さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

典座教訓私訳 第5回

2010-03-05 20:32:32 | お坊さんのお話

(十二)中国留学中の体験
2:典座の修行

また、嘉定16年(1223年)5月の夏至の頃(まだ道元禅師の中国上陸許可が下りていなかった頃)のこと、
明州(浙江省)慶元府の寧波の港の船の中で日本の船の船長と話をしていた時、一人の老僧が船にやってきた。

年齢は六十歳ほどであった。老僧はわき目もふらずに私の乗っている船に乗り込んできて、日本人の船客に倭椹(わじん:桑の実)を求め、買っていた。

私は、老僧を招待して御茶をさし上げた。老僧の住んでいる所を尋ねると、阿育王山廣利寺の典座和尚であった。

老僧が言うには、
「私は西蜀(四川省)の出身で、故郷を離れてもう四十年。今年で六十一歳になります。
これまでに、ほぼ総ての修行道場で修行してきました。
先年、孤雲権禅師が住職しているころに阿育王山を訪ね、入門して漫然と修行の日々を送っていたのですが、
去年の夏安居が終わったあと阿育王寺の典座和尚に任命されました。

明日五日は特別の上堂説法の法要がある日で、全山の大衆に御馳走を食べさせてあげたいのですが、
悦んでもらえそうなものがなにも無いのです。麺汁を作ろうと思うのですが、材料にする桑の実も無い。
そういうわけで、わざわざやってきて桑の実を探し買い求め、諸方から集まった雲水さんがたに供養させていただこうと思うのです。」

私は老僧に尋ねた。
「何時頃に阿育王山を出発してこられたのですか?」
典座和尚が言うには、
「御昼ご飯を終えてからきました。」
とのことであった。

「阿育王山までここからどれくらいの距離があるのでしょう?」
「三十四、五華里(約十九キロ)ほどでしょうか。」
「何時頃に寺にお帰りになりますか?」
「桑の実を求めることができたら、これでもう帰りますよ。」

       

私はもう少し話を聞きたかったので、典座和尚に
「今日、思いもかけずに老僧にお会いすることができ、船中でお話を聞くこともできました。
このような素晴らしい御縁を頂くことができましたので、わたくしが典座禅師に食事のご供養させていただきたいのですが。」
と申し出た。

すると典座和尚は
「ありがたいことだが、それは駄目です。明日の供養、私が調理を取り仕切らなければ、きっと上手くいかなくなってしまうでしょう。」
という。

私は、
「阿育王山には、朝昼の用意をする同僚の方がいらっしゃるでしょう、典座老師一人いなくとも何も不都合はないでしょうに。」
というと、典座和尚は
「私は老年になってこの典座のお役を掌ることになったが、これは年寄りでもできる修行です。
なぜこの尊い修行を他の人に譲ることができましょうか。また、出かけてくるときに外泊の許可をいただいてこなかったので、それは受けられません。」
と言うのであった。

私はまた典座和尚に問うた。
「老師はもう充分いいお年になっていらっしゃる。なぜそんなあなたが坐禅修行に努めたり、古人の修行に関する話しを読むようなことをしたりなさらないのでしょうか?
典座などという煩わしい仕事をひたすらして、一体どんな良いことがあるのですか?」

すると、典座和尚は大笑いしてこう言ったのである。
「外国の若い方よ、あなたは未だ弁道修行ということがいかなることか判っていない、
また文字というものがどういうことかも知らないようだ。」

私は典座和尚のこの言葉を聞いて驚き、そしてにわかに恥ずかしくなってあわてて老師に尋ねたのであった。
「文字とは、弁道とは一体どういうものなのでしょうか?」

典座和尚は、
「今あなたが問いかけたところの的を外さずに修行を続けていれば、きっと文字、弁道を理解できる人になることができましょう。」

当時の私には、これを理解することができなかった。
すると、私の様子を見ていた典座和尚は、
「もしあなたが私の言うことを理解できなかったら、いつか阿育王山においでなさい。ひとつ文字の道理について、じっくり話し合いましょう。」
というのであった。

このように話し終えると、典座和尚はさっと立ちあがって
「もう日が暮れてしまう、急いで帰らなければ」
と、すぐにお帰りになってしまった。

      

3:文字・弁道の真意

この年の七月、私は正式に天童山景徳寺に修行僧として滞在していた。
この時、寧波の港で出会った彼の典座和尚が天童山にやってきて、私に面会して言った。

「夏安居を終えたので典座の職を退き、故郷へ帰ろうと思っているのです。
たまたま修行仲間が、貴兄がここにいると言っているのを聞いたものですから、会わずにいられなくなってやってきました。」

私は躍り上がるほどに感激し、典座和尚をもてなして色々と話を聞いた。
その折、先日の船の中での「文字」や「弁道修行」についての問答に話が及んだ。

典座和尚は言った。
「文字を学ぶものは、文字の真実の意味を知らなけれならない。
同じように、弁道修行、坐禅に励むものは坐禅の真実の意味を納得できるようにならなければならない。」

私は典座和尚に問いかけた。
「文字とは一体どういうものなのでしょうか?」

典座和尚はこう答えた。
「一、二、三、四、五」

また私は問いかけた。
「坐禅修行とはどういったものなのでしょうか?」

老典座はこう言った。
「あまねくこの世界には、隠されたものはなにもない。すべてがそのままの姿で、すっかりあらわれている」

そのほかにもいろいろと話をしていただいたが、今はこれをすべて記録はしない。
だが、私が少しばかり文字を知り坐禅修行を明らかにすることができたのは、言うまでもなく彼の典座和尚の大恩があるからである。
これらの様々な事柄を今は亡き明全和尚に話してさし上げたところ、ただただ喜んでくれたことであった。

4:文字の探求

私が後に、この文字ということについて雪チョウ重顕禅師が漢詩で弟子たちに示したものを拝読したが、そこには次のように書いてあった。

『ひと文字や七文字、三文字、五文字 

文字で物事をあらわそうとするが、それは物事の瞬間をあらわしているにすぎない。

すべて物事の本質を突きつめてしまえば、縁によってすべてが変化していくだけで、よりどころになるものは何もない。

夜も更け、月はいっそう白く皓々と輝き、蒼い大海原へと下る。あたり一面は月の光でいっぱいだ。

探し求めていた龍の顎下の貴重な珠、そう、真実のありようも、手に入れてみれば、あたり一面その貴重な珠、真実の光であふれかえっているではないか。』

前年、彼の典座和尚が言うところと、ここで雪チョウ禅師の示されるところと、その内容はピッタリと合っている。
私はかの典座和尚が真実の道心ある佛道修行者であることを改めて気づかされたのであった。

        (第六回に続く)

    

杏の花(?)でしょうか、近所の農家の方の畑に咲いています。ほわっとしたあたたかな紅色が心を穏やかにしてくれます。

今日はここまで。

 



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