人間らしさがあるので、
いろいろな視点から愛情と尊敬をもって味わっております。
(前回から)
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年ふる古木などに、点々とこの点苔が描かれることが多いですね。
松の古い大木、などの絵は、幹の所に、ばんばんと描かれています。
まさに年輪を重ねた証拠なのですね。
「この木は、年経た神聖な木ですよ!
霊妙な所があるからこそ、木でも長生きするものです。
それは神も宿るからでしょうか、これはそんな素晴らしい木です。」
このようなメッセージが、点苔にはあります。
ですから、点苔がついている樹木の絵というのは、
本来はすごくめでたい、ありがたいものなのです。
日本の神道の思想が濃く影響して、
この苔を、とても貴重で高貴なものにしていると思います。
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実際の世界でも、こんなに苔が生えてくるものなのでしょうか?
今の現代の私たちの感覚では、
こんなに苔が生えた、びっしりと生えまくった樹木なんて、
身近ではありえない事です。
しかしながら、体感として、樹木の幹に苔が感じられる、
点苔の存在に納得できると思う経験は、あると思うのです。
私は、点苔とは、そういった「霊感」の表現の一部のようなものだと
思っています。精神世界の表現とでもいうのでしょうか。
私が子供の頃、近所に園芸の上手な農家のおじさんがいました。
その方のお宅の庭に、見事な梅の木が何本もあって、
木ごとに肥料の配合を微妙に変えて、手入れしているということでした。
幹の根元は、こんもりと丘の様にもりあがっていて、
みっしりと緑色の苔で覆われていました。そして、梅の幹も、
幹の北側には苔が生えていました。
まるで苔のなかから花が咲くようでしたので、
私は梅の花は緑色の中から咲くのだと思って育ったくらいです。
ちなみに、そのおじさんのお宅の土間も、緑色の苔が生えていました
(今思うと、何故なのでしょうか?)。
今ほど酸性雨も降らなくて、土に力があり、適切に肥料をやって栄養があれば、
苔はよろこんで生えてくるものなのかもしれません。
また、空気も清浄であれば、神妙な感じもする事でしょうし、
その様な場所は霊的な、次元の高い感じがして、
生える樹木にも感応するところがあるものなのでしょう。
だいたい、このようなところが、
点苔にたいする見方の
スタンダードなところではないかな、と思います。
なぜ其一はあの点苔の表現に行きつくのでしょうか?
其一のメッセージとは何なのでしょうか。
では、次のブログに続きます。