下記の記事をプレジデントオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
現在、天皇陛下の次の世代で、皇位継承権を持っているのは、秋篠宮家の長男、悠仁さまだけだ。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「現在の皇位継承にかかわる制度は、“構造的”な欠陥を抱えている。それをそのまま放置すれば、やがて皇位継承者が不在になるのは避けられない」と説く――。
※本稿は、高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
「女性・女系天皇、議論せず」
令和2年(2020年)2月16日付「読売新聞」の1面トップに「女性・女系天皇 議論せず/政府方針 皇位継承順位 維持/立皇嗣りつこうしの礼後に確認」というスクープ記事が載って、皇位継承の行方に不安を抱く人たちを驚かせた。この記事の一部を紹介すると、次の通り。
「政府は、皇位継承のあり方をめぐる議論で女性・女系天皇を対象としない方針を固めた。男系男子が皇位を継ぐ皇室制度を維持する。秋篠宮さまが継承順位一位の皇嗣となられたことを広く示す『立皇嗣の礼』が行われる4月下旬以降、こうした考えを確認する見通しだ」
「政府はこれまで、非公式に学識経験者らに接触し、それぞれの意見を聞き取ってきた。これを踏まえ、女性・女系天皇を実現するための法整備は見送ることにした。公の場で議論を行うための有識者懇談会も設けない方向だ」
「性別にかかわらず天皇の直系子孫の長子(第一子)を優先した場合……秋篠宮さまの皇嗣(皇位継承順位が第1位)としての地位見直しにつながるだけでなく、悠仁ひさひとさまが天皇につけない可能性も出てくる。そうなれば、『皇室の安定性を損ないかねない』(政府関係者)と判断した」
なぜこのタイミングで新聞に出たのか
この記事のポイントは3点。
その1は、政府の方針として、皇位継承をめぐる制度改正を検討する際に、“女性天皇・女系天皇”の可能性はあらかじめ排除するということ。
その2は、この問題をオープンに討議する諮問機関(有識者懇談会?)を設けないということ。
その3は、今の制度のもとでの皇位継承の順位(第1位=秋篠宮殿下、第2位=悠仁親王殿下、第3位=常陸宮ひたちのみや殿下)は変更しないということ。
こうした方針を「立皇嗣の礼」挙行後に「確認する見通し」なのに、何故このタイミングで(いわば未確認のはずの)情報が早々と新聞に流れたのか。おそらく、政界や世論の反応を探ろうとする政府サイドの意図的なリークと考えるのが、自然だろう。
政府が「非公式に学識経験者らに接触し」ていた事実は、この報道が出る前から私はつかんでいた。と言うのは、“接触”を受けた「学識経験者」の当事者(複数)から、婉曲にその事実を伝えられていたからだ。ちなみに私自身への接触はなかったが。
明治の皇室典範にあって今の皇室典範にないもの
この記事が、皇位継承のあり方に関心をもつ人々を驚かせたのは何故か。
政府は、上皇陛下のご譲位を可能にした皇室典範特例法の附帯決議によって、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」について検討することを“約束”させられていた。にもかかわらず、そのためには決して避けて通ることができないはずの「女性・女系天皇」という“課題”を、議論の対象から外してしまった。これはすなわち、附帯決議への“ゼロ回答”以外の何ものでもないからだ。
皇位継承の行方を不安定なものにしてしまっている原因とは何か。現在の皇室典範がかかえる「構造的」な欠陥が原因だ。
では、その構造的欠陥とは何か。それは、明治の皇室典範では“セット”で制度化されていた、①正妻以外の女性(側室)のお子様(非嫡出子)やその子孫(非嫡系)であっても、皇位継承資格を認めることと、②皇位継承資格を「男系の男子」というかつて例を見ない極めて“窮屈”な条件に縛ること、という2つのルールのうち、①を除外しながら、②“だけ”を採用していることだ。
「男系の男子」をどう確保するのか
たったお一方だけの天皇の正妻(皇后)から代々、必ずお一方以上の男子がお生まれになることを期待するのは、無理だ。
そこで以前、「男尊女卑」(男性を尊重し、女性は男性に従うものとして見下すこと)の考え方が社会に広く行き渡っていた時代には、「男系の男子」を確保するために側室の存在が公然と認められ、制度化さえされていた。
側室のお子様も、継承順位の点で嫡出子の後ろに回されていたものの、継承資格が与えられていた事実がある。これは当時の価値観に照らして、特に非難されるべきことではなかった。
しかし、現代においてそのようなルールが許されるはずはない。現に、昭和22年(1947年)に制定された今の皇室典範では、非嫡出子(および非嫡系)には継承資格を認めていない(第6条)。ならば、側室の存在と非嫡出子の継承可能性を前提としてこそ可能だった、「男系の男子」という継承資格の“縛り”も一緒に解除するのが当然だった。しかし、それは見送られていた。
これこそが今の典範の「構造的」欠陥だ。
従って、附帯決議で約束した通り皇位の安定継承を本気で目指すのであれば、「男系の男子」という縛りの見直し、つまり「女性・女系天皇」の可能性を視野に入れた議論が欠かせないはずだ。しかし、それを「対象としない方針」であれば、まさにゼロ回答と言わざるをえない。
国民の代表機関である国会との約束であり、しかも極めて重要な皇位継承にかかわる課題に対し、あまりにも不誠実な政府の対応ぶりだった。
「立皇嗣の礼」の2つの不審点
先の記事に「『立皇嗣の礼』が行われる4月下旬以降、こうした考えを確認する見通し」とあった。しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により儀式の挙行が延期され、実際に行われたのは同年11月8日だったことは周知の通り。
改めて振り返ると、この「立皇嗣の礼」については2つの不審点が残っている。
1つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。
もう1つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う“一連の儀式”と位置づけられたことだ。
これらについては、一般にその奇妙さがほとんど気づかれていないと思うので、少し触れてみたい。
まず「立皇嗣の礼」それ自体の不可解さについて。
これについて考える場合、「皇嗣」と「皇太子」の違いをきちんと整理しておく必要がある。
「皇嗣」と「皇太子」の決定的な違い
「皇嗣」は“(その時点で)皇位継承順位が第一位の皇族”を一般的に意味する。これに対して、その皇嗣が“天皇のお子様(皇子)”である場合、特に「皇太子」という称号をもたれることになる(皇室典範第8条。お孫様なら「皇太孫こうたいそん」)。
具体例をあげて説明しよう。今の天皇陛下の場合、平成時代は「皇太子」でいらっしゃった。上皇陛下(当時は天皇)のお子様で、もちろん皇位継承順位は第1位。だから「皇太子」。皇太子は“次の天皇になられることが確定したお立場”だ。その事実を内外に広く宣明するために行われるのが、近代以降の「立太子りつたいしの礼」である(前近代の場合は、この儀式によって皇太子のお立場が固まった)。ちなみに、天皇陛下の立太子の礼は平成3年(1992年)2月23日、満31歳のお誕生日当日に行われている。上皇陛下の時は昭和27年(1952年)11月10日、「成年式」(加冠かかんの儀ぎ)に引き続いて挙行された。
誤解してはならないのは、皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが「確定」する。儀式はただ、その既定の事実を“宣明”するまでのこと。前近代とは儀式の意味合いが異なっている。
ところが、皇太子・皇太孫つまり「直系の皇嗣」ではない、「傍系の皇嗣」の場合はどうか。儀式の“前”に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない。しかし、次の天皇になられることが必ずしも“確定していない”という点で、大きく異なっている。これはどういうことか。
「立皇嗣の礼」がなかった秩父宮
これも実例で説明しよう。昭和天皇の弟宮だった秩父ちちぶの宮みやの例を取り上げる。
高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)
秩父宮は大正天皇の第2皇子として明治35年(1902年)6月25日にお生まれになった。お名前は雍仁やすひと親王。「大正」から「昭和」への改元当時、昭和天皇には皇位継承資格をもたない女子(照宮てるのみや成子しげこ内親王)しかおられなかった。そこで、昭和天皇のご即位に伴い「皇嗣」になられた。現在の秋篠宮殿下とちょうど同じパターンだ。
その後も、昭和天皇のお子様は女子が続いた(第2皇女・久宮ひさのみや祐子さちこ内親王、第3皇女・孝宮たかのみや和子かずこ内親王、第4皇女・順宮よりのみや厚子あつこ内親王)。この間、ほぼ8年間、秩父宮は皇嗣であり続けておられた。しかし、「立皇嗣の礼」などは行っておられない。それは何故か。傍系の皇嗣の場合、皇太子(皇太孫)と違って、次の天皇であることが“確定”したお立場ではないからだ。
実際、昭和8年(1933年)12月23日に昭和天皇の第1皇子(つまり「皇太子」)として上皇陛下がお生まれになった瞬間に、その時まで皇嗣であられた秩父宮の皇位継承順位は、皇太子の次の“第2位”に変更された。そのため、もはや「皇嗣」ではなくなられたのであった。
非礼で不敬な儀式だった
このように、傍系の皇嗣は継承順位の変動がありうるお立場だ。その点で皇太子とはまるで違う。ならば、「立太子の礼」を挙行する理由はあっても、「立皇嗣の礼」を行わなければならない必然性はないだろう。従来、このような儀式が行われなかったのは、その意味ではごく当たり前のことだった。むしろ、令和の時代に前代未聞の立皇嗣の礼が行われたことの方が不可解なのである。
なお、映像をご覧になった人であればすぐ理解できるように、この儀式の主役はもちろん天皇陛下ご自身だ。陛下が、秋篠宮殿下が皇嗣であられる事実を内外に宣明されることが、この儀式の主眼だ。秋篠宮殿下が主役の行事と勘違いしている人もいたようなので、念のために付言しておく。
ただし、これは憲法上の“国事行為”。なので、「内閣の助言と承認」によって行われ、「内閣が、その責任を負ふ」(第3条)べきものだ。内閣の意思によって行われ、天皇陛下や秋篠宮殿下ご自身のお考えとは直接、関係がない。
そこで少し立ち止まって考えてみると、立皇嗣の礼というのは、単に前代未聞というだけでなく、客観的には天皇・皇后両陛下が今後、決して「直系の皇嗣」には恵まれられない、という見立てを前提にしなければ行えないはずの行事であることに思い至る。実はかなり非礼で不敬な儀式だったことになろう。
高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。
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