【ボウリング・ゲーム】
中山律子プロがテレビ中継でパーフェクト・ゲームを達成した1970
年、日本国内でボウリング・ブームが沸き起こりました。そのころ、
小学生だったわたしは、友人と3人で「こっそりと」ボウリング場に
行ったため、後日担任の先生に呼び出されてこっぴどくお説教をされ
ました。当時のボウリング場は、現在と違って「健全なイメージ」が
やや不足していたのでしょうか。小学生にとって、親と同伴でないと
行ってはいけない場所のようでした。
失意(?)のわたしは、そこでボウリング・ゲームを購入し楽しむ
ことにしました。ちょうど、「人生ゲーム」が流行し始めた頃です。
ボウリング・ゲームは玩具メーカーが挙って製造していましたが、
わたしが手に入れたのは、冒頭の画像のようなシロモノです。ピンを
セットするメカニズムが妙に子ども心の琴線に触れ、病み付きになり
ました。テレビでプロボウラーが投げているような「フック・ボール」
効果が出せる機能(プロジェクタの高さを調整するような仕組み)が
備わっており、野球盤の「消える魔球」と勝るとも劣らぬ人気を博し
ていました。この小さなレーンを近所の連中数名が取り囲み、来る日
も来る日も勝敗を競っていたのです。
そのうち、1台(1レーン)では満足できないようになりました。
テレビの試合では2レーンを使ってボウラーが左右のレーンを交互に
投球していましたが、それを見て
よし、2台でやろう!
アメリカンだ!!
と友人を騙し同じボウリング・ゲームを購入させ、わけのわからない
勢いでアメリカンを実現してしまったのです。
さらに、こだわりは止まりません。
ボウリングってレーンにアブラがしいてあるんだぜ。
・・・。そうです。オイルをゲームのレーンの上に塗ってしまうまで
エスカレートしてしまいます。但し小学生にオイルが簡単に手に入る
はずもなく、台所の「サラダオイル」を母親の目を盗んで拝借しヌリ
ヌリしたのです。その影響でしょうか、ボールが黒ずんできました。
サラダオイルの成分と、なにやら化学反応でも起こしたのでしょうか。
サビサビになったボールは、レーンの上を思うように転がりません。
最後は「サイコロ」かなにかで代用していた記憶があります。
今では、パソコンでボウリング・ゲームを楽しめる時代が到来しま
した。しかし、1970年当時の「メカ的なボウリング・ゲーム」にノス
タルジーを感じるのです。
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しかし当時はちょっとした事で補導されたりしましたよね。親が呼び出されたり、見せしめに正座させられたり坊主にされたり。。。
今は昼夜を問わず若年層がいたる場所に溢れてます。果たして現在が自由なのか、それとも何も苦言を言えない親世代が不甲斐無いのか。
コメントを拝読し、ちょっとだけ「昭和」を感じました。
「昭和」という時代。わたしは大好きです。
それは単純に「郷愁を感じる」
というだけではないような気がします。
今思えば、不便で理不尽なこともあったのかもしれません。
しかし、当時はそれが不便だったり理不尽だとは
これっぽっちも思いませんでした。
我々が生まれ、当時を懸命に生きぬき、未来を夢見た。。。そんな時代だったですね。
昭和は遠くなりにけり・・・。
しかし
様々な「昭和」を伝えていきたいと思います。