下記の記事は日刊ゲンダイヘルスケアデジタル様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
それまで入院していた患者さんが在宅医療へと切り替える最大の理由は、「最期は自宅で過ごしたい/過ごさせたい」という患者さん、ご家族の切実な思いがあるから。一方で、ご家族が一番に心配されるのは、「最期の迎え方」です。
末期がんの患者さんでは、大抵の場合、そう長くない余命を宣告されています。ご家族もそれを覚悟しているわけですが、いざ在宅医療が始まると、患者さんは元気を取り戻し、宣告されていた余命を大幅に過ぎる方も珍しくありません。そんな時、ご家族は、いったんした覚悟が緩み、小さな安堵と共に先に延ばされた不安がないまぜとなる気持ちを抱えるものです。果たして看取りの時に、タイミング良く在宅医師は私たちの傍らにいてくれるのか? 死亡診断は?そのように不安を募らせるのではないでしょうか。
これまでもさまざまな看取りのケースに立ち会い、ご家族と患者さんとのこれまでの関係や思いを垣間見ることがありました。あるご家族はこれまであった患者さんとのわだかまりの気持ちを清算し、あるご家族は改めての感謝の気持ちやいとしい気持ちを確かめ合う。そんな在宅医療ならではの看取りのケースをご紹介したいと思います。
その患者さんは、急性リンパ性白血病と外傷性くも膜下出血を患う85歳男性。一軒家の1階に患者さん、2階に息子さんが住んでいました。
在宅医療は、その息子さんからの申し出によりスタートしたのでした。息子さんから伺った話によると、奥さん(息子さんにとっては母親)へのDVがあり、そのために別居。
息子さんは独身で、ひとつ屋根の下に住んではいるものの、交流はなく電気がついているかどうかで生存確認をする程度。しかし病気のことを知り、「一人で孤独に死んでいくのはかわいそう」「これで最後かもしれないから」という気持ちが芽生え、母親や結婚している姉へも呼びかけ、ご家族が再び気持ちをひとつにして、患者さんの残された時間を見守ることになったといいます。
そうして在宅医療を開始しておおよそ2カ月後、患者さんは旅立たれました。短い残された時間の中、患者さんにまだ食欲がある頃には、孫たち(お姉さんの子供)も訪れ、かつて家族がひとつ屋根の下に暮らしていた時、夕ご飯によく食べたギョーザをみんなで召し上がったそうです。
その最期の時は突然訪れました。その日は朝からヘルパーさんが訪問していました。まだ薄いながらも意識のあった患者さんでしたが、その1時間後、2階から息子さんが下りてきた時にはすでに呼吸が止まっていたといいます。
在宅医療のスタート当初、看取りを心配する息子さんに、ご家族はそばにいてあげるだけでいいこと、患者さんがご家族の存在を感じられるだけでいいこと。最期の時、必ずしも医師がいなくても大丈夫。慌てず見守りながら私たちに連絡してもらえればいいことなどを伝えていたため、パニックにならず私たちの到着を待って、静かにその旅立ちを家族と一緒に確認することができました。在宅医療ではご家族の思いの数だけ看取りがあるといえるのです。
下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。
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