さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

バケツの田んぼで考えたこと  ・・お米の収穫・まとめ編・・

2008-10-25 17:53:36 | 随流去

皆様、お久し振りです。
コンピュータも回復いたしましたので、ブログを再開いたします。

これまでも「今日のおまけ」で何回かご紹介しましたが、子供の学校の教材ということもあり、この半年余りバケツの田んぼで稲を育ててきました。
今回は、稲の生育を通して考えたこと、学んだことを少し書いておこうと思います。

ホームセンターに土を買いに行くところから始めて、5月22日に水漬けし、26日に発芽。


27日に土に植えて、31日には植え付けたほとんどすべての籾が土の上に芽を出し、あとはあれよあれよというまにどんどん伸びていきました。
下の写真は6月5日の様子。

あっという間に伸びていきます。6月9日の写真。

田植え(バケツでは植え替えですが)をし、水を落として中干したり、倒れないように支えをつけたり、と結構手がかかります。バケツの田んぼだからいいけど、広大な土地のある農家の人はもっともっと大変だ、と子供たちと話をしながら育ててきました。

13日に植えかえしたときの様子。稲をいくつかまとめて植えなおします。

どんどん伸びて、7月8日にはこんなに太くなりました。沢山の株に分かれるブンケツも始まっています。

ある程度成長した所で、中干(なかぼし)といって水を落とす作業をします。土に棒を突き刺して穴を開け、土中の細菌が活動しやすいように空気を入れてあげるのだそうです。こんな作業があるなんて知らなかったなあ。7月11日から数日間、中干をしました。

伸びてくると倒れやすくなるので、棒を立ててささえをします。

激暑だったこの夏の天候が幸いしたのか、8月お盆があけて20日に出穂。

22日には花が咲きました。感動です。小さな白い花の、可愛らしいこと!

咲いた花は1日しか持たないことや、米が出来る前には液上のでんぷんが籾の中にたまっていくことも、初めて知りました。
下の写真は9月3日のもの。

梵妻曰く、山形出身のわりには、あまりよく知らないねえ。

そうです、田んぼの様子はよく目にしていましたが、実際自分で育ててみないと、何もわからないものなのです。

今を去る32年前、河北町立西里中学校(統合されて河北中学校になり、西里中は廃校になりました)3年の時に、学校の実習田で田植えや稲刈りをした経験はあります。収穫祭で餅つきをさせてもらったりして、楽しい思い出もありますが、一番大変な草取りなどの作業をしたわけではありません。
農家で毎日のように仕事をしていなければ、何も知らないのは田舎の子だって同じです。

さて、9月に入って穂が充実し、10月2日にいよいよ稲刈り。ハサミで刈り取り、物干し竿に干していきます。

そして10月15日、脱穀しました。
脱穀は茶碗を使って一穂ずつおこないます。新聞紙の上に穂を乗せ、茶碗をかぶせてしごくと脱穀できます。


脱穀したお米(籾))は、結構な量になりました。全部で2合くらいあるでしょうか。ちょっとウキウキした気分になりました。

で、翌日に籾摺り。籾摺りは手引書によれば、擂り鉢に入れた籾を軟式野球ボールなどでこすりながら籾摺りをする、とあります。そっと息を吹きかけて籾をとばし、玄米と分けていくとのことですが、根気のいる仕事です。
ここの手順は申し訳ないのですが、精米機にやってもらいました。

5分搗き程度の精米具合にしてとれたのは、写真の通り1合半。
ええっ、これだけぇ?とは思いましたが、気を取り直して仏さまにお供えさせていただきました。

23日、いよいよ炊飯。湯気の香りが、まさしく新米の香り。

炊けました。家族6人での1人分、これだけです。籾が残っているのが、ご愛嬌。

いただきます、の挨拶をしてひと口ひと口、かみ締めていただきます。
5分搗きですから色は少し悪いのですが、炊き立てという事もあって美味しくいただきました。感動ですね(^-^)

子供が学校から貰ってきた種籾を水につけてから、はや半年。
雨風にも心を砕き、出張で留守にすれば家にも電話をして様子を尋ね、などなど。いろいろと充実した時間を過ごさせていただきました。
結局、子供より大人の私のほうが夢中になってしまいました。

たった一粒のお米。
食べてしまえば一粒のお米ですが、種籾として大地に植え、手をかければ100から200粒にもなります。
沢山の命を養う栄養になります。
多くの命を支える尊い命を、私たちは頂いているのですね。

「いただきます」「ご馳走さま」
いつも口にする言葉です。料理を作ってくださっている方への感謝の言葉であり、そして「いのち」に対する感謝の言葉でもあります。

仏教で「ほとけ」とは大宇宙の真理をあらわす言葉です。そして大宇宙の真理とは、私たちの「いのち」の今在るこのありよう、そのままのことです。

大自然の営みや、風が動き、太陽や星が輝くことだけが宇宙の真理ではありません。
生まれ、歩き、お腹がすき、笑い、悲しむ。病み、疲れては休み、老いてゆき、そしてやがては死を迎える。
私たちが生きているという事実、その生活そのままもまた、宇宙のありよう、真理そのものなのです。

ですから、私たちが悪をおこなえば宇宙は悪の割合が増え始め、善を思量すればこの宇宙は善の割合が増える方向に向かっていきます。
お釈迦様は、悪いことはするな、善いことをせよ、とおっしゃられたのも、そのことに起因します。

宇宙がよい方向に向かえますよう、いただいた「いのち」をしっかりと使いきれるように、と念じつつ「いただきます」「ごちそうさま」を唱えれば、ご飯をいただく意味がまた違ってみえてくるかも知れませんね。

ごちそうさまをして箸を置いたあと、ご飯を頂く意味をあらためて深く考えさせられたことでした。

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今日の余分なおはなし

コンピュータの修理はDVDマルチドライブの交換と、オーディオボードの交換で、6万円近くの出費になってしまいました。
さらに、今回トラブル発見の原因になったポータブルハードディスクにも不具合が見つかり、結局1TBのハードディスクを購入することとなりました。これも2万円近く。
さらにデータを復旧させて新しいハードディスクに移し変える作業が結構大変で・・
うーん・・大きいですねえ・・・出費が、そしてかかる時間や負担がおっきいのです。

先日、キャンドルナイト関連で電気を消そうという、ライトダウンキャンペーンが大船観音さまであり、その際スタッフの人が使っていたエイサー社のコンピュータが、電話会社の契約込みで5,000円余と聞いて愕然としました。
わたしのコンピュータの修理代だけで、16台も買えちゃうじゃないですか!
コンピュータは値段も性能も「日進月歩」では無く、もはや「秒進日歩」なのですね・・・とほほ。

出費だけでなく、精神的ショックも結構大きい住職でした。

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今日のおまけ

前回山形に帰ったとき、実家近くの田んぼでは稲架(はざ)が沢山立っていました。

合掌の郷近くの畑で見かけた、たぶん「おくら」の花。

まだまだ咲いています、道路わきのコスモス。
結構息が長いです。散歩のかたがたの眼を楽しませてくれています。

 

 

きょうはここまで。

森さん、お楽しみいただけましたか?
kyoukaさんにもよろしくお伝えください。カメラ買ってくれって。

 

 



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