らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

341.北の旅から~2001年・挑戦

2006-10-12 | 01.Journey
【写真:利尻富士 2001年10月 7日撮影】

 2001年。昨年と同様、今年も10月の「北行き」となった。うまく
タイミングを合わせられれば、「紅葉」と出会えるかもしれない。

【訪問した温泉・施設(所在地)の一覧】

・稚内温泉童夢(稚内市)
・びふか温泉美深町林業保養センター(美深町)
・屈足温泉トムラ登山学校レイクイン(新得町)
・オソウシ温泉鹿乃湯荘(新得町)
・菅野温泉(鹿追町)
・層雲峡温泉黒岳の湯(上川町)
・然別峡鹿の湯(鹿追町)

【通行した「ダート」の一覧】

・美深歌登大規模林道
・函岳レーダー道路
・ピヤシリ越林道(ピヤシリ山観光道路)
・札滑林道(路肩崩落のため通り抜け不能)
・クチャンナイ林道
・上武利林道(通行止め)
・ヌプントムラウシ林道(通行止め)
・オソウシ林道
・シンノスケ3の沢林道
・然別峡峰越林道

 この年10月の行程を振り返ってみた。

 6日(土)横浜→八戸
 7日(日)苫小牧→支笏湖→サロベツ原野→稚内
 8日(月)宗谷岬→宗谷丘陵→モケウニ沼→豊富→函岳→美深
 9日(火)美深→ピヤシリ山→北見→美幌峠
10日(水)美幌峠→和琴半島→中標津→納沙布岬
11日(木)納沙布岬→昆布刈石→屈足
12日(金)屈足→トムラウシ→オソウシ→然別峡→扇ヶ原→層雲峡
13日(土)層雲峡→大函→三国峠→然別峡→苫小牧
14日(日)仙台→横浜

 苫小牧から支笏湖へ経由で札幌市街地を駈け抜ける。オロロン・ラ
インをひらすら北上し、苫前のグリーンヒル付近にたどり着く。「新
場の沢」というバス停で休憩する。西方に目をやると天売島・焼尻島
がかすかに見える。さすがにこの季節、Tシャツ・短パンはこたえる。

新場の沢(2001年10月 7日)

 サロベツ原野。稚咲内海岸付近、道道 106号線上の「定番」地点の
風景だ。鋭い方はこの写真が例年と異なることに気がつく。「えっ、
何か」って。実は「定番」地点よりも今年は3Kmほど稚内よりなの
である
。写真左上の「標識」に注目いただきたい。すっかり日が暮れ
ている。

道道106号線・稚咲内付近の「定番」地点(2001年10月 7日)

 宗谷丘陵は年々、開発が進んでいる。この時点ですでに上苗太路川
上流まで道道 889号線は開通していた。観光バスも次第に入りこんで
いる。

宗谷丘陵(2001年10月 8日)

 歌登、上徳志別と車を走らせ、道道 120号線を仁宇布方面へ進む。
「天の川トンネル」の手前を右折し、徳志別川沿いの道へ入る。旧道
との分岐を直進し、美深歌登大規模林道を進む。今年は、函岳に向う
ことにした。ほぼ中間地点の加須美峠からの分岐、函岳レーダー道路
に入る。夕暮れ前に函岳山頂に到着。その年は天候がベストではなか
ったため、視界がよくなかった。晴天であればご覧の通りである。

函岳山頂(2001年10月 8日)

 名寄からピヤシリ越林道を通り、道道60号線の幌内越峠に抜けよう
と思いつく。途中、ピヤシリ山へ続く登山道を発見し山頂へ向うこと
にした。林道の通り抜けは、名寄市と雄武町の境界にて「通行止」の
標識が掲示されていたことにより断念した。来年チャレンジだ。

ピヤシリ山頂(2001年10月 9日)

 昨年のリベンジを果たすべく、今年も美幌峠でビバーク(大袈裟)。
翌朝、ようやく日の出と出会えることができた。太陽は、手前の屈斜
路湖中島の遠方、サワンチサップとマクワンチサップ・アトサヌプリ
あたりから出ているようだ。

美幌峠より屈斜路湖を望む(2001年10月10日)

 北十勝。道道 718号線をトムラウシへ向う。目指すはヌプントムラ
ウシ温泉だ。しかし、ここも「通行止」に阻まれる。この年は例年に
無く「通り抜け不能」と遭遇することが多かったようだ。

道道 718号線にて(2001年10月12日)


 オソウシ温泉、菅野温泉をハシゴし一転、国道 273号線を北上する。
三国峠を通過する頃はとっぷりと日が暮れていた。層雲峡で宿泊の後
銀河の滝と17年ぶりに再会した。

銀河の滝(2001年10月13日)


 置戸付近の林道を開拓しようとしたが、道に迷う。国道 273号線を
南下し山田温泉に立ち寄ったが、シーズンオフのため休業。然別峡の
鹿の湯へ向う。季節がら、キャンプ場にも誰もいない。湯は貸切状態
であった。

然別峡鹿の湯(2001年10月13日)

◇◆◇

 物事、何につけても「スペア」「予備」「バックアップ」が必要で
あることを、今年の旅で痛感した。層雲峡で宿泊した時、不注意から
眼鏡を踏み潰してしまったのである。それまでは「予備」など携帯す
ることなんかなかったのであるが、その年に限って偶然にも携帯して
いたのである。

 「備えあれば憂いなし」

 それにしてもなんたる偶然であろうか・・・。年々「警告」が増え
ているような気がする。そしてその次の年は、ついに・・・。

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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
バックアップのバックアップ (らば~そうる)
2006-10-13 01:11:50
to:zukaさん



うわ~、なんて懐かしいんだろ~♪

今ではこうしてハナシができますが

あのときは・・・



口から心臓が出そうになりました。

だってMTユニットにしっかり収まっているはずの

MTちゃんが

見るも無残な姿に・・・。



「リカバリできない・・・」

と思った瞬間

「もう1本取ってあります。」

天晴♪ 神様の言葉に聞こえました。
返信する
備え (zuka)
2006-10-13 00:01:36
そういえば、はるか昔。。。MTが巻き取られ。。手で巻き戻した記憶が。。ダブルの

バックアップのうちのかたわれMTがおしゃかに
返信する

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