以前より読みたいと思いつつ、きっかけが無かった「剱岳・点の記」。来春の映画公開を前に、今回ようやく読みました。
「弘法大師が草鞋三千足を費やしても登れなかった」という伝説をもつ、前人未到の霊峰剱岳。立山曼荼羅には地獄の針の山として描かれ、立山信仰では登ることが許されない山とされていました。
明治40年、測量官の柴崎芳太郎は、剱岳山頂に三角点埋設の命令を受けます。
幾多の困難を乗り越え、最終的には剱岳登頂に成功し、三角点を設置するのですが‥‥。
読み終わった時、深い感動に満たされました。ほんとうに素晴らしい作品でした。
私も登山のときに使っている地形図ですが、その影にはいかに深い労力が払われているのか、今回初めて知りました。
悪天候の中、重い器材を担いで薮をこぎ斜面を攀じ登る。ガスが晴れ展望がきくのをじっと待って、測量を行なう。三角点に埋設されている花崗岩の石柱も全て人力で担ぎ上げています。
(これまでも「三角点が好き!」でしたが、今後は三角点を見るとウルウルしてしまいそう‥‥)
しかも明治時代ですから、天幕(テント)も合羽も金かんじき(アイゼン)等山用品は全て、現在のものとは比べ物にならない品だったでしょう。
柴崎らは、剱岳へ長次郎雪渓をつめ最後の岩壁を登って登頂していますが、その岩壁には素手素足で取り付いています。
映画「剱岳」も先日完成し、来春の公開が楽しみです。
映画のHPはこちらをご覧下さい。
さて、先日富山県の雄山高校で、この映画の監督である木村大作氏が講演されました。私の山の先輩がその講演を聴かれたのですが、会場の体育館には生徒さんの作品が飾られていたそうです。素晴らしいですね。木村監督はさぞ、感激されたことでしょう。
「弘法大師が草鞋三千足を費やしても登れなかった」という伝説をもつ、前人未到の霊峰剱岳。立山曼荼羅には地獄の針の山として描かれ、立山信仰では登ることが許されない山とされていました。
明治40年、測量官の柴崎芳太郎は、剱岳山頂に三角点埋設の命令を受けます。
幾多の困難を乗り越え、最終的には剱岳登頂に成功し、三角点を設置するのですが‥‥。
読み終わった時、深い感動に満たされました。ほんとうに素晴らしい作品でした。
私も登山のときに使っている地形図ですが、その影にはいかに深い労力が払われているのか、今回初めて知りました。
悪天候の中、重い器材を担いで薮をこぎ斜面を攀じ登る。ガスが晴れ展望がきくのをじっと待って、測量を行なう。三角点に埋設されている花崗岩の石柱も全て人力で担ぎ上げています。
(これまでも「三角点が好き!」でしたが、今後は三角点を見るとウルウルしてしまいそう‥‥)
しかも明治時代ですから、天幕(テント)も合羽も金かんじき(アイゼン)等山用品は全て、現在のものとは比べ物にならない品だったでしょう。
柴崎らは、剱岳へ長次郎雪渓をつめ最後の岩壁を登って登頂していますが、その岩壁には素手素足で取り付いています。
映画「剱岳」も先日完成し、来春の公開が楽しみです。
映画のHPはこちらをご覧下さい。
さて、先日富山県の雄山高校で、この映画の監督である木村大作氏が講演されました。私の山の先輩がその講演を聴かれたのですが、会場の体育館には生徒さんの作品が飾られていたそうです。素晴らしいですね。木村監督はさぞ、感激されたことでしょう。
(面白そうですね)
先日、山頂で「三角点がない!」と探しておられたRepuさんのお姿を、つい思い出してしまいました。
それにしても鳴谷山の三角点、どこにあるんだろう~
もう一度登って探してこなきゃ落ち着かないわ!