【写真:JR稚内駅を北方から臨む 2012年09月26日22時04分撮影】
稚内。
北海道内に「第二の故郷」と呼ぶべき場所がいくつかあるのだが、
この地はその一つ。初めて訪れてから28年が経過している。
2002年の大火災でいくつかの思い出が消失し、計り知れない衝撃を
受けた。街は見事に復興を遂げていると同時に、ここに来てそれ以上
の衝撃を受けたのである。
JR稚内駅
鉄道ファンであれば、数年前までのあの駅舎の風貌と周辺の様子を
ご存知であろう。ところが、それが一変してしまったのだ。
JR稚内駅を北西方面から臨む
なんと、小奇麗になったことであろうか。なんでも道の駅を併設し
ているとのことで、夜間でもフルオープンである。上の画像の左手前
に立地していた西條デパートは、移転していた。ピッカピカの駅舎に
入り、しばし探索してみよう。
1面1線のホーム
「この線路がずっと東京まで続いているのだ」と思うと感激する。
以前は「1面2線」のホームだったが、ホーム片側には柵が施され、
「1面1線」のホームに変身している。ターミナル駅であるのにこれ
でダイヤは捌けるのだろうか。
時刻表(→拡大版はこちら)
なるほど。この発着状況であれば。しかし、疑問が残る。時刻表を
あらためてご覧いただきたい。札幌を発ち22時47分に到着する「スー
パー宗谷3号」は、翌日の 7時10分発の「スーパー宗谷2号」として
折り返し札幌へ向かうはずだ。その間は深夜で、他の発着が無いこと
からこのホームに留まっているのだろうか。そうであると、翌朝 6時
24分発の普通名寄行きの電車がホームに入線できない。「スーパー宗
谷」の車両は、いったいどこで待避しているのだろうか。なんだか、
西村京太郎氏の鉄道ものの推理小説のようだ。きっと、ひとつ手前の
南稚内駅あたりの引き上げ線に待避させていると推測する。この点、
鉄道に詳しい方、アドバイスを。
「日本最北端の駅」の碑
そんなことはさておき。ホームから改札口への通路はひとつだけ。
その出入り口に「日本最北端の碑」が設置されている。
改札口への通路
改札口への通路の横に「東京からつながっている線路」は車止めに
より寸断されている。「ああ、ここが日本最北端の地点なんだな」と
一瞬思う。しかし「JRさん、やりますな!」とばかり、粋な計らい
がそこにあった。涙ものである。
JR稚内駅構内
この画像をよく見ていただきたい。改札口通路から駅の構内に出た
ところである。画像の真ん中から右下に向って二本の線が出ている。
「これって、もしかして…」。そう、レールのダミーなのだ。そして
この線を辿りながら駅構外に出てみると…。
真の車止め
これである。きっと、旧い駅舎を建て直す際にこの「思い出の地点」
を撤去せずに残したのだろう。誰の計らいなのだろう。素晴らしい。
そして、その感激はさらに続く。
遊歩道に続く「擬似レール」
駅の北側にある駐車場横の遊歩道にまで、擬似レールが伸びていた
のだ。そして、遊歩道の終わりでそれは自然消滅していた。
この先、しおさいプロムナードや防波堤ドーム、そして、フェリー
乗り場まで続いていったら…。一瞬そういう思いが胸を去来した。
「線路は続くよ どこまでも♪」
こうして、なんとなくノスタルジーな気分満載で、近所の居酒屋で
くつろぐのであった。
「男山・最北航路」
稚内の夜は今日も更けていく…。
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ノスタルジーがありますね。それでも待合室のKIOSKが現在では
閉鎖されたりして、合理化・省力化の流れを感じさせます。
南稚内駅は日本最北端の跨線橋が有る駅・列車交換が出来る駅で、
駅の北側に滞留線も有ります。ここで「滞泊」できるわけです。
……おっ、辛口の「男山」登場ですね。
北海道の地酒だと「北の誉」がライト感覚で好きなのですが、
この「男山」もまた代表的な地酒だと思います。
やった~!
mensurazoirri さんのお墨付きをいただきました。
ありがとうございます。
余談ですが、最近廃線跡を訪れるようになりました。
「天北線」がメインですが、「美幸線」や「羽幌線」にも
手を出そうかと目論んでいます。
「男山」。稚内に来るとなぜか生ビールよりも
日本酒が欲しくなるのですね。これ不思議。
初めて乗ったのが昭和60年、浜頓別で降りてクッチャロ湖へ行きました。
当時の学生らしく「北海道ワイド周遊券(学割)」で行きましたね。
廃線跡の探訪はrubber_soul_jp 様のようにクルマでの来訪がベストです。
貴ブログ上で現地で撮影された写真を拝見できれば、と思います。
古くは美幸線の仁宇布界隈を探索しました。
いつも車で通り過ごしていますが
リタイヤ後、いつも通り過ごしていた廃線跡を
じっくりトレースしてみたいと思っています。
士幌線や標津線なんか、惹かれますね。
車止めの先も線路のモニュメントが伸びているとのことですが、
過去、戦前、稚内~大泊(現コルサコフ)を結ぶ、鉄道省の稚泊連絡船が営業していた頃は
稚内駅のさらに北のはずれ、防波堤ドームのところに「稚内桟橋」という連絡船の待合室もかねた駅があって
そこが終着駅。連絡船に接続するようになってました。
昭和後期ぐらいまで、防波堤ドームの突端手前くらいに
SLが保存されていたのを覚えてらっしゃると思いますが
まさに駅跡に保存されていたわけです。
今ではそのSLも波風にさらされたため痛みが激しく
動輪だけのモニュメントになってしまいました。
こうなると、樺太まで行きたくなるこの頃…。