの、そしてさらに古墳が並んでいます。





 なお、この広瀬古墳群に関しては詳しいことは分かりません。



 実はあまり期待していなかったのですが、宮塚古墳は意外と良かったです。



 上円下方墳ファンでなくても古墳マニアはぜったい訪れるべきですね。

 さて、時刻はもう12時20分です。

 午後の時間はまるまる埼玉古墳群探訪に使おうと思っているのですが、その前にお昼ご飯を食べましょう。

 埼玉古墳群の近くまで戻って、金子さんお勧めのラーメン屋に入ります。



 つけ麺にも惹かれましたが、味噌ラーメンにしました!



 いいですねえ。

 今日も美味いラーメンが食べられて幸せです。

 それでは、埼玉古墳群へ向かいましょう。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『埼玉の古墳 大里』 塩野博/著 2004年
・『埼玉の古墳めぐり』 宮川進/著 2019年



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