下記の記事を東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
「手元にお金がなくて(家賃が)払えない状況です。(中略)仕事がなくなり、探していますがなかなか見つからないのと交通費がなくて動けないです」
9月下旬、市民団体などでつくるネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」に1通のメールが届いた。送り主は東京都内に住むユイさん(仮名、21)。
同ネットワークはコロナ禍における生活困窮者の支援を目的に2020年3月、約40の団体が集まって発足した。メールフォームを通して助けを求めてきた人たちのところに、スタッフたちが直接出向く駆けつけ支援を続けている。
この日の日中、事務局長の瀬戸大作さんは、1人で自治体の窓口に行ったところ「まだ若いんだから働けるでしょう」と追い返されたという人の生活保護申請にあらためて同行、さらに自治体議員らを対象にした研修の講師をこなした後、自家用車でユイさんのもとへ向かった。
時刻は夜9時を回っている。瀬戸さんがハンドルを握りながらつぶやく。
「(ユイさんのケースは)家があるからまだ大丈夫だな」
駆けつけ支援の対象は20代、30代が大半
同アクションの駆けつけ支援の対象は、大半が20代、30代の若者だと、瀬戸さんは言う。彼ら、彼女たちの多くは仕事も住まいも失った状態まで追い詰められ、ようやくSOSのメールを発信する。「もう何日も食べていない」と話す人も珍しくない。
ユイさんからのメールには、携帯は料金未納で通話ができないとあった。所持金は1000円を切っており、家賃を1カ月分滞納、消費者金融からの借金もあるという。それでも路上に放り出されていないだけ、そのほかのSOSと比べると切迫度はまだ低いというわけだ。
30分ほどでメールに書かれていた住所に到着。そこは急な坂道の途中にある住宅街の一角だった。路肩に車を止め、ハザードランプを付けて待つこと数分。薄暗い小路の陰から1人の女性が現れた。ユイさんだ。
瀬戸さんはユイさんを助手席に招き入れると、メモを手に困窮状態に陥った経緯や現在の暮らしぶりなどについて聞き取っていく。
ユイさんは沖縄出身。高校卒業後、東京で働き始めた。その理由を「物価はあまり変わらないのに、時給はけっこう違う。同じ仕事なら東京のほうがいいなと思ったんです」と説明する。2021年度の最低賃金は、沖縄が820円なのに対し、東京は1041円。たしかに200円以上の差がある。
東京では雑貨店やコンビニ、清掃、飲食店などで働いた。いずれも時給制の非正規雇用。ほとんどが最低賃金水準で、手取りは月18万円ほどだった。最初は家賃約7万円のアパートで暮らしていたが、やりくりが厳しく同5万円のシェアハウスへと引っ越したのだという。
コロナ禍でアルバイトのシフトが削減された
そして個人経営の居酒屋で働いていたときに新型コロナウイルスの感染拡大に遭遇。シフトが削減され、2021年に入ってからは月収10万円の月が続いていた。この間、休業手当が支払われたのは正社員だけ。アルバイトだったユイさんは「そんなものなのかな」と思っただけで、とくに抗議や交渉はしなかったという。このころから、消費者金融にお金を借りては生活費にあてた。現在借金額は約50万円になる。
今夏、ついに居酒屋が閉店。複数の派遣会社に登録したものの、安定した収入が得られる仕事は見つからなかった。沖縄の両親もコロナ禍の打撃を受けており、援助は望めない。最近はご飯をおかゆにして量を増やし、空腹をごまかしているという。
そつなく答えているようにも聞こえるが、ユイさんの声には抑揚がない。瀬戸さんの質問に対する反応も遅い。車内に差し込む街灯の明かりに浮かんだ横顔にはほとんど表情がなかった。
「独りの部屋で、このままどこまで落ちていくんだろうと思うと、眠れなくて頭痛がして……。コロナ前の暮らしに戻りたい」
ひととおり話を聞いた瀬戸さんが生活保護の申請を提案した。ユイさんがためらいがちに「私の年でも受けられるんでしょうか」と尋ねる。
駆けつけ支援で出会う若者の多くが生活保護の利用を「周りに知られたくない」「まだ諦めたくない」などという理由で拒絶する。そんなとき、瀬戸さんは「生活保護は国民の権利。上手に利用して、上手に卒業すればいいんだよ」と説明する。
車内で30分ほど話し合った後、ユイさんは生活保護の申請を決めた。
ところが、その数日後、今度はシェアハウスの運営会社からユイさんのもとに「明日までに家賃の入金がない場合、強制解約をする」という旨のメールが届く。
契約上、シェアハウスは一般の賃貸アパートに比べて借主の立場が弱いことが多い。1カ月でも家賃を滞納すると、強制退去になるケースも珍しくない。実際、ユイさんの相談の前後も、同アクションにはシェアハウスからの追い出しなどをめぐるSOSが相次いでいた。
瀬戸さんは「安易な追い出しをするようなシェアハウスへの入居は勧めない」という。しかし、低賃金の非正規雇用の仕事に就いている若者にとって、敷金礼金が安いシェアハウスの魅力は大きい。いずれにしてもユイさんにとっては一難去ってまた一難である。
じわじわと追い詰められていくパターンが目立つ
新型コロナ災害緊急アクションの駆けつけ支援は、これまでに700件を超えた。そのうちコロナ解雇やコロナ切りに遭った事例は意外に少ない。
むしろユイさんのように初職から非正規雇用で、貯金をする余裕もない中で、コロナ禍によってさらに収入が減少。休業手当や福祉制度に関する知識も乏しいまま、最悪消費者金融やヤミ金からの借金を重ね、じわじわと追い詰められていくというパターンが目立つ。
住まいにしても、賃貸アパートでの1人暮らしをしている人は少数派。シェアハウスや寮付き派遣、友人とのルームシェアのほか、あるいはもともとネットカフェ暮らしだったという人も少なくない。駆けつけ支援は、こうした若者たちがコロナ禍のずっと前からぎりぎりの生活を強いられてきたことを浮き彫りにしたともいえる。
路上生活を続ける中、所持金が100円を切ったところで新型コロナ災害緊急アクションに助けを求めたソウタさん(仮名、23)も、もとは派遣労働者だった。
倉庫内作業の仕事が中心で、「希望しても、フルタイムで入れないこともあったので」毎月の手取りは13万円ほど。アパートを借りられる賃金水準ではなかったので、友人の家に間借りしていた。
ところが、コロナ禍によりただでさえ少なかった収入は半減。タイミングの悪いことに、同じころ、その友人が地元の地方都市に戻ることになり、住まいも失ってしまった。
ソウタさんの両親はすでに亡くなっているという。頼れる親戚もいない。友人宅を出た後は、ネットカフェ暮らしをしながら、日雇いの仕事で食いつなぐ日々。「建設現場とか、イベントスタッフとか、交通誘導とか、いろいろな仕事をやりました」。
あるとき、横浜で深夜の仕事を終え、駅前で始発電車を待っていると、「住むところがないなら、うちの施設に入りませんか」と声をかけられた。
施設まで連れていかれて説明を聞いたところ、生活保護を利用することが条件のうえ、自分の手元に残るのは毎月1万円であることがわかったので、あわてて逃げ出した。後になって、そこは生活保護費のほとんどをピンハネする悪質な無料低額宿泊所といわれる施設であることがわかった。
しかし、不安定な日雇いの収入だけではネットカフェ暮らしも続けられない。夏以降は路上で寝起きすることが増え、公園の水道水しか口にできない日もあった。
公園内のベンチは中央に突起物などがあり、横になって休むことができない造りになっていることも、自身がホームレスになって初めて知った。ソウタさんは「死んでしまいたいと何度も思いました」と振り返る。
切羽詰まった様子で携帯を操作
取材で話を聞いた日も、ソウタさんは待ち合わせをしたファミレス前の路上で切羽詰まった様子で携帯を操作していた。
携帯で日払いの仕事がないか探すソウタさん。取材の待ち合わせ前も後も、切羽詰まった様子で携帯を操作していた(筆者撮影)
何をしているのかと尋ねると、「日雇い派遣の仕事を探している」と言う。しかし、究極の不安定雇用である日雇い派遣は2012年に原則禁止されている。私がそう伝えると、「じゃあ派遣じゃなくて、アルバイトかな」と首をかしげた。
実はこの日の早朝も、ソウタさんは日雇いの仕事を入れていた。倉庫からの搬出作業で、指定されたとおり、朝7時に「品川シーサイド駅」に行った。ところが、そこで担当者から「予定の人数に達したので今日の仕事はなくなりました」と告げられてしまう。集合していた10人ほどの人たちは、黙ったまま三々五々に散っていたという。
「日雇いの仕事で必要な人数よりも多めに募集することはよくあること」とソウタさんが教えてくれた。いわゆるドタキャンに備えた“保険”である。しかし、雇用保険にも入っていないソウタさんには「あぶれ手当」も支給されない。ソウタさんは交通費を節約するため、品川から私との待ち合わせ場所まで3時間かけて歩いてきたという。
ソウタさんはフルキャストやインディードといった求人サイトに登録しているほか、「タイミー」「シェアフル」などのバイトアプリをダウンロードして日雇いの仕事を探している。
条件に合った仕事があると、電話やメールで紹介されるのだという。日雇い派遣そのものに見えるし、ソウタさんも「日雇い派遣だと思っていた」と言うが、契約上はアルバイトという扱いらしい。
ソウタさんによると、日雇いの仕事は、募集要項には「有り」と書かれていた交通費が支払われなかったり、「制服支給」とあるのに現場で買い取りを強制されたりといった問題も多い。
「都合のいいように扱われている気がします」
ソウタさんに将来の希望を尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「今日どうしよう、明日どうしようと考えなくてすむ暮らしがしたい」
瀬戸さんによると、緊急事態宣言が解除された10月以降、駆けつけ支援の件数は減少傾向にある。しかし、若者たちの多くは再び派遣や飲食店のアルバイトといった不安定な仕事に戻っていったにすぎない。
「コロナ災害で底が抜けてしまった社会は簡単には修復されない」
瀬戸さんはそう指摘する。コロナ禍で可視化された問題が、理由もはっきりしない新規感染者数の減少によって再び覆い隠されつつあるにすぎないというわけだ。
「甘いものを食べるの、久しぶりなんです」
冒頭で紹介したユイさんはどうなったのか。
駆けつけ支援の後、福祉事務所にも、シェアハウスの管理会社にも瀬戸さんが同行、交渉した。それにより、生活保護の利用が決まり、住まいからの追い出しもかろうじてまぬがれた。借金についても近く弁護士と相談することが決まっている。
ユイさんは「後は仕事を見つけるだけ。景気に左右されない事務職。できれば契約社員がいいです」と語る。
一時はその日の食べるものにも事欠いたユイさん。取材で話を聞いたとき、ケーキとカフェオレを「甘いものを食べるのは久しぶりです」とおいしそうに平らげた(筆者撮影)
ユイさんには後日、取材で話を聞くために喫茶店で会った。
好きなものを頼んでくださいと伝えると、チーズケーキとカフェオレを注文。カフェオレにガムシロップを2つ入れるとあっという間に平らげ、「甘いもの食べるの、久しぶりなんです」と笑った。
夜の住宅街で初めて会ったときとは別人のように豊かな表情だった。一方で20歳そこそこの若者が甘いものさえ満足に食べられない現実を思う。それこそが、今そこにあるリアルである。
藤田 和恵 : ジャーナリスト
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