いかりじいじのブログ

ミセス・グリーン・アップル批判報道

 昨日に続いて思ったことがありました。一昨日は嬉々としてとしてミセス・グリーン・アップルのMVを紹介していた癖に、今日になって批判報道を繰り返していますよ。ミセス・グリーン・アップルに対する批判報道は、反日左翼がよくやるアイヌや黒人などに関する記事への言いがかりに似ているなと思ったのです。また、これも反日左翼の身体障がい者がよくやるJR職員などのサービス業の人たちに過剰な要求をする行為にも似ていると思いました。
 昨日のブログの趣旨は、過去の出来事を現代の視点で批判するなよということでしたが、今日は、クレーマーの言いがかりにも似ていることにいちいち反応するなと言いたいのです。例えば、外国の人たちが侵略されて、植民地にされて搾取されたとしても、それは歴史の一部であり、戻れないことなのですよね。受け入れてほしいものです。私の気持ちも考えてよというのは、特定アジアの国に似ていませんか。
 その侵略行為などを批判し続けることに意味があるのでしょうか。今でも独裁国家の独裁者達は他国を侵略しようとして戦争をしているのに、それに危機感を持たずに、のんきにミセス・グリーン・アップルを批判しているなど、私にすればお笑いですよ。
 身体障がい者にしても、いろいろな差別を受けているでしょう。また、差別的な言動も投げかけらていると思います。妊娠している女性などもそうですよね。
 身体障がい者の事例として、先日、妻が体験したと話してくれたことがあります。それは、両足が義足になっていて、それも足に似せたような精巧な物ではない人がいたそうです。その方に対して、親子連れだった子供が、「お父さん、あの人の足は、ロボットみたい。」などと発言したそうですよ。
 その指摘された方は、苦笑いしていたそうです。もう、何回も言われていたのでしょう。そして、その方は、子供のようにわからない人もいるし、何がいけない事かわからない人もいるということを、受け入れるしかないと諦めているのだと思いました。
 だけど、今回のミセス・グリーン・アップルは批判する人がいると、MVを平気で継続できないのでしょうね。私は、戦えよと言いたいです。誰が言っているのかと。私なら、「差別の意図はなく、自分たちの音楽の世界を開拓し、多くの人に広めたいということでやりました。この内容に傷ついたのなら申し訳ないが、表現の一つとして理解していただきたい。」とか言っておきますよ。
 「言葉狩り」や、「ポリコレ棒」などという言葉を思い出しました。そのうち、世界の人間は何も表現できなくなる日が来るかもしれないですよ。




名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る