おたまじゃくしを眺めながら。

おそらく、音楽の話が中心になると思います。思っていることを、綴っていきたいと思います。

生活して行かなくちゃいけないから

2022-08-21 00:07:12 | 日記
 この間のリコーダーのマスタークラスで、聞かれたけど答えなかったことがある。

 職の話。リコーダーをこれから勉強して、将来がある若い人たちに、どうして私がピアノを教え始めたのかという話をしたくなかった。だって、夢も希望もないような話だから。それが現実だと言えば、そうなのかもしれない。でも、少なくとも、他の人達に、私がしてきたような経験はして欲しくない。

 確かに、幼稚園の頃は、ピアノの先生になりたいという夢があった。今、ピアノを教えているのだから、それは、夢がかなったように見えるかもしれない。
 でも、私がピアノを教え始めたのは、もっと現実的な話。当時私はシングルマザーだったから、息子を養っていかなけらばならなかった。でも、滞在許可の問題で、公に働いてはいけなかったし、公的な補助金を受けてはいけないことになっていた。だから、現金で払ってもらえる職は、選ばずに何でもやらなければならない状態だった。掃除婦、ベビーシッター、アイロンがけ、洗濯。日曜日は、教会でオルガンを弾いていた。オルガン奏者の仕事も、当時は現金で払ってもらえた。家賃を払えないで滞納してしまったり、大変だった。だから、教会の人が、私に仕事を作ろうと、ピアノを子どもに教えて欲しいと言い出したのだ。
 子どもを教えるということは、責任がある。だから、私自身、教えることを勉強しなければならなかった。
 ピアノを教えると、必然的に楽典も教えなければならなくなる。子どもが大きくなって、高校の音楽の試験を受けるようになると、その勉強の手伝いもするようになる。
 最初っから上手く教えれたわけじゃない。だけど、一生懸命やってきた。
 娘が生まれて、発達障害の可能性があると言われて、発達障害についてたくさん学んだ。そんなこともあって、発達障害の子どもを教えることになった。教え始めたら、どんどん生徒さんが増えちゃって。

 ピアノを教えることは楽しいですよ。でも、当時は自分の子どもを養うために教えていたのです。今とは全然違って、苦しかった。

 滞在許可の問題は、娘が生まれてからも続いた。15年間戦わなければならなかった。
 15年もあれば、キャリアを積んでいくこともできたはず。

 きっと、その間に、自分を殻の中に閉じ込めてしまったんだろうね。将来に夢なんてなかったし、生きているのは子どものためだった。

 作曲やリコーダーに会っていなかったら、今の私はいない。

 FBで、6年前の投稿が出てきた。滞在許可の問題と学費がないから、音大で作曲の勉強が続けられないという話。当時は、子どももまだ小さかったし。

 もしも、それが神様のご計画なら、また機会が来るはず。そう信じていた。今、バーミンガムの音大から、オファーが来ている。
 どうしていいかわからない。勉強すると、借金が増える。あきらめると後悔が残る。バーミンガムで仕事が見つかる保証もない。

 リコーダーを吹いてるとき、作曲をしている時は、心が喜んでいる。演奏しているのも、曲を書いているのも私自身。誰かのためにやっているわけではない。
 生きていれば、やり直せる。現状を変えていける。
 母親って、強いですよ(笑)
 神様は、乗り越えれない試練は、お与えにならないはず。だから、今辛くても、きっと大丈夫。いつも、まわりに助けが与えられてきたから。