【写真:空はもう春の様相@横浜市鶴見区 2013年03月14日16時30分撮影】
★この写真はイメージです。
卒業式のシーズンです。「学生時代は遠くなりにけり」という方々
にとっては「懐かしい思い出」としてその頃のことを思い出している
ことでしょう。
私自身、高校時代のことについては、某SNS のグループに参加して
おり、ときたまその話題になることがあります。さらに遡って中学校
時代や小学校時代については、mixiのコミュニティを通して情報を得
ていますが、さすがに私と同年代の方々と遭遇することは、めったに
なくなりました。
みなさま、学生時代の思い出としてまず思い出されるのは、どのよ
うなことですか。親友、友達、クラブ活動、修学旅行…。話題は尽き
ませんね。一晩明かして話をしたいくらいでしょう。「誰か、オレの
(わたしの)ハナシを聞いてくれっ」てな感じで。まあ、いろいろと
ありますが、今回は中学校時代の先生のハナシを取り上げます。
私の場合、東京都練馬区のO第二中学校で3年間を過ごしました。
まず想い出されるのは、ご縁があって、3年間ずっと担任でいらした
Y先生。音楽の先生ですが、ユニークな方でした。つなぎを着てハー
プシコードを制作していたり、「中学校の時代、男の子は変声期だか
ら、歌はいっさい歌わせない」という「教育方針?」で三年間ずっと
リコーダを教えていただきました。
体育の先生では、「対決学習だ」というスローガンのもと、生徒に
熱く接していたU先生。風貌は、ボサボサ頭の黒ブチ眼鏡。おなかが
ボヨンと出ていて、ちょうどカンニングの竹山と芋洗坂係長を足して
2で割ったような感じ。いつもジャージを愛用していました。でも、
その温かさが忘れられないんですよねぇ。また、同様にO先生という
タモリ風の先生。バレーボールの授業で「パッシング・ザ・センター
ライン」という反則を「パッシング・センター・ザ・ライン」と繰り
返し熱弁されていたのが印象的でした。期末テストで「パッシング・
ザ・センターライン」と記述すると、×をくらったりしました。教師
の言うことは絶対ですからね。6月から10月になるまでは、3年間
いつも水泳の授業だったのもユニーク。朝っぱらから「おまえら、50
mを10本!」とのたまいます。たったそれだけ。今思えば、教育要綱
などまったく無視していたように思えてきます。でも、やはり温かい
んですよね。これが。
英語のS先生。質問に答えられなかったり、誤答すると、“On the
floor ”の指令とともに、生徒は床に正座させられます。今だと「体
罰」になってしまうのでしょうか。当時はまったく気になりませんで
したが…ね。
入れ歯という噂がたち「小円遊」と名付けられていた国語のW先生。
中野坂上から自転車で通勤していたという社会のS先生。ツッパリ軍
団が騒いでいる中(といってもカワイイレベルでしたが)黙々と授業
を進めていた数学のK先生…。思い出は尽きません。
最後に。冒頭にご紹介した音楽のY先生。実は卒業式の日に、ツッ
パリ軍団の一人が酒を飲んでしまったのか、式の前に教室でぐったり
してしまいました。Y先生がそいつを抱き上げて、「お前、しっかり
しろ! こんなところで、くたばっちまったらダメだ!! まだ先は
長いんだぞ!!!」と必死に介抱していた姿が忘れられません。女子
生徒も涙ぐんでいました。そんな光景…。とかく「関わりたくない」
とか、「生徒が悪い」と責任を逃れようとする風潮(企業でも同様)
の中、Y先生のとった行動は、その後の私の人生(大袈裟ですが)に
少なからず影響を与えていると思っています。本当に最後の最後まで
学ばせていただきました。Y先生、本当にありがとう!
HERE
↑If this article is quite good, will you please click?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます