「京浜東北線」。現在、通勤でお世話になっているJRの路線です。
タイトルに「JR」をつけなかったのは「国鉄」時代からの思い出を
綴ろうとしたからです。
幼少の頃、横浜市鶴見区に住んでいたことがあります。そのとき、
「国電」で初めて乗った電車が京浜東北線でした。そのときの南行の
終点が、磯子だったと記憶しています。今でこそ、車体は「スカイ・
ブルー」のラインを基調とした洗練されたデザインですが、当時の車
体は、すべてがチョコレート色に塗られていました。床にはアブラが
浸み込み、通路の真ん中に手すりの棒がありました。天井には扇風機
窓は開けにくく、座席端の肘かけは木製でした。
当時はもちろんわかりませんでしたが、風情がありましたねぇ~。
その後、南行の終点が洋光台まで延長したころでしょうか。全面が
鮮やかなスカイ・ブルーに塗られた車体が登場し、こども心にも「新
たな時代の到来」を感じたものです。
その後、電車の設備は次から次へとよくなりました。車両の冷房化
率が100%になり、優先席が設定され、つり革が改良され、そして
アナウンスの自動化、ディスプレイの導入・・・。この30数年で、
京浜東北線の環境は大きく変わりました。
そんな中でも、記憶に残っているのは「あの時代の古い車両」です。
色という「視覚的な記憶」と、床に浸みこんだアブラの匂いや新車導
入時に感じる独特な香りなどの「嗅覚的な記憶」。そんな記憶を感じ
ながら、今日も京浜東北線に乗車します。
HERE
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タイトルに「JR」をつけなかったのは「国鉄」時代からの思い出を
綴ろうとしたからです。
幼少の頃、横浜市鶴見区に住んでいたことがあります。そのとき、
「国電」で初めて乗った電車が京浜東北線でした。そのときの南行の
終点が、磯子だったと記憶しています。今でこそ、車体は「スカイ・
ブルー」のラインを基調とした洗練されたデザインですが、当時の車
体は、すべてがチョコレート色に塗られていました。床にはアブラが
浸み込み、通路の真ん中に手すりの棒がありました。天井には扇風機
窓は開けにくく、座席端の肘かけは木製でした。
当時はもちろんわかりませんでしたが、風情がありましたねぇ~。
その後、南行の終点が洋光台まで延長したころでしょうか。全面が
鮮やかなスカイ・ブルーに塗られた車体が登場し、こども心にも「新
たな時代の到来」を感じたものです。
その後、電車の設備は次から次へとよくなりました。車両の冷房化
率が100%になり、優先席が設定され、つり革が改良され、そして
アナウンスの自動化、ディスプレイの導入・・・。この30数年で、
京浜東北線の環境は大きく変わりました。
そんな中でも、記憶に残っているのは「あの時代の古い車両」です。
色という「視覚的な記憶」と、床に浸みこんだアブラの匂いや新車導
入時に感じる独特な香りなどの「嗅覚的な記憶」。そんな記憶を感じ
ながら、今日も京浜東北線に乗車します。
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