<2006年に初めて乗った時と比べると>
・乗客数が倍なので下船時(寄港地で)や入国審査に時間がかかる場合があります。
・中国人、韓国人が多いので雰囲気は変わりました。マナーが気になります。
・若者が少なく老人が多いです。(若者が目立たない)
・ピースボートらしい魅力あるオプショナル・ツアーが少なくかつ参加費が高価です。
<食事について>
・ビュッフェスタイルの食堂は時間に縛られず、それほどバラエティーはありませんが
和洋中の料理が食べられます。並んで料理を取らなければならないのが面倒です。
また、混雑する時間帯は席を探すのが一苦労です。お盆を持っての席探しが悲しい
です。混雑を避けるために早めか遅めに行くこと、席を確保してから料理を取ること
をお勧めします。
・ビュフェの他にレストランは2カ所、朝と昼に和食を出すレストランと洋食だけのレス
トランがあります。時間と料理の献立が決まっています。入口でボーイが席に案内して
くれます、基本的には相席になります。和食はおかずの一部とデザート、飲み物を選べ
ます。洋食は前菜、メイン、デザートを選べます、1週間同じメニューです。事前にメ
ニューを見てどこで食べるか決めます。
・食事は工夫されていますが美味しいとは言えないです。あまり期待しないほうが良い
です。私は米と麺が合わなかったです。
・相席はいろいろな方との出会いがあるのでお勧めです。若い人とも交流できます。
<寄港地の観光について>
・有名な観光地は観光客で溢れ、ゆっくり観光できません。
・体力に自信がない人は添乗員付きのバスツアーを利用することをお勧めします。
乗船後に申し込むこともできますが基本キャンセル待ちです。
・観光地の情報は事前に収集すること、地図は不可欠です。
・携帯WiFiは忘れずに申し込んで下さい。観光地の地図、交通、レストランなどの情報
収集に不可欠です。
<ピースボートの船旅で出会い記憶に残った人々>
・日本人と結婚した韓国人の大阪、長野在住の女性2人(二人とも夫を亡くした)とにか
く元気、楽しむことが上手だった。
・シンガポールの夫婦(60才代か?)、奥さんが元気(ヘリコプターで夜のニューヨー
クを遊覧飛行したとのこと)
・部屋が隣だった埼玉県川口市在住のご夫婦(夫は奥さんを名前で呼ぶ、必ず奥さんの意
見を聴く愛妻家)
・アウシュビッツのツアーで一緒だった方々(会社を辞めて参加した独身青年など)
・アウシュビッツのツアーでアシスタント(通訳)として参加した混血の青年。面倒見が
素晴らしかった。(観光地の有料トイレでは入口で待機し小銭まで用意していた。)
また、混雑する街中では参加者がはぐれないように常に最後尾にいて全員を見守ってい
た。(長身なのでうってつけだった)シンドラー博物館で参加者が倒れた時には通訳と
して病院へ付き添い必要な手続きをして合流していた。寡黙でしっかり仕事をこなす青
年に感心させられた。(日本は大丈夫と思ってしまった。)
・レストランで一緒だった数十組のご夫婦(どこから参加しましたか?から始まり出身
地、参加回数、体験など何故かピースボートではざっくばらんに話ができる)
・一人で参加していた80代の女性リピーター(8回参加)寄港地では一人で港周辺を散策
し地元の人と交流する、自分流の旅を楽しんでいた。
・洗剤をいただいた台湾の同年代の女性(スペイン語が堪能だった。夫の仕事で南米に滞
在経験がある。)
・書道を披露していた早稲田大学卒の男性
・十数億の財産を持つ中年投資家、謙虚で金持ちぶってはいなかった。若者に投
<結論として>
・若ければ若いほど感動は大きいです。思いついたら早く決断することをお勧め
・年齢、体力に合わせた旅が可能です。高齢者の夫婦、車椅子の方、杖を使って
・有名観光地を巡るだけではなく、現地の人との交流、庶民の暮らしを体験する
・船旅のほとんどは船内生活です、船内でしか得られない楽しみを発見し徹底的
・設備、食事、対応、ツアーなどで不満や不十分な部分がありますがそれもピー
・一人旅の方は同年代の友達をつくって下さい。食事、セミナー、ツアーなど友
・動画、写真、日記、パンフレットなど駆使して記録を残し整理することを進め
<今回の旅の成果>
・先進国の経済格差の実態を垣間見ることができました。表通りと裏通りの格
・アウシュビッツを訪ね、ユダヤ人大量虐殺の現場を見たことでユダヤ人問題や
・ヨーロッパでカトリック教会の衰退を中南米ではカトリックが元気だったこと
・円安を実感させられました。日本だけが経済発展から取り残されていると感じ
・観光地は人で溢れていました。中国人などヨーロッパ、アメリカ以外の人々が
・日本の良さを再認識させられました、残りの人生は国内を見ることにします。
・自分の観光を目指す若者や意欲的な高齢者に出会えたことがよかったです。
2023年ピースボート航海記 その13(ピレウス アテネ)
11月3日(金)ピレウス港 アテネ 7時着岸予定
7時30分 5階で朝食
8時30分 帰室
9時 下船、PBスタッフに勧められて地下鉄を止めバスに乗ることに変更
バス停へ
9時20分 バスに乗車、プレウスから40分ほどでアクロポリスに到着
アクロポリス博物館を目指して歩く、途中、ブズキを演奏しているストリートミュージシャンがいたので動画で撮影、50セント寄付。しばらく歩くと寂しげな音が聞こえてくる、バイオリンを小さくしたような楽器をチェロの様に立てて演奏している。ここでも撮影して50セント寄付する。
やがて左手に近代的な建物が見えた、アクロポリス博物館だった。かってはアクロポリス内にあったが手狭になったのでここに建てられたとのこと。玄関までのアプローチに遺跡が見られる工夫がされていた。
チケットは一人10ユーロ、ロビーでリュックを預けて入場。左右の展示棚に小物の焼物が展示されている。間近に見ることができたので形状も模様も良く分かった。造形も紋様も完成度が高く素晴らしい。ギリシャ人の日常生活がいかに豊かだったか偲ばれる。
建物の通路の一部がガラスになっており下にある遺跡が見える、この博物館を建設する時に出た遺跡の保護と展示を兼ねて作ったのだろう。少し怖いが上から遺跡を見るのは面白い。
破損しているが出土した大理石の彫刻が多数展示されている。その一角に大理石の柱や梁などを持ち上げる巻上機の模型があった。また、ブロンズ製の工具が展示されており分かりやすく、観覧者に親切だと思った。
壺、皿、鉢、ランプ、針、紡錘器など生活の道具は見ていて楽しい、形、機能性はすでに完成されていると思った。小さなものでも施されている装飾文様は手を抜いていない、繊細で緻密、モノに対するギリシャ人の姿勢が現れている。そのまま現在の食卓に乗っていても違和感は無い。これだけでアテネに来た甲斐があった。
12時前、お腹が空いてきたので博物館の2階にあるカフェで食事することにした。空いていた席に座ると、なんとアクロポリスが眼前にあり見上げればパルテノン神殿が見える特等席だった。12時までとあったブレークファーストを注文、パン3種類、野菜添えを添えた卵やき2個、チーズ2枚、サラダ、ヨーグルト、ストロベリージャム、蜂蜜、バター、ミニトマト、ジュースが出てきた。二人で29ユーロ、30ユーロで支払い、1ユーロはチップにした。パンは余ったので持ち帰る。
満腹状態で見学の継続、映写室でパルテノン神殿が出来てから現在までの歴史を再現して見せてくれた。火事になったり、キリスト教会に利用されたり、トルコの支配下時代はイスラム教の偶像崇拝の影響を受けて彫刻を壊されたり、戦争で砲撃を受け大破したり、イギリスに彫刻を持っていかれたりした経緯を分かり易く表現している。残念な事に大理石の展示品のほとんどは破損している、オスマン帝国の占領時代に壊されたのだろう。鼻がかけたり顔の部分の破損が目立つ、従来の美術品だけでなく幅広く収集展示している。
新しい博物館だけあって色々工夫している、ただ参考品を展示しているだけではなく、発掘の様子を見せることでアテネがどう言う所なのか、古代の遺産と現代をどの様に調和させるべきか問いかけている。また、ギリシャ時代の人々の暮らしや思いを理解して、その伝統を現在のギリシャにどの様に生かすべきか問いかけている。かって世界をリードしたギリシャ文明を取り戻すべき決意を感じる。
博物館を出て、アクロポリスを目指す、入口でPBの乗客に出会ったのでアクロポリスのことを聞くと入場時間が設定されていたので諦めて戻ってきたとのこと。心配になったがとりあえず目指して歩く、大理石を敷いた坂道を登る、小さな道が幾つか出てきたが人が多い方を選んで登る、しばらく登ると入場口が見えた。
チケット売り場の近くにPBの乗客から「入場券を買ったが入場時間が2時に設定されているので使えないから利用してもらえないか?」と言われた。すでに2時になっていたが予定があって戻らなければならないし無駄にしたくなかったので困っていたとのこと。早速、買い取っることにしたら喜んでもらえた。もう一枚はチケット売り場で購入、時間を聞いたら「Now」と言っていたので二人とも入れる。我々はゆっくり食事してから来たのでピークが過ぎ、空いていた時間帯だったのだろう。
いよいよ、入場口から入る、大理石の道が続く、古代ギリシャ人も歩いたのだろうが立派なアクロポリスにしては粗末な通路だ。まず、ブーレ門(280年頃、ローマ人によって建造)までのジズザグの道を登ると正面には柱が林立し行く手を塞ぐ感じだ。ガイドブックに書いてある通り左手からアゴラの一部(へーバイオトス神殿(内壁や柱がほぼ完全に残っている点で貴重な建物、パルテノン神殿完成間も無い頃に建造されたと見られる、5〜6世紀頃内部はキリスト教の礼拝堂に作り替えられトルコ支配下でほとんど改装されたが独立後、国立博物館が完成するまで博物館として使用された)、聖アポストリ教会(11世紀初期に建てられた、1957年原型に復して再建された))が見える、ただ、柵があってかなり手前からしか見ることができない。
前門には神殿や絵画館があったとのことなぜ、この入口にあるのかは分からない。全体の計画性が無いように思える、必要に応じて後から継ぎ足して行った感がある。
柱だけ残る前門(プロピュライア)を通るとパルテノン神殿が現れた。完全破壊からかろうじて逃れたエレクテイオンと共に寂しげにも、周囲を威圧するかのようにも見える。かってはアクロポリスには色々な神殿があったそれが前門と同様計画的に作られたものではなく必要に応じて建造された様だ。
工事用のクレーンや工事現場が残念だが仕方ない、クレーンを除いた状態を想像するしかない。林立するエンタシスの柱は迫力がある、どっしりと屋根の重みを支えびくともしない。国家安泰の願いと結びついているのかもしれない。梁や破風の彫刻(装飾)は剥ぎ取られ芯だけ残った、言わば屋根の重さを支える近代的な機能美を感じる。
向かいに立つエレクテイオンの大きな壁と少女スコーレ像の組み合わせは彫刻作品の展示場の様だ。近づくことはできないので遠くから見るだけだ。
アクロポリスはいたるところ工事中のため、近づくことはできなかったがアクロポリスの空間に立てたことを良しとしたい。博物館で見たパルテノン神殿の変遷が浮かんできた、石の塊になっていたかもしれないと思うと今、このように残っていることは奇跡的なことと思うべきだろう。
戦いに明け暮れていても、これだけの文化を育んだギリシャ人のことをもっと知りたいと思った。
アクロポリスを出て、坂を降りると音楽堂に出た。柵ごしにしか見られないが覗いた。コンサートに使われているとのこと、階段状のイスは新しく改修されていた。ここで音楽が聞けたらどの様に聞こえるのだろうか。遺跡を守るだけでなく活用することも必要だと思う。
来た道を引き返しシャトルバスの停留場へ戻る、先に数人待っていたので一安心、30分以上待ってようやくバスが来る。賑わうアテネ市内からピレウスのターミナルまで街を見ながら帰る。
地中海の島
家が見える
ピレウス港
着岸風景、クルーズ船が見える。
バス
アクロポリス博物館
アクロポリス博物館案内図
内部、中央は地下の埋蔵物が見えるようにガラス張りになっている。
こんな感じ、少し怖い。
階段を登って展示スペースへ向かう
丸柱が林立するパルテノン神殿をイメージさせる室内空間
2階から見た1階の展示スペース、柱が目立つ。
土器、形、文様が素晴らしい
抽象文様
形は現代と変わらない。
ハンドルも機能的
中央はオイルランプ
水差し、庶民用か?
オットセイ、猪、魚?
柄付き壺
注器、口の形状がモダン、口の位置が90度
大量に作られたオイルランプ、油を溜めて芯に火をつけて使う
大量の糸巻き、若い女性が結婚の守護神であるニンフの聖域に捧げたもの。 紀元前6〜5世紀
左、フィブラ(止め金具)?
量産された、庶民用か?
簡単な絵付けが施されている
人形、表現がモダン、用途は?日本の土偶に似ている。
紀元前550〜500年、座っているのはギンバイカを持つ女神、崇拝者の女がギンバイカの枝を差し出している。
三頭蛇体(破風彫刻の一部)
犬(首輪がついている)とライオン
牛?
巻き上げ機、当時の建築工法が分かる。
型を使って量産していた
、
金属製の工具(上は両刃斧、左は楔?、右は槌、床右は短剣)
パルテノン神殿の模型
パルテノン神殿正面
屋根の構造、梁は木材、その上に石の板を覆った
破風の浮彫りの再現モデル
守護神の座をかけてポセイドンとアテネが争っている場面、ポセイドンはアテネの人々に「塩水の噴水」を贈ると言ったのに対してアテネは「オリーブの木」を贈るといったところ、アテネを選んだという逸話があるそうです。(アクロポリス博物館)
アクロポリス博物館のテラスから見たパルテノン神殿
アクロポリスは高い崖に守られていることが分かる。
レストランのテラスで
テラスはレストランの一部になっている。これは「ブレークファースト」お勧め!料理がテーブルいっぱいになった。
アクロポリス入場門
案内看板
花がキレイだった。
ドーリア式柱が並ぶ前門(プロピュライア)左端の台座はアグリッパの記念碑、その右にあるのが絵画館(ピナコテーケ)
ローマ人が作った階段が途中まである。
展望台
エレクテイオンの全景
周囲は残骸の大理石
六体の少女像の柱(本物はアクロポリス博物館に所蔵されている)
パルテノン神殿の全景、大きい。
破風の彫刻、残骸(模作)だけが残る姿
残された馬の彫刻(模作)が素晴らしい。
(丸みがわかる)柱は近くで見ると迫力がある。
修復した状態が痛々しい
破壊され残された大理石の建材
アクロポリスからの眺め、リカヴィトスの丘が見える。
街の眺め
ヘローデス・アティコス音楽堂、アクロポリスからの眺め、下に見物する人が見える。
ヘローデス・アティコス音楽堂 (トイレの先にあります)
上部にアクロポリスから見ている人が見えます。
11月4日(土)ピレウス港出港2日目
7時30分、起床、地中海は波が高く船が揺れる。天気は薄曇り
11時30分、昼食
12時30分、帰室、原稿作成、記録、写真の整理など
14時、アウシュビッツ報告会ミーティング 6階イベントルーム1
内容が次の様になった
1 導入
2 ホロコーストとは
3 ユダヤ人とは
4 アウシュビッツとは
5 ポーランド1日目
・クリハラカズコ
ポーランド2日目
・ヨコタフミヒデ
まとめの感想
・ノハラココロ
・トキキョウコ
ポーランド3日目
・ユグチユキコ
・ユグチユキコ
・冨岡
絵本の読み聞かせ「灰色の朝」
締めの言葉
第59日目 リバプール港出航(2日目) 10月20日(金)
日の出:6:56 日の入:17:20
予定
・11:00〜12:00 わくわく寄港地 〜フランス&ポルトガル〜
・14:15〜15:45 ツアー説明会
8時、起床 眠く体が怠い
8時30分、朝食、ご飯、海苔、梅干し、味噌汁、スクランブルエッグ、野菜の煮付け、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、スイカ、紅茶
9時30分、帰室、 ル・アーブルの地図届く、
11時〜12時 わくわく寄港地〜ル・アーブル&ポルトガル〜
<フランス>
面積:54㎢
人口:6699万人
最高温度:14度 最低温度:11度
船から街中まで 徒歩30分、又はシャトルバス、タクシー
観光地
・mansion museum 暮らしの博物館
・NOMA 近代美術館
・ノートルダム カテドラル
・文化センター
・聖ヨセフ教会
<ポルトガル>
面積:9万㎢
人口:1027万人
最高温度:22度 最低温度:17度
観光地
・ジェロニモス修道院
・ベレンの塔
12時過ぎ、帰室、昼食後、イギリス編(グラスゴー、リバプール)まとめ作業
14時15分 「ポーランド・アウシュビッツ」ツアー説明会
1 行程
2 荷物
3 勉強会
4 自己紹介
5 質疑応答
参加者は13名
PB担当は冨岡(トミー) アシスタント:山口(通訳兼)
・事前準備と事後のまとめまでしっかりやりたい。
・現地での公式日本語ガイドは中谷たけしさんか日本語が上手なポーランド人になるか分からない(決定権は先方にあるため)
15時30分 帰室、カミさんは東北県人会の飲み会へ、私はまとめ
18時30分、カミさん帰ってくる、ビール1本とワインを飲んだとのこと、かなり酔っている。
19時、夕食、ご飯2杯、味噌汁、鶏肉と野菜の煮物、キャベツ、ニンジン、葡萄、紅茶
20時30分、帰室、部屋でゼリーを食べて薬を服用
第59日目 ル・アーブル着岸 10月21日(土)
8時45分、起床、波高くかなり揺れている、曇天まだ薄暗い、眠気とれず
9時、朝食、パン、バター、茹で卵、キャベツ、ニンジン、ヨーグルト、ママレード、コーヒー牛乳、お茶を飲みながらアウシュビッツについて人間の残酷性について話し合う。Kさん、Mさんを発見、Kさんは風邪をひいたとのこと。スケッチの写真を見せる。
10時、帰室、記録の整理。見直しは必要だがようやく終わった。次は写真の整理が残っている。
12時、陸地が見えてきた、カミさんがデッキへ出る、雨は降っていないが風が強いとのこと。
昼食に行く、パン、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、同席していたおじいさん(昭和16年生まれ、愛知県)から話しかけられ疎開、名古屋の空襲、日本人の信仰、キリスト教、旧約聖書、ユダヤ人、等々懇談する。カミさんは深りしていく、キリがない感じになって来たので部屋に戻るように仕向ける。
14時、帰室、上陸許可が出た旨の放送がある。しばらく様子を見ることにした。
15時、下船しターミナルでシャトルバスの切符を買う。(港からオークド・ペレー広場とドックボーヴァン・ショッピングモールを回わる周遊券。代金は2,000円)雨の中をバスは出発、曲がることが多いので方向感覚が無くなる。
雨が降っていることもあってドックボーヴァン・ショッピングモールに入る。イギリス、リバプールと同様、造船用のドックと倉庫をショッピングモールに作り替えたようだ。入口で荷物(リュック、バック)検査があった。テロを警戒しているのだろう。
天井が高く、左右に店舗が並び中央は幅の広い通路になっている。通路にはカフェやチョコレートなどを販売する小さな店舗もある。天井が高いので商店街を歩いている感じ、室内を感じさせない。店舗は皆、白を基調に綺麗で明るい。
通路の中央部でチャリティーイベントを行っていた。何のキャラクターか着ぐるみで子供たちと写真を撮っている。子供がカゴにお金を入れて着ぐるみに抱きつく姿を親が写真を撮る、そしてお菓子をもらうだけだが子供はニコニコして嬉しそうだったのが印象的だった。
雑貨屋さん「muy mucho」があったので覗いてみる、リバプールの繁華街で見た店と似ている。商品構成も同じようだ、ここで鉄器の急須を発見、中国製だった、値段は40ユーロ、口とつまみの形はダサいが品質は良い。パステルカラーの陶器のカップがあったので我々用の記念品として購入、カミさんは孫とひ孫の為にとクリスマスの飾り3個入りを2セット買う。レジで2セットの価格で3セット買えると教えてくれたので当然3セット購入。
カミさんがトイレに入りたいとのことでショッピングモール内を探すと何と1ヶ所だった。女用はかなり並んでいる、男用は行列はなく、空いていた。トイレは男女とも綺麗だったが当然、ウオシュレットではない。
シャトルバスの最終時間もあったのでバス乗り場を探す、外は雨と台風並みの強い風、傘は役に立たない、カミさんは雨ガッパ、私はジャンバー姿で歩く。濡れても何ともならない。このままバス乗り場が見つからなかったらと心配になる。地図に書いてもらった場所に向かったが違っていた、結局大回りしてバス乗り場に到着、ピースボートの乗客も近くにいたので安心する。
間も無くバスが到着、結構大勢いたが乗れた、皆さんこの雨と風で苦労したようだ。ターミナルでは厳しい荷物検査(金属の金具が付いたベルト、時計、財布、硬貨、リュック、ポーチはX線にかける)があった。
5時、部屋に戻り私はジーパンが濡れていたのでシャワーを浴びる、やっと一息ついた感じ。
7時、14階で夕食、ふりかけご飯2杯、味噌汁、竹輪の天ぷら、鶏肉の煮物、野菜カレー、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、葡萄。少し食欲が出てきた。
8時、帰室、
9時、カミさんは借りたお金(アイスランドのコーヒー代金)を返すために電話したが留守だった。
9時30分、レセプションから電話、帽子を拾ったとのこと。名前を書いていたので落とし主がわかったのだろう。ただ、どこで落としたか全く心当たりはない。今、カミさんがレセプションから帽子を持ってきた。カミさんはあまり喜んでいない、もう寿命だし、あまりにも爺さんくさいからだそうだ。
第60日目 ル・アーブル(2日目 出航) 10月22日(日)
日の出:8:31 日の入:18:56
16時帰船リミット
予定 教会訪問
8時、船内放送で目が覚める。いつもの様に2時ごろまで眠れず、うとうとしただけなので眠い。外はまだ暗く、埠頭を見ると外出する乗客がちらほら見える、シャトルバスも待機していた。皆、元気だ、カミさんは昨日眠れなかったので今日の外出は止めたいと言う。オーバランドツアー(ポーランド・アウシュビッツ)を考えて、今日は私だけにする。
8時30分、朝食、パン、茹で卵、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳、
9時過ぎ、帰室、外出の準備
10時、下船、窓から見送ってくれるかと思ったがそれはなかった。シャトルバスに乗り込み街へ、向かう、ほぼ、満席。ゆっくり外の景色を楽しむ。
10時30分、オーグスト・ペレー広場で下車、まず、聖ヨセフ教会を目指す。途中、ピースボートの老人グループ(男1、女4)と一緒になる、リーダー格の男性から「女ばかりでうるさいでしょう!」と声をかけられた。途中、通りで開催中のマルシェを発見、今日は日曜日なので開催されているのだろう。沢山テントが並んで賑わっている、帰りに寄ることにして先を急ぐ。
教会は直ぐだった、コンクリート造りの巨大な建物だ、多分、ドイツ空軍の空襲で焼けたので戦後、コンクリートで再建したのだろう。ゴシックやロマネスク建築と比べたら趣は無いが止むを得ないのだろう。ただ、数百年経ってこの建築はどう評価されるのだろうか?とも考えた。
鐘が鳴っている、ミサが始まるようだ。聖堂に入ると天に届けとばかり天井が高い、周囲はモダンなデザインのステンドグラスで飾られている。コンクリートの打ち出しとステンドクラスの組み合わせは上手く行っている様に思えた。祭壇は低い天井があり信徒の席が円筒形の巨大な空間になっている。陽が当たると、薄暗い聖堂にステンドグラスの光の筋が現れる。
写真を撮って席に座る。やがて入祭の歌と共に入口から司祭と蝋燭を持った侍者二人が現れ、ミサが始まった。祭壇の左に進行役の席があり右に朗読台がある。音響が素晴らしい、こんな巨大な空間でも音はしっかり聞き取れる(何を言っているのかは分からないが)聞き取りにくい四ツ家教会も何とかなることが分かった。ミサは日本と同じだった、第一朗読、第二朗読、福音書朗読、説教、共同祈願、平和の挨拶など。平和の挨拶で私は手を合わせてお辞儀した、相手も同様にして返してくれた。
献金は踏ん張って5ユーロ出した。聖体拝領ではカミさんの分として半分残した(許してくれるでしょう!)ミサが終わり、出口で司祭に頼んで写真を撮った。
来た道を戻り、マルシェを見物、沢山の露店と買い物客で賑わっていた、野菜、チーズ、パン、衣類(セーター、ジーンズ、シャツ、帽子、など)、靴、カーペット、金物、雑貨、花、石鹸、絵、アンチークの陶器、食べ物など。ハサミが無くなったので金物屋から購入2.5€。カミさんがいたら喜んだろうに残念でした。
もう一度、シャトルバスが停まる広場に出てノートルダム教会を目指す。日曜のためか休業している商店街を歩く、人通りも少ない、少し心配になった時に突然教会が現れた。ノートルダム教会だ、石造りで伝統的な様式を踏襲いる。小ぶりであまり目立たない。中に入ると天井にネットが張られていた、多分修理中なのだろう。ミサの気配がないので帰ることにする。
教会を出ると奥にコンテナで作ったオブジェが見えてくる、更にその奥にパシフィック・ワールド号の姿も見えた。
写真を撮って来た道を引き返す、商店街で1軒だけ店を開けていた食品店があったので入る、ハム、ソーセージ、ワイン、果物を売っている、船で飲むワインを買う、言葉が通じなかったが「ボルドー」と言って進めてくれた赤ワイン(15€?)を購入した。そのまま渡されたのでワインを片手にぶらぶら歩きオーグスト・ペレー広場に到着、そのまま帰る事にする。
バスを待っている間、公園の一角にあったキオスクでカミさんへのお土産としてホットドックを買う。しばらく待ってシャトルバスが到着、大勢乗ったが次の停車場ドック・ボーバン・ショッピングセンターでほとんど降りる、代わって同じ程度の人が乗り込んできた。
波止場に到着、IDカードのチェックがある。ターミナルではベルト、財布、硬貨、カメラ、時計など金属製のものはX線検査をする。
14時、帰室、カミさんは聖書を読んでいた。ミサでいただいたご聖体の半分をカミさんに渡した。お腹が空いたので昼食を取ることにする。
昼食、お土産のホットドック半分づつ、レタス、キャベツ、ニンジン、味噌汁、オレンジ、コーヒー牛乳。撮ってきた写真を見せ今日の報告をする。カミさんがパンを沢山持っている人(女性)に「美味しそうですね!」話しかけたら「お土産に持参したけどフランス人にとってパンはおにぎりの様なものだからやめた」「もらってくれると嬉しい」と言われ遠慮なく1個頂く。
15時、帰室、カミさんは寝る、私は記録の整理。
17時、出航準備の音が聞こえる。
気づいたこと
・中年のコジキがいた、奇声を上げていた。
・日曜日休みの商店街があること。
ドックボーヴァン・ショッピングモール
ピースのサインをしてくれた愛想の良いオジサン
中国製急須があった。南部鉄器の模倣品だが品質は良い。
船の模型の展示会が開催されていた。
細部までよく出来ている。
漁船?
タイタニック号は人気があった。
<10月22日>
シャトルバス乗り場、二組ともピースボートの乗客
聖ヨセフ教会を目指す。途中、ピースボートの乗客グループ(男1、女4)と一緒になる。
聖ヨセフ教会、コンクリート製の外観はあまり趣が無い。
聖堂の空間、ステンドグラスが無機質な空間を救っている。
祭壇
広場で開催されていたマルシェ、地元の人とピースボートの乗客でいっぱいだった。
マルシェ風景
果物屋、見るだけでも楽しい。
果物屋
西インドの惣菜屋さん
絵も売っていた
肉屋さん
風船屋さん
ノートルダム教会
祭壇、聖ヨセフ教会よりカトリック教会らしさを感じる。
オブジェ(コンテナで造られた)とパシフィック・ワールド号
不動産屋のチラシ 32万ユーロ(5,000万円)
出航風景 コンテナオブジェや遠方に聖ヨセフ教会(左)が見える。
さようならル・アーブル
大腸ポリープ切除、大腸検査を数回体験していますが辛い思いをしたのでもっと楽にできる方法を探していました。結論を先に言えば胃も大腸も一緒に検査でき「楽だった」の一言です。
個人的な検査体験です、役に立てれば幸いです。
<前日> 1 消化が良い食事を7時までに取る。
2 下剤を8時に内服
*検査食、クリアスルーを薬局で購入できる。3食セット 1,430円 税込
<当日> 1 朝は何も食べない(水、お茶、透明なジュースなどは少量飲むのは可)
2 ガスチモン錠を内服、タクシーで病院へ向かう。
3 11時15分前に病院へ、受付を済ませ待合室で待機
4 11時、検査室へ移動、検査について看護師から説明、トイレ付きの小さな個室を与えられる
5 腸管洗浄剤 250cc を15分で飲み 続いて 同様に2杯目を飲む。
その後、水250ccを15分かけて飲む。この繰り返しとなる。
*便(固体の有無、色)を観察する
固体が無くなり、赤ぽい色から黄色、そして薄い黄色になれば下剤服用は終了
(看護師さんが目視で2回確認する)
私は3回(洗浄剤250cc×6、水250×3)繰り返した状態で終了。
*洗浄剤は私にとっては苦手、飲みにくいと言うより気持ち悪くなる。
今回、飲む量を普通に口に含む程度の量にして「美味い」と心の中で叫んで飲んでみたら
意外と楽に飲めた。チビチビ飲むと返って気持ち悪くなることが確認できた。
6 専用パンツに着替えて内視鏡検査室移動
7 鎮痛剤投与のチューブを血管に取り付ける
8 検査台にのり胃内粘液溶解除去剤、胃腸官内のガスの腹部状態の改善のための飲み薬を
服用、苦い
9 最後にスプレーで内視鏡時の胃運動の抑制薬を散布、気持ち悪い
10 マウスピースを咥えると同時に鎮痛剤を投与、直ちに意識を失う。
11 名前を呼ばれ、意識が戻ったら終わっていた。
12 2時間安静にする、点滴をしながら血圧、酸素量を定期的に検査
13 点滴が終わり着替えて待合室へ移動
14 先生から結果の報告を受ける、幸い、心配していた大腸ポリープは無いとのこと
ただし、胃は慢性胃炎と診断された。良かった!
(検査後の注意)
・当日は自宅で安静にする
・翌日から日常生活、仕事はOK
・1週間は重いものを持つ仕事、腹に力をかける運動は避ける
・消化の良いものを食べる(辛いもの、消化に悪いものは避ける)
・術後1週間は禁酒
・術後2日間はシャワーとする
(診療費)32,360円 *3割負担
ドクターも看護師さんも優しく快適な検査ができ感謝です。
内視鏡が苦手な方、是非一考してみて下さい。
6月19日に妻の友達4人で雫石にある美味しいと評判の十割そばしんざんに行って来ました。
開店20分前に着いたのですが予約は4組目でした。
開店前ですが既に数グループが待っていました。同行の人が土日は1時間はまたなけれなならないと言っていました。きれいな庭を通ってお店に向かいます。
迷いましたが結局、全員日替わりでした。半そば、雑穀ご飯、竹の子、アスパラの肉巻き焼き
かぼちゃ の鶏肉そぼろあんかけ 揚げなすの煮ひたし 紫大根の甘酢 ささげ豆の甘煮
デザート コーヒー と盛り沢山でした。そばも他の料理も大変美味しく満足しました。
オーナーのご主人の趣味でポニーを2頭飼っていました。