「言挙げ」(ことあげ)という言葉がある。意味は「言葉にして、
おおっぴらに言うこと」である。一昔の日本では言挙げはよい行いと
されていなかった。むしろ、日本は「あれこれとことばで言い争わな
い平穏な国」であった。
先般、書店のビジネス書コーナーへ立ち寄ってみたら、あるわある
わ、「ディベート」の「How to」本が。今や小学生向けにもディベー
トの教材が出版されている。その教材ではディベートの意味を「英語
で『討論する』意味で、私たち大人の日本人がこれまで慣れていない
不得意とする思考方法です」と説明している。
う~む、「わたしも『私たち大人』の一人だな」としんみりと思い
つつ、あれこれと考えてみた。わたしの場合、「ディベート」の前に
まず「わかりやすいプレゼンテーション」を常に心がけなければなら
ない。今の職業がら、それは必須事項なのだ。
先の教材によると、ディベートをするコツがあるのだそうだ。
1.事前に情報を収集しておく。
2.物事を筋道立てて考え、相手の反論を事前に予測しておく。
3.相手の意見が矛盾していないか、しっかりと聞く。
相手の言論に対して、見事に「切り返す」ことができる人がいる。
それも相手を追い込むのではなく、逃げ場を与えながら。そのような
人は、もって生まれたキャラクターやセンスだけではなく、普段から
トレーニングという地道な努力を重ねつつ、「自己思考」をフル稼働
させているのだなとあらためて思うのである。
おおっぴらに言うこと」である。一昔の日本では言挙げはよい行いと
されていなかった。むしろ、日本は「あれこれとことばで言い争わな
い平穏な国」であった。
先般、書店のビジネス書コーナーへ立ち寄ってみたら、あるわある
わ、「ディベート」の「How to」本が。今や小学生向けにもディベー
トの教材が出版されている。その教材ではディベートの意味を「英語
で『討論する』意味で、私たち大人の日本人がこれまで慣れていない
不得意とする思考方法です」と説明している。
う~む、「わたしも『私たち大人』の一人だな」としんみりと思い
つつ、あれこれと考えてみた。わたしの場合、「ディベート」の前に
まず「わかりやすいプレゼンテーション」を常に心がけなければなら
ない。今の職業がら、それは必須事項なのだ。
先の教材によると、ディベートをするコツがあるのだそうだ。
1.事前に情報を収集しておく。
2.物事を筋道立てて考え、相手の反論を事前に予測しておく。
3.相手の意見が矛盾していないか、しっかりと聞く。
相手の言論に対して、見事に「切り返す」ことができる人がいる。
それも相手を追い込むのではなく、逃げ場を与えながら。そのような
人は、もって生まれたキャラクターやセンスだけではなく、普段から
トレーニングという地道な努力を重ねつつ、「自己思考」をフル稼働
させているのだなとあらためて思うのである。
久しぶりにこの言葉に接しました。
かつて小生も書店のビジネス書コーナーでディベートの
本に接して購入したものです。ご記憶にあるかと
思いますが、今から10年ちょっと前にオウム事件で
上○幹部が「ああ言えば上○」と揶揄されるほど
能弁で、それは彼がディベート技術を磨いたからだと
言われた(ディベートまがいとの異説あり)のを
機縁として、好奇心から本を一読してみたものでした。
もちろん上○のマネをするつもりなど毛頭ありませんが、
相手の話の土台の瑕疵を突く重要性については目から
ウロコが落ちる思いだったのを覚えています。
○祐幹部ですか~。
10年ちょっと前の事件を思い出しました。
最近視点・論点がかみあわない議論に
よく出くわします。ほんとうに疲れますね。
もう相手のハナシを聞こうともしないんです。
だからディベートにもならないのですよ。
こういうのってけっこう多くないですか♪