私と朝堂院大覚総裁と知り合うきっかけは、たまたま総裁の側近で空手をやっている親友がいて、総裁の話がでて自分も非常に興味を持ち一度お会いしたいと思い事務所に行ってしばらく奥の方に入っていくと、周りにかなり高価な鎧や兜が並んでおり、何か別世界に入ったような気がした。
そこで奥の方に総裁がいて、一瞬言葉が出なかったけれども、話を始めたらなかなかの優しい人で総裁の口から、武道をやっている人たちが一同に集まり、祖国日本と日本国民ひとりひとりを守り、安全・安定・安心を手にするために身を徹して守って行こうという話に自分は総裁の真剣なお話に、本当にそのとおりだと思った。
その後、世界格闘技団体連合の役員として参加。現在、あるゆる犯罪から高齢者や子供を守る運動を川崎を中心に活動中。
私も多くの武道家に共鳴してほしいのは、現在毎日のように起きている凶悪事件がすでに我々の足元まで来ているので、力のある人たちが声と力をあげることによって阻止できれば、我々が武道を指導している甲斐があると思いますが、皆さんどうでしょうか?ぜひ、参加してください!!
K・T 質問
では前回の続きでお願い致します。
Ans.
ある日自分の先輩に民族運動を直接やりたいと相談したところ、2,3日してから先輩と、ある人物の事務所に一緒に行った
そこで、たぶん行く前に先方にアポはとっていたと思う。そして事務所に入ったときに、周りには何か威圧感のある人たちが何人もいて、私たちが入ったとき皆私の先輩に頭を下げていたので、やはり先輩は普通の人ではないと、それだけの威厳があった。
ちょっと待っていたら小柄な年配の人が出てきて、よく来たねと握手を求めてきた。そして自分にまあ座りなさいと。なにか凄く優しい人だなと感じたことが今でも思い出すと懐かしい。
それでしばらく話をしていたら、○○君を呼んでくれと言ったら、若い人がすぐに○○さんを連れてきて自分に紹介してくれた。
私も○○さんを一目見たとき、ものすごい体の大きい人でこの人は、ただ者じゃないと凄い威圧感を感じた
そのときに○○さんに児玉邸から紹介されて来た人だから、これから面倒見てくれということで、○○さんの預かりとなり民族運動の世界に入っていった。
自分も民族運動の右も左もわからないので、最初は戸惑いましたが、自分が児玉邸から来たということで、ずいぶん諸先輩たちにかわいがってもらった
その時代は勉強会も時々あり、自分もしばらくして地元に帰り、自分の若い者に今度一緒に東京に出ようと誘い、最初は何人か連れて行ったところ、皆若いせいかまだ難しいし、よく判らないと言ってたので、改めて地元で少しずつ教えていくしかないと思い、空手道に専念する
紹介された○○さんは大学でレスリングをやっていた猛者で、有名な人でありその周りの人々も○○さんに対しては一目置いていた。
その当時は、○○さんは○○塾の塾長さんで日本を代表するレスリングの選手、そして○○大学を卒業した後、新興スポーツ大会がカンボジアの地で開催され、各種スポーツ関係者選手とともに民間の手で参加。
そして東南アジアを回ったときにあまりにも日本と違って貧困の差が激しく、この目で見てきたことがきっかけとなって、帰国後アジアにたった昭和の偉人・頭山満先生の思想に共鳴し、かつ心身の鍛錬の場として民族運動に入っていった。
私もそこの塾に所属し、○○さんの思想に共鳴、それから私の大先輩であり塾長としてついていくことに決心した。
それと同時に国内でも多くの少年たちは荒れ放題、この少年たちをどのように取り組んでいくことが結果的に空手道を通して世直しをしていこうという決心をした。
そこで、地元で空手を教えながら少しずつ政治活動をしようと思った。なかなか最初から理解させることが、よほどの意識が無い限り、難しいと思い、ただ興味がある人だけ誘い、それでも常時三、四十人は集まり街宣運動をした。
今の若者と違って、30年前の少年たちは割と純粋ではなかったかなと思う。それから、空手を教えるため会社の一部を空手道場として一般開放し、誰でも空手をやりたかったら何時でもいらっしゃいと毎日無料で教えたところ、ますます道場生が増えた。今と違ってあのころの子供社会は上下関係の厳しさは半端ではない
それに、道場生の8割がたは不良少年。その中で段々やっていると子供の考え方とか流行その他のことが見えてきて、逆に空手以外に社会勉強をしていこうと決心した