⇒この記事の前の「サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)」はこちら
それでは、サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)に住んでいたかもしれない港川人が見つかった港川遺跡へ行ってみましょう。
遺跡は現在工事中ということですが、崖の裂け目(フィッシャー)は橋の上から見ることができるということなので、その橋を目指します。
車を走らせてすぐにその橋に到着しましたが、車を停める所はありません。
なんとか邪魔にならないところを見つけて駐車して現地を見に行きます。
ここだ!
あのフィッシャーで完形に復元できた人骨5体などが見つかったのです。
日本人のルーツに興味を持ってからずっと来たかった場所に来れました。
現代は海のすぐ近くで、こういう風景だったんですね。
なるほど、遺跡は現在整備中です。
さきほどいたガンガラーの谷はどの辺なのだろうか?
5体の人骨のうち、1号人骨のみ男性でしたが、身長は155㎝で、肩幅が狭い上半身が華奢な体形でした。
※このあと八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の方に聴いたところ、現在みられるフィッシャーはかなり埋まっていて、人骨発見地点はさらに20mも下だったそうです。
もうすぐ完成しますよ。
完成したらまた来ないと。
それではつづいて、港川遺跡について詳しく説明しているという八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館へ行ってみましょう。
館内は撮影禁止でした・・・
でも念願の港川人に対面できて嬉しい。
この資料館は、港川遺跡について詳しいですが、他には太平洋戦争の展示も豊富です。
写真撮影が禁止だとテンションが下がるし、記憶にも残らないんですよね・・・
せっかく沖縄に来たということで、戦死したお祖父ちゃんの名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」にも行ってみます。
きれいな公園です。
かなり前に伯母が訪れて写真を撮ってきたのを見せてもらったことがあります。
ちゃんと検索コーナーがありますよ。
良かった、出てきた。
図書館のシステムのように名前が刻まれた場所が書かれた紙が印刷できます。
その紙には戦死の場所や日付が書かれる欄があるんですが、祖父の場合は空欄になっていました。
いつどこで戦死したか分からないようです。
昔、祖母に聴いたところでは、沖縄島で戦って死んだのではなく、沖縄に向かう船が撃沈されてしまったらしいのですが、祖母のもとに送られてきた白い箱の中には遺骨は無く、石が一つ入っていたそうです。
沖縄に向かう途中に亡くなった場合も平和の礎に刻まれるのか分かりませんが、もう詳しいことは分かりません。
この辺のはず。
いた!
「いた」とか言うと祖父に失礼ですが、不思議と対面した気持ちになります。
ここも懸案の場所だったので来られて嬉しいです。
亡くなった当時、祖父はまだ30代で、職業軍人ではなく徴兵されての出陣でしたが、幼い子供たちを家に残して戦いに行くというのはどういう気持ちだったのか。
想像しかできませんが、戦争末期の頃の話ですから、戦って勝てるとは思っていないはずで、行きたくなくても国家の命令なので行かざるを得ず、ほとんど諦めの心持ちだったと思います。
せっかくなので海を見に行きます。
修学旅行の子供たちが大勢いますよ。
おー、綺麗な海だ!
それでは本日最後の探訪地である那覇市歴史博物館へ行きます。
デパートから繋がっていますよ。
ここの常設展示コーナーは「撮影OKマーク」が付いている場所のみ撮影可能です。
でも、考古関係はないですね。
考古関係は明日埋文センターに行きますので、そちらで見ます。
琉球王・尚家のコーナーは撮影可能です。
玉冠はレプリカです。
エントランスには特急「なは」の展示がありました。
たかお食堂のマスターが好きそうなものが並んでいます。
私も好きですけど。
小学生のときに読んだ本に、沖縄には電車がないため、沖縄県の人がせめて沖縄の名前を付けた特急を走らせたいと願って実現したというようなことが書いてあったのを記憶しています。
昔は路面電車がありましたし、今はモノレールが走っていますね。
※今回の旅ではモノレールに乗ってみたかったのですが、時間の都合で乗れなかったです。
以上で本日の探訪は終了。
今夜泊まるホテルへ向かいます。
いつもの東横インと思いきや、今晩はハイアットリージェンシーですよ。
私の場合、原則として東横インかルートインで、たまにドーミーイン、運よく安ければカンデオです。
そんなわけでハイアットは以前から泊まってみたかった憧れのホテルなのです。
景色を見てみよう。
街中なのでかなりのゴチャゴチャ度合いです。
緑がほとんどないですね。
なんとなくブレードランナーの世界。
夕食は、沖縄料理を食べながらライヴが見られる「海音(みおん)」です。
現地で飲むオリオンの生は格別!
料理もどれもこれも美味い。
しばらくしてライヴが始まりましたが、ライヴを見ること自体かなりしばらくぶりです。
三線とギターのデュオで、沢山の歌を聴くことができて嬉しい。
音楽を聴きながら飲むお酒はとても美味しく、オリオン生を3杯飲んだ後、泡盛をロックで4杯飲み、最後はハブ酒を飲みました。
久しぶりに飲み過ぎた!
歌も料理も良かったです。
このお店、また来たい。
部屋に戻って夜景観察。
パトカーは飛んでいません。
最高の一日でした。
(2日目につづく)
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それでは、サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷)に住んでいたかもしれない港川人が見つかった港川遺跡へ行ってみましょう。
遺跡は現在工事中ということですが、崖の裂け目(フィッシャー)は橋の上から見ることができるということなので、その橋を目指します。
車を走らせてすぐにその橋に到着しましたが、車を停める所はありません。
なんとか邪魔にならないところを見つけて駐車して現地を見に行きます。
ここだ!
あのフィッシャーで完形に復元できた人骨5体などが見つかったのです。
日本人のルーツに興味を持ってからずっと来たかった場所に来れました。
現代は海のすぐ近くで、こういう風景だったんですね。
なるほど、遺跡は現在整備中です。
さきほどいたガンガラーの谷はどの辺なのだろうか?
5体の人骨のうち、1号人骨のみ男性でしたが、身長は155㎝で、肩幅が狭い上半身が華奢な体形でした。
※このあと八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の方に聴いたところ、現在みられるフィッシャーはかなり埋まっていて、人骨発見地点はさらに20mも下だったそうです。
もうすぐ完成しますよ。
完成したらまた来ないと。
それではつづいて、港川遺跡について詳しく説明しているという八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館へ行ってみましょう。
館内は撮影禁止でした・・・
でも念願の港川人に対面できて嬉しい。
この資料館は、港川遺跡について詳しいですが、他には太平洋戦争の展示も豊富です。
写真撮影が禁止だとテンションが下がるし、記憶にも残らないんですよね・・・
せっかく沖縄に来たということで、戦死したお祖父ちゃんの名前が刻まれている「平和の礎(いしじ)」にも行ってみます。
きれいな公園です。
かなり前に伯母が訪れて写真を撮ってきたのを見せてもらったことがあります。
ちゃんと検索コーナーがありますよ。
良かった、出てきた。
図書館のシステムのように名前が刻まれた場所が書かれた紙が印刷できます。
その紙には戦死の場所や日付が書かれる欄があるんですが、祖父の場合は空欄になっていました。
いつどこで戦死したか分からないようです。
昔、祖母に聴いたところでは、沖縄島で戦って死んだのではなく、沖縄に向かう船が撃沈されてしまったらしいのですが、祖母のもとに送られてきた白い箱の中には遺骨は無く、石が一つ入っていたそうです。
沖縄に向かう途中に亡くなった場合も平和の礎に刻まれるのか分かりませんが、もう詳しいことは分かりません。
この辺のはず。
いた!
「いた」とか言うと祖父に失礼ですが、不思議と対面した気持ちになります。
ここも懸案の場所だったので来られて嬉しいです。
亡くなった当時、祖父はまだ30代で、職業軍人ではなく徴兵されての出陣でしたが、幼い子供たちを家に残して戦いに行くというのはどういう気持ちだったのか。
想像しかできませんが、戦争末期の頃の話ですから、戦って勝てるとは思っていないはずで、行きたくなくても国家の命令なので行かざるを得ず、ほとんど諦めの心持ちだったと思います。
せっかくなので海を見に行きます。
修学旅行の子供たちが大勢いますよ。
おー、綺麗な海だ!
それでは本日最後の探訪地である那覇市歴史博物館へ行きます。
デパートから繋がっていますよ。
ここの常設展示コーナーは「撮影OKマーク」が付いている場所のみ撮影可能です。
でも、考古関係はないですね。
考古関係は明日埋文センターに行きますので、そちらで見ます。
琉球王・尚家のコーナーは撮影可能です。
玉冠はレプリカです。
エントランスには特急「なは」の展示がありました。
たかお食堂のマスターが好きそうなものが並んでいます。
私も好きですけど。
小学生のときに読んだ本に、沖縄には電車がないため、沖縄県の人がせめて沖縄の名前を付けた特急を走らせたいと願って実現したというようなことが書いてあったのを記憶しています。
昔は路面電車がありましたし、今はモノレールが走っていますね。
※今回の旅ではモノレールに乗ってみたかったのですが、時間の都合で乗れなかったです。
以上で本日の探訪は終了。
今夜泊まるホテルへ向かいます。
いつもの東横インと思いきや、今晩はハイアットリージェンシーですよ。
私の場合、原則として東横インかルートインで、たまにドーミーイン、運よく安ければカンデオです。
そんなわけでハイアットは以前から泊まってみたかった憧れのホテルなのです。
景色を見てみよう。
街中なのでかなりのゴチャゴチャ度合いです。
緑がほとんどないですね。
なんとなくブレードランナーの世界。
夕食は、沖縄料理を食べながらライヴが見られる「海音(みおん)」です。
現地で飲むオリオンの生は格別!
料理もどれもこれも美味い。
しばらくしてライヴが始まりましたが、ライヴを見ること自体かなりしばらくぶりです。
三線とギターのデュオで、沢山の歌を聴くことができて嬉しい。
音楽を聴きながら飲むお酒はとても美味しく、オリオン生を3杯飲んだ後、泡盛をロックで4杯飲み、最後はハブ酒を飲みました。
久しぶりに飲み過ぎた!
歌も料理も良かったです。
このお店、また来たい。
部屋に戻って夜景観察。
パトカーは飛んでいません。
最高の一日でした。
(2日目につづく)
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