モーニングを食べに喫茶店に行くと団塊の世代の人々がたくさんいる。
定年退職して、余生を楽しんでいるのだろう。
その中で、どこの喫茶店でも絶対にいるのが『何社もの新聞をすみずみまで読み込む人』である。
昔から変わらない情報のインプット方法が、習慣として染み付いている。
昔は新聞が情報源として主流だった。
しかし、今はスマホのアプリからだ。
新聞は、届くまでにタイムラグが発生し、もはや遅い。
しかも、主義主張があまりに偏っていて、基本的に有料である。
アプリならいつでもどこでも無料で聴覚視覚でタイムリーに情報を取得できる。
アプリの方がほぼ全てにおいて優れている。
しかし、先に述べたように習慣に取り憑かれたままの人もいる。
習慣というのは、本当に恐ろしいものだ。
徹底的に意識しないと変えられない。
新聞は右肩下がりで発行部数が減り続けている。
単純に団塊の世代あたりの人が購読しているが、物理的に人数が減っている。
且つ僕の親のように団塊の世代でもネットから情報を取得している人もいる。
毎月4,000円も無駄な金額を払う必要はない。
本当に見たい時は、都度買えば良いのだ。
しかし、新聞には良い点もある。
DIYをする時に、机や床が汚れないように敷いておくことができる。
少し前では、着火剤の代わりとして焚き火で使用できた。
よく頑張ってくれた、ありがとう、と伝えたい。
新聞各社は生存するために必死である。
これからどのように変わっていくのか楽しみである。
日経新聞は電子版への流入に比較的成功している。
追随できる新聞社はあるのだろうか。
近い将来、『新聞という毎日届く紙があったんだよ』と話す日がくるかもしれない。
↓なんとも心苦しいww
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