下記の記事はダイアモンドオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する。
テレビの突撃取材を受ける二人組
「あの~すいません、〇〇テレビですけど」
最近、テレビをよく見る。
一時期テレビを見ない生活をしていた反動なのか、とくに面白く感じるのだ。バラエティからニュースまで、髪を乾かしているときやご飯を食べるときに見ているのだけれど、一際目につくのは、ワイドショーなんかでよくやっている街頭インタビューだ。面白いというか、なんか、何かが気になるんだよな。
「ちょっとお話いいですか?」
いつも見かけるたびに何かがひっかかって、街頭インタビューのコーナーになるとついじっと観察してしまうのだ。
テレビ番組の突撃インタビューというのは、だいたい二人組に声をかける。カップルのときもあれば、親子のときもあるし、友達同士のときもある。その中でも私がつい見入ってしまうのは、女友達二人組に声をかけている場合だ。
「どうしてこの店に来たんですか?」
「今日のファッションのポイントは?」
「この辺で面白い店知りませんか?」
「お仕事何されてるんですか?」
街頭インタビューというのは実にありとあらゆる質問をするものだけれど、やはり女二人組にはそれらしいことを聞いたりもする。彼氏いるんですか? 今日は何しに来たんですか? これからどこに行くんですか? 云々。
そういうのを見るたび、私は何か変な違和感を覚えてしまうのだ。なんだろう。何かがひっかかっているような……納得いかないような。自分の過去にも、抱いたことがあるような、何か、変な感じ。
それが何なんだろうと、ずっともやもやしていたのだけれど、その正体に気がついたのは深夜にやっていたとある街頭インタビューを見たときのことだ。ブランドショップに買い物に来ている若い女の子二人組に声をかけていた。たぶん、高校生か、卒業して大学に入ったばかりくらいだろうか。
「え~どうだろうわかんないきゃははは」
楽しそうに笑う画面の向こうの女の子。それを見て笑うワイプの人たち。
かわいい。かわいらしい。とてもかわいい。かわいい……。
あっ! そうだ! これだ!
そうなのだ。気がついてしまった。とても残酷な現実。気がつきたくはなかったけれど、どうしても目を向けざるを得ない現実……。
そう、二人並んでいる女子のうちの、インタビューを受けている方がかわいいという現実である!
「え~と、今日は買い物にきました」
「彼氏ですかぁ~? いないです~」
「え~もうちょっとどうしようっ」
そう言って照れくさそうに笑いながら、隣にいる友達の肩を軽く叩く女の子は、かわいい。とてもかわいい。別の言い方をすれば、華があるのだ。目がキラキラしていて、ちょっと恥ずかしそうにして、「テレビに話しかけられて困っている女の子」として完璧な振る舞いをする。でも少し自信があるそぶり。きっと今までにもそういう経験をしたことがあるのだろう。ああいう子たちというのはだいたい、人に話しかけられることに慣れている。きっと街を歩いていてナンパされたりすることもよくあるのだろう。その照れくさそうにしている受け答えの仕方もなんだかとてもこなれている。
でも、隣にいるインタビューされていない友達のほうはどうだ。私は画面の端っこに半分見切れている女の子を見やる。うーん、たしかにインタビューされている子のほうが華がある。うん。これは現実だ。彼女はどんな思いで隣に立っているのだろうか。私はさらによく彼女の気持ちを読み取ろうと、インタビューされていない子の顔を凝視した。傷ついているのだろうか? 若干笑顔が引きつっている? 悲しそう? 切なそう? どうだ? この顔はどんな気持ちだ?
声をかけられるのはいつも彼女のほうだった
彼女の顔が一瞬、大きく映った。その顔を見て私はハッとした。いや、違う。これは違う。彼女は悲しいわけでも怒っているわけでもない。これは……この顔は……。
走馬灯のように、その顔を見たときのことが蘇ってくる。そうだ。あれは中学生の頃だったか。当時一番親しかった友人は、とても華がある子だった。目立つ。学年の人気者。明るくて、ちょっと気分屋なところがあるけれど、それでも愛される。先生からもよくいじられる存在。見た目もかわいい。男にもモテる。そういう子だった。
私はその子ととても仲が良くて、学校帰りにも休みの日にもよく渋谷に遊びに行った。カラオケや買い物をしたり、ゲーセンでプリクラを撮ったりして遊んだ。彼女は本当に魅力的な子だった。小悪魔的、と言ってもいいのかもしれない。ちょっとわがままで、無意識に人を振り回すようなところがある。でもそんなところも、人を惹きつける要素の一つに過ぎなかった。
私も彼女に惹かれていた人間の一人で、話していてとても楽しかったし、人として大好きだった。彼女といつも一緒にいた。人気者の彼女と一番仲が良いという事実がなんだか誇らしかった面もあった。
彼女と私のペアは最強なんじゃないかと思っていた。街を二人で歩いているとよく声をかけられたし、「どっかみんなで遊ぼうよ」と男二人組に声をかけられるなんてこともあった。私は彼女と仲良くなったことによって自分も華のある人間になれたような気がして、嬉しかった。
でも、あるとき突然気がついた。
話しかけてくる人たちがいつも、私のことを見ていないことに。
私一人だと、誰にも声をかけられないことに。
「ねえねえ、これからどこに行くんですか?」
そうやって声をかけられるのはあくまでも私ではなく彼女のほうだった。いつも人が来るのは彼女の側だった。それは私がツンとした顔立ちで、声をかけづらいからなのだと言い聞かせていたけれど、違うのだ。彼らの視界に、私ははじめから入っていなかったのだ。
彼らが声をかけたかったのは「彼女」であって、その隣にいるのは誰でもよかったのだ。私でも、別に他の友達でもよかった。私は、「女二人組」でいることによって話しかけやすくするという要素の一つに過ぎなかった。
話しかけられているのは、「私たち二人」ではなく、「彼女一人」なのだ。
もちろん、そのことに気がついてから、私は動揺した。なんで彼女ばかりが声をかけられるのだと思った。理不尽じゃないか。失礼じゃないか。女二人いるのなら、両方に話しかけるべきだ。一方を無視するなんておかしい。平等に接するべきだと思って憤慨した。
でも、そんなことが繰り返し繰り返し起こるうちに、私の中に諦めの感情が芽生え始めていた。
これは、仕方のないことなのだ、と。
世の中には華がある人間と、華がない人間がいて、そのどちらかに一度分類されてしまったら、もう一つのカテゴリーに移ることはできないんだと、気がついたのだ。
でも、理解してからは、早かった。「そういうもの」だとわかっていれば、「目立たない存在」として落ち着いていられる。彼女のように目立つわけではないけれど、実はきちんと状況を把握できている人間。そう、叶姉妹で言えば叶美香さん的存在。彼女がエキセントリックな恭子さんだとすれば、私は落ち着いて姉を支える堅実な美香なのよ。そう自分に言い聞かせていた。それで精神を保っていた。
そして、テレビ画面の向こうの彼女も、そんな顔をしていた。
「大丈夫、いつものことよ」と、彼女は自分自身に、言い聞かせているような気がした。悟った顔をしていたのだ。何かに焦っていたり、イライラしていたり、動揺していたりする様子はない。「別に大丈夫」、そんな落ち着いた顔。そう、まさに叶美香さん的顔だ。
ああ、きっとこの子も、いつもこの目立つ女の子と一緒にいて、こういう現象には慣れきっているのだろうなと私は思った。なんということだ。この子は健気じゃないか。私はあの頃の自分を思い出し、彼女と重ね合わせて涙が出そうになった。
「選ばれない人間」にこそ真の魅力があると、思いたい
ねえ、どう思いますか。
この現象、どう思いますか。
いや、華がある人間は羨ましいし、私はそうなりたいと、今でも思う。黙っていても目立って、何もしなくてもなぜか人がよってくるような、そういう人間に私はなりたい。
でもこうやって自分の立場をきちんとわきまえて、「私は大丈夫」と本当は目立ちたい気持ちをこらえつつ、それでも大人な対応をしている、おそらく弱冠十八歳程度の女の子のことを、とても愛おしいと思うんです。ねえ、そうは思いませんか。
どう見てもたったの十七とか、十八とかそこらだ。まだまだ目立ちたくて、何か素晴らしい存在になりたいとか思っている年齢だ。それなのに、自然と「自分は目立たない」と理解して、それで振る舞い方をきちんと考えている若い女の子。ああ、切ない。なんて切ないんだろう。私はその子のその表情にいたく共感してしまったのだ。
私は言いたい。街頭インタビューで声をかけられない女の子にこそ、真の魅力があるのだと。目立たず、立場をわきまえ、じっと息をひそめる賢さを持っているのだと。ぱっとしないどころか地味だし、一見普通の女の子にしか見えないけれど、そういう「選ばれないほうの人間」として苦労してきた人間だからこそ醸し出すことのできる、その人独特の魅力があるのだと、私は言いたい。
だから、声をかけてほしい。華がないほうの人間にこそ、声をかけてほしい。華があるほうの子は、何もしなくても声をかけられるのだから。陰でひっそりと咲く選ばれない女の存在を、知ってほしい。知ってほしい。
たのむ。どうか気がついてくれ。
じゃないとなんだか私が報われないんだと、よくわからない不特定多数の誰かに主張したくなった、夜だった。
川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
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