学校及び教育行政にとって、「心身ともに健康な国民の育成」(教育基本法)という目的達成を阻むいじめ問題は明確に対策すべき課題である。
いじめ件数把握の曖昧さから問題のレベル感を数字で示すのは困難だが、正確なデータが無いにしても日々のニュースをみていれば問題だということは分かる。しかも何年も問題とされてきた一方で事件報道は絶えず、この問題による社会へのダメージが減っている実感がわかない深刻な問題だ。
教育が不安定であると経済にも当然悪影響を及ぼすということから、今回はいじめ問題をレポートバンクのスコープと捉え、いつも企業分析の際に用いるガバナンスの視点を用いて解決案を考えたい。
・解決の責任と権限
まず直接にいじめを防ぐことに責任を負うのは学校経営陣である。義務教育なら市民から、私立なら保護者から資金を集めて学校を営む経営陣は、その目標達成についての責任と、目標達成のための権限をもっている。
彼らの権限は学校内の人事権だ。教師の配置や昇進だけでなく、クラス内で生徒を何かの委員に据えて活動させる権利もある。
いじめた生徒を叱責する権利もある。生徒は未熟で指導すべき存在(なので選挙権もない)だから、直接に責任を問うのは無理というものだ。
また、保護者の関与は間接的だ。いじめる側・いじめられる側双方を理解する、いわば「現場」にいるのは学校側なので、その経営陣に直接の責任および解決への施策を打つ権限があるとみるのが妥当だ。
・解決に用いる権限
学校経営陣は、まず問題解決に向けて適切な教師を選び、担当クラスにおける学校運営の権限を委任するという解決策を持っている。しかし長年問題が絶えないことは、個人の能力に依存しても解決不可、この策は問題解決には不足であることを示唆している。
次に、委任された教師は、クラスを管理する為の権限を持っている。すなわち
①生徒を様々な係に任命したり、
②叱責したり、
③評価(担任だと、内申点や道徳だろうか)する
という権限を持つ。①に追加説明すると、係のうちで、いじめ問題の解決に関わるのは学級委員ないしクラス委員と呼ばれるものだろう。この係は、クラス会のファシリテーションや号令をする係になってしまうことが多いが、役割をきちんと定義するなら「クラスに規律をもたらす」係であるはずだ。
もし様々な報道にあるように教師が多忙で一人一人きちんと管理するには時間が足らず、権限のうち②叱責だけで解決できないということだ。
その場合、①か③で解決策を探る他ない。
まず①の線で考えると、クラス委員の働きを「いじめ問題解決」レベルまで強化することが解決策となる。
これは具体的には、いじめを始めたり収めたりする生徒を皆任命してしまうというものだ。大体40-50人のクラスで3-5人になるのではないだろうか。そして教師はこの委員たちにクラスの規律維持の権限を委任するのだ。(責任は委任できない。会社の上司と部下、取締役と従業員のような関係性である)
権限は、いじめを叱責してやめさせたり、関係者の話し合いを設定したり、保護者に直接連絡してやめるよう依頼することが考えられるが、一部は教師の承認を必要とするプロセスに設計することも考えられる。
委任している以上、いじめの防止はクラス委員の役目であり、防止できず起きた際にはクラス委員が一義的には解決する。教師は適宜介入しつつも、基本的にはクラス委員だけを見ておけばよい。
この委員のモチベーションは、③の評価を組み合わせることによって保てる。学校生活をうまくサポートしてくれたら内申は満点、問題が起きてしまえば連帯責任で減点だ。学期ごとに平和を保った委員たちをクラスで教師が表彰するなど、点数以外の評価も効くはずだ。(企業に勤めている人は社内広報でそんな場面を見るだろう。大人も子どもも同じだ。)
委員の働きを評価するインプットは、教師の教室観察は人手不足といっている以上望めないので、
・生徒への匿名アンケート
・企業がよく導入しているような相談窓口(メール等で24時間365日受付)の設置
を実施することが必要だ。
相談窓口について、企業だと通常の体制と独立して外部弁護士で相談を吟味したりする。可能ならば学校も地域の弁護士等に委託するのが良いだろう。特に授業料の高い私立については早々に必須施策になるではないかと思う。
③の線で考えるのは困難だ。まず、評価は事後的な施策なので、本件の場合いじめが起きてから対策すると言ってしまっているようなものだからだ。
刑罰があっても犯罪が減らないのと同じ構造で、評価だけでの解決は不足である。(それに、おそらく今までも、悪い生徒を悪く評価することはある程度為されていると思う)
・結論
学校による教師の選定では解決できず、教師の時間も不足している現在、いじめ問題解決の有効な施策は教師から生徒への規律維持権限の委任であって、具体的にはクラス委員の拡充・評価制度の創設が望ましい
(おわりに)
この実現は、学校により、教師への保護者の理解や学校経営陣の理解が必要かと思われる。それについて言うと、私の周りの教師をやっている人は中々忙しそうである。また、もし施策が実現する場合、クラス委員となる生徒たちにとっても人のことを観察したり考えたりする貴重な経験になると思う。