今日から自主的に先生にお願いして学校に居残って勉強していました。昨日はメンタルクリニックで「自殺学入門」を読んでおり、昨日、今日の分を居残ってやっていたので2hほどかかりました。具体的に一日に何をするかと言いますと英単語50単語と英文法20問です。英文法の方は簡単なのですが、英単語、、、これが曲者でして次のページの意味を覚えたら前のページの意味を忘れたりしてキリがありません。自分でも「周りがやらないようなことをやっていてすごい!!」と褒め称えてあげたいのですが、私の周りの人たちは自分が先生に監視してもらって、ようやくできるものを毎日淡々と勉強を勉強と思っていなようにやっているものですから、私の努力は行ってようやく歩けるようになるサポート的な「松葉杖」みたいなものです。
「卒業式まで死にません」が今日届いたので読んでいて「こんなに毎日書けるの!」「文章力高すぎじゃない!」と感じました。私のブログといいますと、「寝ます」など一日何も書かない日もあるのでここまで毎日かけるのは文才だと感じましたが、私は私のペースでやるので多分変わらないと思います。普段読書などしない私ですが「自由なサメと人間たちの夢」という本を本屋さんで見つけ一目ぼれして買ったことを思い出しました。渡辺優という作家さんで作品で他に「ラメルノエリキサ」や「いきたくない」という本を読むほどその作家さんのことが好きだったのですが、南条あやの本も渡辺優と同じような傾向な本だと感じ、これは私が好きなやつだ!!!となって今現在興奮を必死に沈めております。また南条あやの感情が私と似て過ぎていて親近感を感じてしまいます。彼女の書くような読みやすいブログを私も書いてみたいものです(なんじゃそりゃ)。ただネガティブな「希死念慮」や「リストカット」などの行為をポップに明るく書かれていることから(双極性障害?)、彼女のブログ(本)はブログではなく一種の創作物のように感じられました。つまり南条あやとは彼女自身をありのままに写したものではなく、インターネット上で彼女が「私を見て!」慄きながら必死に偽ってできた人物なのかと感じました。もしくは、彼女のブログが連載することを望んでいたことから多くの人に彼女自身「死」を知ってほしかったのかもしれません。彼女はリストカットをして「私は自殺をしたいほど悩んでいる分かれば、みんなも少しは同情してくれる」という小学生の彼女から表面的には変わっているのでしょうけれど本質的には変わっておらず、いわゆる「かまってちゃん」だったのかもしれません。”目立ちがやりの南条あや”にとって書籍化されたことは喜ばしいことなのかもしれませんが、彼女自身の精神状態のことを考えるとブログを認知行動療法として利用している私は素直に喜べません。
私は「卒業まで死にません」を保健室の先生に教えて頂いたのですが、保健室の先生もこの登場人物と同じようにオメエも「かまってちゃん」なんだよお!!とでも言いたがっているような気がしました。保健室の先生というものは大変で生徒の性質そのものに対しては否定することが職業柄できません。後にそのことがきっかけで生徒が自殺でもしてしまおうものならば責任取れないですからね♪。私は以前までは保健室の先生にこのブログのような文章を2週間に一回ほどの頻度で印刷して見せていたのですが、そろそろ飽きらいるような気がしますし、私の戯言に対して真剣ではないにしろ付き合ってもらったので、そろそろお暇しようと思います。前回見せたところ少し詰まって振り絞りながら「読み物として普通に面白かった」などと言っていましたし仕事を増やしてしまうのは申し訳ないと感じる所存です。そんなことを毎回見せた直後に思うのですがまた、私が考えていることに対してどのような反応をするのかが気になるのと、今回のように私の知らない昔の情報を教えてくださるので見せに行ってしまいます。