一皿のご供養
お通夜の読経が終わって、ご遺族の方と通夜ふるまいのお食事をいただいているときでした。
小学校の低学年くらいでしょうか、亡くなられた方のひ孫の男の子が、母親に手をひかれて挨拶にやって来ました。
「住職さんに聞きたいことがあるんだっていうんですよ」
おばあちゃんに促されて、彼は恐る恐る小さな声で私に問いかけてきました。
「大おばあちゃんは、もう一緒にご飯食べられないんですか?大おばあちゃんはお腹空いてないんですか?」
眼にはあふれんばかりの涙がたまっています。
旦那さんが亡くなった後も元気で独り暮らしをしていた大おばあちゃん。
転んで大腿骨を折って遠くの施設に入るまでは、車で一時間ほどのところに住む娘さん夫婦がよく訪ねてきていたそうです。
ひ孫の彼も家族と一緒に大おばあちゃんに会いに来ていたのでしょう。みんなで食卓を囲んだことが、楽しい思い出として心に残っているに違いありません。
一緒に笑ったり遊んでもらったりした大おばあちゃんが亡くなり、今は冷たくなって棺の中に入っている。
お通夜の後、みんなはご飯食べているのに、大おばあちゃんだけ食べられないなんて・・大お祖母ちゃんにも一緒に食べてもらおうよ・・。
亡くなったことは子供心にもちゃんと理解できていると思います。
でも、亡くなった後でも今までと同じように一緒にご飯を食べてほしい、笑ってほしい、声をかけてほしい。そんな切ない思いが、眼にいっぱい溜まった涙にあらわれているようでした。
「そうだね、おっきいおばあちゃんにも一緒にたべてもらおうか?何が好きだったのかな?お寿司かな?卵焼きかな?飲みものはオレンジジュースかな?ビール?」
「まぐろのお寿司と、海老と卵焼きと・・」
お皿を渡して問いかけると、持て余し気味の長い箸を使いながら、彼はあれこれ真剣に吟味し始めました。
お母さんや小っちゃいおばあちゃんと一緒に取り分けた山盛りの御馳走をもって、彼は別室にある祭壇の棺の前へそろそろと進んでいきました。
翌日、おばあちゃんがお供えの時の様子を教えてくれました。
緊張した面持ちで食事をお供えした彼は、棺の前で大泣きしたのだそうです。
「日ごろは落ち着きのないやんちゃな子なので、あんなふうに大泣きするとは思いませんでした。
あの子なりに、大おばあちゃんにきちんとお別れができたんだと思います、良かったです。
亡くなったら違う世界に行って終わり、お供えしたからって食べてくれるわけじゃないし、とりあえずお通夜が終わってよかった、なんてオトナは考えてしまいますけど、間違ってました。
供養って形だけじゃないんですものね。あの子がこんなに母のことを想ってくれていたのがわかってうれしくて、別な意味で泣けちゃいました。」
想う気持ちがあってはじめて供養になります。彼の大おばあちゃんを想う純粋な気持ちが参列の皆さんに伝わり、いい葬儀をさせていただいたと感じたことでした。
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筍の時期も終わって、裏山の竹やぶは若竹の青さが眼に鮮やかです。
草友会の方々が手入れしてくださるおかげで、気持ちの良い、見事な竹やぶになっています。
このところの日差しの強さで、春紅葉もその色の濃さを増している感じ。
南側駐車場の舗装工事、22日はいよいよ古いアスファルトの剥離と砂利の填圧。
翌日23日午前中にはもうアスファルト舗装ができて、
24日午前中でライン引きも終わり。
さすが匠の技っ!ですね。
貞昌院さんから頂いた大賀ハスも、結構育ってきました。季節はゆっくり夏へと向かっています。
今日はここまで。