ボウリングはメンタルな競技とよく言われる。私の場合、それは2
投め、すなわち残りピンをカバーする際に顕著に表れる。なんとなく
自信が無いときは、それがスイングの弱さに現れる。具体的には、10
番ピン(ちなみに私は右投である)をカバーにいく際には手前でガタ
ーに落ち、7番ピンをカバーにいく時は右へはずしてしまうのだ。
私はカバー・ボールを使用している。基本的に右側のピンが残れば
カバー・ボールを使用し、左側のピンが残れば1投目と同じボールを
使用する。もちろん3-6-9-10の際は1投目と同じボールを使用
するというような例外もある。
数年前JBCの大会に出ていた時に、7番ピンのカバーを上述した
ようにミスした。その際にチームメイトから
「1投目と2投目とで投げ方を変えているのですか。」
と指摘された。「ああ、やはりそうなのか」。自分では同じ投げ方を
しているつもりでも、投げ方が変に変わってしまっているのだ。
ベースボールの投手に「抜け球」というのがある。投手が悪い投げ
方をした時の表現である。抜け球になる原因はいろいろあるというこ
とだが、「腕が振れていない・スイングができていない」というのは
ボウリングの悪い投げ方と共通していないだろうか。
なぜ、スイングできないのか。タイミングが悪いから。下半身が弱
っているから・・・。いろいろある中で私の場合は「メンタルな要素」
が主要原因になっていると分析する。1回ミスをするとなおさらであ
る。カバーに失敗したピンが残ると、「また同じようにミスるのでは
ないか」と結果を先に考えてしまいがちである。それが間違いである。
メンタルな部分をテクニカルな部分と同様に修正し、自分の精神を
コントロールすること、さらにミスの発生を予防できることが、プロ
ボウラー・上級アマチュアボウラーとそれ以外のボウラーとの分岐点
ではないだろうか。
余談であるが、スポーツでは「とっさの体の使い方」がとても難し
い。たとえどんなに練習を積んだとしてもそれを本番の試合で出せる
かは、外から見ている以上に複雑な要素がからみあっている。だから
こそ、「ワールド・カップ」でのY選手のプレーにも同情できるし、
プロ野球投手が打ち込まれる姿にも「納得」してしまうのである。
おわり
投め、すなわち残りピンをカバーする際に顕著に表れる。なんとなく
自信が無いときは、それがスイングの弱さに現れる。具体的には、10
番ピン(ちなみに私は右投である)をカバーにいく際には手前でガタ
ーに落ち、7番ピンをカバーにいく時は右へはずしてしまうのだ。
私はカバー・ボールを使用している。基本的に右側のピンが残れば
カバー・ボールを使用し、左側のピンが残れば1投目と同じボールを
使用する。もちろん3-6-9-10の際は1投目と同じボールを使用
するというような例外もある。
数年前JBCの大会に出ていた時に、7番ピンのカバーを上述した
ようにミスした。その際にチームメイトから
「1投目と2投目とで投げ方を変えているのですか。」
と指摘された。「ああ、やはりそうなのか」。自分では同じ投げ方を
しているつもりでも、投げ方が変に変わってしまっているのだ。
ベースボールの投手に「抜け球」というのがある。投手が悪い投げ
方をした時の表現である。抜け球になる原因はいろいろあるというこ
とだが、「腕が振れていない・スイングができていない」というのは
ボウリングの悪い投げ方と共通していないだろうか。
なぜ、スイングできないのか。タイミングが悪いから。下半身が弱
っているから・・・。いろいろある中で私の場合は「メンタルな要素」
が主要原因になっていると分析する。1回ミスをするとなおさらであ
る。カバーに失敗したピンが残ると、「また同じようにミスるのでは
ないか」と結果を先に考えてしまいがちである。それが間違いである。
メンタルな部分をテクニカルな部分と同様に修正し、自分の精神を
コントロールすること、さらにミスの発生を予防できることが、プロ
ボウラー・上級アマチュアボウラーとそれ以外のボウラーとの分岐点
ではないだろうか。
余談であるが、スポーツでは「とっさの体の使い方」がとても難し
い。たとえどんなに練習を積んだとしてもそれを本番の試合で出せる
かは、外から見ている以上に複雑な要素がからみあっている。だから
こそ、「ワールド・カップ」でのY選手のプレーにも同情できるし、
プロ野球投手が打ち込まれる姿にも「納得」してしまうのである。
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