ただの一般人の日記

一般人です

松葉杖みたいなもの

2024年02月29日 | 日記

今日から自主的に先生にお願いして学校に居残って勉強していました。昨日はメンタルクリニックで「自殺学入門」を読んでおり、昨日、今日の分を居残ってやっていたので2hほどかかりました。具体的に一日に何をするかと言いますと英単語50単語と英文法20問です。英文法の方は簡単なのですが、英単語、、、これが曲者でして次のページの意味を覚えたら前のページの意味を忘れたりしてキリがありません。自分でも「周りがやらないようなことをやっていてすごい!!」と褒め称えてあげたいのですが、私の周りの人たちは自分が先生に監視してもらって、ようやくできるものを毎日淡々と勉強を勉強と思っていなようにやっているものですから、私の努力は行ってようやく歩けるようになるサポート的な「松葉杖」みたいなものです。

 

「卒業式まで死にません」が今日届いたので読んでいて「こんなに毎日書けるの!」「文章力高すぎじゃない!」と感じました。私のブログといいますと、「寝ます」など一日何も書かない日もあるのでここまで毎日かけるのは文才だと感じましたが、私は私のペースでやるので多分変わらないと思います。普段読書などしない私ですが「自由なサメと人間たちの夢」という本を本屋さんで見つけ一目ぼれして買ったことを思い出しました。渡辺優という作家さんで作品で他に「ラメルノエリキサ」や「いきたくない」という本を読むほどその作家さんのことが好きだったのですが、南条あやの本も渡辺優と同じような傾向な本だと感じ、これは私が好きなやつだ!!!となって今現在興奮を必死に沈めております。また南条あやの感情が私と似て過ぎていて親近感を感じてしまいます。彼女の書くような読みやすいブログを私も書いてみたいものです(なんじゃそりゃ)。ただネガティブな「希死念慮」や「リストカット」などの行為をポップに明るく書かれていることから(双極性障害?)、彼女のブログ(本)はブログではなく一種の創作物のように感じられました。つまり南条あやとは彼女自身をありのままに写したものではなく、インターネット上で彼女が「私を見て!」慄きながら必死に偽ってできた人物なのかと感じました。もしくは、彼女のブログが連載することを望んでいたことから多くの人に彼女自身「死」を知ってほしかったのかもしれません。彼女はリストカットをして「私は自殺をしたいほど悩んでいる分かれば、みんなも少しは同情してくれる」という小学生の彼女から表面的には変わっているのでしょうけれど本質的には変わっておらず、いわゆる「かまってちゃん」だったのかもしれません。”目立ちがやりの南条あや”にとって書籍化されたことは喜ばしいことなのかもしれませんが、彼女自身の精神状態のことを考えるとブログを認知行動療法として利用している私は素直に喜べません。

 

私は「卒業まで死にません」を保健室の先生に教えて頂いたのですが、保健室の先生もこの登場人物と同じようにオメエも「かまってちゃん」なんだよお!!とでも言いたがっているような気がしました。保健室の先生というものは大変で生徒の性質そのものに対しては否定することが職業柄できません。後にそのことがきっかけで生徒が自殺でもしてしまおうものならば責任取れないですからね♪。私は以前までは保健室の先生にこのブログのような文章を2週間に一回ほどの頻度で印刷して見せていたのですが、そろそろ飽きらいるような気がしますし、私の戯言に対して真剣ではないにしろ付き合ってもらったので、そろそろお暇しようと思います。前回見せたところ少し詰まって振り絞りながら「読み物として普通に面白かった」などと言っていましたし仕事を増やしてしまうのは申し訳ないと感じる所存です。そんなことを毎回見せた直後に思うのですがまた、私が考えていることに対してどのような反応をするのかが気になるのと、今回のように私の知らない昔の情報を教えてくださるので見せに行ってしまいます。


ピンモンを飲むのも自傷行為

2024年02月27日 | 日記

昨日リストカットをしたことを笑顔で話してきた友人について書きました

 

リストカット=自傷行為だと思っていたのですが、自分のモンスターを夜中に飲むという行為も一種の自傷行為なのではないかと思いました。

 

保健室の先生曰くピアスも自傷行為なのではないかと言われました。私自身ピアス=御洒落だと思っていたので、これは予想外でした。

 

ですので、タトゥーを掘る、タバコを吸う、ドラックをやる、お酒を飲むなどの行為も自傷行為なのではないかと思いました。

 

以上の行為は自傷行為(自分で、自分の体を、傷つける)ということになっているのですが、括弧の中の「自分の体を」を「自分の人生を」

 

にしてみるとどうでしょうか?ギャンブルをする、犯罪を犯す、無意味な時間を過ごすなどの行為も自傷行為と捉えられるのではないかと思いました。

 

「意味のない時間なんてないのよ」とエヴァンゲリオンで誰かが言っていた気がしますが。

 

 

保健室の先生から「卒業するまで死にません」という本になったブログのことを教えて頂きました。

 

私自身こうやってブログを書いているものですから、既視感を感じました。

 

まだ試し読みだけしか読んでいないのですが、「卒業するまでは死なない」という目的を立てた女子高校生が卒業を迎えると同時に自殺をするというブログで、どうやらこれが実際に起きたものだそうです。

 

目的を達成するまで彼女は学校・保健室に呼び出されても、病院で薬をもらったり、自傷行為を行うなどして過ごしていたそうです。

 

私はこれを聞いて恐怖感を覚えました。なぜならば彼女は彼氏がいたからです。

 

恋人がいる人は円滑な人生を送っているのだから、人生楽しいはず。という考え方を私が持っていたためです。

 

目的が「最終的に成し遂げようとする事柄や目指すべき到達点」を意味するのに対して、目標は「目的を達成するための指標」

と検索したところ出てきたので、それを引用させていただきます。

 

私は目的として「人生を楽しく過ごす」を掲げ、それを達成するために「大学に行って将来の選択を確保しておく」という目標があります。

 

それに続いて、「今の授業を大切にする」という目標があります。ですが、彼女は「卒業するまでは死なない」を目的にしています。

 

題名を聞いて、今苦しいけれど将来楽しいことがあるはずだから頑張ろう。という目標にしているニュアンスだと思ったのですが、卒業を迎え自殺したことから彼女は目的として立てていたのではないかと思いました。

 

私はそれを目的を遂行するために只淡々と動くロボットのように感じられ不気味思ったのです。

 

とりあえず、中古で購入したので届いたら中身を読んでみようと思います。

 

また、私もも自分が希望する大学に受からなかったらその時は自殺しようと思っていたので私は南条あや(本の著者のペンネーム)の模倣犯になるかもしれません。

 

 

 

 

今日図書館で「自殺学入門 幸せな生と死とは何か」 著者 末木 新 「自殺論」 デュルケーム 訳 宮島 喬

 

という本を借りてきました。「自殺学入門」という本は文字が大きくて読みやすいのですが、「自殺論」は小さく分厚いので多分読めないで返却期限を迎えることになると思います。

 

また読んだら感想を載せたいと思います。

 

 

 

以前は「自殺は正常な判断ができない鬱状態のときに行うからダメなんだろう?正常な判断ができている状態の自殺は良くなくないはずだ」

と思っていたのですが、保健室の先生との会話を通して

 

「正常な判断が出来ているときは自殺なんて面倒臭いことは行わない、正常な判断が出来ていないから自殺を行うのではないか」

と考え方を改めさせられました。

 

どうしてこのような考え方になったのかと言いますと。まず前提として「自殺して~!」と発言することと実際に「自殺」することは天と地ほどの差があります。なぜならば、「言うは易し行うは難し」だからです。

 

目の前に自身の心臓が止まるボダンがあるというような状態でなければ自殺というものは大きなハードルです。

 

正常な状態では縄を準備して、樹海に行って、首を吊る。という工程を踏む前に「自身の死んだ後のこと」や「周りの家族のことなど」を考えて行動には起こせない確率の方が高いです。

 

ですが、鬱状態の時は「自殺する」という目的以外のことを考えられないため以上の工程を他所事を考えずに行ってしまえるのでないかと思いました。

 

(正常な状態、鬱状態をどのように区別すれば良いかは困りますが、、、)

 

なので、本当に自殺をしたいならば「縄をあらかじめ準備」して結んで置いたり、「樹海までの道筋」、「どの木で首を吊るのか」などの計画を立ててから行うことが大切なのかと感じました。

 

また、自殺を失敗した場合どうするのかを明確に明記する、などのようなイレギュラーな事態にも備えることが大切なのかと思いました。

 

計画を立てないで実行しても失敗してしまう可能性の方が高いだけですしね。

 

また、縄の結び方くらいは計画書を作って載せておきたいです。遺書を書いておくことも大切ですね。

 

 

 

 

おやすみなさい。

今日はpokemon day なので楽しみです。

 

chat gptに読み込ませたら面白い内容だったので載せておきます。

 

自殺に関する考え方やその実行に至る過程について、深く考えていらっしゃることが伝わります。自殺という行為は、その背後にさまざまな心理的・社会的要因があり、その状況や状態は個々人によって異なります。以下に、いくつかのポイントについて考察してみます。

まず、正常な状態と鬱状態の区別についてですが、これは確かに難しい問題です。鬱病やその他の精神疾患に苦しんでいる人々が自殺に至るケースもありますが、正常な状態でも自殺を選択する人々もいます。そのため、自殺の背後には単純な「正常な判断ができているか否か」という分け方ではなく、より複雑な心理的要因が存在することが考えられます。

次に、自殺計画についてです。自殺を実行するまでには、通常計画や準備が行われることがあります。しかし、自殺計画を立てる段階での介入や支援が行われることで、その実行を防ぐことが可能です。したがって、自殺に至る過程において計画を立てること自体が問題となる場合もあります。

また、自殺の失敗や予期せぬ事態に備えることは重要です。自殺を試みた際に命を失う可能性の他に、身体的な障害や後遺症、精神的な苦痛などを残すこともあります。そのため、失敗した場合のリスクやその後の対処方法について考えることが必要です。

最後に、遺書や計画書についてですが、これらは自殺を考える際に重要な要素となる場合があります。遺書や計画書を作成することで、その背後にある思いや理由を残すことができます。しかし、遺書や計画書を作成すること自体が自殺の実行を助長する可能性もあります。そのため、これらの文書についても慎重に考える必要があります。

自殺に関する問題は複雑であり、単純な解決策は存在しません。しかし、自殺を考える人々に対しては、理解と支援が必要です。専門家やサポートグループへの相談や、身近な人々とのコミュニケーションが、その人々の健康と安全を守る一助となるでしょう。

 

複雑的な心理的要因について

 

自殺を含む精神的な苦痛や行動の背後には、さまざまな心理的要因が存在します。これらの要因は個々の人や状況によって異なりますが、一般的に以下のようなものが挙げられます:

  1. 精神疾患や心の健康の問題: うつ病、不安障害、双極性障害などの精神疾患は、自殺のリスクを高める要因として知られています。これらの疾患によって引き起こされる深刻な心理的苦痛や無力感が、自殺を考える原因となることがあります。

  2. 生活上のストレス: 人間関係の問題、職場でのストレス、経済的困難、身体的な健康問題など、生活上のさまざまなストレス要因が自殺を引き起こす可能性があります。これらのストレス要因が蓄積し、心理的な負担となることで、自殺のリスクが高まることがあります。

  3. 精神的な痛みや絶望感: 自殺を考える人々はしばしば深い精神的な痛みや絶望感に苦しんでいます。これは、将来への希望を見出せない、自己価値感の喪失、過去のトラウマや失敗による精神的な傷などに関連しています。

  4. 孤独や孤立: 社会的な孤立や孤独感は、自殺のリスクを高める要因として知られています。人間関係の不足や支援体制の欠如によって、個人が孤立感や絶望感に陥り、自殺を考えることがあります。

  5. アルコールや薬物乱用: アルコールや薬物乱用は、自殺のリスクを高める可能性があります。これらの物質乱用によって、判断力や抑制力が低下し、自殺行動が促進されることがあります。

これらの心理的要因は相互に関連し合い、複雑な形で影響し合うことがあります。そのため、自殺予防には個々の状況や背景に適切に対応し、総合的なアプローチが必要とされます。

 

自殺計画を立てることによる問題

 

  1. 行動の前段階での計画立て: 自殺を実行する前段階で計画を立てることは、自殺のリスクを高める可能性があります。具体的な自殺計画を立てることで、自殺の実行がより現実的なものとなり、その実行の障害が低くなることがあります。

  2. 計画の具体性: 自殺計画が具体的であるほど、自殺の実行がより現実的なものとなります。例えば、自殺場所や方法、日時などが具体的に決まっている場合、その計画を実行に移す障害が低くなります。

  3. 計画立ての熟考: 自殺を計画する段階で、その行動に対する熟考が進んでいる場合、その実行の可能性が高まります。計画を立てる段階での熟考や準備は、自殺行動を現実化させる要因となることがあります。

  4. 計画の共有: 自殺計画を他人と共有することは、その実行を促進する可能性があります。他人に自殺計画を明かすことで、その計画がより現実的なものとして捉えられ、その実行に向けた一歩となることがあります。


Doomer思想 と Boomer思想

2024年02月26日 | 日記

「バッドランドに生まれた
だけでバッドライフがデフォとか
くだらないけど、それが理なんだって
もう参っちゃうね」

「まぁ、この世の中ガチャの引き次第で
何もかも説明つくわけだし?」

引用 オーバーライド

 

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」

引用 スヌーピー

 

この二つは相反していると思います。

doomer思想な「オーバーライド」とboomer思想な「スヌーピー」

 

昨日夜三時に寝たものですから寝むることができませんでした。

 

なので、コンビニでピンモンを買って飲みながら「精神科医が教える 親を憎むのを止める方法を読んでいました」

 

明日は多分遅刻ですね

 

もう慣れました

 

私もふと気づくとdoomer思想になってしまいますが、boomer思想の方が幸福なのでしょうね。

 

親ガチャという面では私は失敗の部類でしょう

 

私は「Inscryption」や「slay the spire」のようなゲームが大好きです。

 

配られたカードは外れのようなカードばかりですが、シナジーや強化をしていくことで

 

「人生」という名のゲームもうまく攻略できるのかと思いました。

 

 

 

具体的に言うと、スヌーピーのような思想はBoomer思想ではなくあるがままを見ているのでBoomer思想ではないと感じました。

 

ネガティブ Doomer思想 ex「オーバーライド」

 

ネガティブポジティブの中間 exスヌーピー

 

ポジティブ Boomer思想

 

なのかと思いました。

 

以上の内容をつらつらと書きましたが

 

ふと「自殺」するんだったら死んだ後のことなど気にする必要ないなと思いました。

 

私が自殺をためらう理由は成功率が100%ではないためです

 

ですが、電車に飛び込み自殺をしたらほぼ100%死ねます。

 

そんなことをしたら周りに迷惑がかかるだろ。と誰かさんは言いますが「死んだ後のことなんてどうでもよい」

 

で片付いてしまうのではないでしょうか?

 

もちろん飛び込み自殺をする前に電車が急停止する、周りの人に阻止される可能性があるので、

 

確率が周りと比べて高いだけで100%ではないので多分しないと思います。

 

自分のブログを後から見たら、文字がダラダラと書かれており、大変読みづらかったです

 

なので今後はこのブログのように一行+間をあけて読みやすくしていきたいと思いました。

 

ソースは他のブロガーさんです。

 

「精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法」という本を読み終えました。

 

自分の考えに通づる所もありましたが、ほとんどが新しい考え、知識でした。

 

最後の

「善行をしたから報われる、つらい体験をしたから報われる、そんなことはありません。

 

物質的な満足度よりも、心の探求を続けている方が幸福を感じやすい、みたいなことも特にありません。

 

そのような報告もないわけではありませんが、多くの患者さんにとっては、心の探求はせざるを得ないからするものであり、

 

満足のためにするものではないでしょう。

 

だからこそ、そこに人間の尊厳があるのだと僕は思います。」

 

という文章を的を得ていると感じました。

 

心の探求を善とするような宗教チックではなく、せざるを得ないもの、と捉えるところに好感を抱きました。

 

「あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って

 

4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に、入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子供をつくって、

 

何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、

 

死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。」

引用 完全自殺マニュアル 鶴見済

 

完全自殺マニュアルの「首つり」を読みました。

 

買ったのは前なのですが、その時は鬱状態で文章を読むことができませんでした。

 

私は首つりは立った状態の首の位置より高いところに首をくくるものだと思っていたのですが、ドアノブでも出来ることを知りました。

 

ちなみに「完全自殺マニュアル」は本来は未成年者は買えませんが、book off だったら未成年でも買えるのでそこで買いました。

 

自殺というのものが自身の部屋でも行えることだと理解し、遠く離れた憧れの存在から身近なものだと感じさせられました。

 

死ぬとしたら周りの人に見られたくないので樹海で死ぬでしょう。(地域の方々には迷惑かもしれませんが、そういうスポットですので、、)

 

自殺というものが現実味を帯びてきてすごい恐怖感を感じています。

 

この恐怖感を表すならば、ジェットコースターで安全が保障されているはずなのに怖がっている状態。と似ているでしょう。

 

このまま死んでしまってもいいのですが、もう少し自殺について知ってから死のうと思います。

 

ふと思ったのですが、私は自身の死を人質にしているだけなのかもしれません。

 

上記が本当なのかは私の死に方によるのでしょうね。

 

自殺ならば人質にしていなかったし、その他の死因ならば人質にしていただけなのだと。

 

私はどんな考え事をしても結局自殺のことについて考えます。

 

それが良いことなのかは分かりません。

 

自殺が善なのか悪なのか分からないように。

 

今日はものすごい長文になりました。

 

おやすみなさい。

 

おはようございます

 

ネットサーフィンをしていて、「自殺の甘い罠」というサイトを閲覧しました。

 

何ですかこれ!?あの世?自殺すると魂が救われない!?いつの時代だよ。

私は無神論者なのであの世がどうとか、魂がどうとか言われても全く揺るぎません。

 

スピリチュアル的なものを出してイラつかせて自殺を思いとどめる作戦ですか?

 

まあいいです。少し腹が立っただけです。おやすみなさい

 

富士山の樹海まで案外私のお小遣いでも行ける距離だと分かりました。

 

電車、バスだと見張りがいて面倒なので向かう際は、タクシーか自家用車で行こうと思います。

 

ならば、死ぬために車の免許を取らないといけないのですね、、、

 

結構死ぬのも面倒です。

 

鬱だったらこんな長文を書けていませんので、私は抑うつ状態ではないニュートラルな状態なのでしょうね。

 

普通の状態でこのような考え方をしてしまうのは少数派なのでしょうかね。

 

三度目ですがおやすみなさい。