さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

この一滴の水、この一灯の明かり

2018-06-16 20:09:41 | お坊さんのお話

 

 

この一滴の水、この一灯の明かり

大学の卒業式を待たずに永平寺へ上山し、一年余の雲水生活を経験した私は、故郷に戻ってアルバイトや会社員をしたりして生活していました。
生まれた寺が本当に小さな、檀家のないお寺だったので、勤めをしなければ食べていかれなかったからです。
スーパーでお肉やお魚を売ったり、友人の経営するお店で団子を焼くアルバイトや皿洗いをしたり、
慣れないマイクロメーターに四苦八苦しながら切削工具を作る仕事をしたりと、二年余りそんな生活をしていました。
しかし、日を追うごとに会社員としての生き辛さを感じ、また、お坊さんとしての修行をもっと深めていきたいという思いが強くなり、
家族や多くの方に迷惑をかけることを承知で再度修行に出ることを決心しました。
 
今日のお話は、そんな二度目の修行中の出来事です。
 
 
新潟の長岡で修行していたころのことです。永平寺の修行仲間から声がかかり、
東京西麻布にある永平寺東京別院というところに台所の責任者として赴任、修行をすることになりました。

東京別院というところは永平寺の禅師様が住職なのですが、実際は東京近辺のご寺院が禅師様の代理をすることになっています。
そのころの住職代理は芝のお寺の住職さんでした。
戦争も経験した老師は、やさしい笑顔と厳しい眼差しを併せ持った情の深い、まさに禅僧といった感じの方でありました。

南方に派遣されて激戦地を生き抜いてきた老師は、軍隊では主計中尉(会計係)の職にあったそうです。
そのせいかどうか、老師はいつも私たちに「もったいない」「無駄にするな」「電気を消せ」「蛇口はしっかりしめろ」と口を酸っぱくして指導してくださいました。
ありがたいことではあるのですが、しかし高校を出たばかりの若い雲水たちにしてみればいくら修行中の身とはいえ、
あまりに口やかましく言われたのではたまったものではありません。
なかには言葉に出しては言わないまでも、辟易した様子を見せるものもおりました。
 

その後も老師は永平寺の重いお役を受けて全国を回り、精力的に教化の日々を過ごしておられましたが、
病を得て少しずつ体の自由も利かなくなり、とうとうお亡くなりになってしまわれました。

本葬の日、すでに別院を辞して横浜で住職をしていた私は、芝のお寺の本堂後方で参列、焼香をさせていただき、ぼんやりと遺影を眺めていました。
読経がおわり、喪主であるお弟子さんの挨拶が始まりました。
 
「本日はお忙しいところ、遠路ご焼香いただき誠にありがとうございました・・・」
と、一通りの挨拶のあと、お弟子さんはこんな話を始めました。
 
うちの師匠はああいう性格ですから、あれこれと口やかましく小言を言ったことと思います。
別院で修行されていた若い方々には、本当にご不快をおかけしました。
この寺にいても電気を消せ、蛇口は閉めろと本当にうるさく言う師匠でしたから、元気だったころの別院での様子も容易に想像がつきます。

ただ、師匠にしてみればお水の一滴も一灯の明かりも、ただの水や光ではなかったのです。
 
 
ご承知のように、戦時中、師匠は南方の激戦地におりました。
何万人もいた戦友の中で生きて日本に帰ってきたのはほんのわずかという、想像を絶する苦しい戦いだったようです。
目の前で沢山の戦友がバタバタと死んでいきました。
 
「蛇口から滴っているあの一滴があそこにあったら、あいつの命を救ってやれたかもしれない。
点けっぱなしになっているあの明かりがあそこにあったら、あいつの傷の手当てができたかもしれない。
そう思うと水の一滴、灯りの一つが私にとっては命そのものに思えて仕方がないんだ。」

きっとそんな思いを胸に秘めながら、皆さんと接していたのだと思います。
師匠にとってお水や灯りは「もったいない」というようなレベルではなく、その一滴、その一灯が命そのものだったのです。
どうか師匠のそんな心のうちをお汲み取りいただき、これまでのことをご寛恕いただきますようお願い申し上げます・・・。

この言葉を聞いて、当時別院にいた修行僧たちはみな涙を禁じえませんでした。
 
 
 
永平寺に参拝に行ったことのある方は、門前の土産物屋の立ち並ぶ参道から永平寺の敷地に入るところに、
大きな二本の石柱が建っているのを見たことがあるかもしれません。
そこにはそれぞれ「杓底の一残水」「流れを汲む千億人」と彫ってあります。
 
「柄杓の底に残ったお水であっても無駄にせず元の流れに返してあげれば、千人どころか一億人にもその水の恩恵が行き渡っていく。
ほんの少しのことも無駄にしてはいけない。」
 
 

この言葉はそんな風に、もったいない、大事にしなさいということを教えていると捉えられがちですが、実はそれだけではないのだと思います。

お釈迦様の教えも小さなエピソードがたくさん伝わり、受け継がれ、そして現代に生きる私たちの心を潤してくれています。
身近な方の生前の小さな一言やちょっとしたしぐさが、それを見たり聞いたりした方のその後の人生に大きく影響を与えるということはよく聞く話です。

「杓底の一残水」のお言葉は、大衆を唸らせるような大義名分ではなく、日常の小さな一挙手一投足こそ私たちは大事にし伝えていかなければならない、という教えでもあるのだと思います。

わたしにとって老師のエピソードは、生死ギリギリのところを体験してきた方ならではの命との向き合いを修行の日々の中で教えてくれた、
とても大切な気づきの一瞬となりました。

日常の一コマひとこまに、私たちの生活を充実させる真実は流れているのです。
 

・・・・・・・・
 
箱根の岡田美術館で田中一村の特別展が行われている、というので箱根での用事が終わった後にでかけてきました。
岡田美術館・・・噂にたがわぬものすごいコレクションです。
入館時には、手荷物をエックス線検査機にかけられます‥('Д') たまげた。
もちろんスマホやタブレット、カメラなども持ち込み禁止。
 
しかし、やはりそれだけの事をしなければいけないほどの、ものすごいコレクションなんですね。
 
 
上は美術館の入り口付近。巨大な風神雷神図が出迎えてくれます。
 
で、お目当ての田中一村の作品はというと、白いダチュラとアカショウビンが描かれたものと、熱帯魚三体がメインで、他にも小品が何点か。
他の作家の作品との比較などもあって楽しいのですが、一村もっと見たいなあ、という人には物足りないかも。
 
夏の終わりころにアダンの浜辺の絵が展示されるそうなので、また来ようと思います。
 
滋賀の佐川美術館で大々的な回顧展が行われるそうなので、それも見に行ってみたいな。
 
 ちょっとだけ一村風のアジサイ。
 
霊園内の夏椿は、咲いては散り、散っては咲き、という感じです。
 
 
今日はここまで。


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