「家の近くに老人ホーム、介護施設が出来たから、気候の良い日など、車がほとんど通らないあの道を、年寄りが散歩でもするかと思っていたら、誰一人として外に出てくる年寄りがいない。いったんあそこに入ったら、二度と外には出てこないのか・・・?」
介護施設に入って上げ膳据え膳、狭い部屋にこもりっきりになり、リハビリや作られた娯楽はあるだろうが、家で過ごすよりも遙かに行動範囲が狭まり老化を早める。さらに、施設では安全をたてまえに新鮮な鮮魚、お刺身などはほとんど食べさせてもらえない。その結果、血管系の病気や認知症になりやすくなり寿命を縮める。
孫を連れて、危険のない川や池でヘラブナ釣り♪
ひと昔前、ごく普通に見られた日常の光景・・・
もっと高齢になり、魚釣りには出かけられなくなり、外出が億劫になったとしても、両親が帰ってくるまでの間、孫たちと一緒におじいちゃんおばあちゃん、家で楽しくお留守番♪ 子供だけ、年寄りだけで過ごすより遙かに安全であるし、親では伝えられない、年寄りならではの孫達に伝えるべきお話や心があるだろう。
社会のベクトルが核家族に振れ、子供も孤独、年寄りも孤独になった挙げ句、託児や介護の社会保障費は無限大に膨らみ、国家財政を圧迫。このままだと日本は保たないことは、専門家でなくても容易に推測できる。
核家族化に振れたには様々な原因があるが、昭和40年代後半からしきりと垂れ流された嫁いびりの昼ドラ番組なども大きく影響した。夏休み明けに小学校の担任の先生が、
「夏休みはどこに行きましたか?」
などと聞いたのも、夏休みにどこかに旅行に行かないと非国民になる的な圧力となった。特に地方の田舎などは、家でおじいちゃんおばあちゃんと楽しく過ごした夏休みもあったはずだ。
このような社会風潮の中でも、お盆には親戚一同集まり、お互いの無事を確認、困りごとがあればそれを相談する等の普通のことをしてきた、時代に流されなかった一族もあり、当然のことながらそれらは堅実に繁栄している。
核家族化に向いたベクトルを大家族に振ることも、日本再生に向けた重要政策のひとつのはずだが、今現在の霞ヶ関や永田町はそれに気がついているだろうか・・・
ROWAN文芸部
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