「連合赤軍あさま山荘事件」。はじめにお断りをいれておきたい。
この事件は日本社会運動史上、まさに重大な転換となる大事件である。
事件の背景にある一連の動き、例えば、「集団リンチ殺人事件」との
関連等、軽々しく論じられるものではないと認識している。ここでは
「茶の間で見たテレビの映像とその時代」という観点で書いてみたい。
1972年 2月28日午前10時前、最後の5分前警告に対し、あさま山荘
に人質を抱えながら篭城する連合赤軍犯人らは、沈黙を守り続けた。
そして午前10時、警察側の作戦開始命令が発せられるや否や、犯人側
は一発の銃弾を放ってきた。
バーン!
厳寒の現場に響く乾いたその音とともに、銃撃戦が開始されたのだ。
かくして日本全国津々浦々、6,000 万人をテレビの前に釘付けにし、
89.7%の視聴率を記録したと言われている「連合赤軍あさま山荘警備」
の生中継が同時に開始されたのである。
理由は定かではないが風邪でも引いたのだろうか、わたしはその日
自宅で寝ており、テレビの前で中継を観ていたのである。当時は世相
的にどのような時代だったのだろうか。ちょうどひと月前にグアム島
で横井庄一陸軍兵が発見されたこと、札幌で冬季オリンピックが開催
され、日の丸ジャンプ隊が70メートル級純ジャンプで金・銀・銅メダ
ルを独占したこと、女子フィギア・スケートの妖精ジャネット・リン
が人気を博したことが思い出される。2月上旬から妙義山周辺で繰り
広げられていた「薄暗い逃走・逮捕劇」は、少なくとも小学生のわた
しには、明るい話題に隠れ「そのこと」すらわからなかったのだ。
風邪でボーッとしている中、「クレーンにくくりつけられた鉄球」
が突然画面に映し出された。鉄球で山荘の壁を叩き壊す作戦だという。
当時警察本部で現場の指揮官を務めていた佐々淳行氏によれば、この
「大鉄球作戦」は1969年の東大安田講堂城攻め以来、アイデアを暖め
続けてきたということである。破壊された壁面の隙間から放水・・・。
異常な映像が次から次へと続く。
激しい銃撃戦の中、警察側の隊員が凶弾に倒れ搬送されるシーンが
映し出される。そして「静かで不気味なあさま山荘北側壁面」の映像
の中、実況のアナウンサーの声が響く。
動き出しました。
あの場所では突っ込みにくいですね。
何か見えます。
白い「布」・・・ですね。三階のいちょうの間でしょうか。
信越地方の日暮れは早い。人質が救出され、ボサボサの髪を警察隊
につかまれ白い息を吐きながら連行される犯人たちを映し出すために
は、「ライト」で現場を照らさなければならなかった。
よしだたくろう「結婚しようよ」、ペドロ&カプリシャス「別れの
朝」がヒットしていた時代、まだテレビのカラー映像が少し色褪せて
滲んで見えた時代の事件である。
↑If this article is quite good, will you please click?
この事件は日本社会運動史上、まさに重大な転換となる大事件である。
事件の背景にある一連の動き、例えば、「集団リンチ殺人事件」との
関連等、軽々しく論じられるものではないと認識している。ここでは
「茶の間で見たテレビの映像とその時代」という観点で書いてみたい。
1972年 2月28日午前10時前、最後の5分前警告に対し、あさま山荘
に人質を抱えながら篭城する連合赤軍犯人らは、沈黙を守り続けた。
そして午前10時、警察側の作戦開始命令が発せられるや否や、犯人側
は一発の銃弾を放ってきた。
バーン!
厳寒の現場に響く乾いたその音とともに、銃撃戦が開始されたのだ。
かくして日本全国津々浦々、6,000 万人をテレビの前に釘付けにし、
89.7%の視聴率を記録したと言われている「連合赤軍あさま山荘警備」
の生中継が同時に開始されたのである。
理由は定かではないが風邪でも引いたのだろうか、わたしはその日
自宅で寝ており、テレビの前で中継を観ていたのである。当時は世相
的にどのような時代だったのだろうか。ちょうどひと月前にグアム島
で横井庄一陸軍兵が発見されたこと、札幌で冬季オリンピックが開催
され、日の丸ジャンプ隊が70メートル級純ジャンプで金・銀・銅メダ
ルを独占したこと、女子フィギア・スケートの妖精ジャネット・リン
が人気を博したことが思い出される。2月上旬から妙義山周辺で繰り
広げられていた「薄暗い逃走・逮捕劇」は、少なくとも小学生のわた
しには、明るい話題に隠れ「そのこと」すらわからなかったのだ。
風邪でボーッとしている中、「クレーンにくくりつけられた鉄球」
が突然画面に映し出された。鉄球で山荘の壁を叩き壊す作戦だという。
当時警察本部で現場の指揮官を務めていた佐々淳行氏によれば、この
「大鉄球作戦」は1969年の東大安田講堂城攻め以来、アイデアを暖め
続けてきたということである。破壊された壁面の隙間から放水・・・。
異常な映像が次から次へと続く。
激しい銃撃戦の中、警察側の隊員が凶弾に倒れ搬送されるシーンが
映し出される。そして「静かで不気味なあさま山荘北側壁面」の映像
の中、実況のアナウンサーの声が響く。
動き出しました。
あの場所では突っ込みにくいですね。
何か見えます。
白い「布」・・・ですね。三階のいちょうの間でしょうか。
信越地方の日暮れは早い。人質が救出され、ボサボサの髪を警察隊
につかまれ白い息を吐きながら連行される犯人たちを映し出すために
は、「ライト」で現場を照らさなければならなかった。
よしだたくろう「結婚しようよ」、ペドロ&カプリシャス「別れの
朝」がヒットしていた時代、まだテレビのカラー映像が少し色褪せて
滲んで見えた時代の事件である。
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>事実を受け止める目が、世代を超えて必要なのだと思う。
この文章、響きました。
佐々氏も表題の書物を発行された時点で
「内田隊長射殺犯人と思われる坂東国男には正義の
裁きが下っていない」
として
事件がまだ終わっていないことを強調していました。
1972年 2月28日って日曜日だったんですね。
どうりで自宅にいたわけです。
風邪を引いていて
ボーっとしながらテレビを観ていました。
閏年だから翌日は 2月29日だったのですね。
どうしていたかな~???
記憶の不確かさを再認識しながら
本文を訂正させていただきました。
「気づき」をいただきありがとうございました。
・・・そのような関係がおありだったとは。
さぞかし「現場」に立ち
いろいろと感じ取られたことでしょう。
いっぽうわたしは
昔観たテレビ番組や聴いたレコードを記事にする
ことが多く、この事件に辿り着いた感じです。
なので「幼心で観たテレビ映像」の視点です。
これを機会に、この事件について
もっと深く調べようと思っております。
情報のご提供、ありがとうございました。
あとで知ったのですが、その日は日曜日で、その行く末を全国民がリアルタイムで見ていたそうです。
笹だんごさんと同様、「光の雨」でそこに行き着くまでを知ることが出来たのですが、映画を見るとそれは強烈でした。とある掲示板に感想を書いたのが、これです。
↓
「革命戦士となりうる人間が自己批判と総括もできない」と言われ、仲間に暴行を受けたり、アイスピックで刺されたり、極寒の山中にロープで縛り付けたりして、次々に命を落としていく姿を見ていると、「革命って何?」「どうすれば総括が出来たのか」と問いたくなる。
事件当時小学生だった私は、そんなことは知るよしもなかった。でも大人になってこの事件の事をTVで知る機会があった。殴る側の立場にいても、明日総括を求められる立場に変わるかも知れない恐怖感におびえていた事実も知った。
永田洋子、そして浅間山荘に籠城した坂口弘はもともと職場の組合活動から始まったと聞いている。本当に世の中を変えたいという真摯な気持ちから、どうしてこんな風に変わってしまったのか。
劇団に入ってから学生運動をテーマにした作品もいくつか上演して、女闘士の役までやったことがあるのに、実際は何も理解していなかったと思う。
でも、もしこの時代に同世代で生きていたなら、自分も同じ事をしたのだろうか?
立松和平原作「光の雨」についての感想が映画の中で読まれるシーンがあって、「ノスタルジックだ。気持ちが悪い。43歳」と書かれたものがあったが、私は決してノスタルジックで作られた作品ではないと思う。事実を受け止める目が、世代を超えて必要なのだと思う。
森恒夫-獄中で自殺
坂口弘-死刑判決(何年か前に執行されたような気がする)
永田洋子-バセドウ氏病のため獄中で闘病中
板東国男-外国に出国
彼らはどう自己批判してどう総括した(している)のだろうか?
長文すみませんm(_ _)m
真夏でしたが夜になるとひんやりしたことが印象深いですが、日本の山奥に昔、凄い事件が起きたんだなあいう思いでした。彼らはメルトダウンした挙句立てこもったわけですが、山荘に入るまでの経過を知りたくていたところ立松和平の「光の雨」でうかがい知ることができたんです。光の雨では山荘の事件はたった数行しか出てこないですが、それだけに至る過程が綿密に書き込まれてました。