【写真:JR鶴見駅ビルから第一京浜方向を望む 2007年03月16日16時10分撮影】
このシリーズは、わたし自身の「想い出の場所」を皆様へお話する
ものです。それは旅、仕事、そして居住地・・・に関するものです。
その中で、幼少時代からの居住地の変遷について前回、東京都江東区
から転居するところまでお話しました。どこへ転居したのでしょうか。
それは、横浜市鶴見区です。
小学校低学年 ~横浜市鶴見区~
もう、今から○十年前になるのですね。そのときも、冒頭の画像の
ビルから同じ方向を眺めていました。そのときの画像はありませんが
記憶は鮮明に残っています。
眼下に走る京浜急行線は、まだ高架化されてなく、踏み切りがあり
ました。車両の色は現在の「赤」よりももっと「朱」が強かったよう
な感覚があります。左側にある低層ビルは昔のままです。その一角に
ある「ヤマハ音楽教室」に通いエレクトーンと出会いました。音楽は
なんでも聴くほうですが、「クラシック」よりも「ポピュラー」志向
になったのは、この影響だと自分では思っています。エレクトーンが
持つ楽器の特性と機能の発展の歴史を振り返ってみると、それは必然
でしょう。
さて、遠方の眺めはどうでしょうか。当時、「KQ」の先には高層
ビルがほとんどなく、第一京浜いや、鶴見川まで見ることができたか
と記憶しています。
そして何を隠そう、社会人としてスタートしたわたしが最初に担当
したお客様。その本社が「鶴見」だったのです。3ヶ月の研修の後に
お客様先に訪問した際の挨拶で、この記事に書いてあるような内容を
お話いたしました。こうしてビルから景色を眺めていると、なんだか
昨日のことのように思えます。
♪あ~か~る~くひろが~る つ~る~み~のそ~ら~は
足踏み式オルガンの「ブ~カ、ブ~カ」と響く伴奏にあわせながら
小学校の校歌の出だしで、このように元気いっぱいに歌っていました。
たしかに広い空でしたね・・・鶴見の空は。
数年前にその母校を訪れました。今日はここまで。つづきは次回に
お話させていただきます。
つづく
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なっています。おれもおやじですが、、、、
昔のマシンルームのビルが懐かしくもあります。
京急ガード下に見える横断歩道は旧東海道(!)ですね。
この辺は少々道がわかりにくく、苦労しました。
どうもです♪
皆、カドがとれて丸くなりましたよね。
>昔のマシンルームのビルが懐かしくもあります。
テープが切れちゃったり、いろいろありましたな~・・・
このビルの下で事業を始めたお店って
今何店舗になっているのでしょうか。
そうでした。旧東海道を行脚されたのでしたね!
ここらへんでは「鶴見銀座」が旧道になるので
しょうか。
KQ鶴見は昔「急行」があり停車していました。
現在のKQのダイヤはずいぶんとシンプルに
なりましたね。
またしても正解です!
鶴見銀座(KQ鶴見~第一京浜)はその全区間が旧東海道です。
旧東海道は第一京浜を(横断歩道で)渡って鶴見線の国道駅へと
続いています。ちなみに国道駅ガード下は40年位前に
タイムスリップするような不思議な空間。(おっと話題が逸れ過ぎた)
あ~、なにかで耳にしたのですが
その昔、鶴見臨港鉄道の「本山駅」があったのは
国道駅の近くでしょうか?
左下角のさらに左にはブックオフありますよね。
京急のガード下に「「てんや」が店舗展開し始めたころ、たまに行きました。
GGCも懐かしい!!
ちょうど花月園前方面から来て、鶴見線のガードくぐった直後、KQ鶴見駅に向けて高架を上り始めるところ。
http://www7.cds.ne.jp/~lully/mon_ami/archives/1997/08/post_7.html
今度行ったら、跡でも立ち寄ってみてください。
KQトリビアでした。
鶴見を出て東海道線を跨ぐ少し前にプラットホームの残骸が
残っていて、たしかその下が路線バスの車庫になっていたと
思います。
それにしても鶴見臨港鉄道が話題に出されるとは驚きでした。
>ですね~。(笑)
・・・ってこらこら(^^)
「てんや」はお客様の行き帰りよく通っていました。