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父さん、母さん、婆ちゃん、兄さん、俺が先立つことをどうかお許し下さい。
俺は、自分をさらけ出して生きていくのも、人に迷惑をかけていくのにも疲れました。
俺にはあまりにも思い出が多過ぎました。
最期にはお礼を言いたいと思います。
(a)、(b) へ
本当に最期まで味方してくれてありがとう。その笑顔が言葉が、どれだけ支えてきてくれたことか…俺は二人のことを誰よりも信頼してました。本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい、ありがとう。
(c) へ
3年間、(c)のおかげで本当に楽しかったよ。部でのことや、野球観戦とか、すごい面白かった。でも「これから野球部を盛り上げる」っていう約束を守れなくてゴメンな。
(d)、(e) へ
前に行ったカラオケは、思えば最後の思い出だったからな。でも、あの時は自分を忘れるくらい熱くなれたかな。ありがとう。最近、(e)とは喧嘩しちゃってゴメン。(d)はこれからも頑張って野球部を導いて下さい。
(f) へ
最期まで「相棒」と呼んでくれてありがとう。今回の件には巻き込んじゃって申し訳ないと思ってる。大丈夫。これからも俺とお前は「相棒」同士だから。
(g)、(h) へ
映画もカラオケもすごく楽しかったよ。二人はいつも面白かったね。二人の楽しげな姿は俺の心に、今だに残っています。
(i)、(j) へ
二人のコント(?)や突っ込みや行動には笑いが絶えませんでした。そういえば(i)とは昔からの仲だよね。長い間本当にありがとう。(j)はこれからも「クラスの中心」として頑張ってな。
(k)、(l) へ
生徒会のこと、最期まで果たせなくてゴメンな。(k)は誰よりも優しく、誰よりもお人好しでしたね。俺はそんな(k)を心から尊敬してました。(l)は本当に温かい心の持ち主だった。その優しさで、いろんな困ってる人を助けてあげて下さい。
(m)、(n) へ
二人との思い出といえば、やっぱり一年の時の駅伝かな。あの時はとにかく何もかも全力だった。「できれば今年は三人で」と思ったんだけど、それも無理だったみたいだ。二人は中学の駅伝を引っ張ってく者として、頑張ってほしいです。
(o)、(p)、(q) へ
俺ら四人はよく遊んだね。1年の時には「仲良し四人組」とか言われてたっけ(笑) くだらないことばっかしたけど、それが俺にとって一番だった。本当にありがとう。
(r)、(s) へ
小学生の頃からのなじみだったよね。これが「くされ縁」ってやつなのかな(笑) ヴェルディでサッカーをしてたこともあったっけ。俺は野球に、二人はサッカーという別の道に進んできたけど、人生という名の道では、かなり身近に感じてたよ。
(t)、(u) へ
(t)はある意味面白かったよ(笑) 時には面白く、時には真面目に。俺はそんな(t)が大好きでした。(u)は俺にとって最期まで「いい奴」だったよ。ありがとうな。
(v)、(w) へ
(v)の言ってたことは正しいと思う。けど俺にはそんな正直なことはできなかった。本当にゴメンな。(v)は何かと俺を楽しませてくれたね。ありがとう。(w)のファッションには、いつも驚かされました(笑) (w)は何かすごいものを持っていると思うよ。だから頑張れ!
(F)、(x)へ
(F)は最期まで何もしてやれなかった。本当にゴメンな…。お前は優しいから「誰にも迷惑かけたくない」と思ってるのかもしれないけど、それは違うぞ。人は支え合って生きてくもんだからな。時には人の手を借りて、背負わず生きてほしい。(x)は本当に面白いし人気者だったな(笑)俺自身も勇気とかもらったし。その笑いのセンスで他の奴を楽しませて。
※ (F)君は、遺書に名前が書いてあった、真矢が「護りたかった友達」です
そして、
書ききれなかった全ての人たちへ…
本当にありがとう。
家族には最期のわがままが少しあります。
1つは、俺の臓器に無事なものがあったら、ためらわず売って金にして、ローン返済や生活費に当てて下さい。それが俺にできる、罪滅ぼしだから…
2つは、俺の死を哀しまず、それを糧にして生きてほしいということです。
大丈夫。
陽が射すうちは、あなたを照らし
雲が陰れば、俺の哀しみは涙となって天地をつなぎ
雪が降れば、哀しみは地に帰り
風が過ぎれば、それは俺の面影だから
本当に今までありがとう。だから俺の分まで精一杯生きて下さい。
ありがとう
そして さよなら
二つの赤・青のバッティンググローブは俺の宝物です。
これをどうか形見にしてください。連合会からのコメント私達大人は、これからの子供たちの未来の為に、このいじめ問題を解決し、楽しく勉強できる学校に変えて、夢と希望の持てる社会を子ども達に残さなければならないと考えています。日本国の為に、子ども達の為に皆さんと共に活動を継続して行きたいと考えております。
佐藤正久参議院議員(ヒゲの隊長)のトークショーに参加し、帰りの電車でも涙が止まらなかった。<涙の箇所>3歳の男の子が見つからなくなったお母さんがいました。4月下旬になり、自衛隊は、その子と思しき御遺体を収容しました。なにせ一月半が経過しておりますので、御遺体の損傷は激しい。自衛隊ではお母さんに御遺体をお見せするのを躊躇った。お母さんのお子様である確証がないので、まず服をお見せした。 うちの子に間違えない。 お母さんは、子供に呼びかけた。「よかったねー。自衛隊さんが助けてくれたんだよ。今度生まれ変わったら自衛隊になって、みんなのお役にたとうねえ」 それを聞いた隊員達は号泣し、涙が止まらなかったそうです。
衝撃の映像 狙撃の瞬間
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国旗は日の丸、国歌は君が代