私の社会運動の始まりは、私の先輩から紹介された、偉大な児玉誉士夫先生との出会いから始まった。
K・T 質問
理事長、今回急に児玉先生の話になりましたが、私もよく判らないのですがなぜですか?
A1.自分が自衛隊に入る前に新宿で遊んでいるとき、ある人に出会い多分その人の影響があったと思うけれど、日本人としての生き方を学んだような気がした。それ以来誰にも負けない日本人として生きようと思い、自衛隊に入隊した。
しかし、すでに入隊は決まっていました。19歳のはじめての集団生活・自分も目立っていたので最初のうちは隊内で喧嘩はよくやった
みんなから言わせれば、川崎の人間でも都会の人間と見られていたし、不良をやっていた関係上みんなからは一目置かれていた。それに、自衛隊では格技(格闘技)というのがあって、みんなでやるのだけれど、自分は空手をやっていた関係上、この訓練は、たいしたことなく、本当に闘えるのかと疑問を持った
とにかく、全てが楽しく、そして家から離れて集団生活に入って、初めて気がついたのは親孝行だ。自分は酒もタバコも遊びもやらないから給料の日には親にいろいろな物を買ってあげて、手紙と一緒に送ってあげた
その後何日かして親から長い文の手紙が送られてきた。その手紙を読むのが楽しみで今でも時々思い出す。改めて、親の有難さは、離れてみて初めて気がつくのではないか?
しかし、訓練は人一倍やった。今の若い連中は言葉遣いも判らない、上下関係・親子関係がバラバラ。これはまさしく戦後教育の影響が多分にあるのではないかと思う。中にはしっかりしている若者もいるけど、だいたい限られている。
体育会系とか宗教関係とか警察・消防・自衛隊などや、組織で働いているところ、もっと上下関係で厳しいのは、任侠系とか民族運動の組織だ。自分もあまり偉そうなことは言えないけれど、昔の日本人って今みたいな恥知らずなのはいなかった。
多くの日本人は恥を知るとか、責任を取るという観念が日本人にはあった。それに何か起きれば皆責任をとるというのは、大事なことだという意識を持っていた。それが人として美しいことと、素直に国民の多くは感じていた。
しかし今の日本人の多くは、正義なんか関係無いと、嘘は平気でついて責任を回避をして逃げ延びた人間が大きな顔をして歩いている。それに今は、子供が人権・自由・プライバシーの大合唱。ふざけるな!こんな国はいつかは滅びる。
まして、愛国心と言っただけで色眼鏡で見られる事態!この国はおかしい
話は変わるけど、私が始めて児玉先生と会ったとき、足のつま先から頭のてっぺんまで緊張が走った。今でも覚えています。しかし、何か優しい。今でも児玉先生の印象が忘れられない。
マスコミでは戦後最大の黒幕とか言われていますが、それはマスコミが作っているだけで、本当にこの国を思い活動に徹していたことは間違い無い。何をやるにしても本当に力と資金が必要だし、個人の問題ではない。この国の将来を考え、命がけで、その生き様はすごい。
どうしても今の政治家と児玉先生の生き方を比較をしてしまう。たぶん命を懸けてこの国を憂いている差だと思う。今の政治家の中には、自分の国の国旗や国歌に抵抗を持つ人がいますが、世界の中でこんなとんでもない政治家が果たしているのかどうか?全く非常識以外に言葉が出ない。こんな政治家に国を任せられるか
とっととやめて日本国から出て行け!どうしても児玉先生の話になれば、長くなる。しかし、最後の話になりますが、私の若い連中が交代で児玉邸に当番に入ったのは、たぶん最後だったと思う。児玉先生の葬儀も皆手伝いに行きましたが、生涯忘れられない思い出になったと思っている。
私も詳しいことは判りませんが、確かに言える事はこの日本の将来を真剣に考え、闘ってきたことは確かだし、とにかくすばらしい先生だった。たぶん先生にかかわった多くの人たちは、先生に何かがあったら何時でも体を賭ける覚悟は持っていたと思う。私もそのうちの一人だ。児玉先生の話は次回・・・・・