本日は、ザ・タイガースの「シー・シー・シー」をご紹介します。
1971年 1月24日。44年前の昨日のこと、タイガースのファンの方で
あれば、それは特別な日として記憶に刻まれていることかと思います。
その日の「ビューティフル・コンサート」をもって、グループは解散
しました。GSブームの雄と言われたザ・タイガース。多くのグルー
プが解散間際には人気を落としていたのに対し、タイガースは最後の
最後まで、いや、それ以降でも根強い人気が残っています。
当時私は小学校中学年。リアルタイムでその凄さを感じていました。
しかし、もちろん解散に至るそのあたりの事情については知るよしも
ありませんでした。ただ、1969年春の「トッポ脱退事件」の後、タイ
ガースが変わってしまった感を幼心に抱いていました。余談ですが、
トッポの事件は、オックスの赤松愛さんが「ジョン・レノンに会いに
行く」という迷言を残しイギリスに行ってしまった事件に、勝るとも
劣らぬインパクトがありました。
ザ・タイガースの偉業は、1968年12月にリリースされたアルバム、
『ヒューマン・ルネッサンス』で語られることが多いようです。その
あたりが、グループにとって確かにピークだったのかもしれません。
「シー・シー・シー」はそのピーク直前にリリースされたロック色の
強い曲です。その後の「廃墟の鳩」、「青い鳥」、そして「風は知ら
ない」の流れを見ると、この曲を演じている1968年夏から秋にかけて
タイガースの音楽の分岐点があったのではないでしょうか。
それでは、お聴きください。「シー・シー・シー」。
HERE
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1971年 1月24日。44年前の昨日のこと、タイガースのファンの方で
あれば、それは特別な日として記憶に刻まれていることかと思います。
その日の「ビューティフル・コンサート」をもって、グループは解散
しました。GSブームの雄と言われたザ・タイガース。多くのグルー
プが解散間際には人気を落としていたのに対し、タイガースは最後の
最後まで、いや、それ以降でも根強い人気が残っています。
当時私は小学校中学年。リアルタイムでその凄さを感じていました。
しかし、もちろん解散に至るそのあたりの事情については知るよしも
ありませんでした。ただ、1969年春の「トッポ脱退事件」の後、タイ
ガースが変わってしまった感を幼心に抱いていました。余談ですが、
トッポの事件は、オックスの赤松愛さんが「ジョン・レノンに会いに
行く」という迷言を残しイギリスに行ってしまった事件に、勝るとも
劣らぬインパクトがありました。
ザ・タイガースの偉業は、1968年12月にリリースされたアルバム、
『ヒューマン・ルネッサンス』で語られることが多いようです。その
あたりが、グループにとって確かにピークだったのかもしれません。
「シー・シー・シー」はそのピーク直前にリリースされたロック色の
強い曲です。その後の「廃墟の鳩」、「青い鳥」、そして「風は知ら
ない」の流れを見ると、この曲を演じている1968年夏から秋にかけて
タイガースの音楽の分岐点があったのではないでしょうか。
それでは、お聴きください。「シー・シー・シー」。
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