【1966年 5月 3日『讀賣新聞』より】<拡大してみる>
来日40周年にちなむ「フィーバー」がそろそろお開きとなる今日
この頃。満を持して(ウソ)、情報提供を。
1966年 5月 3日、讀賣新聞に「待望の日程決まる」のタイトルで、
社告が掲載された。冒頭の写真をご参照いただきたい。
コメントは不要。写真が当時のフィーバーぶりを物語っている。
【プログラム】
【プログラム】がすごいことになっている。この中で、演奏された
曲目が「アイ・フイール・フアイン」「ベイビーズ・イン・ブラツク」
(原文まま)というのは情報入手手段が乏しかった当時では、仕方が
なかったことであろう。しかし、当時はまだカタカナ表記が統一され
ていなかったのだろうか。今日であれば「アイ・フィール・ファイン」
「ベイビーズ・イン・ブラック」だ。
それにしても「ラブ・ミー・ドー」とは・・・。
よい時代だ。
時代を感じさせますねぇ。
単なる誤植ということでもないんですよね。
天下の読売新聞ですから、そんなことはないか。当時はこれが当たり前なんですかね。
とある海の家のメニューよりはマシですよ♪
ビルー
コラー
ジュスー
サイーダ
ラメーン
スプー
いやいや、なんだかほのぼのするいい時代ですねー。
ビートルズと、当時の日本の外国文化&音楽事情を考えると
そのギャップをいつもうまく消化できなくなってしまいます。w
とある海の家もなんだか異国情緒あって(笑)いい感じですー♪
1966年の日本(東京)って・・・
なんだかとても興味があります♪
確かにゆったりした「いい時代」ですね。
「曲目に一部予定通り演奏する曲があるかも
しれません。」ですなぁこりゃ。
この頃の東京って・・・
・信号機にはシマシマのボードがついていて
・街には都電が走り
・街のあちこちから国会議事堂や東京タワーが見え
・道路にはおじさんがリヤカーをひき
・勝鬨橋が開閉し
・両国駅からは蒸気機関車が房総方面へ発着していた
そんな時代だったんですね♪