定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その29(グラスゴー)

2024年02月19日 | 思い出の旅行

  2023年ピースボート航海記 その10(イギリス グラスゴー リバプール)

第56日目 グラスゴー グライド港・グリーノック・オーシャン・ターミナル着岸
     10月17日(火)
  天候:
  気温:  日の出:7:54    日の入:18:15 
予定  6時、グランド港、グリーノック・オーシャンターミナル着岸   
   19時、帰船リミット 

6時、着岸
7時、朝食、14階は混んでいた。
8時、帰室、部屋で待機
10時15分、7階ビスタラウンジ集合、順調に進み、予定通りバスでグラスゴーに向かう。
小さいが干潟がある海岸を走る、小さな鳥から大きな鳥まで数種類群れが見られた。辺鄙な場所にも関わらずケンタッキーフライドチキンの店があった、イギリス人にも受け入れられているのだろう。高速道路に出てスピードを上げる、少し怖い。30分ほど走ると建物が多くなりグラスゴーの街に入ったようだ、想像していたより大都会だ。装飾を施した石造りの重厚な建物が目立つ、大英帝国(スコットランドだが)の伝統を感じる。1階が店舗になっている。人通りも多く賑わっている。
 11時頃、グラスゴーの中心部、ジョージ・スクエアー近くでバスを降り、自由行動開始となる。
地図が全くお粗末(英文の地図のコピーが薄く、文字が小さい)でまったく分からない。たまたま、定期観光バス乗り場があったので切符を買い(カード支払い)乗車、とりあえず、一周してみることになった。
<周遊コース>
 Glasgow Cathedral(大聖堂)  
 →Glasgow Green(芝生が綺麗、市民の憩いの場)  
 →Glasgow Central(グラスゴー駅)  
 →Event Hall(近代的な巨大な建築、見本市会場)
 →Riverside Museum(近代的な建物の博物館) 
 →Glasgow University(グラスゴー大学のキャンパスが並ぶ、学生で通りが溢れていた)  
 →The Glasgow School of Art(王立美術学校、マッキントッシュのデザインが見られるはず、今回は見つけられなかった、残念)  
 →George Square グラスゴーの中心部にある広場、市役所を中心にベンチ、緑地、銅像がある、一角にファーストフード店「MOSTA」があった。
 
1時間位かけて一周した、バスから見た印象
・グラスゴーは想像以上の大都会だった、古い重厚な石造りの建物とガラスとコンクリートのモダンな建物が混在し調和している。
・グラスゴー大学周辺は学生でいっぱい、中国人か東洋系の学生も見られる、若い活気を感じた。大学が多くサイエンスセンターの看板が見えた、学術研究都市を目指しているのかも知れない。
・建物の裏は別の光景が見える、瓦礫、ゴミ、落書き、そして表通りにも紙コップを差し出す中年の白人の乞食。迷っていたら声をかけてくれた親切なおばさん、ネットで直ぐ調べ教えてくれた学生、奇声をあげた高校生と色々な対応に出会った、格差社会が抱える色々な問題があるのだろう。

 バスを降りて、The Glasgow School of Art を探す途中レストラン「Blue lagoon」で昼食、ピースボートの乗客もいた、フッシュ&チップスを注文、30分以上待った、忘れているのかと心配になる。紅茶付きで17.4ポンド、タラのボリュームがすごい、食べられるかタジタジに。タルタルソース、ソース、ケチャップをかけながらゆっくり味わった、美味しかったので二人ともしっかり完食。食べ物に合わない照明が問題だった。
 マッキントッシュに出会いたかったが The Glasgow School of Art が見つからず断念。
 ジョージ・スクエアーに戻り、散策、気になった公園の正面にあった石造りの建物(グラスゴー市役所)に入る、大理石の豪華な内装に驚いていたら、一角にマッキンツッシュの椅子が展示されていた。最後に何とか望みが叶えられた。
 角にあるファーストフード店「COSTA」のトイレを借りる、綺麗で入りやすかったので使ったのは3回、最後は夕食用のサンドイッチとベーグルをちゃんと購入する。
 18時30分、バスに乗り埠頭へ、もう来ることは無いだろうと暗くなった景色をしっかり味わった。丘の中腹にある緑あふれる住宅地、家路を急ぐ自家用車、夕闇の浜辺、そしてパシフィック・ワールド号が見えてきた。

 

 着岸風景

 

 殺風景な景色でした。

 

 乗った定期観光バスは中国語が対応していますが日本語はありませんでした。

 

 THE OVO HYDRO(定期観光バスの停留所があります)巨大なコンサート会場 

 

 横丁の風景、ちょっと怖い。 

 

 レストラン「Blue lagoon」フィッシュ&チップスは美味しかったですが照明は最悪、マッキントッシュを育んだ街とは思えない。

 

 グラスゴー市役所、ホテルのような豪華なインテリア、私たちが住んでいる盛岡市役所とは雲泥の差

 

 ようやくマッキントッシュに出会えました!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その28(アイスランド、ブルーラグーン、レイキャネス半島、)

2024年02月09日 | 思い出の旅行

第52日目 レイキャビック港着岸 ケベックシティ出航(7日目) 10月13日(金)
  天候:   気温:  日の出 8:11  日の入18:16
  予定 オプショナルツアー Gブルーラグーンとレイキャネス半島観光
 6:30、波はおさまり揺れなし、朝食、食欲ない、パン、卵、肉と野菜の炒め物、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、船内放送で昨日の悪天候のため、レイキャビック着岸予定がが9時とのこと。当初の予定では6時だから3時間遅れとなる。
 7:30、帰室、ツアー参加の準備、ツアーは2時間遅れて10時30分集合となる旨の船内放送あり。下船して5号バスに乗り込む。同行のピースボースタッフからコースとスケジュールの説明があった。まず、ブルーラグーンを目指す、小さいけど綺麗なレイキャビックの街並を抜け溶岩の中の道を45分ほど走り、ブルーラグーン言わば巨大な露天風呂に到着。滞在は2時間の予定、カミさんは入らないとのこと、私だけ入ることにする。入場は渡されたリストバンドをセンサーにかざすと入口のバーは開く、ロッカーの鍵もバンドをセンサーにかざし開ける。着替え室に入り、空いているモダンなデザインのロッカー(L字型と逆L字型で2個合わせると長方形になっている)を探し着替える。私は水着ではなく普通の短パン、ロッカーに入れたらロックする、バンドをセンサーにかざせば開く。
 シャワー(入る時、出る時必ず浴びることになっている)を浴び、恐る恐る温泉に向かう、外は寒い、風が吹くと体が凍りつくよう、皆、唸っていた。お湯はぬるく、躊躇なく入れる、首まで浸かれば暖かく天国気分、日本の温泉と同じだ。ぬるい分長時間入っていられる。深さは胸まで、周囲には上り下りできるように階段があるので椅子代わりに座ってゆったり浴びた。気持ち良い、硫黄の匂いはほとんど感じない、単純泉か。白人、黒人、インド人、アジア人と多彩な人々が温泉を楽しんでいる、不思議な光景。「水着着用温泉」世界標準になるか?その内、日本でも導入する温泉が現れるか?入場料が高いがビールやコーヒーが無料で飲めるなどのサービスがある。
 温泉を出て、無事ロッカーも開き着替えて待合室へ、カミさん発見、私はカフェでビールを注文(無料)、カミさんと一緒だった広島県尾道市のご夫婦と集合時間まで過ごす。ご夫妻は温泉には入らずカフェで過ごしていたとのこと。
 2時、バスはレイキャネス半島にある昼食会場へ向けて出発、10分程で到着、レストランは大きいログハウス。一階は中央がバー、右に大食堂と左に小部屋がある。食事は自分で好きなだけ取る方式、パシフィック・ワールド号の14階のレストランと同じだ。内容はメインがたらの唐揚げ、サラダ、ポテトチップス、スープ、パン、赤ワイン。たらとスープが美味しかった。久しぶりに食欲があった。
 次はレイキャネス灯台、ここも周囲に何もないただ溶岩流があるだけ、荒涼とした岬の景色を楽しむ。絶滅したと言う巨大なペンギンの像(実物大か?だったら大きい)があった。発見された最後の1匹だったとのこと。絶滅したネアンデルタール人を思い出す。自分一人残されてどう生きたのか、何を思ったのか。
 次にヨーロッパとアジアを引き裂く大地ヴィレッジ・ビトウウイーン・コンチネンツへ向かう。大陸が二つに引き裂かれている現場とのこと。現場は思ったより規模が小さかった。霰が降ってきた、さすがアイスランド。次の見学先ヴァイキングワールド博物館は時間切れで中に入れず外からレプリカの船を見ることになった、メインの展示物はこのレプリカのようだ。帆船であまり大きくない、40〜50人も乗れただろうか?細い板を縦に張り合わせて成形している、強度はどうだったのか、長尺の木材の調達、製材方法、接合方法、水漏れ対策はどうしたのだろうか?荒れる北海を越えて北欧だけでなくアメリカまで遠征していたのだから頑丈だったのだろう。帰国してから調べてみよう!日本の漁師がさっぱ船で韓国、中国国境まで行っていたこと(宮本常一の著書から)から考えても可能性は十分だ!意外と簡単に行っていたかも知れない。
 次はクリスヴォーク地熱地帯へ移動、風が出て、みぞれも舞い寒さが増す。板張りの歩道を登ると周囲から蒸気が噴き出ている、八幡平や松川温泉でも見られる風景だ。寒いので早々にバスに戻る。もうだいぶ暗い、レイキャビクの街中に戻り最後の見物、ハットルグリムス教会へ向かう。薄暗い中、ピンクの気持ち悪い色でライトアップされていた。中には入れず、ただ高い塔の教会を外から見ただけだった。
 帰船途中、市内を回ってくれたので商店や住宅の様子が見れた。なぜか、住宅にカーテンが無く室内がよく見える。モダンな住宅が多い、公共設備や一般住宅にもモダン・デザインが積極的に取り入れられているようだ。ブルーラグーンの施設も建物、サイン、什器までモダンデザイン満載だった。そう言えば小さな街にふさわしくないIKEAの大型店舗があった。
 皆、この厳しい環境で一生懸命生きていることを確認できたような気がする。

 19時30分、帰船、シャワーを浴び下着の洗濯、14階のレストランでパン、りんご、オレンジ、クッキーの夕食、お昼の「たら料理」がまだ効いていた。


第53日目 レイキャビク港出航 レイキャビク出航(1日目) 10月14日(土)
  天候:雲が立ち込めているが上空は晴れ間が見える
  気温:  日の出 8:14  日の入18:12 

 疲れが取れず、ひたすら眠い、朝食抜きで寝ることにする。12時過ぎ、カミさんが食事を運んでくれた。起きて窓の外の景色を見るとまだ出航していない、昨日スケッチした風景が光が差しているので全く異なる景色に変貌していた。即、昨日のやり残したスケッチを再開、色をつけるが雪山の彩色がうまくいかない。諦めてパン、卵、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、コーヒー牛乳を食べる。少し元気が出てきたのでスケッチを描き直す。しばらくすると船が出航、荒涼とした大地に住民がしがみ付くように住んでいるアイスランドの風景は心に沁みた。夕暮れのレイキャビックの町を左手に見ながら船は次の寄港地イギリス、グラスゴーに向け進んで行った。
 14時、「揺れる」との船内放送がある、ここまでは穏やか、雲はあるが時折、日が差す、同時に風景が一変する、美しい、都会生活の中で忘れていた景色だ。アイスランドとお別れ、手付かずの自然が最大の魅力の島、人々は片隅で生きている、かって自然に圧倒されていた人間本来の暮らしを想像した。
 昼食は朝食と兼ねたので薬の服用は止めた。あまり食欲はない。スケッチの挑戦を続ける、レイキャビク港着岸風景(窓から見えた対岸)と港を出航して見えた対岸の景色の2点を描いた。
 18時、14階で夕食、お粥、メンチカツ、肉と野菜の煮付け(不思議な味)、パスタ、レタス、キャベツ、タマネギ、ニンジン、オレンジ、メロン、味噌汁、日本茶。少し食欲が出てきたように思えた。
 カミさんが爪楊枝を取りに行ったら、四つ家教会の方と出会ったとのこと。見かけたが分からなかったようだったと言われたとのこと。今日の県人会に出席すると言うのでカミさんも出る方向に変更した様子。
 19時、帰室、カミさんはレイキャビックの温泉施設で借りたコーヒー代、7.5ユーロを返しに行く。暫くして「留守だった!」と帰って来る。


第54日目 レイキャビク港出航 レイキャビク出航(2日目) 10月15日(日)
  天候:雲が立ち込めているが上空は晴れ間が見える
  気温:  日の出 7:52  日の入18:01
予定
 ・13:25〜 イギリス入国対面審査 7F ビスタラウンジ
 ・16:00〜17:15  死因不明社会〜Aiが拓く新しい医療
 ・17:40〜18:40 わくわく寄港地〜グラスゴー&リバプール〜
 揺れは少し、波は穏やか、視界は霧で覆われている。
 8時30分、朝食、お粥、茹で卵、揚げ豆腐の煮物、シシャモ2匹、レタス、ニンジン、キャベツ、セロリ、オレンジ、ミックスフルーツ、日本茶
 9時30分、帰室、休み
 12:00、昼食、うどん、パスタ、レタス、ニンジン、キャベツ、セロリ、アプリコット、オレンジ、日本茶
 13:15〜入国対面審査のため、7階ビスタラウンジへ、入口でパスポートをピースボートスタッフから受取り審査官に渡して確認するだけ、終わると出口でパスポートを戻して終了。
 13:30、帰室、休み、スケッチの仕上げ
 15:30、海堂尊さんの講演を聞くため早めにシアターへ行き席を確保する。
 16:00、今回で最後の公演「 死因不明社会〜Aiが拓く新しい医療〜」
 例によって、三角形を基にした氏の経歴から始まり、病理医として取り組んだ経験からAi(Autopsy imaging)の活用の有効性を提言してきた氏の活動内容を紹介。
 画像を使って死因を究明する技術は解剖に比べ、時間、コスト、遺族の気持ちなど考慮すると非常に有効であるにも関わらず、国(厚生労働省、警察)は自分の権益を犯されることを恐れて認めない。
 死因究明は100%は分からない → 目的は社会や遺族が納得すること死因を共有すること(警察は証拠として外部に出さない)
  解剖 80%
  MRI 60%
  Ai  30%
  体表 10% *見ただけでわかる死因

 Aiでなければ分からない死因もある。死因を特定して解剖等するので例えば脳に原因があっても見逃してしまう危険性がある、Aiであれば簡単に見つけることができる。

 子供の虐待死の特定も解剖に比べAiであれば親の納得も得られやすい、親の反対で解剖ができず死因が分からないことも防げる。

 体験してきたことなので説得力ある講演だった、厚生労働省や警察は国民の方を見てるのでしょうか?との締めくくりはまたか、の感あり。戦前の国民より軍隊が大事だった軍人の価値観が戦後まだ官僚という組織の中で生きている。


 17:40〜わくわく寄港地〜グラスゴー&リバプールに参加           グラスゴーまで遠いためか毎回100人は船に残るとのこと                         <イギリス> 面積:24万キロ平米*日本の3分の2  人口:6700万人               <スコットランド> 面積:7.8万キロ平米  人口:550万人                      <グラスゴー> スコットランド最大の都市、芸術の街 クライド港グリーノック・オー シャン埠頭着岸予定                                                 <リバプール> クルーズ・ターミナル着岸予定、タイタニック本拠地、船員の多くはリバ プール出身、ビートルズの出身地でもある。                        

 8時、夕食、うどん、マカロニ、サンマ、レタス、人参、キャベツ、オレンジ、ミック スフルーツ
                                                       
第55日目 レイキャビク港出航 レイキャビク出航(3日目) 10月16日(月)
 日の出:7:10  日の入:17:15

 予定
  ・19:30〜21:45 イスラエル・パレスチナ:交戦の背景と国際社会の役割

 8時、掃除で起こされる、眠くて起きられずそのまま寝る。
 12時、途中、トイレで2回起きたが疲れたのか12時にようやく起床、カミさんが持ってきた朝食、パン2枚、茹で卵、サンマ2切、レタス、玉ねぎ、ニンジン、キャベツ、オレンジ、ヨーグルト、コーヒー牛乳。
 体調は良い、咳も痰も少なくなった。
 食後、スケッチ(ニューヨーク・セントラル。パーク、アイスランド出航風景、アイスランド着岸風景、ニューヨーク・セントラルパークのチロ弾き)
 カミさんは八木さんのファイナルライブへ
 17時、夕食、ご飯、酢豚、味噌汁、レタス、キャベツ、ニンジン、少し食欲が出てきた。
 18時、帰室
 19時、シアターへ、ネット講演会(19:30〜21:45 イスラエル・パレスチナ:交戦の背景と国際社会の役割)高橋和夫、パレスチナ人ラミ・ナセルディン出演
 戦争の背景にあるイスラエルのパレスチナ領土の侵略の実態を国際社会は認識すべき、戦争反対と同時にイスラエルの侵略に対して抗議すべき、少なくともマスコミが取り上げるように働きかけることが必要。
 戦争が拡大すれば原油が値上がりしロシアが喜ぶ、高橋氏はこれ以上拡大しないだろうとの見方だった。
 21時50分、帰室、10階デッキで夜空を見る、天上の星が輝いていた。星が落ちてくるようなエルサルバドルの夜空(2006年春に参加したピースボート世界一周の船旅でエルサルバドルの貧しい農家に1泊した際の体験)を思い出す。

 

 対岸風景、ヨットハーバーが見えるが何で暮らしているのだろうか?

 

 ブルーラグーンの入口の看板はデザインがモダン

 

 休憩所からブルーラグーンを見る

 

 ログハウスのレストランで昼食

 

 カミさんはポテトチップスが美味しいと言っていました。

 

 ピースボートのスタッフはこんなに大きい(カミさんが小さい?)

 

 ヴィレッジ・ビトウウイーン・コンチネンツ地溝帯、大地の裂け目は意外と小さい  

 

 極寒のアイスランドの植物

 

 花が咲いていました

 

 これも花です

 

 溶岩の上でも植物は逞しく生きていました

 

 灯台がある海岸の風景

 

 国土の多くが溶岩で覆われています。

 

 バイキング博物館の外から見たバイキングの船(時間切れで中に入れず外から見ました)

 

 クリスヴォーク地熱地帯

 

 ハットルグリムス教会の不気味なライトアップ


 停泊していた港の風景(自室の窓から)  

夕闇のレイキャビックの街 ハットルグリムス教会が見えた
アイスランド風景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その27(北極海航行、豪華客船の舞台裏、悪天候)

2024年02月09日 | 思い出の旅行

第48日目 ケベックシティ出航(3日目) 10月9日(月)
  天候:   気温:  日の出 6:37  日の入17:33
  予定
・10:45〜12:00 オーロラとは基礎編1
・12:10〜13:25 芸術パラダイス爆笑落語傑作選
・14:00〜15:15 芸術パラダイム入門〜クラシックはこんなに素晴らしい〜

 8時、起きる、咳あり
 8時30分。朝食、食欲なし、お粥、茹で卵、肉少々、レタス、キャベツ、ニンジン、牛乳
凪の様に波穏やか、天気も良し、雲は地平線上にあるが上空は青空。
 9時30分、帰室、準備してセミナー参加準備して会場の映画館に行く、すでにチラホラいる。時間まで、一休みする。
 オーロラとは基礎編1
10時45分、セミナー開講、アイスランドのアセクル氏と元教授ジュリオの対談形式
 ・オーロラについて
  オーロラ、Aurora、 英語:Northern Lights
 太陽風と地球の大気中の分子と接触しておこる。地球は磁気圏で覆われているが隙間がありそこから太陽風が入り込んで大気の電子と衝突することによってあわられる放電現象。
    酸素→緑   窒素→赤
 *撮影時の注意
  ・ISO 800以上に設定
  ・月を避ける
  ・長時間露光 1〜30秒
  ・カメラを安定させる
    →三脚を使うと良い
 *写真家水本俊也のアドバス
   ・ピントは無限(一番遠い船の一部にピントを合わせる)
12時、虹が出ていると教えてもらう、デッキに出ると虹がすぐ近くにある。色は薄いが大きい。帰室、体調が悪いのでベットで休む 読書:海堂尊「ゲバラ」取材が凄い
14時、目が覚める、依然として体調悪い、咳と痰 読書と睡眠
20時30分、自室で夕食、パン2個、りんご、なし、コヒー牛乳、何とか食べられた


第49日目 ケベックシティ出航(4日目) 10月10日(火)
  天候:   気温:  日の出    日の入
  予定
・13:00〜14:15 「アリモフ船長と考えるウクライナの平和」
 8時、起床、波穏やか、霧深し
 9時、部屋で朝食、パン2個、茹で卵、レタス、キャベツ、ニンジン、メロン、オレンジ
 10時、「積極的平和」と言う可能性、カミさん聞きに行く。
13時、昼食、豚骨ラーメン、チキンフライ、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、メロン。果物、野菜以外は美味しくない、肉を残す、食欲なし。
21時、船内放送で21時以降は14階の照明は落とすので注意するようにとのアナウンスあり。
 22時、カミさんデッキに出たが雨とのこと、オーロラは見物は無理か!

第50日目 ケベックシティ出航(5日目) 10月11日(水)
  天候:   気温:11度  日の出   日の入
  オーロラ観測可能日
  予定
  ・11:00〜11:45又は17:00〜17:45 航海の雑学第3回ヨーロッパ編
  ・診療所 11:00〜11:30  14:00〜16:00

 波少し高い、水平線上に雲、天上は晴れている。多少の揺れはあるが穏やかな航海。
 8時30分、起きる、咳痰は変化なし、体調は良い。
 9時30分、朝食を持ってきてもらう。パン、茹で卵、チーズ、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、コーヒー牛乳
 10時30分、診療所へ、午前中は満杯、午後2時予約して帰る。ロビーで読書。
 13時30分、昼食、うどん、レタス、ニンジン、キャベツ、牛肉、ケーキ、ゼリー。
 14時、診療所へ、30分ほど待って診察、今、船内で風邪が流行っているとのこと、咳、痰の薬を処方してもらう。カミさんは慢性気管支炎気味、咳止めを処方してもらう、私は7900円、カミさんは7940円
 15時30分、梨を食べて薬を服用する。 波が高い、薄曇り
 16時30分、「航海の雑学」早めに会場へ、会場はまだ前のプログラムが開講中、立ち見で聞く。終了後、席を確保する。
 17時、「航海の雑学 第3回目 ヨーロッパ編」
 17時45分、終了、帰室
 19時、夕食、お粥、カレー、レタス、ニンジン、キャベツ、オレンジ、メロン、日本茶
 22時、10階デッキでオーロラ観察、前方に薄らとオーロラが白く光っているのを確認できた。残念ながら写真撮影はできなかった。

第51日目 ケベックシティ出航(6日目) 10月12日(木)
  天候:曇り  気温:7度  日の出   日の入
  *悪天候の影響で船は波との衝突音(ドーン)と揺れ(ガタガタ)
  予定
  ・11:20〜12:00 わくわく寄港地〜アイスランド〜
         13:00〜14:15 豪華客船の舞台裏
         14:30〜15:45 カラダのトリセツ
 8時、朝食、パン、卵、レタス、タマネギ、キャベツ、ジンジン、コーヒー牛乳、波が高く、揺れが大きくなる、デッキ使用禁止。
 10時、帰室
 10時30分、7Fシアターへ、11時20分からわくわく寄港地〜アイスランド〜
  面積:10万㎢  人口:34万人
  アイルランド語  宗教:ルーテル派キリスト教
 12時、昼食、お粥2杯、牛肉2枚、レタス、キャベツ、ニンジン
 12時30分、シアターへ13:00〜14:15「豪華客船の舞台裏」
初期のピースボートの映像、エンジントラブルで漂流、スエズ運河単独航行、歴代の船、イベントなどの紹介は面白かった。
例:空想運動会 実際に運動会をしているように演じる、綱引き:綱はないが両軍に分かれてあたかも綱を引いている様に演じる、やる方も見る方も想像力を働かせて盛り上げる。
 14:30、海堂尊さんの「カラダのトリセツ」、もっと自分の体を知るべき、そうすれば病気になった時に医者から1段階先の説明が聞ける。自分で何をすべきかも分かる。
 自分で書いた臓器と比較にながら解説を聞く、まず横隔膜で上下2分割する、心臓は十字に描く、上は心房(右は右心房、左は左心房*血液を全身に送るために右心房より大きい)、下は心室。肺は右は3つに分け、左は2つに分ける。左心房が大きい分、肺が小さくなっている。
 この図で上半身が呼吸器系、循環器系、下半身が消化器系、泌尿器系に分類できることが分かる。
 16時、自室へ戻り休む。音と揺れが凄い、今にも船が破壊しそう!
 船底に波にあたってドーン、ビリビリの不気味な音と振動の連続、
 20時、14階で夕食、揺れがすごいので、食べ物を運ぶのが大変。何を食べたか忘れた、多分、お粥といつもの野菜、残っていた果物。
 天候が悪いのでオーロラ観察は中止との船内放送あり。
一晩中、波と船がぶつかる衝撃音「ドーン」その度に船全体が「ガタガタ」と揺れる。一晩中、この繰り返し、収まる様子は全く無い。寝てないようで寝たのか?実感がない。カミさんは怖がる、「この船、大丈夫?」と。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その26(北極海航行、セミナー、海堂尊)

2024年02月09日 | 思い出の旅行

   2023年ピースボート航海記 その9(アイスランド レイキャビックを目指す)

  第46日目 ケベックシティ出航(1日目) 10月7日(土)
  天候:曇り 気温:14度    セントロレンス川から湾へ(川から外洋へ)
  予定
  ・ 9:45〜11:00 インターナショナルマーケティングはエシカルか?   
  ・16:00〜17:15 水案座談会〜人生は旅〜 
  ・18:30〜19:30 写真家・水本俊也が見た世界の絶景   
  ・18:15〜19:15 西アフリカの砂漠での暮らし 
 7時、起床
 8時、朝食、パン、茹で卵、鶏肉、秋刀魚、レタス、キャベツ、コーヒー牛乳、日本茶 
 9時30分、セミナー会場へ
 9時45分〜11時00 セミナー「インターナショナルマーケティングはエシカルか?」を聞く。
  ・フェアトレード
  ・コカコーラ 
    ペットボトル対応
  ・DON'T BUY THIS JACKET 
    REDUCE REPAIR REUSE RECYCLE 1着買えばもういらない。
  ・illy 2021WORLD'S MOST ETHICAL COMPANIES  
    コーヒー
  ・OREOの販売戦略 
    相手国の文化に溶け込む戦略 日本向け:抹茶味クッキー 中国向け インド向け
  ・P&G  
    Procter&Gambleの戦略 多様なブランドを持つ、あたかも自国のブランドのように振る舞う
    スキンケアブランド SK-II
    販売戦略 母親の子供への想い( Caring   Nurturing  Protecting )に訴える

 13時、昼食、豚骨ラーメン、秋刀魚、鶏肉、ちまき、レタス、キャベツ、ニンジン
    *右側に島と貨物船が見える、その先は岬か、であればセントロレンス川を抜け外洋(セントロレンス湾)に入ったか。
 14時、帰室、
 16時、水案座談会〜人生は旅〜八木啓代と海堂尊
  八木氏と海堂氏のPBとの出会いと体験感想、仕事との関わりなどについて
  ・八木氏からメキシコでの体験の中で音楽家が体制批判の先鋒に立つ場合が多い、なぜなら音楽家であれば亡命しても食える、仮に逮捕や勾留されるような事態になったらファンが黙っていない、警察や軍に掛け合ってくれる、軍や警察の中にもファンはいる、とのこと。
  ・海堂氏からPBに途中から乗船するのは大変、時に停泊場所が変わる、運転手も港の職員も知らないと言われ途方にくれていたらPBの専属バンドの関係者の車に乗せてもらい助かったと言う逸話も聞かされた。
  ・海堂氏は粗筋の構想がまとまって詳細の表現をする場として船は最適と言っていた。
   テーマの設定→取材(調査)→粗筋→詳細の表現(なるべく現場を取材することが必要)
   中南米に興味を持っている、ゲバラをテーマに構想している。
17時30分、帰室、カミさんはマッサージ(30分5,000円)から帰って寝ている。
18時30分、カミさんが起きたのでピースボートスタッフのクリスさんの「西アフリカの砂漠での暮らしを聞きに行く」
 ・最も貧しいマリで8年前、3年間暮らした経験のあるピースボート・スタッフのクリスの体験記、写真を使ってホームステーの様子、食事、シャワーなど生活や道具作りを紹介、アメリカ政府から生活費は支給されていたとのこと、海外青年協力隊のような機関か、または外務省の調査員のような仕事か、ちょっと興味ある。
19時15分、終了、そのまま14階で夕食、お粥、パスタ、魚の唐揚げ、レタス、キャベツ、ニンジン、メロン、オレンジ、デザートはケーキ3種類、セリー1種類を半分づつ。
20時、帰室、記録作成など
22時、シャワーと洗濯、記録、思い出すのが大変。


 第47日目 ケベックシティ出航(2日目) 10月8日(日)
  天候:   気温:  日の出 8:08  日の入19:06
  予定
  ・10:00〜11:00 オーロラ専属パイロット、アクセルさんとは何者?
      ・13:00〜14:15 海堂尊ができるまで
  ・15:00〜15:40 八木啓代ファーストライブ
  ・15:00〜16:00 写真家水本俊也が見た世界の絶景

  •  7時30分、咳で目を覚ます、船の揺れが激しい。
  •  8時00分、朝食、お粥、茹で卵、レタス、キャベツ、ニンジン、スイカ、オレンジ
     9時、帰室、掃除は終わっていた
     9時40分、オーロラ専属パイロット、アクセルさんとは何者?
     30分前にセミナー会場へ、小さな会場はすでに満席、残りは立つか、床に座るしかない。会場の設定が間違っているとの声が聞こえてくる。カミさんは無理なので帰るように言い、私は床に座る。
     ・オーロラはどこでも見られるが問題は天候
     ・オーロラ、アイスランド語で「北の光」の意味
     ・24のアプリを使って判断している
     ・バイキングの末裔、赤毛、体格がいい、男が強いように女も強い
    参加者の質問はほとんど英語だった。日本語1件、英語5件、楽しい座談会だった。
     11時、終了、明日、オーロラの専門家の講演があるとのこと、期待したい。部屋で記録の続き。
     12時30分に「海堂尊ができるまで」 開会30分前に会場に入る。斜めだったが前の席を確保できた。
     13時、開会、昨日と人が違うのかと思うほど闊達に話を展開、最初に自己紹介(千葉高校、千葉大医学部、病理学、AI研究、小説家デビュー)から始まり、昨日話された提言「人は誰でも生涯で一冊の本を書ける。」ただいつ書けるかは分からない、自分も30代で挑戦したが2〜3枚しか書けなかった、しかし一生書けないとは思わなかった、なぜなら書けるのはいつか分からないからだ。まだその時期に来ていないのかもしれないと考えれば挫折しないで済む。プラス思考が素晴らしい、彼の人生哲学ではないかとも思った。
     もう一つの励ましの言葉、小説を書くことは自転車を乗ることと同じではないか、乗れない人は乗っている人を見るとすごいと思うが乗れるようになると何とも思わなくなる。
     もう一つ、ミステリーはトリックを思いつくことが不可欠、トリックを多様化(システム化)していけばシリーズ化が可能になる。小説は飛行機と同じで書出し(離陸)、結論(着陸)が大変、間違うと台無しになってしまう。シリーズ化すると書出しがいらないので労力は大幅に減るとのノウハウ公開もあった。
     学者らしく、パワーポイントを使い論理的に展開していく、その後は作品の紹介、自分の開発した手法を駆使してシリーズ化されていることが分かる。
     終了15分前、切迫のため止むを得ずトイレへ、終わって誰もいない今が本の買い時と思いついた。切迫のため展示されていた本をゆっくり選ぶことが出来た、切迫も役に立った。サインもしてくれるとのこと、2冊買って最初に並びしっかり2冊サインしてもらい二人とも握手もしてもらった。気さくでいい感じだった。
     ・ゲバラ漂流   870円+税87円=957円
     ・フィデル誕生  870円+税87円=957円
     *シリーズ1ゲバラ覚醒は売切れなので帰国後購入する予定
    2時30分、昼食、遅かったので料理は少なくなっていた お粥2杯、レタス、キャベツ
    3時15分、帰室、海堂さんについて話し合う。
    3時45分、二人で昼寝
    5時、記録付け 左舷に大小2島が見える、望遠で撮るとタンクの様な人工物が写っていた。
    7時、夕食、お粥、レタス、キャベツ、ニンジン、メロン、オレンジ、カミさんからのお裾分けの鶏肉、じゃがいも、ケーキ2種類、ゼリー1種類半分づつ。*最近ケーキも飽きてきた。食べたいものがない。
    8時、帰室、記録作成、カミさんは歯磨きして寝る。海は荒れている

 

第48日目 ケベックシティ出航(3日目) 10月9日(月)
  天候:   気温:  日の出 6:37  日の入17:33
  予定
  ・10:45〜12:00 オーロラとは基礎編1
  ・12:10〜13:25 芸術パラダイス爆笑落語傑作選
  ・14:00〜15:15 芸術パラダイム入門〜クラシックはこんなに素晴らしい〜

 8時、起きる、咳あり
 8時30分。朝食、食欲なし、お粥、茹で卵、肉少々、レタス、キャベツ、ニンジン、牛乳
凪の様に波穏やか、天気も良し、雲は地平線上にあるが上空は青空。
 9時30分、帰室、準備してセミナー参加準備して会場の映画館に行く、すでにチラホラいる。時間まで、一休みする。
 オーロラとは基礎編1
10時45分、セミナー開講、アイスランドのアセクル氏と元教授ジュリオの対談形式
 ・オーロラについて
  オーロラ、Aurora、 英語:Northern Lights
 太陽風と地球の大気中の分子と接触しておこる。地球は磁気圏で覆われているが隙間がありそこから太陽風が入り込んで大気の電子と衝突することによってあわられる放電現象。
    酸素→緑   窒素→赤
 ・撮影時の注意
  ・ISO 800以上に設定
  ・月を避ける
  ・長時間露光 1〜30秒
  ・カメラを安定させる
    →三脚を使うと良い
  *写真家水本俊也のアドバス
   ・ピントは無限(一番遠い船の一部にピントを合わせる)
12時、虹が出ていると教えてもらう、デッキに出ると虹がすぐ近くにある。色は薄いが大きい。帰室、体調が悪いのでベットで休む 読書:海堂尊「ゲバラ」取材が凄い
14時、目が覚める、依然として体調悪い、咳と痰 読書と睡眠
20時30分、自室で夕食、パン2個、りんご、なし、コヒー牛乳、何とか食べられた

 

 

 セミナーの映像から

 

 オーロラベルト

 

 アイスランドがギリギリ入っています。

 

 2冊買いました、取材力の凄さを実感しました。

 

 2冊ともサインしてもらいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その25(ケベックシティー・カナダ)

2024年02月09日 | 思い出の旅行

第45日目 ケベックシティ 10月6日(金) 10時 ケベック港 93番埠頭着岸  
  G3 ケベックシティ車窓観光とモンモランシーの滝 
   15時集合  18時15分港着
 
7時、起床
8時、朝食、春雨、卵、キャベツと肉の煮物、レタス、キャベツ、コーヒー牛乳、日本茶、食欲が少し出てきた。
10時、着岸、
 デッキに出て気温をチェック、薄着(半袖シャツ、薄いジャケット)で充分と確認。                                 11時、入国許可、準備を済ませ7階へ行くと下船する人でごった返していた。舷門付近から映画館まで行列が続いていた。早く下船したい人が放送前から並ぶ様になってきたのだろう。ピースボートのやり方では当てにならないと皆さん思っている証拠。きちんと守っている方が馬鹿を見る典型だ。
 30分程度かけて下船、通りを渡るとそこは土産屋、カフェなどが並ぶ商店街(プチ・シャンプラン地区)だ。大型クルーズ船が2隻停泊していたためかすごい混雑、ハロウィーンの飾りが目立つ、店舗、広場に見たこともないカボチャが並ぶ、ピースボートのスタッフに教わった通り商店街の中ほどにある階段を登る。そこはまた、観光客でひどい混みよう、欧米系、アジア系が多い、特に中国人旅行者が多い、かっての日本だ。ケーブルカーを目指して歩いたが長い行列ができており、少し元気が戻ったので「首折坂」を歩くことにした。
 きつい坂を登ると世界遺産フェアモント・ル・シャトー・フロントナックが近づいてきた。いかめしい門衛がいないので入ってみる、天井が高く立派だ、ただ年季も入っている。年季が入ったソファーで一休みして中庭に出る、城を目指して作ったと言う、中庭はかっては庭だったのだろうが今は道路だった。世界一のホテルと言われているそうだがそうは思えなかった。ハードだけでなくソフトも重要なのだろうが、見た目は日本のホテルの方が良いと思った。(ガイドの説明では鉄道会社が貨物専用の鉄道を作ったが通年稼働の方法として観光を取り込むこと、その一環としてホテルも作ったとのこと。)
 ノートルダム教会を目指したが小さな教会(ウルスリンヌ教会)を発見、中に入ると修道院だった、聖堂はL字型で一般信者用とシスター様に分かれていた。シスター用も大きく、かってはかなりのシスターがいたことを示している。カミさんが孫とひ孫のために健やかに育つようにとの祈りを書いていた。祈りを捧げる方法として初めての体験だった。教会の門に「MARIE DE LINCARNATON (1599~1672)」と書かれた表札があった。
 さらに、ノートルダム教会を目指す、尖塔が多く紛らわしい、今度はホーリー・トリニティ教会に出会い、入ってみる、シンプルな祭壇で今まで見てきた祭壇と様子が異なる印象を受けた。音楽が流れていたのが印象的だった。ガイドブックで名前の通りイギリス国教会の教会だったことを確認した。
 ノートルダム教会に出会ず、帰船することにする。途中、土産屋さんでメイプルシロップを買う。(後で地図で確認するとノートルダム周辺を回っていたことが分かった、何故見つからなかったか不思議な体験だった。)混雑する商店街を抜け、パシフィック・ワールド号に戻る、そのまま14階へ行ったが休み、当てが外れた。保存していたパン、オレンジ、梨があったので昼食の代わりにする。
 15時集合のオプショナルツアーまで休む、15分前に集合場所に行くと皆さん既に集まっていた。15時、係がバスの到着が渋滞のため、15分遅れるとの説明、即、30分遅れ間違いなしと推測、案の定、15分経過後、そこまで来ているが渋滞で遅れているので30分待って欲しい、となった。疑心暗鬼になっている私は1時間は覚悟しなければとやけっぱち気分。これまた正解で1時間後、出発することになった。ピースボートの見えすいた嘘はダメだろう!最初から1時間は言えないから15分、30分と変更していったと邪推したくなる。何回も経験させられるとバレて信頼性は下がるだろう。
 バスは、旧市街を抜け、郊外へ、閑静な住宅地を走る。セント・ロレンス川が二手に分かれる分岐点に、支流のモンモランジー川が合流、そこに滝がある、高さはナイアガラの滝より高いとのこと、バスから見えたがあまり期待していなかったがその通りだった。
 ロープウエイ乗り場でバスを降り、まず、並んで切符を買う、往復、二人で31ドル、登りは高く、下は安かった、歩く労力を考えればなるほどと思った。でも日本では同じにするのでは?切符代わりに渡された紙製の青いテープを腕に巻く、係はそれをチェック。巻き方だ悪いと注意される。
 すぐにロープウェイに乗ることが出来た。小ぶりで1機で往復運転しているようだ。20分くらいで着くのでそれほど待ち時間はないと思われる。車内は滝見物がしやすい様に階段状になっているのは親切。視界はプラスチックなので鮮明さに劣るのが残念。川が見えて滝が近づいてくる、迫力を感じる、対岸に階段が見える、登るのはキツそう。吊り橋も見える、そして到着。
 吊り橋を目標に歩き始める、紅葉している公園を歩く、赤く紅葉した楓の葉を見つけたので持参のガイドブックに挟む、良い思い出になる。間もなく吊り橋が見えてきた。思っていたより小さい印象だった。床板はカナダらしく木製だった。展望台では手摺も木を使っている、すっかり磨いたようにツルツルで全くささくれがなかった。床の隙間から下が見えるとカミさんは怖っていた。滝の真上からの光景はここに来る価値があると思った。滝壺に流木が溜まっていた、どう処理しているのか興味が湧いた。(住んでいる団地の側にあるダムの流木はペレットに加工して燃料に使用している。)
 吊り橋を渡り、滝の少し上流にあった展望台から見物、セントローレンス川と平野が展望できて良かった。カミさんが近くの森に入って行く、薄暗く鬱蒼とした感じ、カナダを少し感じた思い。郊外へ行けば紅葉も見られるかもと少し期待したがガイドの説明では盛りが過ぎたとのこと、全山楓の紅葉をイメージしていたのが間違いだった。私たちが住んでいる岩手県の八幡平や網張の方が多彩で綺麗だ。なぜ、日本人がカナダの紅葉を評価するのか理解し難い。
 吊り橋を戻り、手前にあった展望台へ降りてみる、滝と吊り橋を組み合わせた展望は良かった。展望台が2ヶ所必要なのが分かる。吊り橋と滝をバックにカミさんの写真を撮る、皆さん同じ、写真を撮って名所を征服したとの思いがあるのだろう。
 船内で何度もお目にかかった足の不自由な高齢な奥さん(80代後半か)と奥さんよりは軽い症状の夫(奥さんより年上か)がこの展望台を見物して帰るところに出くわした。戸惑ってしまうような急な階段と足の悪い老夫婦が一瞬結びつかなかった。想像するに足の悪い奥さんが滝を展望台から見たいと夫を説得したのではないか、夫は奥さんの希望を叶え、最大の難関、上り階段に挑戦しているところだったのでは、と。夫の右手は自分の杖を持ち、左手で後ろから妻を支える、妻は両手で手すりを抱えて一段一段登っていかれた。ゆっくりだがしっかり登って行く姿を見て大丈夫と確信し私たちは追い越して行った。カミさんは夫婦の姿に感動して登り終えたご夫婦に握手をして讃えたそうだ、そしてご夫妻は喜んでくれたとの事。滝を見たいと思う熱い好奇心が奥さんを動かし、夫を動かし希望を叶えたのだ、良い光景を見た、これもピースボートなのだろう。
 モノレール乗り場へ戻り、帰りのケーブルカーに乗り込んだ。すいていたのでゆっくり滝を見物し写真も撮れた。たまたま列車が滝の下の陸橋を通過、滝見物のためにゆっくり走行する様子も見えた。
 待合室でアイスクリーム1個購入し二人で食べる、多分メイプルシロップを使っているのだろう、私たちには少し甘かったが美味しかった。
 バスが予定通り到着、街に戻り、アッパータウンから戦場公園、ロウワータウンを車窓観光する、外は陽が暮れて真っ暗、グランダレ通り(パリ・シャンゼリゼ通りに例えられる)やプチ・シャンプラン通りは商店街の照明で綺麗だったが戦場公園は芝生しか見えず通過しただけだった。夜景を見られたことで満足する。
 18時30分、帰船、荷物を置いて14階で夕食、少し食欲が出てきたので久しぶりにビールを注文する。無事帰れたことに感謝する。
 20時、帰室、記録作成、カミさんはシャワーと洗濯
 22時、カミさんは先に寝る、私は記録と写真の整理、船がケベック港を出港、静かにセント・ローレンス川を遡り始めていた。
 01時、寝る、残りは明日に。

 

 

 ケベックシティー観光に向かう、奥にも大きなクルーズ船が見える。

 

 プチ・シャンプラン地区はハロウィーンの飾りで溢れていた

 

 半地下の土産屋さん、物色するピースボートの乗客

 

 

 観光客(中国人が目立つ)で溢れていました。なお、左はカミさんです。

 

 こんなもの(だまし絵)もありました。

 

 首折坂の階段から見るプチ・シャンプラン地区(ケベックシティーはフランス人が築いた町、フランス語も使われている。)

 

 プチ・シャンプラン地区は観光客で一杯でした。

 

 窓もハロウィーンの飾り

 

 フェアモント・ル・シャトー・フロントナックの外観、ケベックシティーで一番目立つ建物です。文字通り「城」目指したホテルです。

 

 中庭、今は道路と駐車場になっていました。

 

 裏から見たホテルシャトー、右手にセントローレンス川とクルーズ船が見える。

 

 高台に大砲が残されていた、侵略していくる艦船を狙うには最適な場所。

 

 ウルスリンヌ教会

 

 祈りを書いて捧げる

 

 

 行きのロープウエイからモンモランシーの滝を眺める

 

 

 モンモランシーの滝と吊り橋が見える

 

 

 (帰りのロープウェイから)列車が滝を見物できるようにゆっくり通過して行った。

 

 (帰りのロープウェイから)

 

 吊橋から見た風景、足がすくみました。

 

 階段もありましたがキツそう。

 

 吊り橋

 

 吊り橋の固定金具

 

 上流の展望台から見た吊橋、セントローレンス川と奥に平野が見えます。

 右手に滝と吊り橋を見上げる展望台が見えます。

 

 滝の上の公園、楓はなぜか梢は紅葉しても根元は緑のままでした。

 

 滝の上の林を歩く、楓の紅葉シーズンは過ぎたとのことですが林の中は緑が多い 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その24(モントリオール・カナダ)

2024年02月08日 | 思い出の旅行

  2023年ピースボート航海記 カナダ・モントリオール・ケベック

第40日目 アメリカ ニューヨーク港出港(1日目) 10月1日(日)
 13:00〜14:15 「愛と差別と友情とLGBTQ +」
 16:30〜17:45「 私たちをとりまく水〜カナダの先住民世界をたずねて」

 7時、起床、トイレが使えなくなった。排水のボタンを押しても反応がない。掃除の係に伝えると、今、全部そのような状態になっているとのこと。
 8時30分、朝食、お粥、茹で卵、鶏肉のソーセージ、野菜炒め、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、マンゴジュース、イチゴジュース。9時30分、帰室、掃除は終わっておりトイレも復旧していた。
 船の揺れが激しい、オープンデッキには出ないよう、ドアで指を挟めないよう、テーブルの上の物が落ちないよう注意喚起の放送が流れた。船酔いか、昨日2時まで作業したためか体調が良くないのでスケッチの色付けの後、休む。カミさんは「愛と差別と友情とLGBTQ +」を聞きに行く。昼食も取らず本格的にベットで休む。
 2時30分、カミさんが帰ってきた、次のセミナーに参加すると言う。私は体調が戻らないので諦める。
 5時、リンゴと昨日の残したパンを少し食べる、依然として揺れが激しい。時折「ドーン」と言う音が響く。
 19時、夕食、船の揺れの影響か客は少ない、お粥、肉と野菜の煮物、レタス、キャベツ、ニンジン、スイカ、オレンジ、ケーキ2種類、ゼリー各半分、日本茶。今日の講座の話をする。
 20時、帰室、シャワー、洗濯、セミナー(性的マイノリティ、先住民族)の話の続き。
 食べたせいか、少し体調が良くなった。船は揺れている、風の音と波の音が聞こえる。

 *LGBTヒストリーブック サウザンブックス社


第41日目 アメリカ ニューヨーク港出港(2日目) 10月2日(月)
 *カナダ入国書類の記入  13:00〜16:00 7階後方ビスタラウンジ
 10:30〜11:30  「わくわく寄港地 モントリオール&ケベックシティ」
 10:30〜11:30 「Life is Journalist」
 16:00〜17:00 「手話の練習 指文字とあいさつの復習」

  7:30、起床。
 8時30分朝食、食欲がない、お粥、スクランブルエッグ、レタス、キャベツ、ニンジン、マンゴジュース、オレンジジュース、コーヒー牛乳、日本茶。7階で掃除待機。
 9時30分、帰室。
 10時15分、7階のプリンスシアターへ、既に満席状態、前方左端に席を確保。


 「わくわく寄港地〜モントリオール&ケベックシティ〜」
 <カナダ>
 首都:オタワ 
 面積:998万平方キロ
 人口:3789万人
 気温 10月5日 モントリオール 最高温度:16度   最低温度:5度
         ケベックシティ  同   13度    同   3度
 *10月5日はメープルの日

<モントリオール>
 ・人口の70%はフランス語を話す、世界でパリの次。フランス文化の影響が強い街。

 <郊外>
 ・モン・ロワイヤル公園は歩いても行ける、湖もあり紅葉が楽しめる。十字架や展望台がある。設計はニューヨークのセントラル・パークを設計した人。
 ・聖ジョセフ礼拝堂(バチカンのサン・ピエトロ寺院に次いで世界第2位の巨大なドーム)がある。モンロワイヤル公園の南側。
 

 <旧市街>
 ・ジャック・カルティエ広場(旧市街の中心、花屋、フルーツ屋、似顔絵描き、観光案内所がある。)
 ・ノートルダム・ド・ボンスクール教会(ボンスクールマーケットの横、石造の教会、船乗りの教会として知られている。船の模型が吊り下げられている。)
 ・ノートルダム大聖堂(1829年、ネオゴシック様式、コバルトブルーのライトに浮かび上がる黄金の祭壇、バラ窓、ステンドグラスの光、数百本のキャンドルの灯火、5772本のパイプオルガンからなる世界最大級のパイプオルガン。入場料20ドル)
 ・モントリオール市庁舎(ジャック・カルティエ広場)*外観のみ
 ・ボンスクール・マーケット(銀のドームの屋根が目立つネオ、クラシック様式の建物。1階はクラフト、工芸品、2階はアートギャラリーなどが入っている)

 <ダウンタウン>
 ・マギル大学(毛皮商人の遺産を元に1821年設立、マギルカレッジ通りにはモダンなビルが建っている。)
 ・サント・カトリーヌ通り(メインストリート、デパート、大型ショッピングモール、小さなセンスの良いショップが立ち並んでいる、ビルとの間は地下で繋がっておりアンダーグランドシティの中心になっている。)北へ行けば若者が集まるカルチェエ・ラタン、おしゃれな住宅街プラトーモン・ロワイヤルがある。

 <ケベックシティー>
 ・旧市街(アッパー・タウン、ロウワー・タウン)、新市街に別れている。

 ・旧市街(アッパー・タウン)
  ・フェアモント・ル・シャトー・フロントナック(街の象徴とも言えるホテル、フランスの古城を模した建物)
  ・ダルム広場(旧市街の中心的広場、州観光局がある)
  ・トレゾール通り(観光案内所の脇にある長さ数十メートルほどの小径、絵を販売している)
  ・ノートルダム大聖堂(ステンドグラスや黄金の祭壇が見事)
  ・シタデル(イギリス統治下におけるカナダ最大の要塞、カナダ陸軍が駐屯している、王立第22連隊博物館ではフランス軍が大敗した様子など見られる。)

 ・旧市街(ロウワー・タウン)
  ・ロワイヤル広場(1608年に植民地住居を建てたケベックシティーの発祥の地、北米最古の交易地として19世紀まで街の中心として発展した。)
  ・プチ・シャンプラン地区(アッパータウンから首折坂を降りたところ、ショップやレストランが並ぶ最も古い繁華街。)
  ・勝利のノートルダム教会(名称は北米最古の石造りの教会、敗北を続けていたフランス軍がかろうじて逃げ切った戦いを記念してつけらた。天井から木造船のレプリカが吊るされている。)
  ・壁画(首折り坂上から曲がりくねったモンターニュー通りを下ると現れる。)
  *フェニキラー アッパータウンとロウアータウンを結ぶ約45度の急斜面を往復するケーブルカー、ロウアータウンの展望が楽しめる。)
  
 ・新市街
  ・グランダレ通り(新市街の中心となる通り、ホテル、レストラン、オープンカフェなどが集まっている、その美しさはパリのシャンゼリゼ通りに例えられる)
  ・キャピタル展望台(ケベック州議会議事堂裏にあるMarie-Guyartと言うビルの31階にある展望台、360度ガラス張りになっている)

お土産
 ・メイプルシロップ
 ・  同     クッキー
 ・  同     ポップコーン
 ・ディヴィッズティー(紅茶)
 ・モシカン靴

お酒
 ・ビール モルゾンビール
      ラバットビール
 ・アイスワイン
食べ物
 ・ロブスター
 ・鴨の胸肉のグリル
 ・スモークミートサンドイッチ
 ・ベーグル
 ・プティン
 

 12時30分、14階で昼食、お粥、パスタ、レタス、キャベツ、ニンジンなど
 1時30分、帰室、1時間程度「政治と経済」の勉強。
 2時45分、7階でカナダ入国書類の記入、帰ってから寝る。
 16時、カミさんは手話の練習へ、私はモントリオールとケベックシティー観光のまとめ作業
 18時、14階で夕食、野菜カレー、ライス、レタス、キャベツ、食事の途中からKさんが合流、ビールを飲みたいとのことで2本、注文して乾杯する。涼しいので冷えたビールが美味しく感じなかった。手話やニューヨーク観光の話で盛り上がる。Mさんが現れ、また、ビールで乾杯する。
Kさんの友達(韓国人中年女性、写真家?)が来てスマホで撮った写真を見せてくれた、素晴らしい構図も写りも別格だった。スマホはギャラクシーだそうだ。
 8時、帰室して一休み、私は観光のまとめ作業を仕上げる。
 10時、シャワーを浴びる。


第42日目 アメリカ ニューヨーク港出港(3日目) 10月3日(火)
 11:00〜12:00 「Thanks Giving 〜カナダ先住民と感謝祭〜」
 11:00〜12:00 「わくわく寄港地〜カナダモントリオール&ケベックシティー〜」
 16:00〜16:45 「行くなら知ろう!世界遺産の旅⑥〜カナダの世界遺産〜」

 7時、起床
 8時、朝食、お粥、茹で卵、鶏肉ソーセージ、レタス、キャベツ、ニンジン、梅干し、コーヒー豆乳、スイカ、メロン
 9時、帰室 
 11時、カミさんは「わくわく寄港地〜カナダモントリオール&ケベックシティー〜」を聞きに行く。私は「Thanks Giving~カナダ先住民と感謝祭~」聞きに行く。
 10月9日はカナダの感謝祭、(アメリカは11月第4木曜日)先住民、移民共に祝う、冬の前の楽しみ。
 メニュー
 ・七面鳥の丸焼き 
   3000年前から飼いならされていた。
 ・マッシュポテト 
   2000年の歴史がある。1840年アイルランドでジャガイモの不作があり、アメリカ移民が急増した。様々な種類のジャガイモを栽培するアメリカではこのようなことは起こらなかった。1種類のジャガイモを栽培していたアイルランドの悲劇であった。
 ・トウモロコシ  
   ガテマラで7000年前から栽培されたいた。世界最大の穀物の1つ。
   豆、トウモロコシ、カボチャは三姉妹。畑に一緒に植えると良く育つ。
 ・クランベリーソース 
   北アメリカ原産、甘くソースなどに使う。
 ・カボチャパイ
   考古学者が800年前の種を発見し発芽に成功した、またマイアミで1000年前の種を発見発芽させた。調査するとインデアンは現在まで作り続けていた。美味しくない。

 感謝祭は先住民が作り続けてきた穀物や家畜を食べて祝う日である。
 12時の定時船内アナウンスで悪天候のため、予定より遅れているのでアンティコスティ島に寄らないとのこと、簡単に予定変更するのは船旅の宿命か、島の紅葉が見られなくなったのは残念。

 1時、14階で昼食、うどん、鶏肉の煮物、豚肉の煮物、メロン、オレンジ、ケーキ2種類、ゼリー半分づつ。
 2時、帰室、スケッチ(セントラルパークのサックス奏者)をして昼寝
 5時、起きる。咳と痰が止まらない。
 7時、14階で夕食、パスタ、サンマ、レタス、キャベツ、ニンジン、スープ、オレンジ、メロン、デザートはケーキ2種類とゼリー半分づつ。MさんとKさんと出会いビールをご馳走になる。
 8時30分、帰室、船内新聞と寄港地情報を見る、地図が分かりにくい。持参のガイドブックと照らし合わせて見る。明日、詳細の計画を立てることにする。
揺れがおさまり、遠くに明かりが見える、セント・ローレンス川に入ったか?


第43日目 アメリカ ニューヨーク港出港(4日目) 10月4日(水)
 セント・ローレンス川周航

 7時、起こされる、船はセント・ローレンス川を航行しているようだ、波は無く、船は滑るように進んでいる。太陽は昇り、河面を赤く照らす。陸は遠く、山陰だけ連なっているのが見える。咳と痰は変わらず。
 8時、朝食、食欲がない、パン、茹で卵、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳
 8時45分、帰室、掃除が済んでいないのでトイレに入って7階のラウンジにへ移動。
 船内放送で右舷側から紅葉が見えるとの船内放送が入る。7階右舷に出ると、陸地が近くに見える。まだ、紅葉には早いようだ。10階デッキに移動して船首から見物する、点々と立派な住宅が見える、望遠で撮ったら人が数人写っていた。先端には小さな灯台が見えた。
 12時、帰室、掃除は終わっていた。カミさんが洋上シネマを見ると言うので付き合う。昼食は間に合わないので、リンゴを半分食べて7階のシネマへ。
 12時30分〜14時45分「イニシェリン島の精霊」を見る。アイルランドの住民が全員知り合いの小さな島の物語、評価が高い映画のようだが自分には分かりにくかった。なぜそこまでやるか、お互い干渉し合わないと生きていけない閉鎖空間がなせるわざか。精霊に支配されている様な摩訶不思議な島民の生活が描かれている。
 15時遅い昼食、お粥、豚肉、レタス、キャベツ、ニンジン、スイカ、メロン、ケーキ2種類、ゼリー、日本茶
 16時、帰室
 18時、巨大な鉄骨構造の橋の下を通過、奥にもう一つ新しい橋があった。手前の橋はゴツい、赤錆が目立ち使っていない様だ。新しい橋は近代的なデザインで繊細でシンプル、車のタイヤ音が響いていた。
 19時、14階で夕食、お粥、スイカ、メロン、ケーキ2とゼリー、日本茶。映画の話題、消化できていない、
 20時30分、帰室、シャワー、洗濯


第44日目 モントリオール 10月5日(木) アメリカ ニューヨーク港出港(5日目)   
 7時着岸 モントリオール港に夜明け前に着岸 自由行動

 良い天気、体調は悪いが咳は少なくなった。
 7時、朝食、食欲なし、お粥、茹で卵、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳
 8時、帰室
 9時、抜き打ち面談は無くなり全員の上陸許可が降りたとの船内放送があり、7階舷室へ混雑の中ようやく下船出来たと思いきや、シャトルバス待ちで長い行列が出来ている。歩くことは危険なので禁止されているとの事、諦めて我々も並ぶ、スマホが使える人はUberを使ってタクシーを手配している。
 10時30分、バスに乗れ街へ向かう、20分ほどかかった、歩いたら大変だった。体がだるく体調が悪いので計画通りノートルダム大聖堂を目指す、右側の塔が修理中、中に入るための行列が出来ている、外から中(旅行案内の写真)を想像するだけだった。ノートルダムと付く名称が多いのは困り物だ、区別がつかない。
 次もノートルダムが付く、ノートルダム・ド・ボンスクール教会を目指す。だるいのでゆっくり歩く、そしてベンチがあれば休みながら目的地を目指す。休むことで見えてくるものもある。モントリオールはベンチが多い、緑地や公園には勿論、公共施設にも置かれている。金属製やプラスチックもあるがカナダの木材を座面に使ったベンチが目立つ。木材国のイメージが蘇る。また、街の飾りの要素になっている、大きな花壇は手入れされ生き生きしている。カミさんは盛んに花に触れて「植木鉢でこんなに綺麗に咲かせるのは大変!」と感心していた。今回はさらに感謝祭の飾りが街を魅力あるものにしてくれている。ちっとした広場や店先、自宅の窓などにカボチャや花を飾っている。感謝祭がカナダの大切な行事になっていることが実感(カナダ先住民のセミナー)できた。
 休憩していた公園の裏側に公開している菜園をカミさんが発見、入口にカボチャが展示されている、菜園ではいろいろな野菜が混ざり合って植えられていた。先住民の栽培方法(三姉妹 豆、トウモロコシ、カボチャ)が思い浮かんだ。
 この小さな公園に中国人のグループが写真を撮ったり大声で話したりしていた。今回の旅で目立ったのは中国人観光客の多さである、多分世界中の観光地を席捲しているのだろう。ピースボートもその事例だ。
 しばらく、歩くと教会が見えてきた、地図で確認するとノートルダム・ド・ボンスクール教会とある。入場料金は取られなかった。小さな教会でマリアが祭壇中央に飾られ、キリストは聖体で顕示している。ガイドブックにはフランス植民地時代の面影を残す教会で、船乗りの教会とも言われ航海の無事を祈った、とあった。
 教会を出て、ボンスクール・マーケットに向かう。立派なネオ・クラシックの建物で昔は船の目印になっていたとのこと。かっては市庁舎だったり連邦政府会議場だったが現在はショップやギャラリーが入っている。中に入ると土産品、宝飾品、衣料品、アートぽい商品まで幅広い店舗で構成されていた。土産さんでメープルシロップ・クッキーを見つけたのでお土産用に紅茶4、クッキー15個、購入、大きなビニール袋2個になった。                       

 ボンスクール・マーケットの中にアイスクリーム屋さんを発見、行列ができていたが食べることにする。行列は店員一人で注文をこなしているからだった、客はかなり待たされたが誰も文句を言う人はいない、辛抱強く待っていた。やがて店員一名が加わりスピードアップされた、私たちは ストロベリー・アイスを注文、少し甘かったが美味しい、(パシフィック・ワールド号では食べられない)おかげで元気が出てきた。

 帰船リミットは20時だったけど、体調もあり、荷物もあったので早めに帰船する。

 

 日の出風景 セント・ローレンス川の河口は海のように広大

 

 遠くに陸地が見える

 

 陸地が近づく、船ならではの景色を楽しむ

 

 紅葉の森と川岸の人家

 

 合流地点

 

 カナダの豊かさを感じる風景だ

 

 

 この集落の住民は何で生計を立てているのだろうか?

 

 おとぎ話に出てきそうな灯台

 

 もう使われていない巨大な鉄橋(Quebec Bridge)が出現

 

 橋の裏は錆だらけ

 

 手前は新しい橋

 

 船からバスで移動、帰りの時間と集合場所の説明、皆さん忘れないように携帯で写真を撮っていました。

 

 いよいよ、街の散策開始

 

 ノートルダム・ド・ボンスクール教会(大きすぎて全景は撮れなかった)修理中のため入れなかった

 

 横から見たノートルダム・ド・ボンスクール教会

 

 美しい歩道

 

 街中にあった菜園風景(色々なカボチャ)

 

 不思議なものを発見(窓の人形に注目)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その21(ジャマイカ、オーチョリオス、海外の乗客)

2024年01月27日 | 思い出の旅行

第34日目 <ジャマイカ・オーチョリオス>

  パナマ、バルボア港 出港13時 4日目 9月24日(日)時差10時間

  
 7時、目が覚める、カミさんは留守
 7時20分、まだ島影が見えない、前方デッキに出る、風が強い、ドアにロックがかかっているように重い、波も高い。
 8時40分、カミさん帰って来る、港が見えたとのこと、
 9時、14階で朝食、10時、10階前方デッキで港を見る、既に人が沢山集まっている。ヨットハーバー、レジャーボート、そしてホテル、リゾートマンションが緑の合間に見える、リッチな雰囲気だ。
 10時30分、下船準備の放送がないので5階へ行ってみる、ラウンジは人で溢れていた。早く下船したい人たちが並んでいるのだ、早い者勝ちの世界になっていた。最後尾がどこだかわからない、割り込む人、エレベーターで降りたついでに割り込んでしまう人、並ぶようにと声を荒げる人、混乱状態だ。ピースボートよしっかりしろ!と言いたい。
 11時30分、下船が始まった。桟橋では音楽と踊りで歓迎してくれていた。踊り手のおばさん達にやる気は感じられなかった。ゲート前は土産物屋さんが並んでいる、ここで買い物を始める人もいる。商品はメキシコ、ガテマラ、パナマと同じ、外に出ると今度は観光タクシーの売り込み、皆、パンフレットを持って観光地を指差して「テンドール!」と叫んでいる、諦めも早く直ぐ次の客に声を掛ける。しつこく付きまとわないし、断っても嫌な顔をしない。皆黒人の大男だから迫力がある。こんな売り込みが50m以上続く。次はマーケットと称する土産屋さんが集積する大型店舗、閉店中の店、小さな店も結構見られる。ここは女性が頑張っている。
 免税店の看板があったのでは入ってみる、カードが使えるとのことだったのでラム(小瓶6本)とコーヒー(5袋)を122ドル分購入。リュックに入れて背負う、結構重い。長男の友達から預かったCD(オリジナルの歌が入ったプロモーションCD)を5枚配った。結構喜んでくれた。当たり前か!反応があれば幸い、喜んでくれただけでも良しとしたい。
 時間も気になるので引き返す、途中、スパーマーケットの看板があったので覗くと、ジャマイカのビールを発見、ビール2本と絵葉書2枚を購入。帰りは晴れて日差しが厳しい、曇りの時と全く違う、この差は中南米共通の気候なんだろう。
 お土産屋さんを冷やかしながら船に戻る。エアコンが効いている船内が気持ち良い。部屋に入り、洗濯とシャワー、「あー気持ちいい!」観光より帰ってきて浴びたシャワーの方が良かった。
 14時、遅い昼食、お粥、パスタ、鶏肉のフライ、麻婆春雨、レタス、キャベツ、キュウリ、ニンジン、コーヒー豆乳とデザート、ケーキ2種類、ゼリー1種類を半分ずつ。
 船が動き出す、出航したのだろう。15時帰室、窓からパラセーリングが見える。10階デッキに出る、パシフィック・ワールド号はジャマイカを離れていく、港は遠くになった。マグロを探したが見つからなかった。部屋に戻り記録の整理。カミさんは手話の練習。
 16時10分、カミさんは手話の練習そして16時15分〜17時手話のプログラムに参加。その後は部屋で休息。
 19時30分、6階で夕食、メインはラム肉、デザートはアイスクリーム。メインはダメだったがアイスクリームは久しぶりに美味しかった。
 4人テーブルに座る、二人は外国語(韓国、中国?)を話しているカミさんが「日本語分かりますか?」と聞いたら一人は分かると返事、埼玉県に住んでいるマレーシア出身の青年29歳独身と自己紹介してくれた、もう一人は男性70歳のマレーシア人で昔、コピー機製造の実習で日本に2週間いた経験があるとのこと。二人は英語で話をしていたが時々、質問すると答えてくれる。言葉について聞いたところ、青年は中国系で家では中国語、外では英語、マレー語を話すとのこと。何と二人はマレー語ではなく英語で話をしていたのだ、我々には英語に聞こえないが、アクセントの違いか。マレーシアは地震、火山などの災害が無いので半導体製造など先端産業が盛んになっているそうだ。青年は仕事を辞めて船に乗ったそうだ、就職は降りてから探すと言っていた、多分就活に自信があるのだろう。
 70歳の方の奥さんは子供がいるオーストラリアに住んでいる、ピースボートには一緒に乗らない、別々の方が良いと言っていた。青年の話ではマレーシアは日本人の移住が増えているとのこと、利便性、物価、自然災害が少ないなど評価されているようだ。ピースボートはネットで調べたそうだ、乗客に外国人が多い原因の一つかもしれない。今回、このような東南アジアの情報が得られるとは思っていなかったので驚きだ。
 ピースボートに外国人が多く乗るようになったらどうなるのだろうか、その内、外国人の方が多くなることも考えられる。中国人、韓国人は多い、話し声が大きく、うるさい、周囲のことを考えないマナーの悪さが気になる、日本人の若者に影響を与えるのではと危惧している。
 今回一緒になったマレーシア人は紳士的で好感が持てた。クルーに別の席に移動したいと言ったが通じなくて良かった。
 9時前、売店でビールと柿の種を買って帰室、二人でビールを飲む。お腹が一杯なのでせっかくのビールが美味しくなかった。

 

 

 ヨットハーバー、レジャーボート、そしてホテル、リゾートマンションが緑の合間に見える、リッチな雰囲気だ。

 

 

 リゾートマンション?ヨットハーバーに豪華なボートが停泊

 

 浜の風景、誰も泳いでいなかった。

 

 1ヶ所の舷門から1800人が下船するのでこんな状況になります。見えているのはごく一部です。

 

 パナマ運河航行時に付いたと思われる傷跡、喫水付近と中央左端角部

  

 クルーは二人がかりでペンキ塗り、一人はローラーでペンキを塗り、一人はペンキが海に落ちないように袋状の受けで受け止める

 

 観光に向かう乗客、向かいの丘の中腹にある建物は別荘か?

 

 港の土産屋さん

 

 小さな街はピースボートの客でいっぱい。

 

 ブーゲンビレア 

 

 奥まで土産屋さんが並ぶ

 

 ボブマリーの絵もありました。

 

 小さな川に魚が沢山集まっていました。

 

 綺麗な海の色

 

 パラセーリング風景、ニアミス?

 

 

 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その23(ニューヨーク、タイムズスクエア、セントラルパーク)

2024年01月21日 | 思い出の旅行

  2023年ピースボート航海記 その7(アメリカ・ニューヨーク港)

第37日目 アメリカ マイアミ港出港(1日目) 9月28日(木)
 予定
 ・10:30〜11:10 ヨガ
 ・13:00〜14:15 カナダ先住民の多様性 
・15:30〜16:30 航海の雑学 第2回目〜大西洋編〜
 ・16:00〜17:00 手話の練習 指文字の復習と挨拶の続き

 7時、起床、洗濯物の片付け、カミさんが帰ってくる。
 8時、14階で朝食、パン、スクランブルエッグ、サンマ、ベーコン、レタス、キャベツ、キュウリ、スイカ、オレンジ、コーヒー牛乳
 9時、帰室、雨が降っている、波も高く船は揺れている。
 10時30分、ヨガに参加する、全くなっていないと言われそうだが汗をかきながら頑張る。
 11時10分終了、帰室、疲れがどっと出た感じ、体がだるいので椅子で寝る。起きたら12時30分になっていた。
 12時、カミさんは「カナダ先住民の多様性」を聞きに行く。私はマイアミのスケッチをする。食欲がなくリンゴ1個食べる。船は揺れている多少船酔いがあるかも知れない。
 2時30分、カミさん帰室、14階で昼食、食欲がないのでインドカレー少々、レタス、キャベツ、キュウリ少々、ケーキ2個のデザート、コーヒー豆乳。私はそのまま、「航海の雑学」を聞きに行く。好評のようで、20分余裕があってもほぼ満席状態だった。中央の空いている席を確保する。
 「航海の雑学」 第2回目〜大西洋編〜ジャマイカからレイキャビックまで
 内容・ガルフストリーム
   ・台風とハリケーン
   ・海藻ホンダワラ
   ・白夜と極夜
   ・影が見えなくなる日
   ・北極星の高度と緯度の関係(北半球の場合)
   ・オーロラの現れる仕組み
   ・グリーンランド沖の流氷
 分かりやすく解説してくれた、航海中気になって海藻がホンダワラであることが分かった。白夜の反対語があり極夜と言うことは知らなかった。

第38日目 アメリカ マイアミ港出港(2日目) 9月29日(金)
 予定
 ・13:00〜14:15 世界を牽引する小さな街ニューヨーク
 ・14:00〜15:00 カナダ先住民族の歴史
 ・14:30〜15:30 わくわくニューヨーク
 ・16:00〜17:15   大統領選

 7時起床、まだ薄暗い、雲で覆われ雨が降っている。うねりがあり船は揺れる。洗面。
 7時30分カミさんは中国体操して帰ってきた。

 8時、朝食、お粥、茹で卵、ベーコンと野菜の煮物、レタス、キャベツ、ニンジン、ジュース、日本茶。朝食中、雨漏り発生。
 9時、帰室。掃除は終わっていた。


 人間観察
 <自慢屋さん> 
  レストラン等で同席すると話しかけ、自分が持ってきた資料を披露して自慢するおじさん。若い女性とおばさんがひっかかった。レストランに資料を持ち込む必要はないのでは?まあ、自慢したい気持ち分かります。自由行動の経験を披露した時「すごい!」などと反応されると力が入ってしまう。根っこは同じでは。人間は評価されたい動物である、特に男は
 <半袖半ズボンおじいさん>
  寒くなって長袖長ズボンが当たり前になってもTシャツ、半ズボンのおじいさんを見かける。間違いなく、色黒、筋肉質、姿勢も良く、いかにも鍛えている体型である。
 <厚着の高齢者>
  既に上着を羽織っている人も多い、殆どお年寄りでか弱そう。


 10:00〜11:00まで「経済」の勉強、資本主義と社会主義について
 12時、一人で14階で昼食、仙台から来た方と相席になり食後、ピースボートの経営などについて情報交換した。
 12時40分頃、「ゆうゆう散歩〜世界を牽引する小さな街ニューヨーク〜」を聞きに行く。水先案内人の話は料理はイタリアンが一番、だけどリトルイタリアで食べてはいけない、有名な割烹料理店が出店した話、などあまり参考にならなかった。
 14時30分〜15時30分の「国際部スタッフがお届けするわくわくニューヨークspecial」は参考になった。プレゼンが全く異なっていて分かりやすい。
・船が停泊する埠頭の位置と目印のセントラルパークと道路(南北をアベニュー、東西をストリート)を図で示した。
・歩いて観光できるように観光地をブロックに分けて説明してくれたので目標を設定しやすくなった。
                   ・Harlem
         ・Upper West Side      ・Upper East Side
             ・ Midtown
            ・ West Village                       ・Union Square

            ・Soho&Chinatown                ・East Village    
                       ・Lower Manhattan  


 5時過ぎ、早めに夕食、パスタ、豚肉、鳥の唐揚げ、レタス、キャベツ、キュウリ、デザートは小さいケーキ2個半分づつ、玄米茶。


 明日の計画は、ミドルタウンとハーレムを見ることにした。
 船→Times Square → Bryant Park → Grand Central
   ・セントパトリック教会
   ・カテドラル (Upper East Side)
 ・セントラルパーク 散策 *ジョンレノン記念碑
   ・ハーレム アポロ劇場 周辺散策
   ・メトロポリタン美術館
   ・博物館

第39日目 ニューヨーク港、マンハッタン・クルーズ・ターミナル90番埠頭4番バース      
      着岸(New York Manhattan Cruise,Pier 90,Berth4)
 5時30分、カミさんに起こされる、まだ暗いが船はハドソン川に入ってきている、残念ながら自由の女神見物はできなかった。(2006年の時はしっかり見ることができ、感動的だった。)上着を羽織ってデッキに出てみる、数人の見物人がいた。まだ暗く、街の灯りと高速道路を走る車の音が響いていた。
 8時、14階で朝食、あまり食欲が無いがいつもの野菜とお粥を食べた。食事中に船内放送で全員上陸許可が出たので上陸を開始するとのこと。部屋に戻ると掃除が済んでいた。
 準備をして9時下船、審査も検査も無かった。配布されると言っていた地図が無くなったので写真を撮るように言われ、呆れ返った。写真を撮ってみたけど小さくて文字は読めない。大まかな確認は良いとしても詳細の確認は困難、老眼の年寄りには過酷。
 何ともならないので自作の地図を頼りにタイムズスクエアを目指す、18年前の記憶が蘇ってきた。アメリカらしい鉄柵とはしごがあるアパート(映画ウエストサイドストーリーに出てきた)だ。小さな芝居小屋のような建物も見える。(6時頃、帰りに通ったら人が並んでいた)30分程歩くと、人通りが多くなり、ミュージカルの広告や映像を使った広告が増えてきた。人が多いところを目指すと18年前と様変わりしたタイムズスクエアの中心部にやってきた。前は日本の企業の広告が目立ったが今では韓国のサムスンや中国企業の広告に代わっていた。巨大で局面の画面(LEDビジョン)は迫力がある。局面にしなければならない表現なのかは疑問があるが将来は局面ならはでの表現が創造されるだろう。映画もフィルムではなくLEDビジョンに変わるのだろうか。
 居合わせたピースボートの乗客から写真を撮って欲しいと言われたのがきっかけでグランドセントラルへの道を聞いた。自分で用意した地図をもとに教えてもらった、地図が無いと言ったら今回もらった地図を譲ってくれた。大いに感謝である。グランドセントラルに一緒に行くことにして歩き始めたらカトリック教会(Sant Marys church)が見えたのでここで別れて我々は教会に入った。小ぶりで質素な教会(セントパトリック教会に比べたらの意味)と言っても大きい。日本には無い大きさ。私はラフスケッチを、カミさんはお釣りの小銭を献金する。
 教会を出てグランドセントラルを目指して歩いていたら車道を歩行者優先にしてジャマイカや東南アジア系の食物、衣類、アクセサリー、宝飾品などの屋台がたくさん並ぶ通りに出た。目立ったのはアジア系の人々だ、何とかニューヨークに定着したいとの意気込みを感じる。残念ながら日本人はいなかった。
 更に進むとグランドセントラル・ステーションに出会えた。巨大な建物なのですぐに分かった。中に入り、トイレを見つけたので利用させてもらった。大きくて綺麗、ただ使い方がひどい、トイレットペーパーは床に出しっぱなし、便座は怪しいので上げて使った。便座も汚れていた。生活環境も異なる移民国家、格差社会の弊害なのだろうか。
 気を治して構内を見て回る、観光客でいっぱいのメインのコンコースは天井が異様に高くその大きさに圧倒される、皆、感動したのであろう記念写真を撮っていた。こんな巨大な空間が必要だったのか、もう一つ驚いたのは暖房がしっかり効いていたこと、中にいると汗ばむほどだった。巨大な空間を暖房する技術は素晴らしいと思う。そう言えば、同じよう巨大な空間を持つ教会も温かった。アメリカ独自の暖房システムがあるのではないか。
 12時過ぎたので美味しそうなパンが並んいたカフェに入る、
・Spicy Tuna Melt Toast 2.67ドル・Rye Roll 4.84ドル・Carrot Bun 14.10ドル
・offee16oz 4.63ドル  Tax 2.14ドル   Total 26.24ドル
トーストが美味しかったしボリュウムもあった。我々にはこれだけで良かった。他のパンは残した。
 ようやくセントラルパークを見つけ動物園がある横から公園内に入る。早速、緑と共に露出した岩盤が目に入った。この岩のおかげで巨大なビルを建てることが出来たとのこと。土曜日のこともあるのかたくさんの人が歩いている。観光客もいるが地元の住民も多いように思えた。公園は自然の森のような雰囲気、倒れて腐っている倒木もある。芝生もあり家族づれなどが多い、芝生ではリスが木から降りて人の近くまでやって来る。落花生をやる人がいた、驚いたことに手から受け取って食べていた。人が寄るとリスも寄ってくる、餌がもらえるからだろう。可愛い仕草が間近に見られ嬉しかった。ここではリスだけでなく大きなカモが人から餌をもらっていたし、人が側を歩く水溜りですずめが水浴びをしている。すずめは日本では警戒心が強く、決して人間の近くに来ることはないのになぜか。
 公園内には絵を売る人もいる、パターン化しているが多少、ニューヨークらしさを感じさせてくれる土産だ。小さい作品は1点5ドルからあった。また、チェロとサックスを演奏する場面に出くわした。チェロもサックスも音階がしっかりしていて音が澄んでいると感じた。ピースボートの船内でニューヨークには音楽家やダンサーの卵が大勢いる、売れていないので街頭で演奏する場合が多い、中には才能豊かな人も多いので聴く価値はあると言っていた。そんな場面に出会えて良かった。帰りにはチェロとサックス演奏者がいなかったが中年の黒人がボンゴを演奏していた、音もリズムも素晴らしかったので小銭を献金したらニッコリ微笑んでくれた。
 公園の中央に橋、噴水、池があり観光客の記念写真の場所になっていた。下が歩道になっている橋は映画で見たことがある。私たちも自撮りするが背景が映らない、顔が大きく写っただけ。
 ジョンレノンが殺された記念碑を見に更に奥に行く、途中でメトロポリタン美術館へ行ったピースボートの人と出会い、記念碑の方向を聞いたら思っていた方向ではなかった。その方も探すとのこと、カミさんはメトロポリタン美術館へ行きたいと言い出したので予定を変更して美術館を目指す、大きな道路に出た多分96丁目、なぜか若い人、年寄り、女性、男性、アジア系と大勢の人がジョギングしている。歩いている人は少ない、この道路は走らなければならないのかと思わせるほどだった。30分程歩いて美術館に行き着いたが入口付近は長い行列が出来ていたので入館は諦める。階段も休む人でいっぱいだった。ローマのスペイン階段を思い出した。
 カミさんからトイレを探すように言われ、カフェを探すことに、パークアベニュー街に行く途中でカフェを発見、トイレがあるか聞いたら「そこ」と言われ、一安心。ただで使うのは申し訳ないのでコーヒーを注文する。少し休んでタイムズスクエアを目指して歩く。
 公園の脇(5番街)を南下して再び公園に入る、ベンチで休んでボンゴ演奏を聴いたりリスを観察する。また、元気を出して歩く、何台も観光馬車や自転車タクシーが待機している様子から公園のメインの入口に来たらしい。巨大な露出した岩があり観光客が登って写真を撮っている。我々も負けずに撮った。
 公園を抜け5番街に出ると「ユニクロ」や真珠の「ミキモト」の店があった。また向かいにトランプタワーを発見、かなりの高層ビルだった。その先にセントパトリック・カテドラル(聖パトリック大聖堂)を発見、中に入ると何かやっている、よく見ると結婚式だ、中央には入れず、左端の椅子に座ったが式の様子が見えた。新郎新婦が司祭の前に立っている、誓いの言葉、結婚宣言、「アベマリア」が流れ、最後に会衆の歓声が響き渡った。滅多に見られない場面に遭遇した。式が終わり静かになった後、カミさんは蝋燭(2ドル)を点け祈りを捧げていた。
 教会を出ると白人の高齢者の乞食が座って本を読んでいた、普通の乞食には見えない、カミさんは1ドル献金する。乞食は何の反応を示さず、本を読んでいた。

 これでニューヨークの滞在目的は達成したので船に戻ることに、カミさんから方向が違うなど言われながら歩くこと30分、川辺と目指すパシフィック・ワールド号が見えてきた。X線検査だけで審査は終わり、船に入り、自室へ、汗だくだったので即、シャワーを浴び、洗濯をする。
 8時、夕食、料理が少ない、ビールの代わりに冷えたコーラーを飲む、美味しい、マイアミほどではなかったが。
 11時、船は埠頭を離れ、バックしてから90度回転し船首を海に向け出航、マンハッタンやニュージャージーの夜景が美しい、やがて右手にライトアップされた自由の女神像が遠くに見える。Staten lsland と Brooklynを繋ぐ Verrazzano Narrows Bridge を抜けカナダに向かう。

 

    

  窓からニューヨーク港着岸風景を見る

  

 まだ暗い埠頭 

 

 90番埠頭に着岸 

 

 ピースボートが着岸した90番埠頭入口

 

 タイムズスクエア目指して歩く

 

 映画「ウエスト・サイド・ストーリー」を思い出すアパート

 

 タイムズ・スクエアの風景 映像広告が凄いことになっていた

 

 日本企業に代わってサムスン等の韓国企業、中国企業が頑張っている

 

 カトリック教会(Sant Marys church)

 

 露店が並んでいた、アフリカ、アジア系が頑張っている(日本人はいなかった)

  

 

 

 

 

 セントラル・ステーション

 

 セントラル・ステーションの中、食べ物屋さんが多い。

 

 トイレもあった、設備は良かったが客のマナーが悪い

 

 巨大な空間に圧倒された(こんな空間必要?)

 

 この大きさはアメリカ的、大勢の観光客が写真を撮っていた

 

 巨大な天井

 

Rye Roll/2.67 Carrot Bun/4.84 Spicy Tuna Melt Toastie/14.1  コーヒー/4.63  

計26.24ドル 1ドル150円として 3,936円 

 

 ツナトースト

 

 セントラル・パークの岩盤

 

 岩盤に登って記念撮影(撮影スポットになっていた)

 

 湖 The Lake

 

 ベゼスタの噴水

 

 女性の権利のパイオニア像

 

 人からもらったナッツを食べるリス(ハイイロリス?)

 

 素晴らしい音色でした

 

 ストリートミュージシャン チェロの音色も良かった。

 

 絵の販売風景 主は留守だった

 

 セントラル・パークのメインストリート

 

 混み合うメトロポリタン・ミュージアム

 

 トランプタワー

 

 シナゴーグ

 

 蒸気はニューヨークらしい風景

 

 アールデコの建物、品を感じる

 

 聖パトリック大聖堂、周りの建物が高層ビルなので目立たない。

 

 聖堂内部は巨大な空間

 

 たまたま結婚式に出会った(右端司祭と夫婦)

 

 聖堂前の読書家の乞食?

 

 さようならニューヨーク

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その22(マイアミ港、モノレール、リトルハバナ)

2024年01月21日 | 思い出の旅行

 2023年ピースボート航海記 その6(アメリカ・マイアミ港)

     第34日目 ジャマイカ オーチョリオス港出港(2日目)

            9月25日(月)時差10時間
 *乗客対象避難訓練9時 *パスポート受け取り
 参加予定セミナー 11:00〜12:00「わくわく寄港地マイアミ&ニューヨーク」
          11:00〜12:00「カナダの先住民族についての紹介」


 6時30分、カミさんの音で目が覚める、カミさんはラジオ体操に行ったようだ。洋上はまだ暗い、水平線上に雲が漂っているが上空には青空も見える、いつもの景色だ。海の色は濃い青、紫色が入っている様な色、陽が充分に差し込んでいないので暗い色なのだろう。
 7時30分、カミさんが帰ってくる。体操は終わっていたとのこと。
 8時、朝食、お粥(少し硬めになった)、焼き魚、スクランブルエッグ、野菜の煮物、オレンジ、メロン、コーヒー牛乳。9時過ぎ、船内放送が入る、英語なので分からない、部屋に戻ることにする。部屋でトイレ、歯ブラシを済ます。警報が鳴った(短音7回、長音1回)のでマスターステーションA(7階)へ行く、IDカードを読み込んで終了、帰室する。
 11時〜12時、「わくわく寄港地〜マイアミ&ニューヨーク〜」に出席する。
 アメリカについて
  面積:962万㎢
  人口:32,200万人
  温度:マイアミ   30℃   緯度 沖縄  スペイン系住民が多い、キューバから避難民
     ニューヨーク 18℃   緯度 青森県
  ・マイアミで対面審査を行うとニューヨークでの対面審査はなし。 
  <マイアミ>
  ・停泊場から街まで2km 
  ・メトロムーバー(新交通システム)無料
  ・トロリーバス          無料
  ・路線バス            有料
  ・タクシー(黄色)        15%程度のチップ必要
  <ミューヨーク>
  ・停泊場からタイムズスクエアまで歩いて15分
  ・自由の女神像は着岸1時間前に見られる。(5時前?)
  ・セントパトリック教会(カトリック最大規模)
  ・セントラルパーク、メトロポリタン美術館、グッケンハイム美術館
  ・ブルックリン橋は徒歩で30分で渡れる
  ・自由の女神はリバティ島、エリス島には移民博物館がある。
  <注意>
  ・路上飲酒喫煙禁止
  ・チップはタクシー、小規模レストラン等は必要
 カミさんは同時間「私のライフストーリー〜カナダ先住民族について紹介〜」を聴講。
 12時30分、5Fのレストランで「五目寿司、カレーうどん、サラダ、オレンジ」の昼食。
 13時、帰室。
 13時50分、7階後方、ビスタラウンジでパスポートの受け取り。帰室して昼寝、その後、私はスケッチの彩色作業、カミさんはデッキで読書(聖書)。
 19時30分、5階食堂で夕食、サラダ(焼きトマトとチーズ)、スープ(野菜、パン、鱈)メイン(魚のフライ)、デザート(アイスクリーム)美味しかった、食後、アトリュームでピアノ演奏を聴く。
 14階へ移動し、マンゴとりんごのデザート。
 20時、帰室、貨物船の灯り、遠くに雷の閃光が走る。
 22時、陸地か、遠くに僅かに灯りが点々と続く、(進行方向左側)

第35日目 
 9月26日(月) マイアミ港、ターミナル 1日目  *時間時差11時間
 12:00 マイアミ港、ターミナル着岸予定 着岸後、港内ターミナルで入国審査
 10階は14:30頃 ・パスポート ・IDカード ・寄港地情報用紙 持参のこと

 7時30分、起床、カミさんは散歩に行くと言って出ていく。まだ夜明け、薄暗い、雲が空を覆っている。海の色も濁っている。窓からは何も見えない。
 8時、朝食、品の良い老夫婦を見た、落ちたゴミを拾い、テーブルを持ってきたティッシュで拭いていた。気持ち良い光景だった。
 9時30分、帰室、一休みと下船準備
10時過ぎ、陸地が見えてきたので前方デッキに移動、既に数人の人が見物していた。マイアミの全景が見える。高層ビル群が左右前後に広がるものすごい規模だ。パノラマで撮る、パノラマでなければこの雰囲気は掴めないだろう。やがて右手にサウス・ポワント・ビーチが見えてくる、ビーチの左の水路を進む、奥の左側の水路は貨物船用に見えた。右手に水路に並行して橋のような道路があり、エンジン音が響いてくる。道路の奥には住宅(別荘か?)があり、レジャーボートが係留されている。
 12時、PW号は左手の岸壁に着岸した。
 12時30分、14階で昼食、まだお腹がこなれていないがお粥、魚のフライ、野菜と肉の煮物、キャベツを食べる、デザートはケーキ2種類を半分づつと日本茶。
 1時過ぎ、帰室、カミさんは昼寝、まだ、審査の案内はない。12階と11階の呼び出しがあった、ほぼ時間通り、10階は予定では14時30分、カミさんを15分前に起こしたら、呼び出しのアナウンスが入る、慌てて支度して7階へ、またもや、大勢の人で大混乱状態、指定階に関係なく集まっているようだ、スタッフが12、11、10のプラカード(部屋の階12階、11階、10階の乗客の意味)を示していたので列を抜けて先に進むことができた。審査会場でも人でごった返していたが何とか列を作り整然としていたので一安心。
 15時過ぎに外に出ることができた。早速、方向を見極め、歩き始める。暑いので大変。公園を抜け、大きな Port Miami Bridge を渡りBayside Market place に向けて歩く、長い坂道は大変だが景色は素晴らしいし風が心地よかった。Port Miami Bridgeを抜けると目の前に古いタワーが見える、地図には Freedom Tower と記されていたので行ってみる、残念ながら工事中で閉鎖されていた。

 歩いているとモノレールの駅を発見、小さいので全く目立たない、入口に看板があり路線図が表示されていた。無料でもあったので試しに乗ってみることにする。山手線のように一周すると同じ駅に戻れる、距離の短いので時間も掛からなそう。ホームに上がると、間も無く電車が到着、乗客は少ない、思いがけずマイアミの景色を楽しむことができた。このモノレールは無人運転だったがホームには銃を携帯した屈強な警備員がいた、駅員も運転手もいないためか、無人化も限度がある。

 乗ってみて便利だった、現在の路線(テスト中と思われる)は近距離だが将来は路線を延ばし市民の足になっていくものと思われる。モノレールなので土地の買収や設置費用も抑えられ、工期も短縮できる。

 モノレールを降り、目的のリトルハバナに向け歩き始めたがおおよその方向しかわからない、それも地図にないのであやふや、止むを得ず、通りかかったピースボートの乗客グループに聞く、日本語の地図を出して調べてくれたが遠いと言うことだけしか分からなかった。英語が堪能な一人の女性が通りかかった若い二人の女性に聞いてくれた、大変だからタクシーで行ったら?ウーバーだったら直ぐにきてくれるとのこと、お願いする。タクシーに乗ると通りをいくつも抜け、橋を渡りかなり走った、歩ける距離ではなさそう。到着したので料金を払おうとしたら運転手からネットで精算済みと言われた。現金払いOKと言われていたがウーバーを手配してくれた女学生が負担することになってしまったようだ。申し訳なかったが何ともならない。息子の友達から預かったプロモーションCDをプレゼントしていたので少しは気が晴れたが、、。

 リトルハバナは通り全体がワイキキの雰囲気では無く、行ったことがないのでハバナ?かどうかわからないが、行ってきたばかりの中南米だった! 黒人が多くここでは白人は小さくなっている、汚らしい雰囲気の店が並ぶ、音楽の音量も凄い、一角ではスタッフも俳優(?)も黒人だけのロケ(映画?テレビ?)をやっていた。野次馬もほとんど黒人だった。

 レストランかと思ったら黒人が麻雀?をしていた、ここは雀荘か?のんびり歩いていると後から来た黒人の老人にどやされた、2回も。「邪魔だ!」と言った印象。「いくらかくれ」と物乞いをしている老人、女性もいた。
 カミさんは帰りが心配で気がそぞろ、見物もそこそこ、帰り始める、途中で夕食で一緒になったマレーシアの人がパン屋で食事していた。美味しい!と言っているので我々も入って2種類のホットドック?とオレンジジュースを頼む。18ドル50セントだった、高い?がパンもジュースも美味しかった。白人の客はいない、我々と黒人だけだ。
 トイレもすまし元気ができてきた。パシフィック・ワールド号目指し、歩き始める、街の雑然として雰囲気が続く、店も凄い、物置のように展示(?)している雑貨屋さん、二の足を踏むような床屋さんもあった。
 老齢の女性二人組(ピースボートの乗客)がタダのバスを待っていた。カミさんは歩くと強気、ひたすら歩く、やがて白人が目立つ地域になってきた。犬を散歩させる若い女性、サッカー練習場もあった。1時間以上歩いた頃、モノレールの駅が見えた。これで「College Bayside駅」まで行けば帰れる。目立つ建物、オレンジ色にライトアップされたFreedomTowerが見えてきたときは気が楽になった。   
 Bayside Market place の中を見物しながらPort Miami Bridge に向かい、この最後の難関を乗り越えた。8時を少し過ぎたばかり、14階のレストランに間に合いそう、手荷物のX線検査を受け、帰船、そのまま14階へ行き、つまみを取り、ビールを頼みに行ったらアメリカ停泊中は酒類は売れないとのこと、代わりにコーラを頼む、氷で冷やされたコーラは格別だった、コーラがこんなに美味しいとは、新たな発見だ。ただカミさん曰く、コーラもいいが氷がよかったと、私も同感。(ピースボートのビュフェ形式のレストランの氷は製氷器で作るため小さくてすぐ溶ける、有料の飲み物には販売しているような立派な氷?)
 8時30分、帰室、私は先にシャワーを浴び、洗濯をして記録を記載、カミさんがシャワーを浴びるのを待って、ジャマイカビール「Red Stripe」で乾杯する。これまた美味しい、よく歩いたご褒美だ。
 海辺一帯にある高層ビル群、ヨットハーバー、車、別荘は豊かなアメリカの象徴だ、一方ホームレスの多さ、リトルハバナの雑然とした汚さはこれが同じアメリカか、アメリカ社会の格差それとも多様性の表れか?
 リトルハバナが存在していると言うことは清潔で整然とした街に住む観光客にとって雑然とした何かわからない混沌さが求められると言うことであろう、。中南米の観光客はどう反応すだろうか。

第36日目 マイアミ港、ターミナル 2日目 9月27日(火)
*時間時差11時間
 12時30分までにターミナル検査場に戻ること  13時帰船リミット
 6時30分、起床、洗顔、カミさんは留守、昨日のまとめで過ごす。
 8時、朝食、パン、茹で卵、ソーセージ、ハム、チーズ、ヨーグルト、コーヒー牛乳。
 9時、準備ができたので下船する。マイアミ子供博物館を目指したが地図上の橋の位置が違っていた。実際はもっと、遠い位置にあった。今回は諦め、教会を目指すことにする。
 Port Miami Bridgeを渡ろうとしたところ、バス停でピースボートの面々が待っている。我々も仲間に入って待つことにした。手前にあるバス停に移動したところバスがやってきた、慌てて引き返し、無事、バスに乗れた、その後もバスを目指している人を待ってくれた親切な運転手だ。 
 Bayside Merket で降り、教会を目指す。マイアミ大学の近くにあった。黒人が玄関前を掃除していた。中に入ると寒いくらいエアコンが効いている。暗く、一人は椅子に座って祈っている、祭壇前では黒人の女性が立ったままで祈っている、静かで厳粛な雰囲気だ。我々は最前席に座りカミさんは祈り、私は祭壇やステンドグラスを観察した。カミさんから夫婦の祈りをしようと提案された。カミさんは小さな声を出して、私は黙想した。祭壇はゴテゴテ金色で装飾されたものではなくシンプルだった。ステンドグラスは両面全体を覆っており、十字架の道行とイエスの奇跡を表現していた。薄暗い空間にステンドグラスの光が入り厳かだけでなく華やかな印象を受けた。
 今日も目標を果たしたので帰ることにした。Bayside Merketplace に入ってウインド・ショッピング、地元の若い女性の服装にびっくり、タイツ、ミニスカートは極限まで来ていた。ピースボートの乗客で白髪で小柄なおばあさん(80歳代)がフェイスケアをしてもらっていた、店の若い店員が驚いている我々を見てにっこり微笑んでいた。ヨットハーバーが見える場所で記念写真を撮って、いよいよ Port Miami Bridge を目指す。既に数人の人が歩いている、同行者がいると心強い。長い上り坂と下り坂を降りてようやくパシフィック・ワールド号に到着、ターミナルでX線検査、なぜかひっかり黒人の大男の身体検査を受ける、当然、異常なし。部屋の戻り、シャワーを浴び洗濯をする。シャツが汗でびっしょりになっていた。
 12時30分、14階で昼食、混んでいて席がない、何とか相席を見つける。食べ物は少なくやむを得ず、うどんを食べた。
 14時30分、パシフィック・ワールド号は埠頭を離れ、ゆっくり180度回転し船首を外洋に向ける。マイアミのパノラマが素晴らしい、船でなければ見られない。高層ビル、ヨットハーバー、公園の緑がアメリカの豊かさを感じさせる。港から外洋に出るとサウス・ポワント・ビーチとホテル、マンション群が間近に見える。
 PW号はフロリダ半島に沿って航行、まだ高層ビルが横に続いている、更に奥まで果てしないようだ。アメリカの繁栄ぶりを見せつけられた。
 6時過ぎ、14階で夕食、パスタ、サバの味噌焼き風、和風カレー、オレンジ、メロン、デザートは小さなケーキ3種類を半分づつと日本茶。韓国人のKさんが現れ、ニューヨーク、カナダの紅葉見物はキャンセルした事、リトルハバナでは仲間と楽しく飲んで食べたことを話していた。
 7時30分、帰室、今日のまとめ、写真の整理など。いよいよ、ニューヨークだ!

 

     

 マイアミ沖からの風景、高層ビルが続いていた。

  

 マイアミ港を目指す、右側はサウス・ポワント・ビーチ

 

 マンション?

 

 ヨットハーバー

 

 マイアミ入港を見物する

 

 ターミナルビル 

 

 一休み

 

 FreedomTower  工事中で入れなかった 

 

 モノレールの駅(College Bayside マイアミ大学前)

 

 

 モノレールの路線図 どの路線も一周するので元に戻れる

 

 2両連結の可愛い車両

 

 先頭の車両からの眺め

 

 車両の内部

 

 リトルハバナは別世界だった

 

 ピッグス湾事件の慰霊碑 

 

 鶏(幸せのシンボル)の彫刻と記念撮影

 

 麻雀?ここは雀荘か?

 

 ホットドックとオレンジジュースで 合計18ドル50セント         ここで、パシフィック・ワールド号のレストランで一緒だったマレーシア人グループに「美味しいよ!」と声をかけられた。

 

 これでも店?電気がついているので営業している(商品を盗まれないようにする鉄格子?)

 

 モノレールがマンションを突き抜けている(コスト、工期を抑えられることが分かる)

 

 翌日は港から市街地までの無料バスに乗る。

 

 教会内部、不思議な祭壇

 

 祭壇前で黒人の婦人が長い間、祈っていた。

 

 パシフィック・ワールド号はマイアミ港を出航、サウス・ポワント・ビーチにつながる海中道路

 

 こんな家があった。

 

 パイロット船に導かれて外洋に向かう、左は海中道路 

 

 サウス・ポワント・ビーチ 海水浴客で賑わっている

 

 桟橋では釣りをする人が、何が釣れるのか?

 

 パラグライダー

 

 フロリダ沖、パイロット船が伴走する

 高層ビル群が切れ目なく、つながっていた景色はアメリカの圧倒的な経済力を感じさせる。

 

 

 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

115回ピースボート世界一周航海記その20(パナマ運河、電気トラブル、ガッツンドック)

2024年01月21日 | 思い出の旅行

         2023年ピースボート航海記 その5 
     (パナマ運河通行 ジャマイカ・オーチョリオス港着岸)

第31日目 パナマ、バルボア港出港 1日目  9月21日(木)時差10時間
          <パナマ運河通行>1日目 
 6時、「アメリカ橋が見えます。」との船内アナウンスで起こされる。洗顔し近くのデッキへ、遠くにアメリカ橋が、左手奥にはパナマシティの高層ビル群、手前に世界文化遺産のアンティグオ、埠頭からバスで通った橋のような道路が見える。
 車が行き交うアメリカ橋を通過したところで14階へ移動し朝食、パン、スクランブルエッグ、ベーコン、豚肉と野菜の煮物少々、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、スイカ、オレンジを食べる。9時頃、部屋に戻ると掃除中だったので、前方デッキへ、パシフィック・ワールドは牽引車に引かれドックに入るところ、幅はパナックスギリギリ(船からは確認できない)、水が満たされ船が浮かび(少しずつなので実感がない)、そして牽引車に引かれドックを出る様子が見られた。次は船尾に移動してドックを出るところを見物、まだ遠くに高層ビルが見える。
 帰室して休憩、11時、2番目のドックに入ったとのアナウンスがあった、前方デッキで見学、左右のドックとも船の方向は同じだった。右側のドックにレジャーボートを積載した貨物船が入ってくる、間も無く注水し満杯になって移動を始めた。貨物船の次に観光客を乗せた小さな船、そしてタグボートが通過して行った。
 船内アナウンスで急患が出たのでこのままドックに留まるとのこと。大変だ、無事に帰れることを祈るのみ(自分達でなくて良かった感もある)。11時50分、船は再び動き出しドックを通過。
 13時、昼食、インド式カレー、手羽先、レタス、ニンジン、キャベツ、オリーブの実、オレンジ、スイカ、コーヒー牛乳。カミさんはそばを食べていた。韓国人(夫は日本人)のK、Mさんと出会う。
食事中、電気が消え停電、エアコンが効かないせいか急に暑くなってきた。アナウンスでは修理中とのこと。周囲の人の話では電気、水が使えないのでトイレ、洗面所は使えない、ただしIDカードのバーコードは読めるので部屋に入れるとのこと。
 14時、帰室。話の通り、部屋には入れたが電気、水は使えない。部屋はまだ涼しいのでひとまず安心だがいつまで持つか不安。ガテマラのアンティグアのスケッチに色を付ける。15時30分、まだ復旧せず、部屋が暑くなってきた。16時、復旧したようだ、電気がつき、トイレも使える。18時、運河庁と今後の運航について問い合わせ中とのアナウンス2回あった。19時30分、まだ船は動かない。絵は完成し、写真の整理もできた、カミさんは寝ている、起こして夕食に行かなければ。
 20時、夕食、14階はまだ混んでいる。お粥、野菜と肉の料理少々、パスタ、レタス、ニンジン、キャベツ、玉ねぎ、スイカ、オレンジ、デザートは日本茶でケーキ2種類、ゼリー菓子を半分づつ食べる。食後、屋外ではレゲエのイベント中、私たちは屋外用ベットに横になりイベントを聴いたり空を見たり戦争の話をして過ごす。
 21時、「明日、早朝の出航の許可が出ました、今後の日程は後日連絡します。運河航行中、水の使用制限があるので給湯は10時までとします。」との放送が流れた。帰室して、シャワーを浴び洗濯をする。どんな変更になるのか心配。

 

第32日目 パナマ、バルボア港出港 2日目  9月22日(金)時差10時間
     <パナマ運河通行>2日目  
 6時、起床、外が明るくなってきた。船は動く気配もない。ぼんやり外の風景(陸の近くに停泊)を見ていると流木のようなものが流れて来た。様子がおかしいので良く見ると泳いでいるようだ、慌てて写真を撮ってみる、伸ばしてみるとワニ特有の鱗だ、洗面中のカミさんに伝え、一緒に見ることができた。間も無くワニはゆっくり泳ぎ去って行った。
 7時、朝食、お粥、茹で卵、野菜と肉の煮物、スイカ、オレンジそして食べ損なった昨日のパンにコーヒー牛乳。
 8時、運河庁の指示待ち、水を使わないようにとのアナウンスがあった。10時お茶をしてから5階のショップへ、カミさんは龍角散のど飴を私は「WiFi100分」を購入。
 11時前、運航開始、何はともあれ一安心。11時に「ガッツンドック入りは15時、出は16時50分になる」とのアナウンスがあった。
 12時30分、昼食は5階のレストランへ行く、カミさんが今日のメニューが稲荷寿司であることを見つけたため。お稲荷さん2個、肉そば、いつものサラダ(毎回同じ)、パイナップル、コーヒー。カミさんは一緒になった同年の女性(夫は14階で食事)と話が弾んでいる。13時30分自室に帰る。水が出ないので洗面、トイレは使えない。ウエットティッシュで手を消毒する。
 14時、運河情報のアナウンス「間も無くガッツンドック入ります、26メートルの高さからのカリブ海の景色をお楽しみ下さい、また、アトランティック橋も見えます。」
 15時前、ガッツンドックが近づいたので慌てて船首デッキへ出ると、既に見物人でいっぱい。隙間を探しカミさんと二人で見物、パシフィック・ワールド号の前は巨大な貨物船(車を運んでいるのか)、パナマックスギリギリに進んで行く。1段ずつ下がっていく様子が分かる、パシフィック・ワールド号も牽引車に引かれゆっくり進んで行く。気がついたら2時間ほど見物と写真撮影をしていた、他の皆さんも確保した場所を離れないで頑張って見物やら撮影をしている。左右のドックを使っているので迫力がある。韓国語、中国語が入り乱れ飛んでいる。彼らは感動しているので余計に声が大きい。
 ガッツンドックを出るとアトランティック橋が見えてくる、モダンで巨大な橋梁だ、だた、車が通っているのを確認できなかった。次に船尾に移動して遠ざかるガッツンドックとアトランティック橋を撮影して部屋に戻る。しばらくして「ボブ・マーリーの生きた時代」を聞きに行ったカミさんが帰ってくる。予定が変更になり歌を歌ってきたとのこと。
 17時30分、14階で夕食、水が使えないので紙皿、割り箸、使い捨ての木のスプーン、フォークを使って焼き鳥、揚げ豆腐、煮物、レタス、キャベツ、ニンジン、メロンを食べる。コーヒー、ジュースなし、氷もないので水もぬるい。
 18時30分自室に戻る。カミさんは時間変更になった「ボブ・マーリーの生きた時代」を聞きに行く。
 18時50分、次のアナウンスが入る。 
 ・ジャマイカ滞在は 24日  9:00着岸 〜14:00出港       

    ・マイアミ滞在は 26日  12:00着岸〜27日14:00出港

    ・断水復旧は 19:30〜20:00 

 20時になってトイレは復旧、洗面とシャワーは断水のまま、トイレが使えるのでひとまず安心。電話で確認すると下から順番に復旧させているので10階は22時頃になるとのこと。
 22時、断水状態続く、諦めて就寝。
 24時過ぎ、目が覚めたので試しに洗面所の蛇口を回すと元気なく黒い水が出てきた。その後直ぐに透明になり勢いよくほとばしった。早速、ぬるかったけどシャワーを浴び、洗濯をする。カミさんを起こすとシャワーを浴び洗濯を始めた、そのまま就寝。


第33日目 パナマ、バルボア港出港 3日目  9月23日(土)時差10時間
     <パナマ運河通行>3日目  

 6時30分、ノックの音で目覚める、誰もいなかった。起きて顔を洗い、昨日のトラブル(断水)など記録にまとめる。カミさんが帰ってくる。
 8時30分、14階で朝食、混んでいる、ようやく6人掛けテーブルの端を確保、主食なし、スクランブルエッグ、サンマ、野菜の煮物、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツのサラダ、オレンジ、スイカ、ヨーグルト、コーヒー牛乳。テーブルに戻ると隣に先客(夫は15年生まれ、奥さんは21年生まれ)がいた。食べ終わり、見つけたワニ、カメ、イルカ、トビウオの話をする、相手の方は見れずに残念がっていたがツルを見たとのこと。その後、ハワイでの接待ゴルフ体験(崖越えコース)、バンカラだった高校生時代の話(敝衣破帽、卒業式では先生を担いでプール投げ込む)、大阪の料理(魚は美味い)、大阪弁と訛りの話、品があるご夫婦と久しぶりに会話を楽しめた。
 9時30分、帰室、掃除は終わっていた。歯を磨いて休息。
 11時、海を見ていると2種類の色が見えた、透明感のあるブルーと灰色掛かったブルーが混ざらないで流れてくる。茶色の海藻が帯状になって何本も漂っている。
 13時、昼食、インドカレー、五目寿司、焼いた鶏肉、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツ、メロン。食後のお茶をしている時、ぼんやんりと遠くの海を見ていると少し違った動きを見つけ超望遠で撮ってみた、長い帯状でもボコボコした立体的なもの、何度も写真を見ていたら「マグロの群れ」であることが分かった、そのように見ると映像が明快になってきた。頭も全身も確認できた、10頭近い群れだと推測した。残念なことに、カメラで余計な映像を整理したらマグロの写真も消してしまった。残念!カミさんには見せていたのでよしとしよう。ここはヘミングウェーの「老人と海」の舞台カリブ海だ、マグロが見えてもおかしくはない、確証を持てた気分である。
 14時、帰室、寄港地情報「オーチョリオス(ジャマイカ)」が入っていた。9時着岸、13時帰船リミットとのこと、申し込んでいるツアー「ダンズ・リバーで滝登り」(11時10分集合、14時30分港着)は不可能になった。どうなるかまだ通知はない。明日は自由行動で街中を散策するのが一番良いと思われる。
 部屋でWiFiに繋ぎスマホでLINEを確認、ひ孫の運動会の様子が配信されていた。近況を報告。パソコンに繋ぎ溜まったメールの確認と処理(消去)をする、半分(1000円分)を使った。
 19時30分、14階で夕食、食欲がないので少なめにする、スパゲティ、野菜の煮物、レタス、ニンジン、キュウリ、キャベツ、デザートは何時ものケーキ2種類、とゼリーを半分づつ。
 20時30分、帰室、船内新聞が届いていた。
  我々が申し込んでいた「ダンズリバーで滝登り」とマイミの「エバーグレーズ国立公園訪問」も中止になった。残念!市内を散策することにする。
  24時に1時間進める、時差11時間。

 

 パナマ運河入口の風景、コンテナクレーンや造船所が見える

 

 アメリカ橋 着工1952年、開通1962年、全長1,654m

 

 見物風景、橋は車がひっきりなしに通過していた

 

 

 

 

 

牽引車 船舶はこれで引かれる

 

 運河管理事務所?

  

 ドックに曳航された小さな船を積んだ貨物船、この後、注水され水位を同じにする。

 

 流木だと思ったら「ワニ」だった

 

 ガッツンドックに入った巨大な貨物船、遠方にはアトランティック橋が見える

 

 幅がパナマックスギリギリ

 

 建物、ここから運河を見物できる

 

 建物壁上はスローガン?

 

 閘門、壁の凹みにゲートが収まる、水が漏れ出ない精度が求められる

 

 

 

 さよならガッツンドック

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする